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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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You have mentioned a lot about Bhagavan. What has been your personal experience with Amma?

Q:あなたは、バガヴァンについてたくさん言及されました。

アンマとの個人的な体験は、どうでしたか?


Freddy: I met her from time to time a few years before she was declared God by Bhagavan. After 1993 I have never really spoken to her in a relaxed home atmosphere, only in big groups or for a minute or two in the Ashram in Nemam to get her blessings.

フレディー:彼女がバガヴァンによって神と宣言された1、2年前、私は時々彼女に会いました。

1993年以後、落ち着いた家庭の空気で、彼女と話すことはなくなりました。

大きなグループか、ネーマンのアーシュラムで彼女の祝福を得るため1、2分間話すだけでした。

In the beginning (1991-1992), Paramacharya and Samadarshini were more spoken about as deities than Amma. As she only spoke a few words of English and my Telugu was not much better than her English, we couldn’t speak much. To me, Amma was just Bhagavan’s wife, in the same way as Bhagavan’s father (who happened to be an atheist) was only his father and not a god in the Hindu pantheon. She was not the one who talked to the people from the courses, she did not meet devotees etc. She was just the head of the kitchen in the school, and she also happened to be Bhagavan’s wife.

初期の頃(1991~1992)、パラマチャリヤとサマダルシニはアンマを神格化して、いっそう語るようになりました。

彼女が英語を僅かに話すだけだったのと、私のテルグ語が彼女の英語よりひどかったので、私達はあまり話すことができませんでした。

私にとって、バガヴァンの父(その人は、たまたま無神論者でした)が彼の父というだけであって、ヒンドゥー教の神々でないことと同様に、アンマはバガヴァンの妻でしかありませんでした。

彼女はコース参加者達と話をする人ではありませんでした。

彼女は帰依者などに会いませんでした。

彼女はまさに学校の台所の長であり、たまたまバガヴァンの妻でもあるのでした。

She looked angry or dissatisfied most of the time, I hardly ever saw her smile. Her voice was not soft and loving, it was rather harsh.

ほとんどの時間、彼女は腹を立てているか、不満そうに見えました。

私は滅多に彼女が微笑むのを見ませんでした。

彼女の声は穏やかで優しいものではなく、むしろ厳しかったです。

I made a lot of efforts trying to like her because she was the wife of my Master and God, though my instinct was more to keep away from her, I did not trust her and disliked her rough and dominant nature.

彼女が私のマスター(神)の妻であったので、私は彼女を好きになるよう、たくさん努力しました。

私の本能が彼女から距離を置こうとしていましたけれど。

私は彼女を信頼せず、彼女の荒っぽさと支配的な性質を嫌いました。

She once invited me into her and Bhagavan’s bedroom and showed me her and Bhagavan’s nuptial photo, he looked very different without a beard. I remember though, that there one occasion when I had a natural and friendly contact with her. I was in their house, as I regularly was, we stood in the corridor outside their bedroom, and she wanted to talk to me. She asked me if I knew any ways for her to lose a lot of weight. She knew from Bhagavan that I had studied healthy living, nature cure etc. I recommended her to do 10 minutes of daily jumping on a bouncing mat. I also showed her some acupressure points in her hands that she could press, to get an increased metabolism. I pressed the points in her hands gently to demonstrate their location. At that time Bhagavan walked by in the corridor; he told Amma something in Telugu, in a somewhat commanding tone. Then she looked at me, as if saying with her eyes: Sorry, my husband does not want me to do this; and she went away.

彼女はかつて私をベッドルームに招き入れて、彼らの結婚式の写真を見せてくれました。

彼は顎ヒゲもなく非常に異なって見えました。

私は、彼女と自然で親しげに触れ合った時の出来事の1つを覚えていますけれど。

私は定期的に彼らの家にいました。

私達は彼らのベッドルームの外側の通路に立っていて、彼女は私に話しかけてきました。

彼女は、体重を大きく落とす方法を知っているかどうか、私に尋ねました。

彼女は、私が健康的な生活、自然療法などを勉強したということをバガヴァンを通じて知っていました。

弾力のあるマットで毎日10分ジャンプすることを彼女に勧めました。

更に代謝を高めるための指圧ポイント(ツボ)の位置を示し、彼女の手で優しく押して実演してみせました。

その時、バガヴァンが通路を通りかかりました;
彼は幾らか威圧的な調子で、テルグ語でアンマに何かを伝えました。

それから彼女が、まるで目で語るように私を見ました。

「ごめんなさい、夫は私がこうすることを望みません」と言って、彼女は去りました。

I saw her as an average Indian house-wife with her own plus and minus points. I never felt anything elevated or spiritual in her.

私は、彼女を、自分のプラス・マイナス点を持った平均的なインド人主婦と理解しました。

私は、彼女に高尚な、或いは神聖な何かを感じたことはありません。

In 2005 I asked Anandagiri (AG) if I could get some other photos of A&B, as the ones that were used looked rather sectarian for us Westerners. It was AG’s and my common passion, we both wanted this Movement to become number one in the world; so he gave me access to hundreds of digital photos of A&B. I had difficulties to find ok photos of Amma, as she hardly ever smiled. When we finally found one, she did not look friendly or relaxed. I recommended him to try and see if he could take some new photos where Amma would look friendly and smiling.

2005年、私はアーナンダギリ(AG)に、これまで使われていたものが西洋人にとって、かなり新興宗教の教祖のように見えるので、何枚か他のA&Bの写真を手に入れることが出来るか尋ねました。

2人共、このムーヴメントが世界のナンバーワンになることを望んでいて、それはAGと私の共通の情熱でした。

それで彼は私にA&Bの何百ものデジタル写真の検索を認めました。

アンマが滅多に微笑まなかったので、私は彼女のOK写真を見つけるのに困難を要しました。

最終的に、私達は彼女の親しみやすい、或いはリラックスしたように見える写真を1枚も見つけることが出来ませんでした。

私は、アンマが親しみやすくて微笑んでいるように見える新しい写真を何枚か撮ることが可能ならば、そうしてみるように彼に勧めました。

I took for granted that meeting Krishna, Bhagavan’s son, would be an amazing experience. I really tried to feel sympathy for the son of my God. We sometimes played sport, I remember how we once played double in tennis against AG and Vimalakirti in Bhagavan’s court yard; Bhagavan came outside and watched this match for some time.

私は、クリシュナ(バガヴァンの息子)に会うことが驚異的な経験であるのが当然と思っていました。

私は、実際に私の神の息子に同調しようとしました。

私達は時々スポーツをしました。

私達はかつてバガヴァンの中庭のコートで一緒にテニスをしたこと覚えています(相手はAGとヴィマラキルティ)。

バガヴァンが外に来て、しばらくの間この試合を鑑賞しました。

What we feel about others is very subjective, but these years with Krishna was not an uplifting experience to me; Krishna with his character and behavior was a serious test to my faith in Bhagavan as the almighty God.

私達が他者について感じるものは大変主観的ですが、クリシュナと接したこれらの年、私を高揚させる体験はありませんでした;
クリシュナ(彼の人格と振る舞い)は、無限の神としてのバガヴァンに対する私の信仰への重い試練でした。

After having lived in Bhagavan’s Ashram for almost two years Bhagavan asked me to start spreading his message outside of India. I soon started to live and work in Russia and did not have the money to come to India for a few years. When I came back, Bhagavan and Amma had moved to Chennai and lived in a house there.

およそ2年間の間をバガヴァンのアーシュラムで暮らした後、バガヴァンが、インド国外で彼のメッセージを広げ始めるよう私に命じました。

私はすぐにロシアに住んで働き始め、1、2年の間、インドを訪問するお金がありませんでした。

Since then, I have only met Bhagavan, not Amma. As we did not meet in their home anymore, the only time I saw Amma was in public darshans, where hundreds or thousands of people sit and meditate in her presence and sing praises to her. Little by little my old hesitations to her melted away, and the few times I got a private darshan with her, I was trying to see her as God, and she was warm and loving to me. And in my process in 2004, I finally accepted her as equal to Bhagavan.

それ以来、私はバガヴァンにだけ会って、アンマと会いませんでした。

もはや彼らの家を訪問することはありませんでした。

私がアンマを目にしたのは、パブリック・ダルシャン(彼女の面前で何百、何千という人々が座り、瞑想し、賛美歌を歌う)においてだけでした。

私は幾度か彼女のプライベート・ダルシャンをうけました。

私は神として彼女を見るよう試みました。

すると彼女は私に優しく穏やかでした。

少しずつ、私の過去の彼女に対するためらいは溶け去っていきました。

2004年の私のプロセスで、私はついに彼女をバガヴァンと等しく受け入れました。

I do not know exactly how I managed to heal my relationship with Amma, and even feel warmth when thinking of her. Maybe it was because Bhagavan had often told me that I need to become devoted to Amma too as this was my major hindrance to get enlightened. Samadarshini and Anandagiri also reminded me of my problem with Amma from time to time. As this was my only really big block in getting my dream state, I worked very intensely on this, I prayed and prayed and prayed, did so many exercises… I tried and tried and tried, and after 12 years I could finally reap the fruits…

私は、どうやってアンマとの関係を何とか解消できたかが、よくわかりません。

彼女のことを考えるとき、暖かささえ感じます。

「これが悟りを得るための私の大きな障害なので、私がアンマにも委ねる必要がある」と、しばしばバガヴァンが私に言っていたからかもしれません。

サマダルシニとアーナンダギリも、時々私にアンマに関する問題を思い出させました。

これが私の理想の状態を得ることへの唯一最大のブロックであったので、非常に熱心にこれに取り組みました。

そして、祈って、祈って、とても多くのエクササイズをしました・・・

私は試みて、試みて、試みました、そして、12年後、ようやく果実を収穫することができました・・・

<訳注:皮肉としての表現であって、この時期の12年後にムーヴメントを離れることになったと思われる>

There might have been other reasons too. Maybe it wasn’t just me who had changed my attitude towards her; Amma might also have undergone some change and our love suddenly became mutual.

他の理由もあったかもしれません。

多分、彼女に対する私の態度を変えた人は、私だけではなかったでしょう;
アンマもまた幾らかの変化を受け入れたのかもしれません。

それで突然、私達の愛は相互になったのです。

The fact that I did not meet Amma anymore; just a few minutes a year to get blessings for my enlightenment and general success in spreading Bhagavan’s message, might also have been one of the reasons for the improvement and healing of our relationship. There may also be other factors.

1年に1、2分、バガヴァンのメッセージを拡げる中での一般的な成功と私の悟りの祝福を得る以外、私はアンマに会うことがなくなっていたというのが事実です。

またそれは私達の関係の改善のための理由の1つでもあったのでしょう。

他の要素もあるかもしれません。

I never managed to come to feel a natural love and veneration for their son though. I often blamed myself for this and thought that something must be wrong with me. As Bhagavan did not say that I had to feel warm love for Krishna too, I finally gave up trying to force myself to love Krishna. I became sort of neutral to him and tried to not think about this anymore.

私は、彼らの息子に対する自然な愛情と尊敬を抱くことができませんでした。

このため、私は何かおかしいに違いないとしばしば自分自身を責めました。

クリシュナに対しても暖かい愛情を抱かねばならないと、バガヴァンは言わなかったので、私はついに、クリシュナを好きになろうとするのを諦めました。

私は、彼を中立視して、もはやこれについて考えないようになりました。

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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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