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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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フレディー氏の過去記事から英文を除いて日本語だけのバージョン。以前の投稿では小分けにしていたため通しで読むには面倒だと思ったので。当時、2010年にブログを開始したのが、この記事を公開するためであったが、こうして見返すと文量が多くて今だったらとてもやる気にならない。2年以上が経過したが、その間のムーブメントの動向にも十分通じるものが含まれている。

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http://deekshadanger.weebly.com/ より
Deeksha danger

フレディー、暴露する!

15年の間、カルキバガヴァンの側近(内弟子)の1人であった後に、フレディー・ニールセンはワンネスムーブメントを離れた。

今、彼は胸のうちを語る:

「ヨーロッパでの例を挙げれば、ディクシャ(短期)をうけた後に精神病になった人達がいます。
幾人かは精神病院に入院しなければならなくなり、更には自殺した人もいました。」


「バガヴァンは21日間コースで悟らせると大衆に宣言しましたが、大部分の参加者がほどなくして意気消沈していたのです。」

「バガヴァンは、支持者が彼に同意しなかったり、反抗的であると寛容でいられません。
彼はナルシスト的で、支配的です。」


「彼(バガヴァン)が他のグル(指導者)について褒め称えたり、賛成意見を述べることは稀でした。
彼は、たびたび彼らを嘲笑しました - 時には乱暴に」

「誠実な探求者と才能ある神秘家は、1、2のイベント(ディクシャ)に参加した直後に、バガヴァンとムーブメントを去りました。
共通の理由として、バガヴァンの力の源が純粋でないと感じたということでした・・・
バガヴァンは光の力を使っていない、というのが彼らの意見でした」


「彼らが去ったあと、バガヴァンはしばしば弟子(私を含む)と議論したり、彼らを批評しました。
彼は、常日頃どういった人々が気に入らないかを語っていました。
彼らについて悪意のあるジョークを言っていました。
彼の論点は中途半端で浅いものでした。」


全文は以下をお読み下さい。

ワンネスムーヴメント、バガヴァンとダーサ達(弟子、出家僧)の歴史に関しての質問
~フレディ・ニールセンによる回答(2007年7月)


バガヴァン、ワンネスムーヴメント、ダーサ達、その他もろもろに関する膨大な情報・・・


Q:あなたは御自身の体験を多数、公開(共有)されてきました。
マドレーヌの体験と反動はどんなものだったのですか?


フレディー: マドレーヌは私が出会った西洋人の中でも数少ない、ダーサ(バガヴァンの修道士と修道女=出家僧)のようにバガヴァンに献身していたうちの1人でした。

彼女が世界中を旅して、ディクシャと教えを広めたこともあって、バガヴァンは彼女にアーシュラムに滞留するよう要請しました。

彼女は、とりわけ “ コズミック・ビーイング ” になることを望んでいました。

バガヴァンは、それを完全にアンマとバガヴァンの意識と1つになって神々が占有する人になることだと言います。

彼らは独身で生きなければならず、ほとんど口もきけず、ほとんどをトランス状態(失神)にあって、他人のために祈るばかり。

トイレに行くこと、食べることすらできません。
高齢者や重度障害者のように介護される必要があります。

バガヴァンは、世界を救済するために8000人以上のコズミック・ビーイングになる人々が必要だと述べました。

私はバガヴァンの仕事を拡げることに専念し、ほとんど休むことなく働き続けました。

私の速度についていこうとしたことがマドレーヌの誤ちでした。
アメリカで、彼女は突然、燃え尽きました。

彼女は24時間バガヴァンに仕えなければならないと感じていましたが、彼女の体は拒絶したのです。

彼女は、私のすべてのコースを手伝い、俳優や有力者達と私との個人的な会談にも全て同行するということを、幾月もの間、彼女自身に強制したのです。

しばしば、彼女は単に洗面所まで歩くことを考えるだけで苦痛に呻くほど疲れていました。

それは彼女が横になっていたベッドから3メートルの距離でした。

マドレーヌは、彼女の家族との深い関係を感情的にあきらめました。

彼女が10日間、21日間プロセスに参加する2004年6月までは、彼女の家族は、彼女にとって全てを意味していました。

6月、プロセス参加後、アンマとバガヴァンが彼女にとって全てになったのです。
彼女は彼らに完全に委ねました(修道僧や私達が望むように)。

マドレーヌにとって、全世界の人々を家族とするほうが好ましいことになったのです;
もし、家族に問題が生じても、彼女の神(バガヴァン)が彼らの世話をしてくれると理解していたのです。

彼女は、その時とりわけ彼女にとって重要だったこと(バガヴァンとアンマに対する完全な帰依と全体に奉仕すること)について、彼女の家族と話し合うことができませんでした。

バガヴァンへの奉仕生活に専念していたときの彼女を、彼らは理解できませんでした(深い隔たり)。
そのうえ、もはや彼らは、会うことも、口を聞くことも稀でした。

バガヴァン、修道僧達とフレディーだけは、その時の彼女を理解することができました。

アンマ&バガヴァンが、彼女の永遠の両親になりました。
その時、バガヴァンは、ゴールデンシティーが彼女の基地(家)であるとも言いました。

マドレーヌの人生は、完全な “ バガヴァン化 ” を経ました。

バガヴァンが神であり、神はバガヴァンである ~ それだけ!

彼女は110%以上の確信を持っていました。
彼は何でも知っていて、すべてを創造した唯一の至高の叡智でした。

エデンの園でアダムとイブが神に会って、人の容姿をした彼と話したと思い浮かべるように、彼らは2つの異なるもので分離したものでした。

アダムとイブはエデンにいた間に神と話しました。
彼らは、その神を宇宙を創造した無形の神と同一視しました。

(マドレーヌにとって)バガヴァンはまさにそういった神でした;
このこと(当時のマドレーヌの状況)を確かめるには彼女と親しい姉妹によって容易にわかるでしょう。

マドレーヌと彼女の姉妹のように親密な姉妹を私は見たことがなかったことを付け加えておきます。

マドレーヌは、私達のすし詰めの予定からの休息を必要としました。

エネルギーが枯渇して燃え尽きた状態でしたので、どうすべきかをバガヴァンに尋ねるために、彼女はプラギャナンダ・ダーサにEメールを送りました。

このEメールでだったか、あるいは数日後、どうにか私がプラギャナンダと電話で連絡をとったとき、私は、1ヵ月間アーシュラムに彼女を(私抜きで)滞在させられるかどうか、マドレーヌのために尋ねました。

その時、誰か彼女を治療することができるとすれば、それはバガヴァンと彼の修道僧達でした。

1ヵ月後、私はいずれにしろ、インドで彼女と合流するつもりでした。
彼女の状態がよくなかったので、彼らは彼女が来ることを拒みました。

彼女を歓迎しないという決定がなされたことで、彼女は完全に打ちのめされ泣きわめきました。

彼女の新なる家になっていたはずが、彼らから拒否されたのでした。

プラギャナンダとアーナンダギリから、この予想外の返事を得たときは私も泣いてしまいました
--- 私は、彼らがバガヴァンに尋ねることなく、そのような決定を下さないということを知っていました。

彼女の燃え尽きた状態について誰に相談することができたでしょうか?

誰が彼女を真に理解できたでしょうか?

彼女の母親にそうした問題をとりあげる以前に、アンマとバガヴァンが彼女の両親となっていたのですから。

1ヵ月後、私がマドレーヌとゴールデンシティー(またはGC、バガヴァンのアシュラム)を訪れた際に、私達は彼女の問題をバガヴァンに説明しました。

少なくとも彼女が回復するまでは、私のコースと個人的な会談に同行するのは50%にしたらどうかと、私はバガヴァンに提案しました;
そして、例外として日頃から長時間、働かせてはいけないように見えます、と。

[ 数年前、アーナンダギリが私に言ったことがある。
私(フレディー)が疲れなくがむしゃらに働くので、ほとんどの人はついていけない ]。

マドレーヌはどんなコースも会議も欠席してはならない、とバガヴァンは告げました;
その代わり、彼女が私の速度に容易についていけるよう、早急に多大なエネルギーを授けよう、と。

彼女のエネルギーが復旧する明確な日付までも彼は言及しました、それは5、6週以内とのことでした。

私が覚えている限りでは、2005年12月の初週でした。

彼は、遅くともこの日付までには巨大なエネルギーを彼女に授けよう、と約束したのでした。

私達がゴールデンシティーを去ってから、マドレーヌの状態が深刻なほど悪化してしまいました。

彼女のエネルギーは、かつてなかったほど低下していました、そして、バガヴァンに要請されたことを遂行できなくなった今、主バガヴァンの役立たずの帰依者、娘であるかのような罪の意識に苛まされました。

彼女は己自身を非難し続けました。

バガヴァンが彼女の神であったので; もし彼が、井戸へ飛び込んで死ぬように、彼女に命じたとしたら、彼女はそれに躊躇なく従ったことでしょう。

私のハートは、マドレーヌに対するバガヴァンの対処は、全くもって残酷だと私に告げました。

彼は、彼女を全然愛していなかったじゃないか?

彼は、彼女を気にかけることすらなかったし、すなわち彼女がボロボロになるまで利用したかっただけなんじゃないのか?

なぜ、彼はこんなことをするんだ?

私の心は疑いでいっぱいになりました;
私は、12月のうちにムーヴメントを離れるべきか私のハートに耳を澄ませました・・・

しかしながら、私は説明、言い訳をさがしていたのです。
彼は神なのですから、正当な理由がなければなりません。

それは単に私達への試験だったのかもしれません。

私が約15年してきたように、バガヴァンの別の顔(奇妙な振る舞い)を最終的に抑圧しました。


Q:私は、バガヴァンが彼の帰依者に規則や制約を与えないとの主張をディクシャギヴァー達から聞かされています; これは真実ですか?

フレディー: はい、でもあり、いいえ、でもあります!

多くの他のグル達と同様に、彼は平行した教えを持っています。

TMがしたように、大衆を引きつけるための教え、アプローチがあります。
TMは科学として打ち出したかったのです。

しかし帰依者は、側近グループに近くなれば、グル - 崇拝が必要になることを私に教えてくれました。

それはバガヴァンに対しても同じである、と私は思います。

彼は支持者、帰依者を最大限に惹きつけるため戦略に従います。

最初、ロープはゆるいのです。

すると、あなたは、より多くを期待して、近くに行こうとするでしょう。

ロープの縛りは次第にきつくなっていくでしょう。

報酬制度によって、遠まわしに規制をかけることも可能です。

もしあなたが、コーディネーターなどになって、あれこれ指示を信頼して実行するならば、そのときだけ個人的に修道僧達やバガヴァンにさえ面会することが許可されることでしょう。

バガヴァンとアンマが宇宙を創造したと信じていない限り、修道僧として留まることができません。

修道僧達は、アンマとバガヴァンの姿以外のいかなる方法でも神との関係を「仮定(推察)」しません。

たとえ修道僧達が彼らのハートで光として神を見るとしても、この光をもたらしたのはアンマ&バガヴァンである、と言うでしょう。

生命の無形の源を含め、あらゆるものは有形のアンマとバガヴァンを中心に回っている、と。

私の知るすべての伝統において、それは正反対です:
通常、神は預言者や「具現化された」神と、少しの格差もありません。

個人的な意見(バガヴァンのそれと異なる)があるならば、修道僧でいられる余地はありません。

バガヴァッド・ダーサズ(注:バガヴァンの従者)は、バガヴァンが彼らに語ったことについて伝えるのを許されているだけです。

洗脳には様々なレベルがあります。

かつて、セクトの専門家が私に語りました。

〔 修道僧達には重大な形式がある:
修道僧達は、彼らが自由に考えることは許されないということを、訪問者達と探求者達に秘密にしておくよう命じられている。
大衆がそれをセクト、あるいはカルトであることに気付くかもしれないので、彼らが独立した考えを持たないということを公然と見せないはずだ。そう思える 〕と。

多くのグルの様に、バガヴァンは帰依者が彼に同意しなかったり、従わないことに寛容でいられません。

彼はナルシストで、支配的です。

こういったことは、彼の側近の1人であった15年間で経験してきたことです。


Q:バガヴァンはかつて、あなたの自由や選択を制限しましたか?

フレディー:彼があまりに公然と、そして、直接そうしたならば、私は15年前に彼のもとを去ったでしょう;
彼は、私が自由愛好家であることを知っています。

しかし、そうするより間接的な方法で操作、制限したり、支配することは可能です;
そして、私の経験において、バガヴァンは巧みな操縦者です。

以前、1999年6月から、私はロシアでアリヤーと働き始めました。
私達は、数年間を共に熱心に働きました。

2001年、バガヴァンが金銭、名声などに興味を持っていた、と彼女がロシアの帰依者に話し始めました。

2002年、アーナンダギリは、私が彼女をゴールデンシティーに連れてこなければよかったと言いました。

私達は親友だったし、一緒にインド旅行に行きたかったのだけれども。

2004年1月、バガヴァンは次のように言いました:
「プロセスが始まる以前に、あなたがアリヤーと一緒に過ごすならば、私はあなたに悟りを授けられるかどうかわからない」。

アリヤーは、単なる数多くいる仲間のうちの1人ではありませんでした;
彼女は、これまでで最も親しい友人だったのです。

私は誰も見ていないとき、たっぷり泣きました。

私のプロセスが始まる以前、彼女と休日を過ごすことを楽しみにしてきたのです。

バガヴァンは、私が彼に深く献身していることを熟知していました。

彼のために私が家族と離別することさえ同意するであろうことを熟知していました -
もし彼が、それが必要だと告げたならば;
バガヴァンの、あるいは人類の利益、あるいは、私の悟りのために必要ならば。

なぜ、彼はそのように言ったのでしょうか?

それは、彼女が無数の人々を深く感動させる素晴らしい才能を持っていたからでしょうか?

人々は、彼女の話に聴き入ります;
彼女は、大衆にとっては大きな霊的権威でさえあります。

「彼は金と名声を欲するビジネスマンであり、神(創造主)であると主張して大衆を欺いています」と彼女は、ロシアのバガヴァン帰依者の一部に語りました。

ロシアで、アリヤーがこれを伝え始めたとき、私は、スウェーデンまで広がっているこのニュースを無効にしようとしました。

アリヤーが彼に賛同しないことを、彼らが知ったならば、スウェーデンのバガヴァン帰依者の半数かそれ以上は彼に祈願するのを止めて、完全に離れてしまうであろうと私は心配しました。

バガヴァンの任務に接近していて利益になる限り、彼は私の自主行動を認め、最低限の範囲で、エクササイズとメソッド、役立つツールを私のコースに補いました。

2001年、バガヴァンは、7日間の悟りコースを開始するにあたり、私と他の3名に参加を要請しました。

部屋の無い場所で即、開始というのは、私がうけたコースでは唯一でした。

ラディカ修道僧が私をトレーニングする間、厳密な予定に従ってエクササイズと各々の語を身につけねばなりませんでした。

私が知る限り、これらの合宿(悟りのコース)において、誰も悟りませんでした。

私は、コースの期間で好調子になった後、過半数がコースの数週間後に意気消沈していくのを見ました。

かなりの頻度、これらの落ち込みは深かったです:
人々は人生に興味を失い、もはや彼らを幸福にさせるものがありませんでした。

また、彼らの多くは人生に深い意味があるのか、神がいるのか不信になりました。

ある合宿の後、たまたま読んだ本に、私は確信を得ました。

ワンネス/ムクティ・コース参加後に落ち込んだ大部分の人々の助けになる、と。

人々が、7日間の悟りコース後、コース参加以前より沈んでいるとき、とても悲しかったです。

私は彼らに対して申し訳ない気持ちになって、人々がこれらの「ムクティ-落ち込み」(悟るどころか、どつぼに嵌る)に陥るのを防ぐ手立てを、必死に探していました。

彼の帰依者を落ち込みから解放することができると思い、私が読んだその本に記述されるアプローチをどう伝えようかと、バガヴァンに会うのが待ち切れませんでした。

そのアイデア(帰依者を落ち込みから解放する単純なメソッドの利用方法について)を得ることで大きな苦悩を回避できるならば、バガヴァンに伝えずにはいられない。

そしてバガヴァンをおおいに喜ばせるに違いないと思っていました。

この本は、そのコース期間で時々落ち込んだ私の助けになりました;
ですから、合宿の参加者達に対しても、それを使わない手はないですよね?

時折、私はバガヴァンに本を贈り、新しい有効手段を伝えていました;
結構な頻度で、彼は彼自身のコースと教えにそれ(立証されたものだけでなく)を借用しました。

彼は、世の中で既に存在する効果的な教えを最大限に利用しようとしていました。

もちろん私が他者にそれについて明かすことなど想ってもみませんでした。

そして、私は、これまでずっと - そうすることがありませんでした。

今回の状況は違っていました。

それが表面上に助けになるだけであって、まもなくして、人々が真の悟りを得るのを遅らせることになるので、私が読んだ本に記述された方法を決して使用しないようにと、バガヴァンは私に命じました。

彼が私に使用したり、口にしないよう命じた方法は、バイロンケイティによる4つの質問でした。

この短くて冷淡な回答を得たとき、私はショックを受けて悲しかったです。

スウェーデンとロシアにおいて彼の帰依者の何人かは、ほぼずっと最高7年間、落ち込んでいました。

彼らにとってはコースに参加するたび、いっそう悪化しているように見えました;
でも、バガヴァンと議論することなんて一体誰にできたでしょう?

何と言っても、彼はこの惑星上で悟りを授けられる可能性のある唯一の存在だったのですから。

ずいぶん前のことです、1992年、私はインドにてパラマチャリヤのコースで助手を務めました。

私達が “ リバーシング ” (レオナルド・オーの呼吸技術)を利用することを彼が提案しました。

しばらくして、バガヴァンが、私達にそれをするのをやめるよう命じました。

もし彼らが、7分間以上、どんな種類でも改変した呼吸をしたならば、命が損われると主張しました。


Q:私の友人はアリヤーに、とても感銘を受けていました。
アリヤーへのバガヴァンの反応は何かありましたか?


フレディー:2001年の春、アリヤーはロシア人の帰依者達に尋ねられたとき、バガヴァンに対する彼女の観点を公然と伝え始めました。

年に1、2回、私はバガヴァンに会いにインドに行きました。
その年(2001)は9月に行きました。

この訪問の間、アリヤーのことがバガヴァンと私との白熱した話題の1つになって討議されました;
もし私達が彼女を止めさせる手段を発見することができなければ、帰依者に疑念と混乱が生じ、このムーヴメントはロシア、ウクライナ、カザフスタン、スウェーデンなどではかなり縮小することになるかもしれない、と。

私達の会議の間に、バガヴァンはアリヤーの透視能力がすぐに減少し始めて、1、2年で完全になくなると私に話しました。

彼は、彼女の大きな能力は神が彼女に与えたものだと言いました;
適切な方向で使われなかったならば、大抵そのような能力は消え去るだろう、と続けて言いました。

実際に修道僧達の全員にアリヤーの能力より更に大きな能力を与えられると付け加えたように、かなりバガヴァンは感情的になりました。

そうするには、たった数分しかかからない、と彼は言いました。

そうすれば修道僧達に教えを請うために村人がラーマクッパムから延々と行列を作るだろう、と付け加えました。

ラーマクッパムは、サティヤローカ/ジーヴァシュラムから4kmの最寄の村でした。

彼の経験上からラーマクッパムの村人がいかに浅はかであるかをバガヴァンが私に話したのは、ちょうどこの会話(別の会話のときだった可能性もあります)においてであったと思います。

年間を通じて多くの時間、この地域に住んでいるので飽き飽きした、とも彼は言いました。

私がラーマクッパムと幾つか他の近隣の町(コラルゴールドフィールズ、クッパム、ラジュペタ、ヴェンカテギリコタ等)を訪問したとき、私がバガヴァンのアーシュラムに滞在していると言うと大部分の人々は否定的な反応を示しました。

私が単にバガヴァンの名前を口にするだけで人々の大半が狼狽して、「あいつは、ぜんぜん神なんかじゃない。
地元住民に敬意を払わない財政的な不正をする単なる気の狂った校長だ。」と補足しました。

彼らの経験上、バガヴァンを信用していなかったので、何人かは私がバガヴァンを支援することを止めさせようと、私を説得しようとさえしました。

彼らが移住して間もなかった頃、アーナンダギリが「バガヴァンにはゴールデンシティーの周囲の村に対する計画がある」と私に話しました。

ラーマクッパムと隣接地域(彼の反対者がいたところ)で味わった苦い経験をバガヴァンは回避したかったのです。

その計画は、ゴールデンシティーで地域住民から支持を得るために必要な処置(慈善事業、無料のコース開催など)をとることでした。

今日、6年後、彼らの計画は成功したと証明されました;
彼らは、ヴァラダイパレムの地域(GCが位置する場所)から、良い支持を得ました。

アリヤーに話を戻しますと、:
バガヴァンは、かつてはアリヤーの能力を賞賛していました。

彼女が公然でロシア人達に、バガヴァンに関する見解を伝え始める以前、バガヴァンは、アーシュラムのコース参加者達に、彼女に教わりに行くことをしばしば勧めました。

アリヤーの能力が1、2年で消えると言った時から、6年が経過しましたが、むしろ実際にはアリヤーの能力は毎年、ますます深まりました。

ローカナータン(バガヴァン帰依者のうちの1人であり、1980年代の初期にいた「生命保険株式会社」の元同僚)にアリヤーが会ったときのことを私は覚えています。

彼は、サティヤローカ・アーシュラムに滞在するよう誘われました。

数か月間、ローカナータンは意気消沈しており、大きな励ましを必要としていました。

彼と親しかった私は、彼を助けてくれるようアリヤーに頼みました。
彼女は快諾してくれました。

アリヤーは、彼の家(バガヴァンの住まいの向かい側)で彼に教えを提供しました。

その教えの間、彼は感動で涙しました。

数日後、私がローカナータンに会った時、彼は輝いていました;
彼は安らぎを感じ、感謝に溢れていました。

ローカナータンは、これ(1993年)の7年前、完全に悟ったとバガヴァンに認定されたアーシュラムの滞在者のうちの1人でした。


Q:バガヴァンは、己が地球で最も強力で卓越したマスターであると言いますか?

フレディー:彼は、しばしばそれを口にしました・・・

さらにそれ以上のことを。2万年以上において初の完全な神の化身であると言いました。

そして人類が彼に協力しないならば、彼らは悟ることができず、その結果、絶滅することになる、と。


Q:彼は他のグル達について、なんと言っていましたか?

フレディー:彼が他のグル(指導者)について褒め称えたり、賛成意見を述べることは稀でした。

彼は、たびたび彼らを嘲笑しました – 時には乱暴に;
あるいは少なくとも、彼らより自分が無限に強力であると強調しました。

「彼らは悟りについて語っただけだ。せいぜい彼らは人々に悟りを授けようと幾らか努力を尽くしただけである。これらのマスターで最も優れた人であっても、1人あるいは2、3の弟子に悟りを授けることができた程度だ。
実際に悟りを授けられるのは自分だけだ」と彼は発言しました(これはラマナに関する発言でした)。;
しかし数年後、彼は己の考えを改めました。

彼はその時、ラマナが誰にも悟りを授けなかった、彼が授けたものは完全な悟りではなかった、と言いました。

バガヴァンの持論では、大部分の霊的教師は実際は悟っていなかった(例えばオショー・ラジニーシ)か、ぜんぜん悟りとは呼べない代物の低俗な悟りだった。

修道僧達はブッダ、ラマナ等より、遥かに高い境地に至っている、と主張しています。

2004年6月にあった私のプロセスの前に、そのプロセスの中で、ラマナ・マハリシが持っていたものより100倍高い恒久的な状態を私に与えるつもりであると私に告げました。

最近、ある人が私に知らせたところでは、バガヴァンがダルシャンで「ラマナは100%悟っていなかった」と発言したそうです(この情報が正確かどうか私は知りません)。


Q:バガヴァンは、彼が霊的に最も強力だと発言しただけでしたか?
他の領域(例えばヒーリング)についてはどうでしたか?

フレディー:彼の弟子達は、バガヴァンが世界で最も深遠な教えを持っていると主張します。

1992年あるいは1993年にパラマチャリヤは次のように言いました。

「人類の歴史と複数の宗教や霊的指導者達を合わせた以上の多くの奇跡(ヒーリングを含む)が3~4年、バガヴァンの周囲で生じた。」

バガヴァンは、「私が病気を癒やすことができないならば、それは神もそうすることができないということである」と発言しました。


Q:あなたは、これらに同意しますか?

フレディー:現在は同意しません。

私がアンマとバガヴァン(A&B)の帰依者だった頃であれば、彼らのそういった講話や考えに、私は刺激を受けたことでしょう。

バガヴァンのそういった開示方法を私はわかっています。

それは、このムーヴメントの小分けにした一部なのです。

しばしば、帰依者達はバガヴァンについて非現実なイメージを投影して、誇大に考えたり、過度に期待するのです。


Q:バガヴァンは世界でナンバーワンのヒーラーではないのですね?
いくつか例を挙げていただけませんか?


フレディー:2002年スウェーデンで私がアーナンダギリのヨーロッパ初訪問を手配していた頃、彼は慢性的でとても痒い皮膚疾患がありました。

何も助けになりませんでした。

彼はバガヴァンの最も親しい弟子の2人の内の1人であるので(ほとんど息子のようです)、 私は、バガヴァンがアーナンダギリを癒すためのあらゆることをしたと確信します。

バガヴァンは、アーナンダギリの高額治療(バンガロールでのアーユルヴェーダの長期パンチャカルマ・トリートメントを含む)に、たくさんのお金を費やしました。

アーナンダギリがスウェーデンにやって来たとき、彼は数カ月に渡り、非常に強力な抗生物質を服用していました。

彼は、これらすべての治療によって改善したわけではありませんでした。

時々、彼は数日間連続で眠ることができませんでした(皮膚が乾燥して痒みが生じた)。

ストックホルムでは、私達は薬局で、痒みを緩和させるローションを買いましたが、それでも彼は幾夜か眠れぬ夜を過ごしました(私達が同じ住居に住んでいた週の期間)。

私はアーナンダギリと特別に親しかったので、彼を助ける方法に関して考え続けました。

彼は講義(1200人が参加した)をしなければならなかったし、この重要なイベントのために、彼にはしっかり休んで元気でいて欲しかったのです。

もし、このイベントが成功を収め、人々がアーナンダギリと彼のメッセージに惹かれるならば、おそらくバガヴァンはスウェーデンでナンバーワンのグルになるだろうと、私は夢を抱いていました。

突然、私は自然で簡単な民間療法(尿療法)を思い出し、それを試すようにアーナンダギリに伝えました。

毎日10分、彼の冒された皮膚に尿を塗るようにして3~4日後に、彼の病は治癒しました。

彼は、私にたいそう感謝しました。

バガヴァンが、病気あるいは死去した人々でさえも癒す約束をしたことについて無数の例があります。

しばしばバガヴァンは、彼に治癒/奇跡を願った人を、明確に/無条件に、治療しようと自ら付け加えました。

これらの自信に満ちた約束にもかかわらず、治癒が起こるのは稀でした。

治療結果は、ほとんど平均的な治療者(プラシーボ効果を含む)と変わりないように見えました。

これらの人々はバガヴァンが約束を守らなかったと気が付いた時ショックをうけました;
彼らはバガヴァンのパワーに対し(誠実さについてさえも)真剣に疑い始めました。

私は、当時2つの炎の間に立っていました。

一方では、昔に確信した、バガヴァンが生身の100%の神だということがあって、もう一方では、私は心から人々を心配しました。

バガヴァンが彼らをヒーリングして、亡くなる(ガンで)のを防ぐという約束を彼らに与えた直後に、一部の人々はガンで亡くなってさえいるのです。

バガヴァンがした全て、これらの約束の破棄を受け入れることは、容易でありませんでした。

それは、彼に対する私の完全な信仰と信頼への重い試練でした;
3~4日の尿療法で解消したような単純な問題において、彼の最愛の弟子(アーナンダギリ)を癒やすことさえ出来なかった時、私は、彼がこの惑星上で最も強力なヒーラーだという彼の主張は真実だったのかと深刻に疑いました。

私の内なる声は、バガヴァンは誠実さの欠片もなかった、と更に別の信号を送りました、しかし、いつも通り、私はその声を静まらせました。

奇跡を起こさないことやヒーリングをしないことは何もおかしくありません。

私は、治癒/奇跡がなぜ常に約束される必要があるのか、まったく理解できませんでした・・・

私は、悟りを得るために、バガヴァンのムーヴメントに個人的に加わっただけです。


Q:ヒーリングは別として、他の面はどうですか?

フレディー:ある男性(オリッサ出身のニルマル・パリジャ)がいました。

バガヴァンが突然グル/アヴァターとなったとき、学校で働いていた人です。

彼は、霊的でバガヴァンと非常に親しかったです;
数年後、彼はバガヴァンの唯一の弟子(パラマチャリヤ)の私的秘書になりました。

ほぼ2年間、私はバガヴァンの学校出身のアーナンダギリと2、3の学生と同様にチェンナイ(ジーヴァシュラムから250Km)の近くのアーシュラムでパラマチャリヤと暮らしていました。

そのアーシュラムの1年後、我々はバガヴァンのところ(ジーヴァシュラム)に移り住みました。

私は、この世で最も祝福された者であるような気がしました:
5ヵ月後(1993年9月)、彼が私に、世界の解放のために彼のメッセージを広め始めるよう頼むまで、私は毎日、多くの時間バガヴァンに会っていました。

バガヴァンは1989年7月19日に彼の霊的な仕事を学生と開始しました。

そして、すぐにジーヴァシュラムはアーシュラムにもなりました。

1年半後にバガヴァンが一般公開した、最初のコースに私は参加しました。

1989年、ニルマルは宇宙の創造にまつわる、多くの神秘的な経験をしました。

1992年、パラマチャリヤが私に語りました。

バガヴァンが彼らがヒンドゥー教の三位一体の3つの化身であると言った、と。:
バガヴァンはヴィシュヌ、パラマチャリヤはシヴァ、ニルマルはブラフマン(神の創造主においての様相)でした。

しばらくして、バガヴァンは神の階級制度を幾らか変更しました。

アンマ、サマダルシニ(バガヴァンの学校の優秀な生徒)とクリシュナ(バガヴァンの息子)は特別な神(=神々)になりました。

それであるが故に、彼自身は唯一神(キリストとモハメッドが祈っていた神)になりました。

2、3年後、バガヴァンは再びそれを変更することに決めました - アンマを新しい女神として現しました。

今や、彼女はバガヴァンと同様の偉大な神でした。

1991年末、私がパラマチャリヤと何人かのアシスタント、ニルマルと一緒にソーマンガラム・アーシュラムで暮らしていた時、バガヴァンの教えは、これまででない最高峰のものである、とニルマルが私に語りました。

私はパラマチャリヤのコースで深い体験を得ていたので、バガヴァンに対して大きな信頼がありました。

しかし今回、私は抗議しました。

私は、より深遠な教えを読んだし、より効果的な技術について耳にした、とニルマルに話しました:
“ 奇跡のコース ” 、ジェリー・ジャンポルスキー、ケンキーズJrなどはマインドとエゴについて深い理解を提供してくれました、と私は彼に語りました。

私は、バガヴァンの霊力が世界の頂点に位置することに同意すると付け加えました。

1991年、今日のようには、パラマチャリヤは教えに入れ込んでいませんでした。

現在の21日間コースは、その頃と比較してより深い発達した教えを持ちます、と私は補足しなければなりません。

私はそれが1995年だったと思いますが、バガヴァンが修道院の規律を持つことを決めて、まもなくニルマルがムーヴメントを離れました。

公式の脚色では、彼の後輩(今は修道僧達になったジーヴァシュラムの生徒)が突然、階級制度で彼より上になったので動揺したことになっていました。

ニルマルが離れる数年前、バガヴァンは「私達は結婚すべきだ」と彼、私、他の弟子(アーナンダギリ、サマダルシニ)に告げました。

ニルマルはバガヴァンの指示に速やかに従う人でした。

そして、彼はサンジャヤ・レディ女史と結婚しました。

バガヴァンはニルマルの選択(結婚)を承認して、彼とアンマはジーヴァシュラムで彼らの結婚式を整えました。

サンジャヤと彼女の両親は、ティルパティ・タウン出身でバガヴァンの帰依者でした。

子供ができた後まもなく、ニルマルは離婚しました[ インドでは非常に稀 ]。

私は、数年後にニルマルに会いました。

彼は貧相で、まるで何もかもがどうでもよくて気にかけず、人生に無関心なように私には思えました。

彼は見捨てられた(主にムーヴメントによって)と感じていると語りました。

彼は財政的に破産していて、生きるための居場所を持っていませんでした。

ヴィジェイクマール・レディ(サンジャヤの父)が亡くなった後、まもなくサンジャヤと彼女の母はバガヴァンの命令で修道女になりました。

あるコース参加者の少女は、彼女が私に恋をして、結婚することに決めたと公然とアシスタントに告げました。

他の弟子達は私をからかって、結婚するように要求しました(冗談で)。

アンマは、私が真剣に女の子の申し込みを受け取ったと思ったのかもしれません。

「見た目がよくないし、あなたの妻に相応しくないので、この少女とは結婚しないで」 と私のことを本気で心配して優しく伝えました。

余り者が結婚する前に、バガヴァンは私達が結婚することに関して彼の考えを変えました。

結婚とは別に、私たちの髪の毛と顎ヒゲを、昔の時代のリシ(ヴェーダの予言者)のように伸ばすよう、彼は更に私達に命じました。

この全てが変更された後、私が長髪と顎ヒゲを切った時、多くの人々が私を識別できませんでした。

短髪でヒゲを剃った私は10~20歳若く見えました。

私は、フレディーではなかったと帰依者の数人が冗談を言いました。
彼は私の父であったと。

また、何人かはこれを信じました。

彼らがこれを信じた時、私はフレディーが私の祖父であると隣の人に伝えましたが誰も相手にしてくれませんでした:(-_-;)


Q:バガヴァンは初めは1人しか弟子がいなかったのですか?

フレディー:そうです。1991年に私が彼らに加わったときは誰もいませんでしたが、パラマチャリヤがバガヴァンの弟子だったことが、しばしば強調して言及されました。

1年か2年後、1992年だったと思いますが、バガヴァンは少人数(公認)の弟子をとることに決めました。

それがアーチャリヤと呼ばれることになりました。彼は7名以上とりました。

そして彼らのうちの1人が私でした。

それ以外では:ギリバブ、ヴィマリキルティ、カウシカ、ラメシュ(バガヴァンの兄弟)、それと3名の女性弟子:サマダルシニ、アクシュヤマティ、マイトレイ。

私達は皆、改名しました:ギリバブはアーチャリヤ・シュリ・アーナンダギリ・バガヴァッドダーサ、私はアーチャリヤ・シュリ・フレディ・バガヴァッドダーサ。

バガヴァンは私のパスポートの名前ですら変更するよう命じました。

教育を受けて平凡に暮らしたいと考えたヴィマリキリティは、アーチャリヤをやめかけていました。

1年後(または、もっと後)、私がインドに戻ったとき、アーナンダギリ、サマダルシニ、おそらく他の何人かについても、彼らが独身で生きることができるかどうかバガヴァンに尋ねられた、とパラマチャリヤは私に伝えました。

その結果、今後すべてのアーチャリヤは純潔(思い、言葉、行動において)でなければならないとバガヴァンは決めました。

この公式なアーチャリヤ(使徒)の肩書きと、グルであらねばならないことに私は、既に心地悪さを感じていました。

多くのインド人(特にバガヴァンの帰依者)は、足元に平伏して祝福を願うでしょう;
それに、どうすれば思いにおいて純潔を保てるというのだろう、と思いました。

私は常に自然でありたいと願っていました。

私は、人々の行動と態度が言葉や教えと一致しないことが好ましくありませんでした;
私のハートは、私が偽善的な人生を送るのを許しませんでした。

それで私はアーチャリヤの肩書きを取り除くとして、それがOKかパラマチャリヤに尋ねました。

私は以前より一生懸命に働かないつもりではないと付け加えました。

私の肩書き「アーチャリヤ」が取り除かれた後でさえ、バガヴァンは私を西洋の使徒と呼び続けました。

今日では8人のアーチャリヤのうち3人しか残っていません:
アーナンダギリ、サマダルシニ、ヴィマリキルティ。(訳注: この3人も2009年に離れた)

1993年、バガヴァンは厳密な階級制度を設ける必要を決定しました:
アーチャリヤ、ダルマミトラ(インド人の地元のコーディネーター)など。

修道僧達に関して修道院の規則が設けられる1、2年前でした。
彼は、私が西洋において唯一の使徒である、と語りました。

そして僧の規則が作られた後、バガヴァンが他の幾人かはコースを海外でも開催できることにしたと私に話しました。

しかし、彼はヨーロッパと旧ソビエト連邦における単独の代表者となるよう私に要請しました。

これは、突然の変更でした。

2004年1月からバガヴァンは、もはやリーダーはいらない、誰もがリーダーであるべきだとしました。

しかしながら、ダーサズ(修道士と修道女)にはまだ階級制度での非常に特別な役割があります。

たまたま、あなたがVIPでもない限り、唯一彼らだけが無料でバガヴァンとアンマに会えるのです。
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Q:アンマ&バガヴァンに会うために本当にお金がかかりますか?

フレディー:バガヴァンとのプライベート・ミーティング、あるいは1分間のプライベート・ダルシャン(注:神や聖人に会う、または見る)でさえ、西洋人は接点がありません。

ごくわずかの例外を除いて、西洋人がバガヴァンに会うための唯一の方法は有名か金持ちであることです。

インド人が、バガヴァンに単独で会うには巨額のお金を払わなければなりません。

20~30分のミーティングのために2000~3000USドルかかると思います。

アンマはチェンナイの近くのネーマンで定期的な公のダルシャンを行います。

また、それらは無料です。

アンマのプライベート・ダルシャンについては、2つのオプションがあります:
ほんの僅かな時間、グループで彼女に会うことができるというグループ価格、それは1人当たりおよそ150ドルかかります。

2分間、単独で彼女と話すには、およそ400ドルかかります。

インド人と西洋人は同じ金額を支払います。

多くのインド人労働者にとって、400ドルは8か月分の給料です。

私が言及したプライベート・ダルシャンの価格は、私の記憶から得たもので、2005年11月の時点のものです。


Q:私は、キアラ・ウィンドライダーがもはやバガヴァンの帰依者でないと耳にしました。これは正しいですか?

フレディー:キアラは、世界的なワンネス、全体的な貢献、最も優位なもの、高い完全性について興味や関心のある人だと私は思います。

しかし、もし彼がバガヴァンの言うことを鵜呑みにしているとするならば私は驚きます。

彼が「帰依者」であったのかどうか、私にはわかりません。

むしろ彼は、より高い神聖な意識の中へ人類の上昇(アセンション)を加速させる様々な方法を調査する人だと私は理解します。

彼もディクシャを実践して可能性を調べ、それがバガヴァンが主張したようなものかどうかを証明するための公正な機会を与えました。

キアラの本は様々な国で販売されています。

それはスウェーデン語でさえ出版されています。

バガヴァンについて書かれた2000年出版の私自身の本は、少なくともチェコ共和国、リトアニア、ロシア、旧ソビエト連邦などで販売されています。

その本を回収したいのですが、それは出版社と販売店に属しているので、私にはどうすることもできません。

キアラは彼の記事の1つで、ディクシャを次のように記述しています。

「神へ帰還する旅における問題と全ての生命を含む進化プログラムの応答として、神の源から直接やって来る宇宙進化のエネルギー。

そして多くの異なる伝統を通じて、多くの異なる技術を使用して、多くの異なる形態で世界中に現れる何か。」

彼ら(人々)が霊的な道にあるかどうかに関係なく、この現象は至る所で増加傾向にあり、自然に生じてさえいると彼は言います。

「蝶になろうと準備している毛虫の様に、単に進化のプロセスです。
我々はそれを悟り、覚醒、出現など私達が好む言い方で呼ぶことができます。
ディクシャ伝授、デヴァイン・ブレッシング、イラヒヌールなどと言ったり、呼びたいように表現できます。
それは単に我々が繭から出始める時が訪れたということです。」

キアラのウェブサイトでは、彼がトルコで出現している新たなる伝達エネルギー(イラヒヌール)に関して包括的に伝えています。

それは更に多数によって非常に効果的であると評され、人々がより彼らの身体を感じることを可能にします。

それは、ほとんどが無料です。

これは、インドで5500ドルのプロセスを経験する必要がありませんし、創造主としてインド人のカップルに平伏したり崇拝する必要がありません。

彼は、1本のろうそくの灯を別のろうそくに移すことが出来る、他の人々に意識の連鎖反応で伝達することが可能だと言います。

バリー(キアラの本で公開されたディクシャで強力な体験をした人)は、伝授を受けた人に他の2、3の方法でワークします。

彼は、これらの伝達が愛とワンネスの状態を深めているだけでなく、あらゆるレベルのヒーリングの成果を出していると報告しました。

イラヒヌールの様な伝授を受けたならば、ゴールデンシティーの21日間コースに参加するために5500ドルを費やす必要もなく、他者に伝達できるというのは彼らにとって素晴らしいことではないでしょうか。


Q:バリーとキアラは、高価な21日間のディクシャコースより、効果的なもの(少なくとも彼らはそう感じている)を発見した唯一のディクシャギヴァーですか?

フレディー:マドレーヌと私は、それらに該当します。

私の考えでは、全21日プロセスは強力です・・・

金を生む機械。

私は、インドのワンネスムーヴメントからメールで、今や1000人以上のアメリカ人が21日コースに参加したと非常に誇りとしているのを見ました。

これは5.5ミリオンUSドルです。

ダーサ達が定期的に戻って来る人々に勧めるディープニングプロセス(上級コース)を除外します。

たまたま、あなたがディクシャを与えたいという欲求が生じたが、様々な理由のために21日間プロセスに行ったことがなかったとしたら、ある実験を行うことができます:
自発的な(同意を得た)人々のグループに普遍的な「ディクシャ」を与えようとしてください。

バガヴァンとアンマにチューニングする代わりに、源にチューニングして、人々が覚醒/悟りを得なければならないと意図して下さい。

もし、あなたが奮起するのであれば、ディクシャギヴァー達が行うことと類似したことが出来ます(=人々の頭に手を置く帰依者を模倣する)。

または、あなたはバリーとカレンのような人々と連絡をとることができます。

彼らは遠くからあなたにイラヒノール、あるいはキリストコードを伝授して、他者に伝達する方法を教えることが出来ます。

もしすぐに、多くのディクシャギヴァー達がバリーとカレンのような人々の足跡に続くことになっても、私は驚かないでしょう。

私の経験において、バリーとカレンは誠実で謙虚です。

そして、源と人類に貢献しています。

インドでバガヴァンの高額費用のプロセスに参加するため、熱心に稼いだ金を使ったとき、彼らは経済的に裕福でありませんでした。

21日間プロセスから戻り、しばらくしてバリーとカレンは真正の伝授が生じる源の光と繋がりたいと願ってから、彼らは驚くべき成果(彼らがディクシャで経験した以上に深い)を出し始めました。

彼らは、イラヒヌールにおいても、キアラとの共同ワークによる古のアセンションエネルギーにおいても、素晴らしい成果があります。

別の例は、ジャン(デンマークのディクシャギヴァー)です。

彼は彼が得た無料の2時間の伝授について私に手紙を書いてよこしました。

ギャン・ヴィダ、それが21日間プロセス以上のものを彼に与えました(彼が暮らすデンマークで多量のディクシャを与えると同様に受けてもいる)。

彼はこの2時間の伝授の後、かねてからの夢であった自己実現を得ました。

人から好かれやすいクリスチャンというとても誠実な探求者がいます。

彼はドイツの科学者で彼の様々な論説(脳と精神性)が多くのディクシャ・ウェブサイトで掲載されています。

クリスチャンは2時間かけて伝授を試みた、と彼をよく知る人が語りました。

これらの2時間はバガヴァンとの1年(21日間コース、10日間上級コースだけでなく多量のディクシャ)以上の深い恒久的な結果を彼にもたらしました。

この情報はまだクリスチャンによって立証されたわけではなく、彼の親しい友人から聞いたものであることを頭にとめておいて下さい。

多くの人々は、ハワードウィルの祈り(「タッチ」と呼ばれる)についてこう述べました。

「彼が電話でグループ全体のために同時にそれを行うときでさえ、全21日間コースよりも非常に深い結果をもたらす。」

今年3月、私はベルギーでアリヤーのコースを通訳しました。

何人かのディクシャギヴァーと多くの常連ディクシャ受講者が参加しました。

彼女の1日コースで人々が得られた変容の全般的な結果は全21日プロセスよりずっと深いようでした。

少なくとも、これは私の解釈です。

私は、私がディクシャを与えていた頃と比較して、現在は、よりずっと深い成果を持っている人々の一人です;
私自身の状態は以前に比べてずっとよい状態ですし、私のコースに参加した人々の結果についても、私がバガヴァン/ディクシャを用いてワークをしていた頃より遥かによいです。

ワンネスムーヴメントを離れたり、ディクシャと21日間プロセス以上に強力で適切なワークを発見している人々が増加しています。

まもなく、ディクシャ以上にずっと魅力的であるか、吸引力のある道(ワーク)の波が訪れると私は予想します;
ディクシャギヴァーとディクシャ利用者のためだけでなく一般大衆のために。

これらの道の大部分は、安価になるか無料にでさえなるでしょう。

ディクシャに関してバガヴァンが約束したことが嘘だったと気が付くか、少なくとも誇張しすぎだと理解するならば、大部分の西洋の帰依者が他所に行くのではないかと思います。

インドでは、大多数のバガヴァンの帰依者は、彼らの宗教としてバガヴァンの道に従います。

バガヴァンは彼らが祈る神です;
彼らは、ディクシャの代わりに出現するのもの(安価/無料)にそれほど影響されないかもしれません。

人々の間で非常に多くの文化と考え方があるように、精神性それ自身は果てしない道の中で複数の道(全ては同じゴールへ導かれる)となって表現されますが、それは自然なことです。

彼のシステムがこの惑星上のどんなものよりも無限強力で強力であり、現在で唯一の悟りを授けることが出来る、というバガヴァンの主張に多くの人々が反発しました。

バガヴァンとアーナンダギリは何度もこれを発言したことを私は知っています。;
帰依者/アドバイザー(アルジュナ・アルダーなど)が、彼らにそのような約束をしないように勧めているので、今日では公然でのそうした発言を避けていると思います。

キアラとグレイスの場合、彼らは2人共、完全にこのワークに専念して、3年間、世界中でディクシャを与え続けました。

そして彼らの本とセミナーを通して数千人を奮起させていました。

たとえゴールデンシティーと幾らかの食い違いがあったとしても、キアラは彼が通常、政策に関わらないことを好むと言います。

彼とグレイスがセミナーをし続けていて、それが絶えず変化して、発展していると言います。

私は、心から彼らに敬意を表します。

キアラは現在イラヒヌールも教えています。

彼の記事に「もし人々がそれを体験したいならば、彼らが単にこのエネルギーを体験する意図で形態形成場に同調することができる」とあります。

彼と他のイラヒヌールのプラクティショナー(施術者)は、毎週土曜日の朝にこのエネルギーを送信しています。

そして、あらかじめ用意してどの時間であろうとも、人々が受信することができる実験をしています。

[さまざまな人が送信しています。ヨーロッパで幾人か。USAから送信している人々もいます;
人々は、土曜日の朝、彼ら自身の現地時間でいつでも同調することができます・・・]

たった今、次の本を書いているところだ、とキアラは言います。

「それは、今日地球上で進行している惑星の目覚めの展望、様々な科学、神秘的な洞察、太古のカレンダーシステム、世界中で出現する権力者のシステムを含めた以上のものを提供します。」


Q:私はスウェーデンの帰依者が「すべての修道僧は完全に悟っていて、天使のようだ」と言っているのを聞きました。

あなたの経験においてもそういえますか?

フレディー:決してそうではありません。

2003年までは私も修道僧達が優しく、親しみ易く、とても非凡である印象を持っていました。

私がホワイトフィールド(バンガロール)のアーユルヴェーダセンターに3週間、治療を受けに行った時、マッサージ担当の若い少年・少女の全ては、修道僧達のように、優しく、親しみ易く「天使のようでした」。

特に彼らが健全な精神で交互に働くならば、多くの南インドの若者がそうであるということを認識しました。


Q:あなたは修道僧達の怪しげな(奇妙な)振る舞いを目撃したことはありますか?

フレディー:私は全ての修道僧について個人的に知っていたわけではありません。

私が親しかったのは10人か15人程であったと思われます。

彼らは全般的にとても好意的でしたが、いつもというわけではありませんでした。

尊敬されていた幾人かは、私にとってはそうではなく、利己的で無礼でさえありました。

南米のムクティ3教師、クリストバル・ワグナーが私とリチャード・ブラボー(南米のメイン・コンダクター)に言ったことを覚えています。

「悟ったと認定されたマドゥー・ダーサは今や非常に不愉快でさえある。」

その時、それはマドゥー・ダーサに接した私自身の経験でもあったけれど、沈黙していることがバガヴァンに対する敬意であると感じていたので、私はコメントしませんでした。

VIPキャンパスの西洋の参加者の多くが、「プラギャナンダは非常に傲慢で冷たい」と不満を訴えました。

その時、私は彼と仲がよかったので、彼らに同意しませんでした。

人々が彼の不満を訴えてきたとき、私は彼のふるまいを正当化しようとしました。

2001年(サティヤローカでのムクティ・ヤグニャにて)、スウェーデン・グループの少女達が、修道僧達(男性)の幾人かが悪戯するのと、「飢えた」視線で彼女らを見ている気がすると報告しました。

まず第一に、私はこれが真実だと信じませんでした。

私は、それは修道僧達の同胞愛と神聖な愛に対して、彼女らの性的欲求が関係する誤解に過ぎない、と少女達の1人に伝えました。

後に、私はスウェーデンの少女の疑いが真実だったと理解しました。

数年後、少女が私に明かしました。

彼女は西洋のプロセスを担当していた修道僧達(男性)のうちの1人と親しくなりました。

彼は、ホーマ(プロセスによく使われている神聖な火の儀式)を執り行う主要な修道僧達の1人でもありました。

彼女は、神秘主義が好きで、ホーマについてもっと知りたかった、と彼に話しました。

突然、彼が個人的にホーマとマントラの幾つかを教えると申し出たとき、彼女は大変驚きました。

ある晩、彼は彼女の小屋に寄って、彼女の部屋でいくらかの休憩をとってもよいかと尋ねました。

彼は神の修道僧なのですから、どうすれば彼女が彼を疑うことなどできたでしょうか!

彼女は、修道僧の必要に役立てる特権さえ感じました。

突然、彼は彼女の手をとり、彼女を愛撫し始めました。

彼は大部分の服を脱いだ後、彼女のベッドで寝入りました。

別の時、彼は彼女の小屋を訪れると、彼女がいかに素晴らしいかを伝えました。

そして彼は彼女の耳にキスして、噛み始めました。

私が全ての詳細を覚えているわけではありませんが、この訪問の際、彼は彼女のベッドでオルガスムに達しました。

そして、彼は彼女の背中に射精しました。

こうしたことの間、彼女の全魂は、NOを叫びました!

彼女は幼児のように性的嫌がらせをうけたので、硬直して悲鳴を上げることも出来ませんでした。

この修道僧はバガヴァンを好んでいました。

また、それが彼が修道僧になった理由でした。

彼は祈ることが好きでないし、最後に祈ったのがいつだったかさえ思い出せないと、少女に打ち明けました。

この出来事のずいぶん前、バガヴァンはこの修道僧が他の修道僧達の誰よりも多くのホーマを執り成した、そして彼のホーマが信じられないほど強力だったと私に話しました。

バガヴァンは、最高10万人のための大きなホーマを行うため、インドじゅうに彼を派遣したものです。

私は、彼がスウェーデンとロシアでホーマをするように手配する予定さえありました。

バガヴァンが彼はゴールデンシティーで一番のホーマ専門家であると言ったということは、全世界でも一番のホーマ専門家ということでもあったのでしょう。

バガヴァンは、修道僧達のホーマがインドの新しい現象であると私に話しました。

彼らのようにホーマで祈願する神を見て会話することができる者は他にいない、と。

彼は、他のインドで実行される全ホーマ以上に、彼の修道僧達のホーマは遥かに強力であると付け加えました。

“ 性的嫌がらせをうけた ” 少女と “ 興奮した ” 修道僧(彼は、偶然、激しい情熱と親近感が生じた)の間でこれら全てが起こったとき、私はゴールデンシティーにいました。

この1週あるいはもっと前、ロシア人100名が、全体で200グループのホーマを彼ら自身で(彼らの友人のために代行)依頼しました。

グループホーマは1人当り200ドルかかるので、収益は悪くありませんでした・・・

グループホーマは、2、3の修道僧が2時間(最高7人)働くことを意味します。

ホーマを頼んだ本人達は、身体的に不在です(その場に出席していない)。

バガヴァンは、「修道僧達がいかにホーマを、遠距離から効果的に働かせるか熟知している」と語りました。

バガヴァンは、ホーマが重要であらゆる種類のカルマの問題を解決する非常に強力なツールであると述べたことがあります。

もちろん、ほとんどのロシアの帰依者達はこれを信じました。

修道僧達は、ホーマが2か月以内に作用すると説明しました。

後に、この期間が経過したあと、ホーマが彼らや彼らの友人を助けたと言う人はほとんど居ませんでした。

多くの人々は、とにかく、ホーマで改善がないことに失望して、それらに対して随分なお金を支払ったのにと不満を言いに来ました。

若いスウェーデンの女性は、西洋人達(10日間プロセス)の担当の修道僧達の1人が彼女に「奇妙な」何かをしたと私に詳細を告げました。

バガヴァンは彼が高い悟りの状態にいると認定しました。

そして、彼はゴールデンシティーのアーユルヴェーダの診療所の担当でもありました。

彼は、西洋人の間で非常に人気がありました。

ある日、彼はカメラマンがウェブサイトとパンフレットのためにアーユルヴェーダのマッサージ室で写真を撮るように手配しました。

このスウェーデンの女性は、治療の間、写真を撮られる用意が出来ているかどうか尋ねられました。

女性マッサージ師は、女性の局部が男性カメラマンと修道僧によって見られないようにすることは重要事項でした。

写真がこの霊的なパンフレットできれいに見えるように、彼らは彼女の体の一部分を幾らか覆いました。

翌日、あるいは2日後、修道僧は撮影したものが余りよくなかったので、彼が何枚か追加の写真を撮ることが可能かどうか、スウェーデンの女性に尋ねました。

この修道僧がバガヴァンと非常に特別で親しい弟子(それゆえに神聖で、彼にはバガヴァンの完全な信頼がありました)であったので、彼女は同意しました。

彼は彼女に全ての服を脱ぐよう頼んで、彼女に “ カウピヌム ” (薄手の紐下着)を与えました。

しかし、彼女の胸を覆うものは何もありません。

彼は彼女に全身マッサージ(短時間ではない)をしました。

そして、更に、彼女の胸と局部に触れました。

彼女は、彼は神聖なのだし、バガヴァンが彼にこうすることを望んでいるのだ、バガヴァンの役に立つことが出来て満足である、とだけ考えるようにしました。

この長いマッサージの後、修道僧はついに写真を撮影しました(パンフレットで発表されることはなかった)。

全てが終了した後、彼は誰にもこのことを話さないよう彼女に頼みました。

それについて黙っていることが適切でした。

しかし彼はアーチャリヤ(アーナンダギリ)にそれを話すつもりだ、と付け加えました。

多くのスウェーデンの女性参加者が修道士からマッサージをうけることに同意したとは、私には思えません。

しかしながら、彼女のバガヴァンへの帰依心は修道僧のようで、完全にその修道僧を信用していました。

彼女が疑問を持たず、協力してくれるであろうことを彼はわかっていました。

それゆえに、勝算は大きく、負ける要素はわずかでした。

彼女は若くて美しかったので(ハリウッドスターのように魅力的な)おそらく彼への明白なマイナス点はなかったでしょう。

このスウェーデンの女性が、マッサージは写真のために必要だったかどうか疑い始めたのは、ずいぶん後のことでした。

もしオイルが必要であるならば、彼女は1、2分でそれを彼女自身に塗ることができたはずでした。

現在、バガヴァンに対する彼女の情熱的で盲目の帰依心は消え去りました。

どうして修道僧の真の意図を見抜けなかったのか、彼女にはわかりません。

彼女の帰依心が己を全盲にしたと彼女は私に話りました。


Q:あなたがバガヴァンのアーシュラムへ行く気にさせた女性の帰依者に起こったことを聞かされた後、何故あなたは2人の修道僧に話さなかったのですか?

フレディー:私は、ほぼ同時期に、修道僧によるこれらの2つの性的な “ 実験 ” を知るに至りました。

私はアーナンダギリとプラギャナンダ(彼は、バガヴァンによって任命された私のガイドでした)に何が起こったか記述した長い電子メールを打って、これらの2人の修道僧と対面して、対処するよう要求しました。

私がどれだけ失望したかを記しました。

もし彼らがこれら2人に修道僧の地位を退くよう命じないならば、私は卒倒するところでした。

幸い、アーナンダギリはこれらの修道僧達を「破門」すべきではないとは主張しませんでした。

もしバガヴァンと意思決定者としての彼のチームが同意しなかったならば、私がそのままムーヴメントに残っていたとは考えられません。


Q:ムーヴメントを離れたいと願い出た修道僧は他にいましたか?

フレディー:私は知りません。

私が、彼らインド人達の抱えていた問題の詳細を知ることは稀でした。

私は、修道僧達の50~100人が、もはや修道僧でないということを知っています。

彼らが辞めたのかどうかと尋ねられるならば、私にはわかりません。

しばしば、バガヴァンとアーナンダギリは、ムーヴメントのポジティブなニュースを私と共有しました。

私は、彼らに不快なものについて話すよう頼みたくありませんでした;
彼らが、大勢の修道僧達が落ちた理由に関する話題を避けたがることを私は理解していました。


Q:修道僧達の振る舞いに関してあなた自身の個人的な体験はありますか?

フレディー:2004年6月の私自身の21日間プロセスの際、プラギャナンダが私の個人ガイドでした。

彼は、全VIPキャンパス担当の修道僧でした。

私のプロセスの1年ほど後、参加者がプロセスの間にマスターベーションすることがOKでかどうか尋ねたように、我々はVIPキャンパスで性的なエチケットをテーマにあげました。

プラギャナンダはそれから、「ここには肉体的な創造主がいらっしゃるのだから、キャンパスの誰もが100%の厳格な禁欲生活でなければならない」と私に伝えました。

私が、禁欲はプロセスの参加者だけが対象なのかと尋ねたとき、彼はNOと言いました!

たとえあなたが単にキャンパスの訪問客であったとしても、この規則が皆に守られることは重要でした。

私は、2年以上前にそこで起きたことを覚えていたので、笑いを堪えるのに必死でした・・・

2004年の私のプロセスの間に、私は返信するEメールがいっぱいありました。

私は、定期的に更新する必要があったバガヴァンに関するウェブサイトも持っていました。

そういうわけで、私がたびたび電子メールをチェックするか、少なくともウェブサイトで私のプロセスの体験を発表してもよいか、とプラギャナンダに尋ねました。

彼は、私が週に一度そうすることを許可しました。

時々、彼は私のコンピュータ(携帯電話を接続してオンラインを利用できる)を借して欲しいと頼みに来ました。

私はプラギャナンダをとても尊敬していて、彼を喜ばせたかったのです。

定期的に数時間、彼に貸すことを認めた1、2週間後、私は彼にグリーンカードを渡しました:
彼はもはや私の許可を得ずに、コンピュータを使いたいときにいつでも借りることが出来ました。

プロセスの終わりに、彼は1、2日間、借りていたコンピュータを返却しました。

私は、デスクトップに彼が残したポルノサイトへの閲覧履歴を見てショックを受けました。

修道士がバガヴァンの家の反対側でポルノ映画を見ていたことをバガヴァンに伝えていいものかどうか、私は悩みました。

アーシュラムでは非修道士にでさえ禁止されていた行為です。

一方、彼が私のプロセスの間、とても親切だったということをわかっていました。

そして、私は人間として彼が好きで、とても気の毒に思ったので、私は黙っていることに決めました。

彼は、私が彼の使用後、偶然にデスクトップに残ったポルノ閲覧履歴を発見したことさえ知りません。

もちろん、性に関することは自然なものですし、多くの人々がポルノ映画を見ます。

それはいけませんか?

それは各人の自由だと私は思います。

しかしながら、修道士としてキャンパスの全員に「性に関する考えさえ抱くべきでない」と命じた後、自分自身のポルノ旅行を隠して、“ 有言実行 ” しない - それは、また別の話です。

プラギャナンダは、バガヴァンから特別視されていました。

アーナンダギリは、「プラギャナンダは、バガヴァンと同じキャンパスにずっと住んでいて、毎日バガヴァンと会うことが出来る少数派のうちの1人である」と、私に話しました。

私は先ほど、スウェーデンの少女達が私に苦情を訴える前に、その修道僧達(男性)が淫らな目で彼女らを見ていたと言いました。

私はプラギャナンダが彼らの中にいたのを覚えています。


Q:「修道僧達は全ての人々を平等に扱っている、彼らはお金に無関心である」と、ある帰依者が私に話しました; これは真実ですか?

フレディー:私の体験は異なります。

私は概にプラギャナンダ(VIPキャンパス担当者)について言及しました。

2005年10月、マドレーヌと私は、ゴールデンシティーを訪問して、VIPキャンパスに滞在しました。

通常、彼らはUSAのエキサイティングなニュースがあるか、私に尋ねました。

彼はマドレーヌと私が、「ロサンジェルスの娯楽産業が大きく発展した」と言うのを聞いて満足していました。

我々は、当時そこで(L.A)、バガヴァンのムーヴメントを拡げるために生きていました。

プラギャナンダは、「キャスパー(俳優)とキャサリン(女優で王女)の家にディクシャを授けに行った4人のディクシャギヴァー達(キアラ、グレース、ブッダ、バヴァーニ)が気に入らない」と、私達に話しました。

キャスパーとキャサリンは、まず最初に私達のために “ VIP会談 ” を手配しました。

彼らはバガヴァンに関するキアラの本を読んだ後、キアラと彼の仲間の何人かを招待し始めました。

プラギャナンダは動揺したようで、私に言いました:
「私は、あなたとマドレーヌにロサンゼルスでVIPディクシャプログラムを開催してもらいたい。
キアラとこれらの人々は、アンマとバガヴァンへの献身が足りない」。

何度かプラギャナンダは、私に言いました:
「VIPキャンパスに大金持ちで有名な人々を連れてきてください」。

別の時、彼は私に言いました(何かこのようなもの):
「いったん彼らがここに来るならば、私達は彼らを信者にするつもりだ;
そうすれば、私達は金銭問題がなくなるだろう」。

もし誰かがお金を寄付するならば、バガヴァンはその人と時間を過ごすでしょう。

より多くのお金を差し出すほど、彼/彼女はバガヴァンとの時間をより多く獲得することが “ 起こりました ”。

これらのことが直接人々に明かされたことはありません。

それは単に不文律でした。

私は、バガヴァンが10年以上に渡り、一般人との個人的な会談(無料の)を催すのを見たことがありませんでした。

私が見たのは、影響力があるか、有名であるか、金持ちであるかで彼にとって役立つ人々とだけ彼が会っていたことです。

私は、“VIPプロセス”- 豪華な環境の21日プロセス(無料)に歓迎する種類の人々(あと、該当しない人々)に関して、厳密なガイドラインを与えられました。

VIPの中で誰が更にバガヴァンとの個人的な会談を獲得できるかに関するガイドラインも得ました。

VVIP(注:最重要人物)だけが、バガヴァンに会うために招かれました:
金持ちであるか有名な人々、バガヴァンを(世界的に)有名にすることができる有名な霊的教師、あるいは大きなスポンサーとなる可能性のある人。

VVIP規則には例外がありました。

例えば、私達の友人ジョージとステーシー(ロサンジェルスの帰依者)がいました。

彼らは、VVIPと個人的な友人で密接な繋がりがあったので、ゴールデンシティーに何人かのVVIPを連れて来ることが出来ました(帰依者では稀)。

更に “ イン・ビットウィーナー ” というのもありました;
VIPプロセスに招待されたが、バガヴァンに個人的に会うのに満たないVVIPでなかった人々。

そのような場合、バガヴァンとのごく短いグループ会談を整えられるかもしれません。

私は、かつてVIPキャンパスにいたスウェーデンのベストセラー作家とバガヴァンとの会談の許可を求めました。

彼女の本は、15~20年前、ベストセラーでした。

すると、プラギャナンダが言いました。

「バガヴァンとの個人的な会談に歓迎するには、余りにも古すぎる」

私は、その時、私が常に避けようと努めていた事をしました:
私は、自分の立場を不正利用しました。

まだ彼女をVVIPであると信用しているプラギャナンダに対して、彼女の尊大さを誇張しました;
私は、彼女が政治家と知り合いで、他のスウェーデンのVVIP達を招くことができると、彼女の相当な可能性について話りました。

私の長い説明の後、彼女は個人的な会談の時間を与えられました。

そのような事例が何回かありました。


Q:修道僧達は、本当にそのような機密情報を部外者(修道僧じゃない人々)と共有しますか?

フレディー:日頃から修道僧達は修道僧ではない人々と何を共有するべきか細心の注意を払います。

しかしながら、プラギャナンダ、アーナンダギリ、他の多くの修道僧達は多かれ少なかれ彼らの仲間として私を扱いました。

私達は一緒にいっぱい楽しんだし、私は自分の兄弟達のように彼らを愛していました。

修道僧達に修道院の規則が課せられる4年前、非常に初期の頃から私はバガヴァンと一緒にいました。

幾人かの修道僧は、私が指導していたグループへ10代の頃にやって来ました;
私は、彼らの数人(ムラリー・ダーサ、ラダクリシュナ・ダーサ)の個人指導もしました。

それは、しばしば彼らが私と非常に率直に語っていたからであって、決して漏洩することがないと思ってのことであったかもしれません。


Q:私は、バガヴァンが偏見を持っていると伺いました。

彼が悟っていて、悟っている人は偏見を持たない?

私はこれを信用できません。


フレディー:私は、バガヴァンの幼馴染みの1人によって書かれた非常に興味深い記事を読みました;
バガヴァンが彼自身グルになる前、彼らは1980年代に一緒にグルを訪ねることさえしました。

この伝記では、バガヴァンが会社員であったとき、彼がケララ出身の人々を嫌っていて、彼らを悪名で呼んでいた、と記述しています。

それは信頼できそうに思えますが、私自身でそれを体験したわけではありませんので、私は本稿で言及される事実についてコメント出来ません。

私は、彼が人々(個人的、グループ会談の両方)と会談していた時(数え切れない程の時間)、バガヴァンの隣に座っていました。

彼らが去ったあと、バガヴァンはしばしば弟子(私を含む)と議論したり、彼らを批評しました。

彼は、常日頃どういった人々が気に入らないかを語っていました。

彼らについて悪意のあるジョークを言っていました。

彼の論点は中途半端で浅いものでした。

私は、屈辱的なものが人々の背後でこそこそと侮辱するような議論に慣れていません;
むしろ、しばしばバガヴァンは皮肉屋でした。

バガヴァンのこの見下したような態度は、人類の救世主と無限の神としての彼に対する私の信仰への大きな試練のうちの1つでした。

実際に、初期(1994~1998年の間)の幾つかの出来事は私をほとんど離れさせました。

時々、バガヴァンは私にスウェーデンについて質問しました。

1993年、5ヵ月の期間、私は毎日5~7時間、バガヴァンに会ったものです。

しばしば、我々の4~5人程が、彼と一緒にいました。

更に、彼と二人きりになり、数時間おしゃべりして、昼食さえ共にすることもありました。

彼がスウェーデンの経済的状況について私に質問した(移民を伴う状況など)そういう機会の1つで、私は「多分、10、20%が移民でしょう。

大多数とまではいかないが多くは、アラビア国出身のイスラム教徒です。」と言いました。

彼は、いらいらした口調で間髪入れずに言いました:
“ なぜ、イスラム教徒達をのさばらせて、スウェーデンのような素晴らしい国を損なわなければないけないんだ? ”

何度か彼は、「イスラム教は原始宗教である」と言いました;
彼がアラブ系を嫌っていることは、私が知る確かなものの1つです。

サティヤローカのコースのために来た大きなアメリカのグループがありました。

私はそれが1998年8月の合宿だったと思います。

[ 2000年7月か12月のサティヤローカでの合宿であったかもしれません ]。

そのコースの後、バガヴァンは参加者の幾人かに会いました;
彼らの1人がアメリカ出身のナンシーでした。

私は、彼女がスーザック(当時、活動的なアメリカのコーディネーターのうちの1人でレイキマスター)によって合宿に招待されたと思います。

大部分の参加者は自然な形で信仰していました。

けれども、ナンシーは例外のうちの1人でした。

バガヴァンは、ナンシーに会いました;
この会談の後、私達(弟子達)がバガヴァンに会うと、彼は彼女について話し始めました。

彼女が彼にどうしようもない愚かな質問をした(バガヴァンの意見)ので、彼は非常に感情的になって、詳細を語り、ナンシーと彼女の祖国を罵りました。

合宿の重要項目に、アンアタリアーミン(私達の内在神)との個人的関係を発展させることがありました。

その言葉アンタリアーミンとバガヴァンは、合宿の教師(アーナンダギリ)によって、常に置き代えられました。

大部分の人々は(全ての人ではないが)、彼らのアンタリアーミンをバガヴァンとしました。

私は、バガヴァンとアンタリアーミンを等しくみていなかった人は記憶にありません。

私達の父、母、兄弟、友人、子供などとしてバガヴァンと関係を持つように指導されました。

そして、私達が自然に感じるどんな関係でもOKだと教わりました。

情熱と親交は、この関係で最も重要な要因でした。

[かつて、バガヴァンは、彼がアンタリアーミンの形態で、どのようにマイソール近郊の女性と定期的なセックスをするかについて、私に話りました;
私の記憶では、彼女はキリスト教のコーヒー地所のオーナーで名前がマリーナだったと思います。

バガヴァンはマリーナをアンタリアーミン(バガヴァン)との驚くべき強烈な関係を持つ真の神秘家だと後述しました。

彼女はバガヴァンを見ることができて(内部のヴィジョンとしてだけでなく、開いた彼女の目でも)に会話することができました;
そして、彼と対話する体験は彼女にとってリアルでした(彼とセックスすることを含む)。]

バガヴァンとの会談の際に、ナンシーは彼に尋ねました:
“ バガヴァン、私の犬としてあなたとお付き合いすることができますか? ”

彼女は、無作法ではなかったし、否定的な意味でこれを質問したわけではありませんでした。

私は、バガヴァンが彼女(私が覚えている限り、彼は彼女の質問に直接的に答えるのを避けました)に答えた内容を思い出せません。

私は、バガヴァンがこんなに感情的に嫌悪するのを滅多に見たことがありませんでした。

彼は、このような何かを言いました:
“ 彼女は、私が彼女の犬でありえるかどうか、私に尋ねた!!!
彼女には、まったく神聖さの感覚がない。
これらのアメリカ人は、役立たずの人々だ!
彼らにとって神聖さは存在しない ”。

定期的に、長年、バガヴァンはアメリカ人について類似のコメントをしたものです。

かつて、彼は「インドのコースにアメリカ人を参加させることにうんざりした」と言いました。

私は否定的な噂がいかに速く広まるか知っていました。

そして、私は心から心配しました。

バガヴァンは、大きな危険を冒しました;
アメリカ人と彼らの国に関する彼の意見が漏れるならば、それは容易に広まり、遠くまで知れ渡り、バガヴァンのメッセージがUSAに拡がるのを困難にするでしょう。

さらにはヨーロッパと西洋諸国への悪影響もあるでしょう。

バガヴァンは非常に高くヨーロッパとロシアについて話しました。

そして、彼らの先進文化、ゆゆしさと神聖さを称賛しました;-
“ ・・・ですが、アメリカ人:バ~!!!・・・ ” と、彼は言ったものです。

バガヴァンがこのインドの否定的な表現を使った時(バ~!- 彼がアメリカ人と彼らの文化について話したとき、多用されます)、いらいらした調子を伴いました。

それは非常に深刻なことを意味しました。

時々、バガヴァンはマイケルジャクソンについて我々(弟子達)と話しました。

バガヴァンは、ジャクソンのダンスを嫌悪して、卑猥で悪魔的であると言いました。

バガヴァンはかつて腕でジャクソンのダンスを模倣しました。

そして、ジャクソンは悪魔だと付け加えました。

21日間プロセスが2004年に始まる前、西洋の帰依者はいわゆるダルシャンツアーのためにゴールデンシティを訪問しました。

これらのツアーは、2002~2003年に開催されました。

ダルシャンツアーは、5日間でした。

ツアーの最終日に、グループはバガヴァンのダルシャン(=グループ会談)を持ちました。

通常1、2時間で終了しました。

ロシアのグループの1人が彼に会ったあと(各々のダルシャンの終わりで寄付しました)、私はバガヴァンと話しました。

彼は、ロシア人(貧困国)が常に、他の国々(ダルシャンツアー参加者)より多く寄付することに驚きました。

彼は、すべての国で最少の寄付をするのはどこだと思うか、と私に尋ねました。

私はわかりません、と答えました。

彼は、幾分いらいらした調子で言いました: 「アメリカ人」。

彼はかつて、冗談とゆゆしさの混合で、彼らがとても裕福で、“ 鼻を通して支払う ” ことが出来る【(誰かを記述するためにインドで使われる表現)、“ スティンキングリー・リッチ ”、(アメリカ人と関連してしばしばバガヴァンに使われるもう一つの表現)】としてコースをアメリカ人のために特別に高価にする必要があると提案しました。


Q:あなたは、バガヴァンについてたくさん言及されました。

アンマとの個人的な体験は、どうでしたか?


フレディー:彼女がバガヴァンによって神と宣言された1、2年前、私は時々彼女に会いました。

1993年以後、落ち着いた家庭の空気で、彼女と話すことはなくなりました。

大きなグループか、ネーマンのアーシュラムで彼女の祝福を得るため1、2分間話すだけでした。

初期の頃(1991~1992)、パラマチャリヤとサマダルシニはアンマを神格化して、いっそう語るようになりました。

彼女が英語を僅かに話すだけだったのと、私のテルグ語が彼女の英語よりひどかったので、私達はあまり話すことができませんでした。

私にとって、バガヴァンの父(その人は、たまたま無神論者でした)が彼の父というだけであって、ヒンドゥー教の神々でないことと同様に、アンマはバガヴァンの妻でしかありませんでした。

彼女はコース参加者達と話をする人ではありませんでした。

彼女は帰依者などに会いませんでした。

彼女はまさに学校の台所の長であり、たまたまバガヴァンの妻でもあるのでした。

ほとんどの時間、彼女は腹を立てているか、不満そうに見えました。

私は滅多に彼女が微笑むのを見ませんでした。

彼女の声は穏やかで優しいものではなく、むしろ厳しかったです。

彼女が私のマスター(神)の妻であったので、私は彼女を好きになるよう、たくさん努力しました。

私の本能が彼女から距離を置こうとしていましたけれど。

私は彼女を信頼せず、彼女の荒っぽさと支配的な性質を嫌いました。

彼女はかつて私をベッドルームに招き入れて、彼らの結婚式の写真を見せてくれました。

彼は顎ヒゲもなく非常に異なって見えました。

私は、彼女と自然で親しげに触れ合った時の出来事の1つを覚えていますけれど。

私は定期的に彼らの家にいました。

私達は彼らのベッドルームの外側の通路に立っていて、彼女は私に話しかけてきました。

彼女は、体重を大きく落とす方法を知っているかどうか、私に尋ねました。

彼女は、私が健康的な生活、自然療法などを勉強したということをバガヴァンを通じて知っていました。

弾力のあるマットで毎日10分ジャンプすることを彼女に勧めました。

更に代謝を高めるための指圧ポイント(ツボ)の位置を示し、彼女の手で優しく押して実演してみせました。

その時、バガヴァンが通路を通りかかりました;
彼は幾らか威圧的な調子で、テルグ語でアンマに何かを伝えました。

それから彼女が、まるで目で語るように私を見ました。

「ごめんなさい、夫は私がこうすることを望みません」と言って、彼女は去りました。

私は、彼女を、自分のプラス・マイナス点を持った平均的なインド人主婦と理解しました。

私は、彼女に高尚な、或いは神聖な何かを感じたことはありません。

2005年、私はアーナンダギリ(AG)に、これまで使われていたものが西洋人にとって、かなり新興宗教の教祖のように見えるので、何枚か他のA&Bの写真を手に入れることが出来るか尋ねました。

2人共、このムーヴメントが世界のナンバーワンになることを望んでいて、それはAGと私の共通の情熱でした。

それで彼は私にA&Bの何百ものデジタル写真の検索を認めました。

アンマが滅多に微笑まなかったので、私は彼女のOK写真を見つけるのに困難を要しました。

最終的に、私達は彼女の親しみやすい、或いはリラックスしたように見える写真を1枚も見つけることが出来ませんでした。

私は、アンマが親しみやすくて微笑んでいるように見える新しい写真を何枚か撮ることが可能ならば、そうしてみるように彼に勧めました。

私は、クリシュナ(バガヴァンの息子)に会うことが驚異的な経験であるのが当然と思っていました。

私は、実際に私の神の息子に同調しようとしました。

私達は時々スポーツをしました。

私達はかつてバガヴァンの中庭のコートで一緒にテニスをしたこと覚えています(相手はAGとヴィマラキルティ)。

バガヴァンが外に来て、しばらくの間この試合を鑑賞しました。

私達が他者について感じるものは大変主観的ですが、クリシュナと接したこれらの年、私を高揚させる体験はありませんでした;
クリシュナ(彼の人格と振る舞い)は、無限の神としてのバガヴァンに対する私の信仰への重い試練でした。

およそ2年間の間をバガヴァンのアーシュラムで暮らした後、バガヴァンが、インド国外で彼のメッセージを広げ始めるよう私に命じました。

私はすぐにロシアに住んで働き始め、1、2年の間、インドを訪問するお金がありませんでした。

それ以来、私はバガヴァンにだけ会って、アンマと会いませんでした。

もはや彼らの家を訪問することはありませんでした。

私がアンマを目にしたのは、パブリック・ダルシャン(彼女の面前で何百、何千という人々が座り、瞑想し、賛美歌を歌う)においてだけでした。

私は幾度か彼女のプライベート・ダルシャンをうけました。

私は神として彼女を見るよう試みました。

すると彼女は私に優しく穏やかでした。

少しずつ、私の過去の彼女に対するためらいは溶け去っていきました。

2004年の私のプロセスで、私はついに彼女をバガヴァンと等しく受け入れました。

私は、どうやってアンマとの関係を何とか解消できたかが、よくわかりません。

彼女のことを考えるとき、暖かささえ感じます。

「これが悟りを得るための私の大きな障害なので、私がアンマにも委ねる必要がある」と、しばしばバガヴァンが私に言っていたからかもしれません。

サマダルシニとアーナンダギリも、時々私にアンマに関する問題を思い出させました。

これが私の理想の状態を得ることへの唯一最大のブロックであったので、非常に熱心にこれに取り組みました。

そして、祈って、祈って、とても多くのエクササイズをしました・・・

私は試みて、試みて、試みました、そして、12年後、ようやく果実を収穫することができました・・・

<訳注:皮肉としての表現であって、この時期の12年後にムーヴメントを離れることになったと思われる>

他の理由もあったかもしれません。

多分、彼女に対する私の態度を変えた人は、私だけではなかったでしょう;
アンマもまた幾らかの変化を受け入れたのかもしれません。

それで突然、私達の愛は相互になったのです。

1年に1、2分、バガヴァンのメッセージを拡げる中での一般的な成功と私の悟りの祝福を得る以外、私はアンマに会うことがなくなっていたというのが事実です。

またそれは私達の関係の改善のための理由の1つでもあったのでしょう。

他の要素もあるかもしれません。

私は、彼らの息子に対する自然な愛情と尊敬を抱くことができませんでした。

このため、私は何かおかしいに違いないとしばしば自分自身を責めました。

クリシュナに対しても暖かい愛情を抱かねばならないと、バガヴァンは言わなかったので、私はついに、クリシュナを好きになろうとするのを諦めました。

私は、彼を中立視して、もはやこれについて考えないようになりました。
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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