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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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フレディー氏の過去記事から英文を除いて日本語だけのバージョン。以前の投稿では小分けにしていたため通しで読むには面倒だと思ったので。当時、2010年にブログを開始したのが、この記事を公開するためであったが、こうして見返すと文量が多くて今だったらとてもやる気にならない。2年以上が経過したが、その間のムーブメントの動向にも十分通じるものが含まれている。

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http://deekshadanger.weebly.com/ より
Deeksha danger

フレディー、暴露する!

15年の間、カルキバガヴァンの側近(内弟子)の1人であった後に、フレディー・ニールセンはワンネスムーブメントを離れた。

今、彼は胸のうちを語る:

「ヨーロッパでの例を挙げれば、ディクシャ(短期)をうけた後に精神病になった人達がいます。
幾人かは精神病院に入院しなければならなくなり、更には自殺した人もいました。」


「バガヴァンは21日間コースで悟らせると大衆に宣言しましたが、大部分の参加者がほどなくして意気消沈していたのです。」

「バガヴァンは、支持者が彼に同意しなかったり、反抗的であると寛容でいられません。
彼はナルシスト的で、支配的です。」


「彼(バガヴァン)が他のグル(指導者)について褒め称えたり、賛成意見を述べることは稀でした。
彼は、たびたび彼らを嘲笑しました - 時には乱暴に」

「誠実な探求者と才能ある神秘家は、1、2のイベント(ディクシャ)に参加した直後に、バガヴァンとムーブメントを去りました。
共通の理由として、バガヴァンの力の源が純粋でないと感じたということでした・・・
バガヴァンは光の力を使っていない、というのが彼らの意見でした」


「彼らが去ったあと、バガヴァンはしばしば弟子(私を含む)と議論したり、彼らを批評しました。
彼は、常日頃どういった人々が気に入らないかを語っていました。
彼らについて悪意のあるジョークを言っていました。
彼の論点は中途半端で浅いものでした。」


全文は以下をお読み下さい。

ワンネスムーヴメント、バガヴァンとダーサ達(弟子、出家僧)の歴史に関しての質問
~フレディ・ニールセンによる回答(2007年7月)


バガヴァン、ワンネスムーヴメント、ダーサ達、その他もろもろに関する膨大な情報・・・


Q:あなたは御自身の体験を多数、公開(共有)されてきました。
マドレーヌの体験と反動はどんなものだったのですか?


フレディー: マドレーヌは私が出会った西洋人の中でも数少ない、ダーサ(バガヴァンの修道士と修道女=出家僧)のようにバガヴァンに献身していたうちの1人でした。

彼女が世界中を旅して、ディクシャと教えを広めたこともあって、バガヴァンは彼女にアーシュラムに滞留するよう要請しました。

彼女は、とりわけ “ コズミック・ビーイング ” になることを望んでいました。

バガヴァンは、それを完全にアンマとバガヴァンの意識と1つになって神々が占有する人になることだと言います。

彼らは独身で生きなければならず、ほとんど口もきけず、ほとんどをトランス状態(失神)にあって、他人のために祈るばかり。

トイレに行くこと、食べることすらできません。
高齢者や重度障害者のように介護される必要があります。

バガヴァンは、世界を救済するために8000人以上のコズミック・ビーイングになる人々が必要だと述べました。

私はバガヴァンの仕事を拡げることに専念し、ほとんど休むことなく働き続けました。

私の速度についていこうとしたことがマドレーヌの誤ちでした。
アメリカで、彼女は突然、燃え尽きました。

彼女は24時間バガヴァンに仕えなければならないと感じていましたが、彼女の体は拒絶したのです。

彼女は、私のすべてのコースを手伝い、俳優や有力者達と私との個人的な会談にも全て同行するということを、幾月もの間、彼女自身に強制したのです。

しばしば、彼女は単に洗面所まで歩くことを考えるだけで苦痛に呻くほど疲れていました。

それは彼女が横になっていたベッドから3メートルの距離でした。

マドレーヌは、彼女の家族との深い関係を感情的にあきらめました。

彼女が10日間、21日間プロセスに参加する2004年6月までは、彼女の家族は、彼女にとって全てを意味していました。

6月、プロセス参加後、アンマとバガヴァンが彼女にとって全てになったのです。
彼女は彼らに完全に委ねました(修道僧や私達が望むように)。

マドレーヌにとって、全世界の人々を家族とするほうが好ましいことになったのです;
もし、家族に問題が生じても、彼女の神(バガヴァン)が彼らの世話をしてくれると理解していたのです。

彼女は、その時とりわけ彼女にとって重要だったこと(バガヴァンとアンマに対する完全な帰依と全体に奉仕すること)について、彼女の家族と話し合うことができませんでした。

バガヴァンへの奉仕生活に専念していたときの彼女を、彼らは理解できませんでした(深い隔たり)。
そのうえ、もはや彼らは、会うことも、口を聞くことも稀でした。

バガヴァン、修道僧達とフレディーだけは、その時の彼女を理解することができました。

アンマ&バガヴァンが、彼女の永遠の両親になりました。
その時、バガヴァンは、ゴールデンシティーが彼女の基地(家)であるとも言いました。

マドレーヌの人生は、完全な “ バガヴァン化 ” を経ました。

バガヴァンが神であり、神はバガヴァンである ~ それだけ!

彼女は110%以上の確信を持っていました。
彼は何でも知っていて、すべてを創造した唯一の至高の叡智でした。

エデンの園でアダムとイブが神に会って、人の容姿をした彼と話したと思い浮かべるように、彼らは2つの異なるもので分離したものでした。

アダムとイブはエデンにいた間に神と話しました。
彼らは、その神を宇宙を創造した無形の神と同一視しました。

(マドレーヌにとって)バガヴァンはまさにそういった神でした;
このこと(当時のマドレーヌの状況)を確かめるには彼女と親しい姉妹によって容易にわかるでしょう。

マドレーヌと彼女の姉妹のように親密な姉妹を私は見たことがなかったことを付け加えておきます。

マドレーヌは、私達のすし詰めの予定からの休息を必要としました。

エネルギーが枯渇して燃え尽きた状態でしたので、どうすべきかをバガヴァンに尋ねるために、彼女はプラギャナンダ・ダーサにEメールを送りました。

このEメールでだったか、あるいは数日後、どうにか私がプラギャナンダと電話で連絡をとったとき、私は、1ヵ月間アーシュラムに彼女を(私抜きで)滞在させられるかどうか、マドレーヌのために尋ねました。

その時、誰か彼女を治療することができるとすれば、それはバガヴァンと彼の修道僧達でした。

1ヵ月後、私はいずれにしろ、インドで彼女と合流するつもりでした。
彼女の状態がよくなかったので、彼らは彼女が来ることを拒みました。

彼女を歓迎しないという決定がなされたことで、彼女は完全に打ちのめされ泣きわめきました。

彼女の新なる家になっていたはずが、彼らから拒否されたのでした。

プラギャナンダとアーナンダギリから、この予想外の返事を得たときは私も泣いてしまいました
--- 私は、彼らがバガヴァンに尋ねることなく、そのような決定を下さないということを知っていました。

彼女の燃え尽きた状態について誰に相談することができたでしょうか?

誰が彼女を真に理解できたでしょうか?

彼女の母親にそうした問題をとりあげる以前に、アンマとバガヴァンが彼女の両親となっていたのですから。

1ヵ月後、私がマドレーヌとゴールデンシティー(またはGC、バガヴァンのアシュラム)を訪れた際に、私達は彼女の問題をバガヴァンに説明しました。

少なくとも彼女が回復するまでは、私のコースと個人的な会談に同行するのは50%にしたらどうかと、私はバガヴァンに提案しました;
そして、例外として日頃から長時間、働かせてはいけないように見えます、と。

[ 数年前、アーナンダギリが私に言ったことがある。
私(フレディー)が疲れなくがむしゃらに働くので、ほとんどの人はついていけない ]。

マドレーヌはどんなコースも会議も欠席してはならない、とバガヴァンは告げました;
その代わり、彼女が私の速度に容易についていけるよう、早急に多大なエネルギーを授けよう、と。

彼女のエネルギーが復旧する明確な日付までも彼は言及しました、それは5、6週以内とのことでした。

私が覚えている限りでは、2005年12月の初週でした。

彼は、遅くともこの日付までには巨大なエネルギーを彼女に授けよう、と約束したのでした。

私達がゴールデンシティーを去ってから、マドレーヌの状態が深刻なほど悪化してしまいました。

彼女のエネルギーは、かつてなかったほど低下していました、そして、バガヴァンに要請されたことを遂行できなくなった今、主バガヴァンの役立たずの帰依者、娘であるかのような罪の意識に苛まされました。

彼女は己自身を非難し続けました。

バガヴァンが彼女の神であったので; もし彼が、井戸へ飛び込んで死ぬように、彼女に命じたとしたら、彼女はそれに躊躇なく従ったことでしょう。

私のハートは、マドレーヌに対するバガヴァンの対処は、全くもって残酷だと私に告げました。

彼は、彼女を全然愛していなかったじゃないか?

彼は、彼女を気にかけることすらなかったし、すなわち彼女がボロボロになるまで利用したかっただけなんじゃないのか?

なぜ、彼はこんなことをするんだ?

私の心は疑いでいっぱいになりました;
私は、12月のうちにムーヴメントを離れるべきか私のハートに耳を澄ませました・・・

しかしながら、私は説明、言い訳をさがしていたのです。
彼は神なのですから、正当な理由がなければなりません。

それは単に私達への試験だったのかもしれません。

私が約15年してきたように、バガヴァンの別の顔(奇妙な振る舞い)を最終的に抑圧しました。


Q:私は、バガヴァンが彼の帰依者に規則や制約を与えないとの主張をディクシャギヴァー達から聞かされています; これは真実ですか?

フレディー: はい、でもあり、いいえ、でもあります!

多くの他のグル達と同様に、彼は平行した教えを持っています。

TMがしたように、大衆を引きつけるための教え、アプローチがあります。
TMは科学として打ち出したかったのです。

しかし帰依者は、側近グループに近くなれば、グル - 崇拝が必要になることを私に教えてくれました。

それはバガヴァンに対しても同じである、と私は思います。

彼は支持者、帰依者を最大限に惹きつけるため戦略に従います。

最初、ロープはゆるいのです。

すると、あなたは、より多くを期待して、近くに行こうとするでしょう。

ロープの縛りは次第にきつくなっていくでしょう。

報酬制度によって、遠まわしに規制をかけることも可能です。

もしあなたが、コーディネーターなどになって、あれこれ指示を信頼して実行するならば、そのときだけ個人的に修道僧達やバガヴァンにさえ面会することが許可されることでしょう。

バガヴァンとアンマが宇宙を創造したと信じていない限り、修道僧として留まることができません。

修道僧達は、アンマとバガヴァンの姿以外のいかなる方法でも神との関係を「仮定(推察)」しません。

たとえ修道僧達が彼らのハートで光として神を見るとしても、この光をもたらしたのはアンマ&バガヴァンである、と言うでしょう。

生命の無形の源を含め、あらゆるものは有形のアンマとバガヴァンを中心に回っている、と。

私の知るすべての伝統において、それは正反対です:
通常、神は預言者や「具現化された」神と、少しの格差もありません。

個人的な意見(バガヴァンのそれと異なる)があるならば、修道僧でいられる余地はありません。

バガヴァッド・ダーサズ(注:バガヴァンの従者)は、バガヴァンが彼らに語ったことについて伝えるのを許されているだけです。

洗脳には様々なレベルがあります。

かつて、セクトの専門家が私に語りました。

〔 修道僧達には重大な形式がある:
修道僧達は、彼らが自由に考えることは許されないということを、訪問者達と探求者達に秘密にしておくよう命じられている。
大衆がそれをセクト、あるいはカルトであることに気付くかもしれないので、彼らが独立した考えを持たないということを公然と見せないはずだ。そう思える 〕と。

多くのグルの様に、バガヴァンは帰依者が彼に同意しなかったり、従わないことに寛容でいられません。

彼はナルシストで、支配的です。

こういったことは、彼の側近の1人であった15年間で経験してきたことです。


Q:バガヴァンはかつて、あなたの自由や選択を制限しましたか?

フレディー:彼があまりに公然と、そして、直接そうしたならば、私は15年前に彼のもとを去ったでしょう;
彼は、私が自由愛好家であることを知っています。

しかし、そうするより間接的な方法で操作、制限したり、支配することは可能です;
そして、私の経験において、バガヴァンは巧みな操縦者です。

以前、1999年6月から、私はロシアでアリヤーと働き始めました。
私達は、数年間を共に熱心に働きました。

2001年、バガヴァンが金銭、名声などに興味を持っていた、と彼女がロシアの帰依者に話し始めました。

2002年、アーナンダギリは、私が彼女をゴールデンシティーに連れてこなければよかったと言いました。

私達は親友だったし、一緒にインド旅行に行きたかったのだけれども。

2004年1月、バガヴァンは次のように言いました:
「プロセスが始まる以前に、あなたがアリヤーと一緒に過ごすならば、私はあなたに悟りを授けられるかどうかわからない」。

アリヤーは、単なる数多くいる仲間のうちの1人ではありませんでした;
彼女は、これまでで最も親しい友人だったのです。

私は誰も見ていないとき、たっぷり泣きました。

私のプロセスが始まる以前、彼女と休日を過ごすことを楽しみにしてきたのです。

バガヴァンは、私が彼に深く献身していることを熟知していました。

彼のために私が家族と離別することさえ同意するであろうことを熟知していました -
もし彼が、それが必要だと告げたならば;
バガヴァンの、あるいは人類の利益、あるいは、私の悟りのために必要ならば。

なぜ、彼はそのように言ったのでしょうか?

それは、彼女が無数の人々を深く感動させる素晴らしい才能を持っていたからでしょうか?

人々は、彼女の話に聴き入ります;
彼女は、大衆にとっては大きな霊的権威でさえあります。

「彼は金と名声を欲するビジネスマンであり、神(創造主)であると主張して大衆を欺いています」と彼女は、ロシアのバガヴァン帰依者の一部に語りました。

ロシアで、アリヤーがこれを伝え始めたとき、私は、スウェーデンまで広がっているこのニュースを無効にしようとしました。

アリヤーが彼に賛同しないことを、彼らが知ったならば、スウェーデンのバガヴァン帰依者の半数かそれ以上は彼に祈願するのを止めて、完全に離れてしまうであろうと私は心配しました。

バガヴァンの任務に接近していて利益になる限り、彼は私の自主行動を認め、最低限の範囲で、エクササイズとメソッド、役立つツールを私のコースに補いました。

2001年、バガヴァンは、7日間の悟りコースを開始するにあたり、私と他の3名に参加を要請しました。

部屋の無い場所で即、開始というのは、私がうけたコースでは唯一でした。

ラディカ修道僧が私をトレーニングする間、厳密な予定に従ってエクササイズと各々の語を身につけねばなりませんでした。

私が知る限り、これらの合宿(悟りのコース)において、誰も悟りませんでした。

私は、コースの期間で好調子になった後、過半数がコースの数週間後に意気消沈していくのを見ました。

かなりの頻度、これらの落ち込みは深かったです:
人々は人生に興味を失い、もはや彼らを幸福にさせるものがありませんでした。

また、彼らの多くは人生に深い意味があるのか、神がいるのか不信になりました。

ある合宿の後、たまたま読んだ本に、私は確信を得ました。

ワンネス/ムクティ・コース参加後に落ち込んだ大部分の人々の助けになる、と。

人々が、7日間の悟りコース後、コース参加以前より沈んでいるとき、とても悲しかったです。

私は彼らに対して申し訳ない気持ちになって、人々がこれらの「ムクティ-落ち込み」(悟るどころか、どつぼに嵌る)に陥るのを防ぐ手立てを、必死に探していました。

彼の帰依者を落ち込みから解放することができると思い、私が読んだその本に記述されるアプローチをどう伝えようかと、バガヴァンに会うのが待ち切れませんでした。

そのアイデア(帰依者を落ち込みから解放する単純なメソッドの利用方法について)を得ることで大きな苦悩を回避できるならば、バガヴァンに伝えずにはいられない。

そしてバガヴァンをおおいに喜ばせるに違いないと思っていました。

この本は、そのコース期間で時々落ち込んだ私の助けになりました;
ですから、合宿の参加者達に対しても、それを使わない手はないですよね?

時折、私はバガヴァンに本を贈り、新しい有効手段を伝えていました;
結構な頻度で、彼は彼自身のコースと教えにそれ(立証されたものだけでなく)を借用しました。

彼は、世の中で既に存在する効果的な教えを最大限に利用しようとしていました。

もちろん私が他者にそれについて明かすことなど想ってもみませんでした。

そして、私は、これまでずっと - そうすることがありませんでした。

今回の状況は違っていました。

それが表面上に助けになるだけであって、まもなくして、人々が真の悟りを得るのを遅らせることになるので、私が読んだ本に記述された方法を決して使用しないようにと、バガヴァンは私に命じました。

彼が私に使用したり、口にしないよう命じた方法は、バイロンケイティによる4つの質問でした。

この短くて冷淡な回答を得たとき、私はショックを受けて悲しかったです。

スウェーデンとロシアにおいて彼の帰依者の何人かは、ほぼずっと最高7年間、落ち込んでいました。

彼らにとってはコースに参加するたび、いっそう悪化しているように見えました;
でも、バガヴァンと議論することなんて一体誰にできたでしょう?

何と言っても、彼はこの惑星上で悟りを授けられる可能性のある唯一の存在だったのですから。

ずいぶん前のことです、1992年、私はインドにてパラマチャリヤのコースで助手を務めました。

私達が “ リバーシング ” (レオナルド・オーの呼吸技術)を利用することを彼が提案しました。

しばらくして、バガヴァンが、私達にそれをするのをやめるよう命じました。

もし彼らが、7分間以上、どんな種類でも改変した呼吸をしたならば、命が損われると主張しました。


Q:私の友人はアリヤーに、とても感銘を受けていました。
アリヤーへのバガヴァンの反応は何かありましたか?


フレディー:2001年の春、アリヤーはロシア人の帰依者達に尋ねられたとき、バガヴァンに対する彼女の観点を公然と伝え始めました。

年に1、2回、私はバガヴァンに会いにインドに行きました。
その年(2001)は9月に行きました。

この訪問の間、アリヤーのことがバガヴァンと私との白熱した話題の1つになって討議されました;
もし私達が彼女を止めさせる手段を発見することができなければ、帰依者に疑念と混乱が生じ、このムーヴメントはロシア、ウクライナ、カザフスタン、スウェーデンなどではかなり縮小することになるかもしれない、と。

私達の会議の間に、バガヴァンはアリヤーの透視能力がすぐに減少し始めて、1、2年で完全になくなると私に話しました。

彼は、彼女の大きな能力は神が彼女に与えたものだと言いました;
適切な方向で使われなかったならば、大抵そのような能力は消え去るだろう、と続けて言いました。

実際に修道僧達の全員にアリヤーの能力より更に大きな能力を与えられると付け加えたように、かなりバガヴァンは感情的になりました。

そうするには、たった数分しかかからない、と彼は言いました。

そうすれば修道僧達に教えを請うために村人がラーマクッパムから延々と行列を作るだろう、と付け加えました。

ラーマクッパムは、サティヤローカ/ジーヴァシュラムから4kmの最寄の村でした。

彼の経験上からラーマクッパムの村人がいかに浅はかであるかをバガヴァンが私に話したのは、ちょうどこの会話(別の会話のときだった可能性もあります)においてであったと思います。

年間を通じて多くの時間、この地域に住んでいるので飽き飽きした、とも彼は言いました。

私がラーマクッパムと幾つか他の近隣の町(コラルゴールドフィールズ、クッパム、ラジュペタ、ヴェンカテギリコタ等)を訪問したとき、私がバガヴァンのアーシュラムに滞在していると言うと大部分の人々は否定的な反応を示しました。

私が単にバガヴァンの名前を口にするだけで人々の大半が狼狽して、「あいつは、ぜんぜん神なんかじゃない。
地元住民に敬意を払わない財政的な不正をする単なる気の狂った校長だ。」と補足しました。

彼らの経験上、バガヴァンを信用していなかったので、何人かは私がバガヴァンを支援することを止めさせようと、私を説得しようとさえしました。

彼らが移住して間もなかった頃、アーナンダギリが「バガヴァンにはゴールデンシティーの周囲の村に対する計画がある」と私に話しました。

ラーマクッパムと隣接地域(彼の反対者がいたところ)で味わった苦い経験をバガヴァンは回避したかったのです。

その計画は、ゴールデンシティーで地域住民から支持を得るために必要な処置(慈善事業、無料のコース開催など)をとることでした。

今日、6年後、彼らの計画は成功したと証明されました;
彼らは、ヴァラダイパレムの地域(GCが位置する場所)から、良い支持を得ました。

アリヤーに話を戻しますと、:
バガヴァンは、かつてはアリヤーの能力を賞賛していました。

彼女が公然でロシア人達に、バガヴァンに関する見解を伝え始める以前、バガヴァンは、アーシュラムのコース参加者達に、彼女に教わりに行くことをしばしば勧めました。

アリヤーの能力が1、2年で消えると言った時から、6年が経過しましたが、むしろ実際にはアリヤーの能力は毎年、ますます深まりました。

ローカナータン(バガヴァン帰依者のうちの1人であり、1980年代の初期にいた「生命保険株式会社」の元同僚)にアリヤーが会ったときのことを私は覚えています。

彼は、サティヤローカ・アーシュラムに滞在するよう誘われました。

数か月間、ローカナータンは意気消沈しており、大きな励ましを必要としていました。

彼と親しかった私は、彼を助けてくれるようアリヤーに頼みました。
彼女は快諾してくれました。

アリヤーは、彼の家(バガヴァンの住まいの向かい側)で彼に教えを提供しました。

その教えの間、彼は感動で涙しました。

数日後、私がローカナータンに会った時、彼は輝いていました;
彼は安らぎを感じ、感謝に溢れていました。

ローカナータンは、これ(1993年)の7年前、完全に悟ったとバガヴァンに認定されたアーシュラムの滞在者のうちの1人でした。


Q:バガヴァンは、己が地球で最も強力で卓越したマスターであると言いますか?

フレディー:彼は、しばしばそれを口にしました・・・

さらにそれ以上のことを。2万年以上において初の完全な神の化身であると言いました。

そして人類が彼に協力しないならば、彼らは悟ることができず、その結果、絶滅することになる、と。


Q:彼は他のグル達について、なんと言っていましたか?

フレディー:彼が他のグル(指導者)について褒め称えたり、賛成意見を述べることは稀でした。

彼は、たびたび彼らを嘲笑しました – 時には乱暴に;
あるいは少なくとも、彼らより自分が無限に強力であると強調しました。

「彼らは悟りについて語っただけだ。せいぜい彼らは人々に悟りを授けようと幾らか努力を尽くしただけである。これらのマスターで最も優れた人であっても、1人あるいは2、3の弟子に悟りを授けることができた程度だ。
実際に悟りを授けられるのは自分だけだ」と彼は発言しました(これはラマナに関する発言でした)。;
しかし数年後、彼は己の考えを改めました。

彼はその時、ラマナが誰にも悟りを授けなかった、彼が授けたものは完全な悟りではなかった、と言いました。

バガヴァンの持論では、大部分の霊的教師は実際は悟っていなかった(例えばオショー・ラジニーシ)か、ぜんぜん悟りとは呼べない代物の低俗な悟りだった。

修道僧達はブッダ、ラマナ等より、遥かに高い境地に至っている、と主張しています。

2004年6月にあった私のプロセスの前に、そのプロセスの中で、ラマナ・マハリシが持っていたものより100倍高い恒久的な状態を私に与えるつもりであると私に告げました。

最近、ある人が私に知らせたところでは、バガヴァンがダルシャンで「ラマナは100%悟っていなかった」と発言したそうです(この情報が正確かどうか私は知りません)。


Q:バガヴァンは、彼が霊的に最も強力だと発言しただけでしたか?
他の領域(例えばヒーリング)についてはどうでしたか?

フレディー:彼の弟子達は、バガヴァンが世界で最も深遠な教えを持っていると主張します。

1992年あるいは1993年にパラマチャリヤは次のように言いました。

「人類の歴史と複数の宗教や霊的指導者達を合わせた以上の多くの奇跡(ヒーリングを含む)が3~4年、バガヴァンの周囲で生じた。」

バガヴァンは、「私が病気を癒やすことができないならば、それは神もそうすることができないということである」と発言しました。


Q:あなたは、これらに同意しますか?

フレディー:現在は同意しません。

私がアンマとバガヴァン(A&B)の帰依者だった頃であれば、彼らのそういった講話や考えに、私は刺激を受けたことでしょう。

バガヴァンのそういった開示方法を私はわかっています。

それは、このムーヴメントの小分けにした一部なのです。

しばしば、帰依者達はバガヴァンについて非現実なイメージを投影して、誇大に考えたり、過度に期待するのです。


Q:バガヴァンは世界でナンバーワンのヒーラーではないのですね?
いくつか例を挙げていただけませんか?


フレディー:2002年スウェーデンで私がアーナンダギリのヨーロッパ初訪問を手配していた頃、彼は慢性的でとても痒い皮膚疾患がありました。

何も助けになりませんでした。

彼はバガヴァンの最も親しい弟子の2人の内の1人であるので(ほとんど息子のようです)、 私は、バガヴァンがアーナンダギリを癒すためのあらゆることをしたと確信します。

バガヴァンは、アーナンダギリの高額治療(バンガロールでのアーユルヴェーダの長期パンチャカルマ・トリートメントを含む)に、たくさんのお金を費やしました。

アーナンダギリがスウェーデンにやって来たとき、彼は数カ月に渡り、非常に強力な抗生物質を服用していました。

彼は、これらすべての治療によって改善したわけではありませんでした。

時々、彼は数日間連続で眠ることができませんでした(皮膚が乾燥して痒みが生じた)。

ストックホルムでは、私達は薬局で、痒みを緩和させるローションを買いましたが、それでも彼は幾夜か眠れぬ夜を過ごしました(私達が同じ住居に住んでいた週の期間)。

私はアーナンダギリと特別に親しかったので、彼を助ける方法に関して考え続けました。

彼は講義(1200人が参加した)をしなければならなかったし、この重要なイベントのために、彼にはしっかり休んで元気でいて欲しかったのです。

もし、このイベントが成功を収め、人々がアーナンダギリと彼のメッセージに惹かれるならば、おそらくバガヴァンはスウェーデンでナンバーワンのグルになるだろうと、私は夢を抱いていました。

突然、私は自然で簡単な民間療法(尿療法)を思い出し、それを試すようにアーナンダギリに伝えました。

毎日10分、彼の冒された皮膚に尿を塗るようにして3~4日後に、彼の病は治癒しました。

彼は、私にたいそう感謝しました。

バガヴァンが、病気あるいは死去した人々でさえも癒す約束をしたことについて無数の例があります。

しばしばバガヴァンは、彼に治癒/奇跡を願った人を、明確に/無条件に、治療しようと自ら付け加えました。

これらの自信に満ちた約束にもかかわらず、治癒が起こるのは稀でした。

治療結果は、ほとんど平均的な治療者(プラシーボ効果を含む)と変わりないように見えました。

これらの人々はバガヴァンが約束を守らなかったと気が付いた時ショックをうけました;
彼らはバガヴァンのパワーに対し(誠実さについてさえも)真剣に疑い始めました。

私は、当時2つの炎の間に立っていました。

一方では、昔に確信した、バガヴァンが生身の100%の神だということがあって、もう一方では、私は心から人々を心配しました。

バガヴァンが彼らをヒーリングして、亡くなる(ガンで)のを防ぐという約束を彼らに与えた直後に、一部の人々はガンで亡くなってさえいるのです。

バガヴァンがした全て、これらの約束の破棄を受け入れることは、容易でありませんでした。

それは、彼に対する私の完全な信仰と信頼への重い試練でした;
3~4日の尿療法で解消したような単純な問題において、彼の最愛の弟子(アーナンダギリ)を癒やすことさえ出来なかった時、私は、彼がこの惑星上で最も強力なヒーラーだという彼の主張は真実だったのかと深刻に疑いました。

私の内なる声は、バガヴァンは誠実さの欠片もなかった、と更に別の信号を送りました、しかし、いつも通り、私はその声を静まらせました。

奇跡を起こさないことやヒーリングをしないことは何もおかしくありません。

私は、治癒/奇跡がなぜ常に約束される必要があるのか、まったく理解できませんでした・・・

私は、悟りを得るために、バガヴァンのムーヴメントに個人的に加わっただけです。


Q:ヒーリングは別として、他の面はどうですか?

フレディー:ある男性(オリッサ出身のニルマル・パリジャ)がいました。

バガヴァンが突然グル/アヴァターとなったとき、学校で働いていた人です。

彼は、霊的でバガヴァンと非常に親しかったです;
数年後、彼はバガヴァンの唯一の弟子(パラマチャリヤ)の私的秘書になりました。

ほぼ2年間、私はバガヴァンの学校出身のアーナンダギリと2、3の学生と同様にチェンナイ(ジーヴァシュラムから250Km)の近くのアーシュラムでパラマチャリヤと暮らしていました。

そのアーシュラムの1年後、我々はバガヴァンのところ(ジーヴァシュラム)に移り住みました。

私は、この世で最も祝福された者であるような気がしました:
5ヵ月後(1993年9月)、彼が私に、世界の解放のために彼のメッセージを広め始めるよう頼むまで、私は毎日、多くの時間バガヴァンに会っていました。

バガヴァンは1989年7月19日に彼の霊的な仕事を学生と開始しました。

そして、すぐにジーヴァシュラムはアーシュラムにもなりました。

1年半後にバガヴァンが一般公開した、最初のコースに私は参加しました。

1989年、ニルマルは宇宙の創造にまつわる、多くの神秘的な経験をしました。

1992年、パラマチャリヤが私に語りました。

バガヴァンが彼らがヒンドゥー教の三位一体の3つの化身であると言った、と。:
バガヴァンはヴィシュヌ、パラマチャリヤはシヴァ、ニルマルはブラフマン(神の創造主においての様相)でした。

しばらくして、バガヴァンは神の階級制度を幾らか変更しました。

アンマ、サマダルシニ(バガヴァンの学校の優秀な生徒)とクリシュナ(バガヴァンの息子)は特別な神(=神々)になりました。

それであるが故に、彼自身は唯一神(キリストとモハメッドが祈っていた神)になりました。

2、3年後、バガヴァンは再びそれを変更することに決めました - アンマを新しい女神として現しました。

今や、彼女はバガヴァンと同様の偉大な神でした。

1991年末、私がパラマチャリヤと何人かのアシスタント、ニルマルと一緒にソーマンガラム・アーシュラムで暮らしていた時、バガヴァンの教えは、これまででない最高峰のものである、とニルマルが私に語りました。

私はパラマチャリヤのコースで深い体験を得ていたので、バガヴァンに対して大きな信頼がありました。

しかし今回、私は抗議しました。

私は、より深遠な教えを読んだし、より効果的な技術について耳にした、とニルマルに話しました:
“ 奇跡のコース ” 、ジェリー・ジャンポルスキー、ケンキーズJrなどはマインドとエゴについて深い理解を提供してくれました、と私は彼に語りました。

私は、バガヴァンの霊力が世界の頂点に位置することに同意すると付け加えました。

1991年、今日のようには、パラマチャリヤは教えに入れ込んでいませんでした。

現在の21日間コースは、その頃と比較してより深い発達した教えを持ちます、と私は補足しなければなりません。

私はそれが1995年だったと思いますが、バガヴァンが修道院の規律を持つことを決めて、まもなくニルマルがムーヴメントを離れました。

公式の脚色では、彼の後輩(今は修道僧達になったジーヴァシュラムの生徒)が突然、階級制度で彼より上になったので動揺したことになっていました。

ニルマルが離れる数年前、バガヴァンは「私達は結婚すべきだ」と彼、私、他の弟子(アーナンダギリ、サマダルシニ)に告げました。

ニルマルはバガヴァンの指示に速やかに従う人でした。

そして、彼はサンジャヤ・レディ女史と結婚しました。

バガヴァンはニルマルの選択(結婚)を承認して、彼とアンマはジーヴァシュラムで彼らの結婚式を整えました。

サンジャヤと彼女の両親は、ティルパティ・タウン出身でバガヴァンの帰依者でした。

子供ができた後まもなく、ニルマルは離婚しました[ インドでは非常に稀 ]。

私は、数年後にニルマルに会いました。

彼は貧相で、まるで何もかもがどうでもよくて気にかけず、人生に無関心なように私には思えました。

彼は見捨てられた(主にムーヴメントによって)と感じていると語りました。

彼は財政的に破産していて、生きるための居場所を持っていませんでした。

ヴィジェイクマール・レディ(サンジャヤの父)が亡くなった後、まもなくサンジャヤと彼女の母はバガヴァンの命令で修道女になりました。

あるコース参加者の少女は、彼女が私に恋をして、結婚することに決めたと公然とアシスタントに告げました。

他の弟子達は私をからかって、結婚するように要求しました(冗談で)。

アンマは、私が真剣に女の子の申し込みを受け取ったと思ったのかもしれません。

「見た目がよくないし、あなたの妻に相応しくないので、この少女とは結婚しないで」 と私のことを本気で心配して優しく伝えました。

余り者が結婚する前に、バガヴァンは私達が結婚することに関して彼の考えを変えました。

結婚とは別に、私たちの髪の毛と顎ヒゲを、昔の時代のリシ(ヴェーダの予言者)のように伸ばすよう、彼は更に私達に命じました。

この全てが変更された後、私が長髪と顎ヒゲを切った時、多くの人々が私を識別できませんでした。

短髪でヒゲを剃った私は10~20歳若く見えました。

私は、フレディーではなかったと帰依者の数人が冗談を言いました。
彼は私の父であったと。

また、何人かはこれを信じました。

彼らがこれを信じた時、私はフレディーが私の祖父であると隣の人に伝えましたが誰も相手にしてくれませんでした:(-_-;)


Q:バガヴァンは初めは1人しか弟子がいなかったのですか?

フレディー:そうです。1991年に私が彼らに加わったときは誰もいませんでしたが、パラマチャリヤがバガヴァンの弟子だったことが、しばしば強調して言及されました。

1年か2年後、1992年だったと思いますが、バガヴァンは少人数(公認)の弟子をとることに決めました。

それがアーチャリヤと呼ばれることになりました。彼は7名以上とりました。

そして彼らのうちの1人が私でした。

それ以外では:ギリバブ、ヴィマリキルティ、カウシカ、ラメシュ(バガヴァンの兄弟)、それと3名の女性弟子:サマダルシニ、アクシュヤマティ、マイトレイ。

私達は皆、改名しました:ギリバブはアーチャリヤ・シュリ・アーナンダギリ・バガヴァッドダーサ、私はアーチャリヤ・シュリ・フレディ・バガヴァッドダーサ。

バガヴァンは私のパスポートの名前ですら変更するよう命じました。

教育を受けて平凡に暮らしたいと考えたヴィマリキリティは、アーチャリヤをやめかけていました。

1年後(または、もっと後)、私がインドに戻ったとき、アーナンダギリ、サマダルシニ、おそらく他の何人かについても、彼らが独身で生きることができるかどうかバガヴァンに尋ねられた、とパラマチャリヤは私に伝えました。

その結果、今後すべてのアーチャリヤは純潔(思い、言葉、行動において)でなければならないとバガヴァンは決めました。

この公式なアーチャリヤ(使徒)の肩書きと、グルであらねばならないことに私は、既に心地悪さを感じていました。

多くのインド人(特にバガヴァンの帰依者)は、足元に平伏して祝福を願うでしょう;
それに、どうすれば思いにおいて純潔を保てるというのだろう、と思いました。

私は常に自然でありたいと願っていました。

私は、人々の行動と態度が言葉や教えと一致しないことが好ましくありませんでした;
私のハートは、私が偽善的な人生を送るのを許しませんでした。

それで私はアーチャリヤの肩書きを取り除くとして、それがOKかパラマチャリヤに尋ねました。

私は以前より一生懸命に働かないつもりではないと付け加えました。

私の肩書き「アーチャリヤ」が取り除かれた後でさえ、バガヴァンは私を西洋の使徒と呼び続けました。

今日では8人のアーチャリヤのうち3人しか残っていません:
アーナンダギリ、サマダルシニ、ヴィマリキルティ。(訳注: この3人も2009年に離れた)

1993年、バガヴァンは厳密な階級制度を設ける必要を決定しました:
アーチャリヤ、ダルマミトラ(インド人の地元のコーディネーター)など。

修道僧達に関して修道院の規則が設けられる1、2年前でした。
彼は、私が西洋において唯一の使徒である、と語りました。

そして僧の規則が作られた後、バガヴァンが他の幾人かはコースを海外でも開催できることにしたと私に話しました。

しかし、彼はヨーロッパと旧ソビエト連邦における単独の代表者となるよう私に要請しました。

これは、突然の変更でした。

2004年1月からバガヴァンは、もはやリーダーはいらない、誰もがリーダーであるべきだとしました。

しかしながら、ダーサズ(修道士と修道女)にはまだ階級制度での非常に特別な役割があります。

たまたま、あなたがVIPでもない限り、唯一彼らだけが無料でバガヴァンとアンマに会えるのです。
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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