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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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Q:私は、クリシュナを神童の如く描写したムーヴメントの歴史を読んだことがあります。

彼は、バガヴァンの大規模な悟り現象の場となった学校において、最初の “ 神秘経験 ” を得た人であった。

あなたは、それについて何かご意見はありますか?

フレディー:新しいバージョンをお伝えしましょう。

私がムーヴメントにいた最初の数年、バガヴァンは少なくとも9回、彼の名前を変更しました。

私が知っている9つの異なる名前は、以下の通りです:
パラマチャリヤ、バガヴァン、イーシュワラムルティ、イーシュワラ・バガヴァン、ムクテシュワラ・バガヴァン、シュリ・シュリ・バガヴァン、カルキ・バガヴァン、カルキ、シュリ・バガヴァン。

彼は私に、天の父を意味するロシア語での彼の名前を見出すようにも命じました。

そして、私達は彼を1年以上、ツェバオス(或いは、創造主ツェバオス)と呼びました。

スェーデンでそのようにするなら大勢から私達のムーヴメントを新興宗教扱いされるので、敢えてそうしませんでした;
一旦私達がそのような評判を得たならば、それは除去が困難なので、新興宗教のレッテルを貼られないように、バガヴァンは私に非常に慎重であるよう指示しました。

彼は、定期的に教えとアプローチを変えました。

しばらくの間、彼の教えは、悔い改め、原罪、告解を伴ったキリスト教に酷似していました。

突然それは変更されて、コースは心理的なトラウマ浄化のワークショップのようでした。

1992年、ジーヴァシュラムにおける “ 心理学 ” コース(1週間の合宿)で、バガヴァンはあらゆる心理学を取り除き、今は彼に帰依することに集中するべきだと朝に決めました。

私達は合宿の途中で全てのコースを変更しなければならず、そのような突然の過激な変更に参加者はかなりのショックを受けました。

バガヴァンの新たなメッセージは以下の通りでした:
「より多くの心理学とブロックの洗浄は、より多くの浅薄な結果を生むだろう。180度、方向転換する。」

私が出席した(1991年2月)最初のコース(合宿)では、大部分が長時間の瞑想、ヨガ、“ プラジャパティ意識の注入 ” と呼ばれていたディクシャで構成されていました。

[ プラジャパティは、ブラフマー(創造神)の息子の1人です ]。

数か月後、それはマハヴァキヤ[=生ける神の至高の言葉]が中心となり、バガヴァンが直接語りました。

10年間以上、バガヴァン、パラマチャリヤ、全てのアシスタントは、最初の体験を得た人がヴィジェイ・サガール(学校の敬虔な学生・12才)であるとコースの教えで伝えてきました。

パラマチャリヤとAGがヴィジェイ・サガールについて話った時、彼らはある種の預言者のように彼について描写しました。

今日では、彼らは、まるでヴィジェイ・サガールが存在しなかったように、彼に言及することを避けようとしています。

当然、彼らがヴィジェイ・サガールについて話すことを避ける理由について疑問が起こります・・・

何故バガヴァンはムーヴメント誕生の歴史を根本的に改訂したのか。

2000年に、私が初めて新しいバージョンを聞いたとき、実にショックでした 。

現在は、ヴィジェイ・サガールではなく、クリシュナが最初に神秘体験を得て、それを他の学生達に伝染させていたとされています。

バガヴァンは、ヴィジェイ・サガールが彼や彼のムーヴメントのことを悪く言うと気付いたのでしょうか?

バガヴァンは、その歴史を「矯正」する啓示を得たのでしょうか?

バガヴァンにそうさせた本当の理由はわかりませんが、一夜にして、私がいまだ知らぬムーヴメントの歴史に改訂させました・・・


Q:バガヴァンは、これまでにムーヴメントの名前も変更しましたか?

フレディー:何度も。

1990年、私はかつて彼らが一般大衆を対象に初開催したコースの小冊子を読みました。

アーシュラムは “ ゴッズ・アース ” (神の大地)と呼ばれていました。

そのコースは “ アヌグラハ ” と呼ばれていました。

サンスクリット語でグレースを意味します。

“ ゴッズ・アース ” という名前は新興宗教臭い響きだったので私は好きになれなかったことを覚えています。

私はどうして “ ゴッド・アース ” と命名したのか尋ねました。

バガヴァンは「人類に悟りを授けるつもりだ、誰もがキリストやブッダのようになるだろう。
これで人間は再び純粋になり、世界はもう一度、アダムとイヴの物語で描かれた素朴な姿に立ち返るだろう。」と私に語りました。

バガヴァンは破壊的な現代の文明社会に反対していました。

1992年、ムーヴメントは “ ザ・テンプル・オブ・ゴッド ” (神の神殿)と呼ばれるようになりました。

まもなくすると “ ザ・テンプル・オブ・ザ・ライト ” (光の神殿)に変更されました。

数ヶ月して、“ ザ・テンプル・オブ・シュリ・シュリ・バガヴァン ” (偉大な偉大なバガヴァンの神殿)となりました。

私はこれら全ての様々な名前を辿ることさえできないと思います。

1997年、アーナンダギリがムーヴメントを “ ザ・ファウンデーション・フォー・ワールド・アウェイクニング ”(世界の目覚めの財団)と呼ぶことにしました。

幾らも経たないうちに、おそらく2000年頃でしたが、“ リビング・イン・ジョイ・ファウンデーション ” (生きる歓び財団)と呼ばれました。

それからすぐ “ ゴールデン・エイジ・ファウンデーション ” (黄金時代財団)になりました。

および、バガヴァンは、それが正しいエネルギーを持っているので、あらゆる場所において、その名前でムーヴメントを呼ぶことを私に命じました。

それが黄金時代の到来、地上の楽園を加速化させるであろう、と。

長年、カルキが名前を変え続けたので、帰依者をかなり混乱させました。

それは俗称カルキ・ムーヴメントと呼ばれていました。

自分自身がカルキだと主張するグルがインドに300人以上いて、カルキだと主張することで刑務所に入れられた者がいるということをバガヴァンが知るに至りました。

彼は非常に用心深くなり、カルキと呼ばれて知れ渡らないようにしようとしました。

それは彼に強要され、人々は彼が拒んでも他の名前で呼ぶことを断りました。

カルキの名を持っているために刑務所へ入った人がいることを知るまで、彼は拒んだことはありませんでした。

それが事実です。

私が長年していたように、彼の兄弟のラメッシュでさえ彼をカルキと呼びました。

ラメッシュは、カルキ・バジャンカセット(カルキを賛美する信仰的な音楽)を大量に出版しました。

また、カセットを出版した会社(バガヴァン/彼の息子が所有)は、“カルキ出版社”と呼ばれていました。

私達が献金した信用組合は長い間、“ カルキ・トラスト ” と呼ばれて、それは少なくとも2004年まで活動的でした。

2、3年前、2004年のことだったと思います。

バガヴァンは、ムーヴメントをワンネス大学( “ ワンネス・ユニヴァーシティ ” )と呼ぶことに決めました。

その言葉は、作家カール・ジョアン・コールマン(ワンネスの祝祭の著者)がゴールデンシティーを訪れて、バガヴァンに会った後に思いついたものです。

私は、新興宗教の評判を得ないためにバガヴァンが用心深いことを知っています。

私の理解する限り、それが彼が “ ワンネス・ユニヴァーシティ ” という名前を選んだ理由です。

この名前がどれだけ続くかは時が示すでしょう。


Q:一時期、アーチャリヤ/使徒でもあったバガヴァンの兄弟について何か話してくれませんか?

フレディー:私は彼と個人的にとても親しかったです。

彼はとても優しく、謙虚で気さくな人でした。

彼は神の臨在を感じるために変容したがっていました。

幾つかのコースに参加した後、ラメッシュは、まだアンタリアーミン(内在神との交流)の目覚めを得ていませんでした。

バガヴァンは、彼がいずれにしてもアンタリアーミンを得ることが出来ないかもしれないと彼に伝えました。

バガヴァンは、彼は右脳と左脳の同期に問題がある、とラメッシュに言いました。

私はラメッシュをとても気の毒に思いました。

彼は取り残されたと感じているように見えました。

 [ 備考:1991年、内在神の目覚めを、アンタリアーミンとは言わず、“ マニフェステーション(顕示) ” と呼ばれていました(それ以前は “ バガヴァッド・サットシャタカラ ・アヌバーヴァ ” )。

今日 “ プレゼンス ” と呼ばれるようになるまで(7年間以上)はアンタリアーミンと呼んでいました ]。

アーナンダギリ、私自身、幾人かの人々はパラマチャリアのコースを手伝っていました。

バガヴァンが彼自身でコースを行うことはありませんでした。

私達は、ラーマムルティ(バガヴァンの義理の兄弟)のオフィスビル(チェンナイのアンナ・ナガール地区)でコースを開催していました。

このオフィスビルの上階は “ シュリ・シュリ・バガヴァン寺院 ” となりました。

ラーマムルティはインドで公式コース開催を許可された少数の1人でした。

初期のコースではパラマチャリヤだけが上級コースを開催しました。

グループはより小さなグループに分割されました。

ラメッシュは参加者の1人でした。

彼は、私に対して親近感を抱いていたので、私がガイドするグループにいさせて欲しいと頼みました。

コースの2日目か3日目に、私達は人々の恐れに取り組みました。

私は彼の恐怖を介してラメッシュをガイドしていました。

彼が最大の恐怖に直面した時、突然、彼の身体が震動し始め、床に横たわっている他の参加者の身体にぶつかりながらホールの反対側まで高速で転がっていきました。

私は彼のあとを追いました。

彼が完全に疲れ果てた状態で横たわっている時、私は、彼の頭に手を置いて祈り始めました。

ほとんどすぐに、彼は得ることが出来ないと告げられていたものを得ました。

このため、彼は、この時以降、私のことを“グルジ”(師匠)と呼ぶようになりました。

私達が会った時、彼はしばしばヒンドゥー教徒が伝統で行うようにして、私の足元にひれ伏しました。

彼が神の兄弟だったので、私にとってこれは非常に決まりが悪いものでした。

ラメッシュは、かつてバガヴァンが彼に告げたことを私に打ち明けました:
“ ラメッシュ、君は私を愛する以上にフレディーを愛している。
そうするのを止めなさい。君の霊的成長にとって、それは良くない。” 

「私は、ラメッシュがしたように私を愛して、賞賛する人には滅多に会うことがなかったことを補足しておく必要があります」。

とうとう彼の夢であった神との交流を得た後、ラメッシュはより活発にムーヴメントに加わることを望みました。

彼がアシスタントの1人になれるかどうかバガヴァンに尋ねると、バガヴァンは「はい」と言いました。

見習いとして、ラメッシュは誰かに訓練される必要がありました。

バガヴァンは彼の訓練担当としてアシスタントの誰を希望するかを彼に尋ねました。

そして、ラメッシュは私を選びました。

ラメッシュは最初の訓練生でした。

まもなく私達はチームとして一緒にグループをガイドするようになりました。

私達は一緒に働くことを好み、おおいに楽しみました。

他のアシスタント達は、ペアになって働きませんでしたが、どういうわけか私達は、彼の訓練が終わって独立が認められてからでさえチームとして働きたい気持ちがありました。

私達は、まるで同じ身体の2本の足のように感じていました。

このような一体感と友情を私達はお互いに体験しました。

私にはこのムーヴメントに多くの素晴らしい友人がいます。

私の伴侶(マドレーヌ)は、あなたが想像できる最高の優しさを持つ人です。

彼女がバガヴァンの帰依者と娘だったとき、彼女はより情熱的で優しく親しみやすかったです。

大きな違いは、もはや彼女が バガヴァンに魅了されることはないということです。

彼女が帰依者であったとき、彼女はバガヴァンのために何でもする準備ができていました。

彼女にとっての神であった彼が、彼女に山から飛び降りる(自殺する)よう命じたならば、驚きもせずに従ったに違いありません; 彼は、神だったのですから。

(彼は宇宙を創造したのだから、何が正しいかについて、遥か途方もなく、彼女よりわかっていたということでしょう。)


Q:あなたはもはやムーヴメントに属していませんが、バガヴァンの帰依者だった時のあらゆる友人、ディクシャギヴァーやラメッシュに対してどんな姿勢でいらっしゃいますか?

未だなおバガヴァンの帰依者である人に対して怒っていますか?

フレディー:私は、以前のようにラメッシュに対して温かい気持ちを持っています。

彼がバガヴァンの帰依者であるかどうかは関係ありません。

友情と宗教は私にとって2つのまったく別々のものです。

全ての人には、その人が何を求めて何を信じるか権利があります。

あなたは、私に怒っているかどうか私に尋ねました。

私の知る限り、そうではありません。

内側のレベルでは、私は未だに、以前親しかった人々に対して同様の愛を感じています。

彼らがバガヴァンのムーヴメントにまだいるかどうかは問題でありません。

外側のレベルでは、私がもうバガヴァンの宣教師ではありませんので、以前のように頻繁には彼らに会っていません。

帰依者の中には、私に失望している人もいます。

以前にしたように私が信じないので、ある人は私に怒りさえします。

私は彼らを裁かず、それを個人的なものとして受けとめません。

私は、彼らが実際には私に怒っているのではなく、私に関する彼ら自身のイメージに怒っているのを理解しています。

それについて(希望を持って・・・) 私にすることはほとんどありません。。


Q:今、パラマチャリヤはどこにいるのですか?

現在、彼は何をしているのでしょうか?

フレディー:僧の規律が作られた後、パラマチャリヤの役割は変わりました。

私がインドを訪れたとき(バガヴァンとパラマチャリヤと過ごすため)、私はいつも彼と多くの時間を過ごしました。

そのときのインドの旅で(1966年か1997年)、彼がもはやムーヴメントに関与していないことがわかって、私はショックをうけました。

彼は私の個人的なガイド(グル)でした。

私が個人でバガヴァンに会う以前、1年間を彼と過ごしました。

私はパラマチャリヤのことがとても好きでした。

彼がどうして離れたかについては、いまだに真相がわからないのです。

以前、1997~1998年になって、帰依者達と彼のアシスタント達は、彼に会わせようとさせませんでした。

なお、私は彼を尊敬しています。

彼に会いたいという私の欲求はしばしば激しいものでした。

したがって、私はかつて、彼に電話をかける特別許可を求めました。

私は、数分間彼と話しました。

まるで彼が私のグルとリーダーとしての古い役割を忘れたがっているようで、2度と電話をして欲しくないように感じました。

現在、彼はチェンナイで暮らしています。

新旧問わず帰依者達との会合やサットサングに出席したようなことは私は耳にしていません。

彼は長年、占星術の研究に熱心に取り組んでいました。


Q:私はアーナンダギリの講演記録を読みました(2006年、ロサンジェルス・カンファレンス)。

人生の初期、彼がまだバガヴァンの学校の生徒だった頃、内側の葛藤の不在と深い平和の状態をバガヴァンが彼に与えた、と。

「今日においてでさえ、彼にはブロックが見える」と、ある私のサイキックな友人は、言いました。

「アーナンダギリの状態はクリシュナ(ヒンドゥー教において最も有名で敬われるアヴァター)を含む歴史上のアヴァター(権現神)や偉大な神々の10倍以上高い」とバガヴァンが言うのを彼女は陳腐に感じました。

これについて何か言うことはありますか?


フレディー:1年間以上、私はアーナンダギリと共同生活していました。

私は彼と毎日、顔を合わせ語りました、時には何時間も。

彼が学業を終えた後も未だに一般的な葛藤を抱え、苦しんでいたことを私は知っています。

私は、このムーヴメントを推進する人々が大衆を魅了するために、神秘的で魅力のある物語を創作するのを見てきました。

彼らには、1つの考えがあります。

「人類救済計画を実現するためにバガヴァンは全世界を霊的に制覇しなければならない。」

1993年、1週間の長期合宿の間、私は自分が指導していた3~5人のグループに、異なるエクササイズを与えました。

2、3週間以前、同様に私自身のブロックに取り組んでいました。

私は偶然、大変役立つエクササイズを発見しました。

私は、自分のグループの幾人かでそれを試して、彼らにも役立ったか見ることにしました。

私は、これらの参加者の1人、シェイカル・ボルゴアンカル博士(バンガロールのコンピューター専門家)にこのエクササイズ(一種の懺悔)を与えました。

彼は深く変容しました。

2、3日後、バガヴァンは、シェイカルが完全に悟ったと認定しました。

シェイカルはその当時、ジーヴァシュラム学校(ここでバガヴァンは校長として暮らしていた)の教頭でした。

彼の変容の後、シェイカルは校長(カンナン氏)がこの懺悔エクササイズを通して悟りを得るための手伝いをしました。

まもなくコースは懺悔だけになりました。

バガヴァンは、彼らが公に全ての秘密の行為、意図、考えを懺悔した後、全員に(もしくは、ほとんど全員)完全で元に戻らない悟りを与えると言いました。

7日間の合宿コースの全員が自分達の全ての秘密を告白するよう命じられました。

何人かは、全グループの前で殺人さえ自白しました。

このムーヴメントが1991年2月(それは、1989年7月の秘教の“実験”として始まりました)に公になったあとの最初の1年半の間、パラマチャリヤはバガヴァンのコースを開催する許可を与えられた世界唯一の人でした。

ソーマンガラム村(チェンナイ空港から10Km)の私達が住んだ場所で、それらの大部分は開催されました。

しばらくすると、主にティルパティ、バンガロール、チェンナイにおいて、私達はこれらのコースを提供する旅に出ました。

ソーマンガラムのコースは、ディヤーナ・マンディール(注:瞑想寺院)で開催されました。

ディヤーナ・マンディール(10×10mの小屋)は最も神聖な場所でした。

そして、その場所にはキリスト教徒にとっての教会と同じような役割がありました。

それが当時、世界で唯一のバガヴァンの寺院であったので、St.ピーター大聖堂に喩えると真実により近いでしょう:
礼拝、祈り、“ 生ける神 ” への奉納のためにバガヴァンの等身大写真がディヤーナ・マンディールの祭壇に設けられました。

バガヴァンは、この写真にアヴァハーナムの儀式をしました。

彼は、写真に彼の意識を込めました;
これにより、もはや写真は身体的なバガヴァンと隔たりなく違いがないものとされました。

コースでは、私達は全ての参加者に写真を通じて「生ける神」と話をして、礼拝するよう要請しました。

彼らはまるでそれが身体的なバガヴァンであるかの如く、同じように礼儀正しく写真(シュリムルティと呼ばれる)を扱わねばなりません。

私達と参加者はプージャ礼拝(ヒンドゥー教の儀式)を写真に行いました。

1日に何度か、私達全員の全身を床にひれ伏した写真はバガヴァン自身でした。

しばしば、私達(アシスタント)は10分間以上、ひれ伏したままでいることがありました。

これは主バガヴァンへ向けて私達の全託としての外側の印でした。

1993年(3月頃)、アーナンダギリは彼の故郷ネロールで講義をしました。

彼は、バガヴァンが数カ月前に始めた大規模な悟りの新たな波について語りました;
本当にもうまもなく、全世界が悟ることになるだろう。

[ 私が覚えている限り、この波が2000年までに人類の完全な悟りをもたらすだろう、と私達は言いました ]。

アーナンダギリは、彼自身が1日足らずで最近悟った何百人のうちの1人であると語りました。

彼は、彼自身の悟るまでの物語を披露しました。

彼は、数ヶ月前に懺悔した全内容を聴衆に語りました。

彼が(以前に1年ほど)ディヤーナ・マンディール(主要な寺院)のバガヴァンの等身大シュリムルティがあった祭壇の傍でマスターベーション(自慰)していた(射精まで)ことと同様に一般的な性的妄想を含め、多数明かしました。

彼はこれについてとても気がとがめました。

それは彼が長い間抱えていた痛ましい秘密でした。

アーナンダギリと私はとても良い友人でしたし、彼を大いに愛していました。

私は、彼が公で個人的な秘密を明かすのを見たとき、彼の謙遜と勇気にとても感動していたのを覚えています。

これは彼に対する私の愛と敬意を深めました。

彼が1年以上の間抱えていたアーナンダギリの大きな罪の意識は、彼の自己葛藤のちょうど1つの例でした。

彼が学校の学生であったずっと後に、これは起こりました。

更に、私は、彼(彼の親友クリシュナ - バガヴァンの息子と一緒に)が動物、特に犬に乱暴であるのを見ました。

私は、彼が犬に意地悪するのを何度か目撃しました。

かつてソーマンガラムにおいて、彼は犬を叩いていて、犬が泣き叫んで怯えきっていても止めさえしませんでした。

それはとても不道徳であると感じたので、私は彼に止めるように頼みたかったです;
しかし、バガヴァンへの私の帰依は、バガヴァンの重要な使命において些細なことだとして、バガヴァンの2、3番目に親しい弟子を諭そうとするのを私に許しませんでした。

私は、バガヴァンがとにかく人類に悟りを与えるだろうと「わかっていました」。

つまるところ、アーナンダギリはバガヴァンの救済計画に携わる中心人物の1人でした。


Q:ちょっと待って下さい、私は完全に理解できませんでした。

何回アーナンダギリは、悟りを得たのですか?

時系列順ではどうなっていますか?

まず最初に何があったのですか、悟りなのか懺悔なのか?


フレディー:それを明確にしてみましょう。

私達は物語を3つの段階、あるいは時代に分割することができます。

13才、15才、16才。

・2006年のロサンジェルス・カンファレンスで、アーナンダギリは、学生(彼が12~14才だったことを意味する)の頃として、彼が深い内部の平和(葛藤がない)の永久的な状態を得たと言いました。

・15才の時、彼はもはや学生ではありませんでした。

その頃の彼は、パラマチャリヤ、ニルマル、私自身、数人のアシスタントとソーマンガラムで暮らしていました。

これは、彼が寺院でマスターベーションを行った頃で、“ 罪の地 ” で演じられた行為のため罪悪感に満ちていた頃です。

・16才の時に、彼は小グループ(バガヴァンと関係が深い人々から形成される)の前で、マスターベーション、性的妄想などを懺悔しました。

数か月後、彼は5千人の前で、「1993年1月の懺悔の後、永久的な内部の平和(=悟り)を与えられて今日に至る」と伝えました。

および彼は、悟りに先立って、罪の告白をしたことになります。

彼は、元に戻らない完全な悟りに幾度も達したことになります。

14才以前、16才の頃、バガヴァンが2005年にアーナンダギリを偉大なアヴァターと認定するまでの18~20才の間。


Q:私は、あなたが今おっしゃったことから、永久的な悟りが永久的である必要はないと理解しました。

2005年に神と認定されるまで、アーナンダギリの悟りは学生だった頃の最初の悟りから、徐々に深くなっていったのですか?


フレディー:私は、真実、教え、アプローチ、名前、歴史などがバガヴァンによって絶えず変更されていると既に言及しました。

13~14才の頃、アーナンダギリは人々が悟りとしてしばしば理解するものと類似している彼の状態を述べるようになりました。

[ 私は、バガヴァンが彼をその年齢で悟ったと宣言したとは思いません。]

2、3年後、1993年に、バガヴァンは、アーナンダギリが永久的に悟ったと宣言しました。

ほどなくして、アーナンダギリと他の数百人の「悟った」帰依者は、バガヴァンが永久的であると言ったことは実際には一時的なものであるのに気付きました。

数年後、1997か1998年頃に、アーナンダギリは再び悟った教師として打ち出されていました。

バガヴァンは、しばしば人々が永久的な最高の悟りを得たと宣言しています。

“悟った”人が再び落ち込むとき、バガヴァンはそれについて話さないようにします。

バガヴァンが永久的な悟りと呼ぶものについて、私は、むしろ “ 悟ったとみなされるものかもしれないし、そうでないかもしれない。
永久的であるかもしれないし、そうでないかもしれない変性意識状態 ” と呼びたいです。


Q:1993年における悟りのプロセスについて、もっと話して下さい。

フレディー:1993年の新年の後、バガヴァンは大規模な悟りを人類に与え始めました。

1992年10月、チェンナイ(バラロクと呼ばれる)の学校全体で、私達のプログラムが開始されました。

その学校の所有兼、運営者であったバート氏とヴァニータ・バート婦人の夫妻は、校長と教頭でもありました。

彼らは、私達のコースに出席するように全ての学生に奮い立たせたか、あるいは命じました。

200~400人の学生の中には、小グループでコースに来た人もいました。

或るものは1993年の新年、後の人に先行しました。

すぐに、バガヴァンは、ほとんど全ての学生が悟ったと宣言しました。

学生は12と15才の間でかなり若かったです。

当時、アーシュラムのアシスタントと滞在者の間で、私は悟れなかった唯一の者でした。

大規模の悟りがスタートした前に、1992年、私達のコースに参加した学生へ悟りを転写するために、パラマチャリヤとアシスタントは1993年1月にバラロク学校を訪れました。

私は悟ったと認定されなかったので、その状態を転写することが出来ない唯一の者でした。

バガヴァンの大規模な悟りの波は今や始まり、すぐに数百万、数十億の人々にそれが起きることになっていました。

私達の喜びは限度がありませんでした!

私達は、長い間これを待っていました!!!

けれども、数カ月後、私達は皆、バラロク学校の学生と参加者の大部分と同様にいわゆる悟ったとされるアーシュラム滞在者が、様々な問題と苦しみについて不満を訴え始めるのを見ました。

彼らが全く悟っていなかったのが明白であり、1993年1月に得ていたどんな状態であれ一時的であったに過ぎませんでした。


Q:2004年にディクシャが取り入れられるようになったほんの数年前、バガヴァンは大規模に悟りを与え始めたのではなかったんですか?

フレディー:それは、波のごとく行ったり来たりしました;
現在まで、常にそれは失敗に終わっているのです。

代わりにバガヴァンは、人類が彼の恩寵などへの準備ができていないとして、それが少し遅れる理由についての弁明を考え出すことは遅くはありません。

1999年の12月3日、私は、主にアーナンダギリによって行われた、30日間の悟りコースのために120人のロシア人と10人のスウェーデン人のグループをネーマンに招きました。

コースをの半分はシュリ・アーチャリヤ・コウシカ・ バガヴァッドダーサによって行われたコースを洗う7日間、コウシカは、「バガヴァンがこのコースの全員がコース終了までに悟っているだろう。
いかなる例外もなく! と言った」と私たちに伝えました。

私達は皆、歓喜してお祝いしました。

皆は1日あたりおよそ18時間続いた講習にでさえ更に熱心に参加し始めました。

これは驚愕のニュースでした。

大勢の人々が、意気消沈していて、悟りは彼らにとって唯一の重要なものでした。

私は、今度(私が悟りを約束されたのはこれで4回目だったと思います)悟れないならば、直ちにこのムーヴメントを離れると心の中でバガヴァンに言いました。

コースが終了した時、私は自分自身の目的のために落胆しているだけでありませんでした。

私は、悟れなかった128人(全参加者130人)の前で、ものすごい恥を感じました。

私は、もちろん誰にも自分の悲しみを見せませんでした。

何と言っても私は、バガヴァンへの信用と信頼について、彼らの源であらねばならないリーダーでした!

悟ったとされる2人のロシア人女性は、後に彼女らが実際は悟っていなかったことを打ち明けました。

かわいそうな128人のロシア人とスウェーデン人の大部分は、困惑して沈みきっていました。

バガヴァン、彼らが信頼を置き期待したその人は、人々を解放するという約束を果たしませんでした。

大勢はバガヴァンが約束を守らなかったので激怒しました。

そして、何人かはムーヴメントを離れさえしました。

腹を立てた全員が、バガヴァンばかりに腹を立てているとは限りませんでした。

幾人かは、代わりに私に対して腹を立てていました;
私が彼らを励起したので、彼らはコースに参加しました。

私はバガヴァンが神で、完全に信用できると彼らに約束した1人でした。

私は彼らに約束したし、彼らも私を信頼のおける人と見なしました。

2001年と2002年にサティヤローカのプロセスに参加した、ある著名なスウェーデンのセラピストが彼のバガヴァンとの経験にコメントしたものをEメールで記しました。

“ 2001年、サマダルシニが言いました。

「2006年までに6万人の人々が悟ることになる」と。

2002年2月、私はサマダルシニに尋ねました。

「計画しているようにすべてがうまくいくんだろうか?」

すると彼女は答えました「間違いなくそうなります。遅くとも2006年までに6万人が悟るでしょう」 ”。

2006年、バガヴァンは、もし参加者が悟った(21日間プロセスの間に)ならば、修道僧の幾人かが参加者の脳で霊的に確認できると言いました。

彼らは、参加者が悟りにどれくらい近いかについて見ました。

脳の頭頂葉は、悟った人と認定されるためには18%以下に閉じた状態である必要があります。

もし、あなたが悟ったと認定されないならば、頭頂葉の開放度合に応じて、あなたがいつ悟れるかをバガヴァンが伝えることになります(正確な年月日さえ告げられました)。

2006年1月、私の友人の何人かは悟りが確実に彼らに起こるとされていた特別なプロセスのために、同年9月にゴールデンシティーを訪れるよう要請されました。

しかし、何も起こりませんでした。

私は、バガヴァンがこの時どんな説明と言い訳を出したか、友人に尋ねるのを忘れました。

更に私は、頭頂葉が十分に閉じた状態で(バガヴァンによれば)、悟ったと認定された人々を知っています。

しかしながら、彼らの状態に変化はありませんでした。

バガヴァンは彼らを悟ったと認定した(彼らはただバガヴァンを信じました)ということでしたが、彼らは以前と同様に苦しみと分離感を感じました。

大規模な悟りのための “ ディクシャ道 ” の、ここ最近3年間で幾つかの変更がありました。

少数の例がここにあります:

まず第一に、2004年、バガヴァンは2012年までに地球上の全ての人々が悟ることになると言いました。

1年ちょっと後、これは変更されました。

現在バガヴァンは、2009か2010年までに6万4千人かそれ以上がワンネスの状態(悟りの最高の形態)にあり、彼らは2012年までに人類を苦しみ(内側の)からの解放の状態に通過させることが出来るだろうと言いました。

[ 内側の苦しみの解放はバガヴァンによれば、悟りより非常に “ 低い ” 状態です。]

今日では、その予測は更に楽観視できなくなっています:
私はバガヴァンの公式サイトを読んだところです。

“ ・・・黄金時代は間違いなく2012年までに産声を上げるだろう ”。
この延期は必要に応じてバガヴァンが数年前(数十年でさえ)から変更を加え続けてきたことです。


Q:あなたは、参加者達(バガヴァンが彼らと約束した後、悟りを得なかった)の面前でものすごい恥を感じたと言いました。

あなたは、インドに彼らを連れていったことを後悔しませんでしたか?


フレディー:今日、私はそれを後悔しています。

もし私が熟知していれば、そうしなかったでしょうに。

私はバガヴァンと彼の人類救済計画について、とても熱狂的になっていました。

私は彼のメッセージと教えを15年以上の間、数え切れないほどの人々に伝え広めました。

多大な不要の苦しみをもたらしてきましたし、彼ら全てに十分に謝ることが出来ず悲しいです。

私に刺激され加わった大勢を間違った道に先導してしまいました。

私は他者を導く盲目の男でした。

私がこのムーヴメントを離れた時、最も簡単なのは、いかなるコメントもせず、全部のことを放って、平凡な職に就いて消え去ることでした。

しかしながら、私はウェブサイトを立ち上げて、私の無知による誤ちを償いたいという思いで、これらの質問に答えました。

私が人々をネーマンや他のアーシュラムで提供されたバガヴァンのコースに行く気にさせた理由は、私がバガヴァンの信じられないくらい素晴らしい約束は彼の本心からであった、と信じたかったからでした。

この信じようとすることは潜在意識でのことでした。

顕在意識において、私は本当に信じたと思いました。

ネーマン事件は、バガヴァンの不注意な振る舞いの多くの例の1つに過ぎません。

そうした事件は、いつも私を苦痛で満たしました。

しかし、 バガヴァンが彼の約束(人類に完全な悟りを与える)を果たす見込みがある限り、私はそれを受け入れて許すことができました。

そうして他の全ては、二の次になりました(他のバガヴァンの過去の言動と比較して、比較的穏やかな非倫理的な振る舞いであったネーマン事件を含む)。

バガヴァンが人類に悟りを与えなかった場合、全ては砂上の楼閣のように崩れ落ちるでしょう・・・

私の意見では、そのとき彼は今日の大勢のいかさま師と偽予言者のチームに加わるはめになるでしょう。

私は、バガヴァンが本物であると期待して最後の最後まで信じていました。

1年前(2006年)、砂上の楼閣は崩れ落ちました・・・

それは少なくとも、私がどう理解したかということです。


Q:私は、バガヴァンが西洋の帰依者に長期間のフルータリアン(果食主義者)になるように勧めたことによって、亡くなった人がいると聞きました。

正しいですか?


フレディー:2001年、インド国外でのムクティヤグニャ(悟りの合宿)を開催するために4人が訓練をうけました。

彼らのうちの1人が私でした。

そのムクティヤグニャは1999年にネーマンで開催された30日間コースと同じコースでした。

それはかなり短く、7日間でした。

この7日間の合宿(ムクティ3)に参加するためには、人々はこれ以前に2つのコースを終えている必要がありました。

私はそれらのコースを、ムクティ1、ムクティ2と呼んでいました。

バガヴァンが語るところによれば「大勢が悟りを得るだろう」とされていたコースがムクティ3でした。

それにもかかわらず、悟りを得る人はいませんでした。

バガヴァンは18/36カ月間プログラムを打ち出しました。

それは西洋の帰依者のためにロジカルに、18カ月間プロセスと呼ばれていました。

私は単純にムクティ4と呼んでいました。

プログラムに一定期間、従うならば、18、36ヵ月のプロセスのどちらでも確実に探求者を悟らせるということでした。

18/36ヵ月間プロセスに乗り出す前に、バガヴァンによる身体的なタッチ(それは、祝福、或いは伝授のように見えました)を必要としました。

それは、2002~2003年のゴールデンシティでの、いわゆるダルシャンツアーの際に無料で与えられました。

ロシア人は、とても情熱的な人々です[私がロシア人と言うときはいつでも、旧ソビエト連合時代からの人々に言及します]。

私は、大部分のロシア人がムクティ3を完了した直後にムクティ4(18/36ヵ月のプロセス)を始める覚悟が出来ていることにも驚きませんでした。

私はこれをアーナンダギリに伝えました(彼はバガヴァンに報告しました)。

そしてバガヴァンがそれをより単純にしたとき安堵しました。

彼は、「ムクティ4プログラムの参加希望者の写真、名前、年齢などをEメールで送れば十分である、そうすればバガヴァンは彼らの写真のプリントアウトに触れて、彼らを悟りにイニシエートする」と言いました。

18ヵ月のプロセスは、100%の果物(ドライフルーツを除く)ダイエット、(ナッツは許容された)、毎日1,5~2時間の瞑想を含み、厳格な禁欲を必要としました。

一度でも間違った食物を食べるならば、全プロセスをやり直さなければなりませんでした(新たに18カ月)。

多くは、深刻な健康問題(無気力を含む)に陥りました。

幾人かは、家族を心配させて病院に入れられました。

人々は体重が激減し、幾人かは典型的な食欲不振のような兆候が見てとれました。

激しい抗議の数ヶ月後、バガヴァンはこの18ヵ月のプロセスを中止しました。

彼は、その代わりに18ヵ月のプログラムの全員に36ヵ月のバージョンに変更するよう頼みました。

それは瞑想の時間は同じでしたが、ダイエットは極端さをなくして1日に1、2度の健康的な菜食主義の食事と成りました。

禁欲は、3年の最後の6ヵ月だけ従えばいいことになっていました。

彼らは宇宙、神と合一したがっていたので、ロシア人の90%以上は当初18ヵ月のプロセスを選びました。

10%以下はより長いバージョンを選びました。

人々は、しばしばバガヴァンの真の意図に疑問を持ちました。

以下のような疑問がありました。

これらの実験は危険過ぎたり極端だったのではないか?

“モルモット”として罪もない人々を利用することは倫理的であったか?

これは、バガヴァンが起こりうる結果を熟知していなかった極端な食事とライフスタイルを含む最新のプロセスでした。

これらを快く受け入れられる人ばかりではなく、彼らの大部分はこの厳しいライフスタイルを実践する気にさせた人に全託しました。

彼らにとってバガヴァンは待望された世界の救世主でした。

彼の言葉は彼らの法でした。

必ずしも誰もがフルーツダイエットで気分が悪くなるとは限りませんでした。

悟りたくてしょうがなかった幾人かは困難な食事やライフスタイルを気にかけませんでした。

そのため、突然バガヴァンが18か月のプログラムを中止した時、大多数の“フルータリアン”を大きく失望させました。

これは、私がバガヴァンの弟子であった15年間で何度も見たパターンです。

バガヴァンは世界を救うための新しい方法を思いつきます。

1つの「実験」がうまくいかなかったり、一時的な結果だけで人々の中に埋もれていく場合、すぐに彼は新しいプロジェクトを始めます(神がかったかのように自信満々で新たに極端な約束を交わす)。

彼と弟子は、大規模な悟りを与えるための“絶対確実な”アプローチを毎新することに余念がなく、昔の失敗は容易に忘れることができます。

今回バガヴァンが間違いなく人類を悟らせるのだとしたら、どうして私達が過去について考える必要があるというのでしょう?

「フルータリアン」実験は1年間ちょっと続きました。

幾人かのロシア人、スウェーデン人などは18カ月の極端な生活の達成までほんの数カ月でした。

残り数カ月で、約束の報酬(元に戻らない悟り)に達するはずでした。

ロシアでは新鮮な果物が全食品において最も高価だったので、18ヵ月のプログラムは困難を極めました。

シベリアと多数の小規模な場所においては、特に冬と春の時期、ごく僅かな種類しかありません。

大勢が貧しく最も安価な果物しか買う余裕がなかったので、彼らのダイエットはとても単調になりました。

この食事制限(平均給料の2倍くらいまで費用がかかる)のために借金しなければならない人もいました。


Q:どれくらいの人が、18もしくは36ヶ月間プロセスで悟りを受け取ったのですか?

フレディー:悟りを受け取った人がいるとは耳にしませんでした。

バガヴァンが18&36ヵ月間プロセスの全ての方法を中止したことを知らずに、終わりまで忠実に従い続けている者すら複数いました。

[当時、ロシア人の多くは、電子メールやインターネットアクセスをしませんでした。]

2004年1月、バガヴァンは21日間プロセスを開始して、全ての旧コースとプロセスを中止しました。


Q:あなたは、「多くのフルータリアン(果食主義者)がプロセスの間に不満を言った。
そして、バガヴァンがそれらを中止したとき、大多数が不満を言った」と言いました。

これは、矛盾していませんか?


フレディー:大部分のフルータリアンの不満は、実際には不満ではありませんでした。

彼らは機嫌の悪い眠っている赤ん坊のようでした。

まったく深刻でありませんでした。

大部分のフルータリアンは、全く18ヵ月のプログラムを破壊するつもりはありませんでした。

フルータリアン・プロセスの困難と危険性は、まもなく彼らを待っている永遠の悟りの信じ難いほどの報酬と比較して、彼らにとって、ごく小さな投資でした。

バガヴァンにそれを中止することを決断させたのは、多数のフルータリアンを心配する家族がいたことと、深刻な病気になった少数派の叫びでした。
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Q:21日間コースは、どのように始まったのでしたか?

フレディー:それらは18カ月のフルータリアン・プロセスをそのまま延長させたものでした。

探求者は、まず最初にゴールデンシティー(バガヴァンが住んでいる巨大なアーシュラム)の10日間プロセスに参加しなければなりません。

10日間プロセスで悟れなかった人は、絶対確実な21日間プロセスに参加することが出来ました。

しかしながら、21日間プロセスに参加するには、10日間プロセス終了後から最低6カ月間が経過している必要がありました。

2003年10月、アーナンダギリは、ヨーロッパや旧ソビエト連合から探求者を招くことができると電話で私に伝えました。

10日間プロセスの参加費は1000USドルと決定されました。

多数(ほとんどではないにしても)がこの10日間プロセスで悟ることが期待できる、とアーナンダギリは言いました。

彼がそのような重要な情報を与える場合、単にバガヴァンの言葉を繰り返していることを私は知っています。

彼は、どんな重要な決定も独自に判断しなかったはずです。

21日間プロセスで、バガヴァンは、修道僧達に手伝わせ、探求者が完全(元に戻らない)に悟ることを遅らせる全てのカルマとブロックを取り除こうとしました。

バガヴァンが「21日間プロセスで悟り(誰もが確実)を得るために、人々は必ずしもバガヴァンの帰依者である必要はない」と言ったことに私は大いに安心しました。

2004年1月5日に始まることになっていた最初の10日間プロセスの前(1カ月未満)に、アーナンダギリは、私にメールで10日間プロセスが中止になったと言いました。

バガヴァンは、代わりに人々は直接、絶対確実な21日間プロセスに参加すべきであると決めました。

私はアーナンダギリに即答しました。

「こんな間際になってから10日間プロセスが中止になるとすれば、人々は怒ってバガヴァンのムーヴメントについて悪く言うに違いない。

ほとんどの人々が既に往復切符を買ってしまっているし、もし仮にチケットを取り消したとしても大勢はお金を取り戻すことができない。

21日間プロセスに参加するにしても、既に固定された帰航の日付を変えるのは、やっかいだし費用もかかるだろう。」

そして、チケット代金を取り戻すことができた人の大部分(特に貧しいロシア人)には、11日分のコース日程の追加に必要な4000USドルがありませんでした。

帰依者の幾人かは1ヵ月につき100~200ドルの稼ぎしかありませんでした。

そして、彼らはゴールデンシティーを訪れるために長い間節約していました。

彼らが衣食住に1ドルも使わない限り、5000ドルを稼ぐにはしばしば、2~4年かかります。

5~10年間の節約生活を継続して、ようやく5000ドルが捻出できるのです。

彼らが有能であるならば、大部分の旧ソビエトの帰依者は、何はともあれ借金しました。

彼らが完済するのは5~10年かかるかもしれません。

ある者は破産しました。

別の者は、やむなくアパートなどを売るはめになりました。

それが決定された当初、アーナンダギリに10日間プロセスの維持を説得するのは容易でありませんでした。

しかし、私側からの強い押しに負けて、最終的に彼は合意しました。

彼らは2つの異なるキャンパスで同時に10日と21日のコースを平行して開催しました。

バガヴァンは、21日間プロセス参加者の多数を悟ったと認定しました。

しかし私が知る大部分(グループの半数)はまもなくすると意気消沈していました・・・。

彼らがそれぞれの国々に戻った後、誰に不満を訴えたのでしょうか。

彼らは修道僧達とやりとりせず、彼らにコース参加を奮起させた私のところへやって来たのです。

私は、彼らを慰めるために最善を尽くし、とにかくバガヴァンが人類の歴史における最強の神の化身であることを信頼してこの道を放棄しないようにと励ましました。

彼がこのコースであなたに悟りを与えない場合、もう少し苦しみを味わった後、かつてない程の深い状態を準備しているに違いない。

あなたはすごい強力で深いプロセスに年に1度参加し続けてこれた。
2012年までに間違いなくそれがあなたに生じているだろう、と私はしばしば付け加えました。

[この世界の誰もが彼の恩寵によりその時までに悟っているだろうとバガヴァンが言ったように、私は彼らが2012年までに悟ると “ わかっていました ” ]。

人々を慰めるために私が言った全ての言葉に確信があったわけではありませんが、彼らにバガヴァンおよび人類に悟りを与える彼の力に対する信頼を失ってほしくありませんでした。

時々、人々は絶望的になってバガヴァンに激怒することさえありました。

プロセスとバガヴァンの約束に失望させられたために自殺しようとした人もいました。

彼らを落ち着かせて、バガヴァンの悪い噂が広がらないためにも、「精神的な苦しみを通過することはいいことで彼らの途上でまもなく訪れる悟りの助けになる」、といったように誇張する以外の方法が見つかりませんでした。

バガヴァンを信じるならば、それが彼らに利益をもたらす世界で最善のことだと思っていたので、私はそのように言いました。

バガヴァンとアーナンダギリは、悪意のない嘘が必要なこともある、と私に知らせました。

長い目で見れば助けになり、高次の目的に叶う時はいつでも悪意のない嘘を使うことは賢明でありえました。

全人類の究極の悟りより優れた目的などありえたでしょうか?

もし、これらの失望(混乱)した探求者/帰依者がバガヴァンの悪口を言ったならば、人類の悟りに遅れが出るだろう、と私は推論しました。

21日間プロセスの後、かつてなかったほど大勢が深い落ち込みに入りました。

なぜ大多数が深い落ち込みに入ったかという弁明にバガヴァンは大きな概念を導入しました:
“ 魂の闇夜 ”。

「その深みは、あなたが魂の闇夜に入ったということ、いったんバガヴァンが悟りを与えたことで、いっそう深くなっていくだろう。」


Q:これらのプロセスのコインの裏側について幾つかの詳細を示していただけませんか?

フレディー:2004年1月、最初のプロセスが開始されたとき、私はゴールデンシティーにいました。

10日間プロセスのキャンパスで私は生活していました。

自分の家族を含めた100人の参加者と定期的に集まって勇気付けていました。

アネット・カールストロム(西洋においてバガヴァンの布教で最も活動的な成功者の1人)は、特別なプロセスの間もそこにいました。

彼女は、10日間プロセスの間に精神病になった身内の家族を連れてきました。

アネットの家族が暴れていないかどうかを見てから、彼らがバガヴァン(あるいは彼の悪口を言う)を離れないように、私は人々の心配を和らげなければなりませんでした。

レーヒャム・ ディクシャが与えられたあと、プロセスの終わりに彼女は変容しました。

私が彼女と話したとき(彼女の変容の翌日)、彼女は「神と1つになった。いたるところに神をみた。」と言いました。

バガヴァンが「悟りに誘う至高体験」と呼んだもの彼女が体験したのだと私は思いました。

しかし、その翌日、彼女は非常に奇妙な行動を取り始めました。

彼女が発言したことの主旨は、以下の通りでした:
彼女は薬物を投与されました(レーヒャム)、そして、バガヴァンは彼女と他者をマインド・コントロールしていました。

彼女は、皆にこの危険な場所(ゴールデンシティー)を去るよう頼みました。

人々が彼女の話を真にうけなかったとき、彼女はますます怒り、狂暴にさえなりました。

私の知る限りでは、そのプロセス(コース)後の1年、彼女はずっと精神を病んでいました。

これ以前に精神安定剤を飲んだこともなければ、精神病院(心療内科)を訪ねたこともなかったとアネットは私に告げました。

チェンナイ空港の職員達が、すぐにバガヴァンへ苦情を述べました。

21日間プロセス参加後、精神異常の状態で空港にやってきた西洋人達について知りたい、と彼らはゴールデン・シティーに連絡しました。

バガヴァンが修道僧達を通じて、精神異常者が出た場合は空港で同伴(アネットの家族を含む)することを私の友人のアニー(とても落ち着きがあり、心理的にバランスがとれた、スウェーデン人の美人助手)に命じたことを私は知っています。

バガヴァンに関する悪い噂が当局に広まってはならないので。

アニーは空港までずっと、精神異常者に語りかけて彼らを落ち着かせ、空港内で同伴して助けます。

彼女の重要な任務のうちの1つは、彼/彼女(精神異常者)が、バガヴァンのアーシュラムへ行ったことがあり、精神異常が始まったのはバガヴァンあるいは21日間プロセスのためだと口述するのを回避することです。

ヨーロッパでの例を挙げれば、ディクシャをうけた後(短期、単発でさえ)、精神病になった人達がいます。

幾人かは精神病院に入院しなければならなくなり、更には自殺した人もいました。

どれくらいの事例があるのか、私は知りません。


Q:いまだに人々は、ディクシャを受けた後で精神病になっていますか?

フレディー:バガヴァンの帰依者で私に救助依頼してくる人は、まだ時々います。

2日前、あるロシアの男性から電話がかかってきました。

私がこのムーヴメントにいた頃、彼の居住区で開催したディクシャコースのほとんどに彼は参加していました。

たいてい、いつでも彼は多くの初参加者を連れてきました。

彼はムーヴメントに関わり続けていますが、私達はよき友人です。

(2007年)5月、ウクライナで、彼の若い娘がディクシャ合宿に参加しました。

その合宿後、彼女は2週間ほど行方不明になりました。

彼女の両親は彼女を発見できず、たいそう心配しました。

ようやく彼女が家に戻ったとき、夜中4時間しか眠りませんでした;
彼女は早朝に起床するとバガヴァン・ヨガを行って、1日中ムーラ・マントラ(バガヴァンの主要なマントラ)を復唱したりバガヴァンに祈り続けました。

両親が無理強いしようとも、彼女は飲食物を口にしませんでした。

ウクライナの合宿に出発する以前は、彼女自身がありました。

彼女が戻ってきたときは、彼らは彼女を認識することが出来ませんでした。

彼女は話すことを避けて、完全に内向的になっていました。

彼らは、ウクライナでのコースを指揮したディクシャギヴァーに電話をかけて何をしたのか尋ねました。

彼は、いったん始まったプロセスを止めることは難しいだろうと回答しました;
「それは浄化のプロセスで時間を要する」と彼は答えました。

両親は彼女が死んでしまうことを怖れて、幾人か地元のディクシャギヴァーに電話してアドヴァイスを求めました;
彼らは3日後、彼女の家を訪問すると約束しました。

彼女が水分さえ飲まないという差し迫った状況だったので、両親は私にアドヴァイスを求めることに決めたのでした。

ロシアからスウェーデンまで携帯電話をかけるのは、彼らにとって半端なく費用がかかったでしょうけれど。

もし私が彼らであるならば、柔和な口調で、精神病院に入院させなければならないかもしれない、と「彼女をこわがらせる」だろうと両親に話しました。

これは、彼女をアースさせて、幻想世界から連れ出させる望みがあります。

私は、ただちに精神科医に彼女を連れて行き、アドバイスとおそらく薬を得ることを彼らに勧めました。

彼らは、同日、精神科医へ行きました。

その日のうちに娘は家に戻りました。

特に彼女が病院にいたとき、しばしば彼女は繰り返していました; 
“ バガヴァンのところに行かせて。バガヴァンから離さないで ”。

彼らは彼女が洗脳されて、彼女自身を見失っていたのだとわかりました。

その翌日、両親が再び私に電話をかけてきて、「医者の診療をうけた後、薬を服用したら彼女はとてもよくなり、飲食し始めました。」と報告しました。

きっと完全な精神病に追いやられていなかったのがよかったのでしょう。

最も肝心なことは、彼女が飲食し始めて、手が届くところにいたということでした:
彼女は、再び両親と会話をし始めました。

人々が“ディクシャ精神病”になった時、修道僧達とディクシャギヴァー達からの最も一般的アドバイスは、ただバガヴァンを信頼して、その全てを彼に委ねることになっています。

私は、これが助けとなるのを見たことがありません。

いつも私は、誰かがディクシャ精神病にかかるとき、即時の専門家の支援を提案します。

バガヴァンを訪問した或る女性がいます。

彼女はロシア、ヤロスラブリ町の出身です。

ヤロスラブリに戻った直後、彼女は絶えずバガヴァンのムーラマントラを復唱するようになりました。

彼女がムーラマントラを中断するとしても、せいぜいバガヴァンとアンマへの祈り、賛美をするだけでした。

まもなく彼女は、精神的な病気(精神異常)になり、回復するまで何年もかかりました。

急性精神病が消え失せた後に、彼女はワンネスムーヴメントを離れました。

彼女は仕事を失っていたので、もう一度やり直さなければなりませんでした。

人間関係など沢山のものを再建しなければなりませんでした。

バガヴァンへ激しく傾倒して同様の症状になった人々の事例が沢山ありました。

彼らは、バガヴァンに祈る事とマントラを繰り返すこと以外のことを拒否します。

徐々に彼らは仕事を離れ、家族、交友関係などに亀裂が生じてゆきます。

精神病になった少女の両親は、娘が生命の危機に陥っていた時、ムーヴメントの様々なリーダー(国の代表を含む)とディクシャギヴァーから得た支援のお粗末さに驚きました。

私に電話をした後になって(もはや深刻な状態ではなかった)、急に皆が電話をかけてきて支援を申し出始めたとき、彼ら(両親)は同様に驚いていました。

地元のディクシャギヴァー(女性)がようやくやって来たとき、両親は、どうして私(フレディー)がずいぶん前にムーヴメントを離れたことを知らせてくれなかったのか、と彼女に尋ねました。

彼らは、回答を避けているだけでした。

彼らは、直ちに娘を病気にしたバガヴァンから、“ プラグを抜く ” ことに決めました。

彼らは家の至る所に掛けられたバガヴァンの写真を撤廃してムーヴメントを離れました。


Q:始終バガヴァンに祈ったり、ムーラ・マントラを絶え間なく復唱したり、なぜ人々は極端に走るのでしょう?

フレディー:バガヴァンと修道僧達がそれを勧めるからです。

バガヴァンによれば、悟りに向けて早く進むには、いつもムーラ・マントラを復唱(最終的には眠っている間でさえも)することだそうです。

あなたは一日中、彼とアンマについて考えるべきだ、と。

このアプローチは、彼らの人生の全てをバガヴァンに明け渡すよう命じられた、彼に帰依するインド人に広く行われています。

私は、しばしばインドの帰依者が次のように言っているのを耳にしました:
「バガヴァンなしでは私は何もありません、私は死んでいるも同然です」。

たとえそれが多くの人々をアンバランスにするとしても、相当数の西洋のディクシャギヴァー達は類似したアプローチ(或いは幾分より穏やかな)を勧めます。

上記のウクライナのディクシャギヴァーは、彼らのうちの1人です。


Q:いったい何がゴールデン・シティーでのプロセス後、人々を精神病にするのでしょう?

フレディー:多くの理由があるでしょう。

私が伝えられるのは、自分が信頼するものだけです。

バガヴァンと修道僧達はクンダリニー・パワー(内在する強力な生命力)にたくさん働きかけます。

多くの事例が世界中の様々な道に関わる霊的探求者の間でありました(クンダリニーに干渉した故に精神障害(精神病など)になる人々がいた、何人か死者さえ出た)。

人工的にクンダリニーを上げようとすることは非常に危険であると考えられます。

それを行うことで、幸運な場合あなたは、より静かな状態に入るかもしれません、あるいは余り運がない場合、非常に落ち込みます。

あなたが不運であるならば、あなたは精神病になったり、死ぬことさえあります。

一部の専門家は、人工のクンダリニーワークが文字通り(つまりクンダリニーの力)人々を燃やして灰にさせると言いました。

多くの霊的な道と教師達は、どんなクンダリニー・ワークであれ危険な近道であるとみなして警告しています。

私の経験では、人々がプロセスで得るディクシャ(伝授)はクンダリニーに干渉(不正操作)することを含んでいます。

全体の雰囲気は、クンダリニーを上がりやすくするような方法でなされます。

彼らは、クンダリニーを上げるために、複数のマントラ、火の儀式、メディテーションも用います。

初めの9カ月間は、10日間と21日間プロセスにおいて彼らは“ レーヒャム ” を使用しました。

それは実によく、多数の参加者のクンダリニーをロケットのように急上昇させました。


Q:レーヒャムとは何のことですか?

フレディー:レー・ヒムと発声します。

それは体のエネルギーの浄化と調和を図るため、大衆(新生児を含む)に処方されているアーユルヴェーダ(インド伝統医学)の飲み薬(ペースト状)で合法であると、修道僧達はプロセス参加者達に伝えました。

アーユルヴェーダの医師によってレーヒャムを得る赤ん坊は寿命を平均5年増加させるはずだと、バガヴァンは私の面前で言いました。

バガヴァンは、彼がプロセスで使うレーヒャムの特定の種類が、古い秘密のレシピを使用している一族によって作られると私に話しました。

それは、幾つかの特殊な薬草(牛糞を数日間、弱火で煮詰めた)から出来ています。

人々はレーヒャムが基本的に「クソ喰らえ!」であることを知らされることがありませんでした、失礼、「牛糞」でした。

<訳注:bullとcowはどちらも牛を意味するゆえのジョークと思われる>

その味は、描写するのが非常に難しいです。

ある人は、やや不快な後味でまずいイチジクのハーブと描写しました。

マドレーヌと私がレーヒャムを食べた30~60分後に、私達は吐き気を催しました。

この吐き気は、2時間続きました。

私は、週に2回レーヒャムを得ました。

2時間後、突然、レーヒャムについて考えることさえ、極端に不快でした。

合計で、私は6回それを得ました、というか最後の2回は、ほとんど吐きました。

それは悟りのためのディクシャを受けた直後、神聖な雰囲気の中で手渡されました。

〔 ところで、ディクシャという言葉は最近、“ ワンネスブレッシングに変更されましたね!” 〕

多くの参加者がレーヒャムを服用した後に至高体験を得ました。

幾人かは宇宙との一体感、筆舌に尽くし難い恍惚感などを感じました。

しばしば、この状態は3~8時間ほど持続して、それから徐々に消滅しました。

バガヴァンは、21日間プロセスの参加者の幾人がしばらく(しばしば30~60分)死にさえしたが、生き返ったと言いました。

彼は最高のサマディー(ヨーガの恍惚状態)としてこの“死” を説明しました。

ガイド達/修道僧達は21日間コースで、レーヒャムを服用した後、嘔吐している間に修道僧達のほとんどが深い変容を遂げた(バガヴァンはそれを悟りと呼んだ)と言いました。

私には旧ソビエト連邦のポップ・スターの友人がいます。

彼は数年前にLSDと他の麻薬を使っていました。

彼がレーヒャムを飲んだとき、彼は同室の仲間に「この体験はLSD体験にそっくりだ」と語りました。

彼の同室の仲間は、それからはレーヒャムを拒絶しました。

私とマドレーヌが会った人々の中で優れた霊能力を持つ2人の方に私のレーヒャム体験を伝えました。

2人とも驚くべき直観力があります。

彼らの両方がお互いの如何にかかわらず同じことを言いました:
「“ワンネス・ レーヒャム” は麻薬物質(1人は、LSD、エクスタシー、アヤワスカの混合物のように言っていた)です。 」

レーヒャムが何であるか分かりませんが、彼らが21日間プロセスでレーヒャムを使うのを止めたとき、人々はもはやどんな至高体験も得なかったのを私は知っています。

レーヒャムの効果(激しい嘔吐、下痢、嫌悪)について、人々の不満が激しかったことが、それを中止した理由の1つでした。

別の理由は、レーヒャム至高体験が永久的な高い状態(悟り)に転じなかったということでした。

最近、21日間プロセスに参加した新グループが伝えたところでは、バガヴァンはレーヒャムを用いた至高体験のアプローチを使う代わりに、人々が徐々に悟るほうが適切だと感じている、とのことです。


Q:私は一部の人々がバガヴァンによって強力な体験を得たと聞いています。

純粋な意図が欠如している者がこういった状態を与えられるとは私には考えられません。

あなたはどう思いますか?

すなわち、バガヴァンやディクシャによって高次体験を得た人はいるのでしょうか、いないのでしょうか?


フレディー:私は、自分や他人に、バガヴァンやディクシャによる深い体験があったことを否定したことはありません。

私は、自分自身でそれを見て体験しました。

しばらくの間、私はこういった事がどうしたら共存できるのか不思議に思っていました。

一方では、人々が強力な体験を得ていることをよく理解していました。

もう一方では、これらの回答(このインタビュー)で共有した全ての事実についても熟知していました:
過度な約束、歴史の改ざん、事実の否定と他者の恐れを活動基盤としている事。

ロシアでは、なぜ不確実なグル(サイババのような)の帰依者達のように、精神的にグルと繋がることで奇跡と“神聖な”状態を得るのかということに関して広く認められた解説があります。

数多くの霊的教師、尊敬されるヒーラーがこの解説に同意します。

それはロシア語で“イグレガー” と呼ばれます。

“銀行の群れ” (GB)と翻訳することが出来るでしょう。

その要点は次のとおりです:
個々のグループが何か目に見えない神性、あるいは物理的な人物に祈ったり礼拝している時、人々は生命エネルギーを寄与しています。

それは、グルの銀行口座にお金を寄付するようなものです。

例えば:サイババ帰依者達が、より大勢で、より激しく彼に祈って崇拝すれば崇拝するほど、サイババのGBは、より豊かで強大になるでしょう。

奇跡と神聖な状態は純粋な信仰を通じて受け取ることができます。

“あなたは、あなたが信じるものを受け取る”、“信仰は山をも動かす”、これが記述されています。

“プラシーボ効果”はもう1つの強力なツールです。

何のへんてつもない砂糖玉を与えられた患者に、本物の薬を与えられた患者と同じ治療成果があったという、多くの十分な証拠のある実験がありました。

ジョー・ヴィターレ博士は、傷んだ膝を手術した人々(2つのグループ)の実験について説明しました。

グループ♯1では、膝は通常通りの手術が行われました。

グループ♯2の人々は、本当の膝の手術をうけたと考えましたが、事実はそうではありませんでした。

彼らは麻酔をかけられ、実際に手術をしたような跡を付けた偽りの手術をうけただけで、膝の手術は全く行われませんでした。

両グループとも大きな成果がありました。

効果はほぼ同一でした。

霊的権威が神であると主張して、あなたがその人に祈るとき大きな奇跡が起こり始めるとしても、それはプラシーボ効果と(や)、信仰の力によるものである可能性が大いにあります。

これは、何故“偽”グル達(高次の状態に程遠い)が、素晴らしい状態(グルの数百倍)にいる帰依者や支持者を持てるのかの説明になります。

信仰とプラシーボとは別に、不誠実なグルから奇跡を得る人々の理由でありうる他の要因があります:

• 人が心からサイババ(帰依者が奇跡を受けるとき、その人は彼のアーシュラム学校の少年の1人とセックスしているかもしれません)のような不透明なグルに祈願した場合、帰依者がサイババのイメージで神に祈ったとしても、至高の力(神)はその祈りに答えることができます。

もし、あなたが全ての預言者を送った無限の光と信じて祈願するならば、それさえも神は応じます。

心からの信頼でそうしてみることで、あなたは自分自身で確かめられるでしょう。

・更に、私達はGB効果があります:
何千万もの人々がグル(Mr.X)に祈るとともに、この生命エネルギーの全てがグルXのエネルギー銀行を形成します。

グルXは、奇跡の実演のため、帰依者のクンダリニーを上昇させるため、癒しのために、(その銀行から)いつでも“ダウンロード”出来ます。

そのGBはグル専用ではありません。

それぞれの国々でグルXに祈る人々も皆、グルXのGBによって支援されるでしょう。

彼らがグルXに祈るとともに、自動的にグルXのGBに同調し、その銀行からエネルギーやって来て奇跡を起こしたりクンダリニーを上昇させるでしょう。

GBに関する問題は、絶えずあなたを助け続けることが出来ないことです(特に精神的に)。

それは、穴の開いたボートのようです。

この論点はボートが沈むかどうかということでありませんけれども、いつのことやら。

あるGB理論の専門家は、「大部分の人々がディクシャ後 “ 魂の闇夜 " に陥るのは、ディクシャがバガヴァン&アンマのGBを源にしているからである」と私に話しました。

この銀行は、一時的な高揚体験を生み出すのに利用することが出来ます。

それが永遠の源では無いので、ゴムバンド効果のようにすぐに高から低(落ち込み)に転換します。

数千万の帰依者が誠実な献身により定期的にエネルギー供給しているので、バガヴァンのGBは強大になりました。

“ アストラル・コード ” が形成され、このグルはローカルインターネットになりました;
あなたが彼にオンラインする時は、いつでもあなたのエネルギーの一部は彼のGB口座に寄与されます。

多くのディクシャテイカー(ディクシャを受ける人)は、特定のディクシャギヴァーからのディクシャが他のディクシャギヴァーより高成果を引き起こす経験をします。

GB理論の専門家は、次のように説明します。

「一部のディクシャギヴァーは、とても純粋なハートと意図を持っています;
彼らは、心から人々を助けたいのです。
この姿勢は、ディクシャチャンネルを覆う神の源に直接的なチャンネルを開きます。
信仰と同様にプラシーボ効果も力を加えます。」

GBの専門家は、ディクシャ全体のアイデアに関する好ましい副作用について伝えました。

「それは、プラシーボと信仰に人々を開きます。
バガヴァンが悟りを約束するので、人々(ディクシャギヴァーとディクシャテイカー)は更に信じ込みます。
彼らが強力な成果を期待するとき、それを得る傾向があるものです。」


Q:あなたは、銀行の群れ(GB)を利用するグル達は、常に意識的に人々を欺くと思いますか?

フレディー:私は、ありとあらゆる組合せがあると思います。

一部のグルは、直接的/間接的に愛情の無い意図を持ってそうするかもしれません。

他の一部は、誇大妄想を患っているだけかもしれません。

彼らは、自分自身が信じ難いほど特別で独力で世界を救えると考えます。

そのような誇大妄想は、部分的に無意識でもありえます。

支持者がグルを神聖であると断定し、祈願した後に奇跡と高い状態を得るようになったとするならば、おそらく彼ら自身の信仰、プラシーボ、GB、神を通じて得たのでしょう。

グルは、本当に自分が神であると思い始めるかもしれません。

遠からずして、自分が神の中の神であるという主張に発展することがあります。

それはグルのエゴにとって更にずっと魅力的なことです。

天使さえ落ちることがありえると言われています・・・

グルの中には他者を助けるために使えるシッディ(神通力)を持つ者もいます。

パワーと呼ばれる陶酔体験を味わった所有者は、代わりにシッディを自分自身のエゴと立場を美化するために使用することもありえます。

誠実な探求者と才能ある神秘家は、1、2のイベント(ディクシャ)に参加した直後に、バガヴァンとムーブメントを去りました。

共通の理由として、バガヴァンの力の源が純粋でないと感じたということでした。

これらの人々はしばしば善の力と同様に悪の力も信じていました(天使と悪霊)。

邪悪な力は、黒魔術とヒーリングの幾つかの形態で使用されていて、これらの邪悪な力は強力な結果を与えることが可能である。

バガヴァンは光の力を使っていない、というのが彼らの意見でした。

その理由として、彼(バガヴァン)は非倫理的なトリックと手法を利用している(誇張、過度な約束、法外な値段、事実の隠蔽など)と彼らは主張しました。

精神病院に神であることを主張する人々がいます。

彼らの一部は彼らが神でないと知っているのかもしれないし、一部は本気で思っているのかもしれません。

それ(エゴ)を真剣に受けとめるなら、私達のエゴ/マインドが私達を連れて行ける場所にほとんど限界はありません。

私は、どのようにバガヴァンの帰依者がエネルギーと奇跡の力を得るのかよくわかりません。

それは複数の要因の組合せであるかもしれません。

私の場合、バガヴァンから“プラグを抜いて”、代わりに源へ直に祈り始めた時、私のコース参加者と自分自身のために祈った両方とも、ずっと深い結果を得たのを見ました。

私の“新しい”コースの参加者が、魂の闇夜に陥る傾向がなかったことも見ました(私がバガヴァンに“プラグを差し込まれた”ときは、絶え間なく起こっていた)。

これらの意見は、もちろん主観的なものです;
それらは、私の個人的な感想です。

一部の人々は、彼らに対してよい面と悪い面の両方を持っています。

泥棒と殺人者は、配偶者を愛することが出来るし、子供にとって思いやりのある親であることが出来ます。

あまりにも長い間、壊れたボートにとどまることは危険だろうと、私は思います。

ある地点を過ぎると、壊れたボートは人命救助の必要にすら及びます。

私は物事を黒か白かの一方だけで判断しません。

唯一の生命だけがあります。

あなたが偽グルを媒介して祈るときでさえ、生命の源は壊れたボートに入ってあなたを導くことが出来るし、たくさんの祝福を与えることが出来ます。

それは、私のケースで起こったことです。

私をバガヴァンのムーヴメントに加わる気にさせた男に会うよう求める天の声を聞いたのです。

そのため、私は当時ずっと、バガヴァンのムーヴメントに属するよう導かれたのだと感じていました。

これは、バガヴァンが神(彼が主張したような)であることを私が“わかっていた” 理由の主な1つでもありました。

結局、私はバガヴァンのコースに参加するよう天国からの招待状を受け取りました。

2006年の春、私は気付きました。

バガヴァンは“神のボート”で、単にバガヴァン自身のボートは神聖なる出来事(穴が開いた)が起こったんだ、と。

バガヴァンとアンマから「プラグを抜いた」数日後、私は内側で声を聞いたのです。

かつて、私にバガヴァンと繋がるよう呼びかけてきたものと同じでした。

声が私に言ったことの要点は次のようなものでした。

“ 私はあなたをバガヴァンに派遣しました。そうしたことについては私自身の理由があります。
今、あなたがそれを去る時が来たのです。
あなたと私の間にどんな仲介者も必要なく結合して自由であるために。”

神のやり方は不可解なものです・・・

一部の人々は、私が15年間バガヴァンの弟子であったことを後悔しているかどうか尋ねました。

もちろんそうではありません;
私は、自分の人生で何も後悔しません。

私は、神の意志によってこの世界に生まれました。

私は、神の意志によってバガヴァンに派遣されました。

私は、神の意志によってバガヴァンを離れました。

私は、人生で起こった全てが私自身に最良のことだったと理解しました。

いわゆる誤りと苦しみは、形を変えた祝福でしかありませんでした。

私がワンネス・メダルの裏側についての詳細を分かち合う理由は、バガヴァンに腹を立てているからではありません。

私が基本レベルで人や出来事を受け入れなければ、それは私の人生と神の計画が一致しないことになります。

それは私がやりたい最後のことになるでしょう。

私は真実を愛するので、自分のバガヴァンとの15年について分かち合います;
そして、真実は常に私達を自由の身にします。

真実は失われることも、隠されることもありません。

誰もが物語の複数の面を聞く権利があると明確に思います。

バガヴァンが悟りを人類に与えると人々に約束していた10年間以上の間、私は全てを捨てて彼に従うように人々を奮い立たせました。

私はワンネス・スクリーンの裏側の出来事を公開することを己の良心とハートによって導かれたと感じます。

これがもう1つの理由です。


Q:あなたの動機は、人々がバガヴァンに従うのをやめさせることですか?

フレディー:とんでもありません。

人々には、何であれ求め、従う権利があります。

私の仕事は私の真実を伝えることです。

それでもなお人々がバガヴァンに従うことに励起されると感じれば、それは彼らの個人的な取引です。

私は、それに干渉する道義も権利もないし、興味もありません。

私は、サイババ、バガヴァン、あるいは私の経験において誠実ではなかったどんなグルであれ、従うことが間違いとは言えません。

プラスにせよマイナスにせよ、幾つかのグル経験を通り抜ける必要があるかもしれません。

私はすべての判断を源に託します・・・


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ディクシャの創設者にまつわる隠された事実

「私はアンマとバガヴァン(A&B)が分かち合う贈り物を持っていることを知っていました、そして、私はそれのために人生を捧げました。

夢が壊れることを恐れて、私は影を見ないように目をつむっていました。

ある日、砂上の楼閣が崩れ落ちました - 私は、A&Bの手入れが行き届いた外観の背後に隠されていた貪欲、狂信、誇張、空約束、嘘のすべてを見ました。

私は、宗教団体(カルトかもしれないとさえ)の罠に嵌っていたと思いました。

A&Bと彼らの壮大な計画への私の信頼は消え去りました。

15年間、私はA&Bが創造しうる最高の神人で本物だと世界中の人々に期待させてきました。

大勢が私を信頼して、私の例に続きました。

私が考えを変えたことをこれらすべての人々に知らせることが現在の私の責任だと感じています。

彼らに私の真実あるいは発見を盲目的にうのみに させるつもりはありません- 我々が自分自身で真実を見出すことが素晴らしいのです。

以下で、私が目をつむった影の一部を共有します - 数年が経過して私は「魅了」されました(他の宗教と同様にこれにおいて、影の側面とは別にポジティブな側面もあります)。

私自身の個人的な洞察を信頼することを人々に期待しませんし、それが客観的であるとも主張しません。

しかし、それを隠すことは公正ですか?

おそらく、そうではないでしょう - 少なくとも私がA&Bを信じる気にさせた人々については。

A&Bは、「ワンネスムーヴメント」をつくりました。

それを現代人にアピールして気に入られるように多くの努力がされてきました;

彼らは、宗教としてではなく科学的に見えるようにします。

私は、長年にわたって舞台裏の多くとバガヴァンが非公式に彼の弟子に話したことを見てきました - 1991年から、私は偶然にも初の西洋の弟子でした。

私は、A&Bあるいは彼らの支持者を傷つけるために、私の真実を共有するのではありません。もし、誰かがA&Bを通して提供するもの(ディクシャなど)によって助けを得るならば、それは素晴らしいことです。

A&Bが提供する(ディクシャのようなもの)ものから利益を得ることがあってもおかしくありません。;

ですが、彼らのムーヴメント/宗教団体のメンバーになることは、別の話です。

この点で、A&Bのムーヴメントには「影」およびカルト的要素が幾つかあります(私の個人的な意見)。そして、バガヴァンが私の面前で話ったことです:

・バガヴァンは、しばしば人々に悟り、治癒、奇跡を約束します。

ほとんどの場合、これらの約束は、果たされません(バガヴァンは、しばしば、それがいつまでに起こるか言及します)。

通常、弟子たちは、これらの嘘を覆い隠そうとします。

当然、多くの人々はすっかり失望するか、落胆するか、怒ります。

・彼らは、A&Bがこの宇宙を創造した、A&Bが生身を持った神である、彼らが人類の真の救世主であるということを現実化しようとします(出来るだけ多く)。

・別の言い方をすれば、親切なダーサ(A&Bの修道士と修道女)の大部分の話し、考えは彼ら(A&B)の受け売りです。

A&Bがその嘘から利益を得る限り、彼らはどんな嘘(真っ直ぐに向き合ったとしても)でもつくことができます。

・多くの帰依者が狂信者になっており、生命を含めて、彼らが持っているすべてを犠牲にする覚悟をしており、A&Bのためなら無条件に何でもします。

・バガヴァン/ダーサは、人類がA&Bに協力しないならば、世界の終わりは近いだろうと言います。

バガヴァンは、かつてこんなことを言いました:

「人類が私に協力しないなら、苦痛のスープに溺れるだけだ」。

・誇張は一般的です。

2003年12月に、アーナンダギリは21日コースにおいて、参加者全員が完全に悟ると約束しました。

DVD(M.J.Ravinによる)で、バガヴァンは3人を除く全参加者が21日コース(2004年9月)で悟ると語りました。

突然、考えを変えて、その代わり、後に本番を開始するというまで、バガヴァンは何度か「大規模な悟り」を与え始めて、大勢を悟った(1993年など)と断言すらしました。

・「神」という言葉が用いられるとき、ダーサ(そして、多くの帰依者)はすぐに不安になります。

彼らの唯一の焦点はA&Bにあります。

かつて(2002年7月)、スウェーデンのTVスターがアーナンダギリに尋ねました:

「あなたにとっての神は?」、アーナンダギリは言いました: 「バガヴァン」。

• 特に弟子やコーディネーターに向けて、バガヴァンは他の霊的教師または道(オショー、TMのマヘシュヨーギ、 プンジャジ-パパジ、グルマイ/スワミ・ムクタナンダ、イスラム教など)を批判、嘲笑、悪く言うのもそう珍しくありませんでした。

ラマナマハリシやブッダのような人が幼少期のトラウマを除去するにはA&Bのサムスカーラシュッディを必要とするとコメントしました。

• しばしばバガヴァンは、ほとんどのダーサがブッダのような悟ったマスターより数百倍も高い神聖な状態にあると言いました(ドバイQ/Aビデオなどにて);

一部のダーサが歴史上の神の化身(クリシュナ、ラーマ、キリストなど)以上(遥かに?)とさえ言いました。

• バガヴァンはアメリカ人が役立たずの人々である、そして、彼らが神聖さゼロである等と繰り返し言いました(しばしば苛立ちを伴って)。

アメリカにとって初のコーディネーター(ラニ)も頻繁にこれを言いました。

私はこの情報とともに2005年にアメリカに行きました。

その結果、アメリカ人がいかに素晴らしいかを理解して驚きました - 彼らは、素晴らしい探求者でもあります。

多くのアメリカ人が裕福で影響力があります。

おそらく弟子はこの事実を否定しようとするでしょう。

神は私に限りなく寛大でした、私には感謝を表すための言葉がありません。

神の恩寵により、私は現在至る所に神を見ます - 永遠と平和だけがあります。

神は、私を生命と源泉と結合しました。

私は、あなたがた全員が神と結合することを願います - あらゆる生命の源、あらゆる愛と喜びの源。

私が以前にしたように、神が私に彼の恩寵を他者と分かち合うことを望むならば、もちろんそうします。」

フレディニールセン
2006年5月4日
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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