カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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今回は那智氏の「悟り系で行こう」からの一部を抜粋紹介させていただきます。氏が言うところの精神世界の玉石混合でいえば玉といえるであろう稀有な1冊です。
ディクシャなど精神世界の甘い言葉に誘われ、罠に落ちた(そして抜けた)経験をお持ちの人であれば、しっくりくるものと思われます。私自身の経験からいっても、悟りビジネスに引っ掛かる要因には自分が無知であること、実際は悟りを求めているのではなく「私」が大きくなりたい、現実逃避であることがあげられます。
◎悟り、ワンネス=神秘体験、脳内麻薬による恍惚状態(麻薬による誘発を含む)
◎悟りのプロセス=自我肥大化過程(悟りとは真逆であり、プライドが高くなり、肩書きを増やす傾向あり)
◎恩寵=ニンジン効果
=========
「悟り系で行こう」
那智タケシ:著
明窓出版
P.99 第二章より抜粋
『 ・・・残念ながら、悟りに至る決まり切った道というものはないのです。
呼吸法をしようが、呪文を唱えようが、苦行をしようが、瞑想をしようが、それは悟りとは関係ありません。
悟りのプログラムがあるとしたら、ゴールにあるのは悟りではなく、「こうありたい自分」に過ぎないことでしょう。
もちろん、悟ったら終わりというものではありません。
悟りの認識を得た後にこそ、拡大し、深まる世界というものが確かにあります。
エゴの浄化による「空」の実現もまた然りです。
むしろ、悟った後にこそ、創造的な生のあり方が試されることでしょう。
しかしそれは、「悟り養成コース」でもって達成されるものではなく、山登りの道を歩くものでもなく、個々人の独自な運命の中にのみ開示されるものだと思います。
悟りは、決して定型化されるものではなく、その世界に入った後にこそ、個人の天才性という自由の中で成長してゆくものなのです。そこには決まり切った道などないのです。 』 後略
P.102~106 ★精神世界の危険性について
『 今、大手の書店に行けば「精神世界」なるコーナーがあるはずです。あるいは「スピリチュアル」という言葉で1つのジャンルになっているのかもしれません。そこにある書籍は、似非宗教的な神の言葉から、占いやオカルト、超能力、前世療法、チャネリング、UFO、ヒーリング等々、こうしたジャンルに興味のない人から見ると、「うさんくさい」の一言で済ましてしまえるような内容のタイトルがつけられた書籍が、ずらりと並んでいます(本著もその1つに違いありませんが)。
私は別段、チャネリングだとか、前世だとかが嘘であるとか、詐欺であるとか批判したいわけではありません。そのほとんどがガラクタのような代物であることは知っていますが、玉石混交という言葉もありますし、中には何らかの意味を持つものもあるのでしょう。実際、特殊な能力を持つ方もいらっしゃるようです。けれども、私が言いたいのは、チャネリングであれ、神からの言葉であれ、守護霊からのメッセージであれ、すべては「私」という厄介な中核を消滅させる作業なしには、「私」逃避、現実逃避の娯楽になりかねないということです。
自分より高次の存在からのメッセージを受け取る、ということは、結局のところ分裂の世界です。二元論です。世界から分離して真実を理解していない、小さな「私」に、より大きな存在、聖なる存在が「正しさ」を教えてくれるということです。仮にそのような大きな存在があったとしても、人がその大きなものと小さなものという構図に安住している限り、決して悟りの世界に入ることはできません。なぜなら、悟りとは「私」が幻想であり、「世界」そのものであることを知ることだからです。
もしも、自分がそのものであることに気づけば、未熟な自己に何か大事なことを教えてくれる偉大な何ものかは必要ないのです。
もちろん、人生のある時期において、人を救い、導くような神秘体験現象もあるのかもしれません、優れた教師も現れることでしょう。ただしそれは、いずれ乗り越えなくてはいけない存在なのです。
なぜなら、一人の人間よりも大きなものなど何もないからです。
一人の人間というのは、本質的な意味において世界そのものです。彼は、自分より大きなものを持つ必要はないし、持ち得ないのです。
なぜなら、あなたは「世界」なのですから。あなたを導く神聖な存在も、「私」を破壊した時、あなた自身となるのです。
中には、聖なるメッセージによって救われた、という人もいるでしょう。私は神のメッセージによって、幸福になった、あなたもこのメッセージを受け取りなさい、というわけです。しかし、こうした人々には一つの特徴があります。彼らは、どんなに幸福そうに微笑んでいても、その微笑みには厳しさがないのです。微笑みの裏側に、あるいは中心に、過保護にされた「私」が残っているのです。「私は神の言葉を聞いて(信じて)救われた」という人がインタビューを受けている写真をみたことがありますが、その微笑の何と甘たるいこと! 私は一目見て、「ああ、この人は自分(「私」)というものを殺していないな」と感じました。「私」というものを一度破壊した人は、決してこのような甘たるい、自己満足の微笑を浮かべません。
人は、「あなたはそのままでいいんだよ、救われているんだよ」という自分にとって都合の良い教えを好みます。しかし、「私」肯定のメッセージは、どんなに心地よいものであっても、人間というものを本質的に救うことはないのです(非常に残念なことですが)。むしろそのような誤ったメッセージは、「私」を大事に保存したまま、人に「救われた」という錯覚をもたらしてしまうことにおいて、邪悪なものでさえあると思います。
どんなに「世界平和」や「祈り」や「愛」を説いていたとしても、その中心に「私」がある限り、すべては「私」の自己満足で終わってしまうのです。
人は、他人の立派で美しいメッセージを信じる前に、自分自身の醜さを直視する勇気を持たなくてはならないのです。
また、こうした業界には、求道者と言われるような人々がいます。瞑想のセミナーに出かけたり、禁欲の修行をしたり、果てはインドにグル(精神的指導者)を求めて旅立ったり、たいへんな時間とお金をかけて、真実というものを探し求めています。
けれども、もしもその真実が「今」、「ここ」にあるとしたらどうでしょう?
彼らは「私」の外に真実を求め、インドまで聖人を求めて旅立つのかもしれませんが、そのようなことをすればするほど、「私」という、今、ここにある真実から遠ざかっているかもしれないのです。
悟りは、様々な本を読んだり、セミナーに出かけたり、聖人に会いに行ったりして得るものではありません。むしろそのような活動をすればするほど、真実を求める「私」が強く、大きくなり、取り返しのつかないまでに硬直化してしまうかもしれないのです。
というわけで「精神世界」なるものに入り込むことは、極めて危険な道なのです。私たちは「精神世界」に入り込むのではなく、「私」自身の中に入り込むべきです。それはインドに行くことよりもはるかに困難で、はるかに豊かな意味を持つ行為なのです。
真実は、他人の言葉や外国にあるのではなく、私たち自身の中にあるのです。』
ディクシャなど精神世界の甘い言葉に誘われ、罠に落ちた(そして抜けた)経験をお持ちの人であれば、しっくりくるものと思われます。私自身の経験からいっても、悟りビジネスに引っ掛かる要因には自分が無知であること、実際は悟りを求めているのではなく「私」が大きくなりたい、現実逃避であることがあげられます。
◎悟り、ワンネス=神秘体験、脳内麻薬による恍惚状態(麻薬による誘発を含む)
◎悟りのプロセス=自我肥大化過程(悟りとは真逆であり、プライドが高くなり、肩書きを増やす傾向あり)
◎恩寵=ニンジン効果
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「悟り系で行こう」
那智タケシ:著
明窓出版
P.99 第二章より抜粋
『 ・・・残念ながら、悟りに至る決まり切った道というものはないのです。
呼吸法をしようが、呪文を唱えようが、苦行をしようが、瞑想をしようが、それは悟りとは関係ありません。
悟りのプログラムがあるとしたら、ゴールにあるのは悟りではなく、「こうありたい自分」に過ぎないことでしょう。
もちろん、悟ったら終わりというものではありません。
悟りの認識を得た後にこそ、拡大し、深まる世界というものが確かにあります。
エゴの浄化による「空」の実現もまた然りです。
むしろ、悟った後にこそ、創造的な生のあり方が試されることでしょう。
しかしそれは、「悟り養成コース」でもって達成されるものではなく、山登りの道を歩くものでもなく、個々人の独自な運命の中にのみ開示されるものだと思います。
悟りは、決して定型化されるものではなく、その世界に入った後にこそ、個人の天才性という自由の中で成長してゆくものなのです。そこには決まり切った道などないのです。 』 後略
P.102~106 ★精神世界の危険性について
『 今、大手の書店に行けば「精神世界」なるコーナーがあるはずです。あるいは「スピリチュアル」という言葉で1つのジャンルになっているのかもしれません。そこにある書籍は、似非宗教的な神の言葉から、占いやオカルト、超能力、前世療法、チャネリング、UFO、ヒーリング等々、こうしたジャンルに興味のない人から見ると、「うさんくさい」の一言で済ましてしまえるような内容のタイトルがつけられた書籍が、ずらりと並んでいます(本著もその1つに違いありませんが)。
私は別段、チャネリングだとか、前世だとかが嘘であるとか、詐欺であるとか批判したいわけではありません。そのほとんどがガラクタのような代物であることは知っていますが、玉石混交という言葉もありますし、中には何らかの意味を持つものもあるのでしょう。実際、特殊な能力を持つ方もいらっしゃるようです。けれども、私が言いたいのは、チャネリングであれ、神からの言葉であれ、守護霊からのメッセージであれ、すべては「私」という厄介な中核を消滅させる作業なしには、「私」逃避、現実逃避の娯楽になりかねないということです。
自分より高次の存在からのメッセージを受け取る、ということは、結局のところ分裂の世界です。二元論です。世界から分離して真実を理解していない、小さな「私」に、より大きな存在、聖なる存在が「正しさ」を教えてくれるということです。仮にそのような大きな存在があったとしても、人がその大きなものと小さなものという構図に安住している限り、決して悟りの世界に入ることはできません。なぜなら、悟りとは「私」が幻想であり、「世界」そのものであることを知ることだからです。
もしも、自分がそのものであることに気づけば、未熟な自己に何か大事なことを教えてくれる偉大な何ものかは必要ないのです。
もちろん、人生のある時期において、人を救い、導くような神秘体験現象もあるのかもしれません、優れた教師も現れることでしょう。ただしそれは、いずれ乗り越えなくてはいけない存在なのです。
なぜなら、一人の人間よりも大きなものなど何もないからです。
一人の人間というのは、本質的な意味において世界そのものです。彼は、自分より大きなものを持つ必要はないし、持ち得ないのです。
なぜなら、あなたは「世界」なのですから。あなたを導く神聖な存在も、「私」を破壊した時、あなた自身となるのです。
中には、聖なるメッセージによって救われた、という人もいるでしょう。私は神のメッセージによって、幸福になった、あなたもこのメッセージを受け取りなさい、というわけです。しかし、こうした人々には一つの特徴があります。彼らは、どんなに幸福そうに微笑んでいても、その微笑みには厳しさがないのです。微笑みの裏側に、あるいは中心に、過保護にされた「私」が残っているのです。「私は神の言葉を聞いて(信じて)救われた」という人がインタビューを受けている写真をみたことがありますが、その微笑の何と甘たるいこと! 私は一目見て、「ああ、この人は自分(「私」)というものを殺していないな」と感じました。「私」というものを一度破壊した人は、決してこのような甘たるい、自己満足の微笑を浮かべません。
人は、「あなたはそのままでいいんだよ、救われているんだよ」という自分にとって都合の良い教えを好みます。しかし、「私」肯定のメッセージは、どんなに心地よいものであっても、人間というものを本質的に救うことはないのです(非常に残念なことですが)。むしろそのような誤ったメッセージは、「私」を大事に保存したまま、人に「救われた」という錯覚をもたらしてしまうことにおいて、邪悪なものでさえあると思います。
どんなに「世界平和」や「祈り」や「愛」を説いていたとしても、その中心に「私」がある限り、すべては「私」の自己満足で終わってしまうのです。
人は、他人の立派で美しいメッセージを信じる前に、自分自身の醜さを直視する勇気を持たなくてはならないのです。
また、こうした業界には、求道者と言われるような人々がいます。瞑想のセミナーに出かけたり、禁欲の修行をしたり、果てはインドにグル(精神的指導者)を求めて旅立ったり、たいへんな時間とお金をかけて、真実というものを探し求めています。
けれども、もしもその真実が「今」、「ここ」にあるとしたらどうでしょう?
彼らは「私」の外に真実を求め、インドまで聖人を求めて旅立つのかもしれませんが、そのようなことをすればするほど、「私」という、今、ここにある真実から遠ざかっているかもしれないのです。
悟りは、様々な本を読んだり、セミナーに出かけたり、聖人に会いに行ったりして得るものではありません。むしろそのような活動をすればするほど、真実を求める「私」が強く、大きくなり、取り返しのつかないまでに硬直化してしまうかもしれないのです。
というわけで「精神世界」なるものに入り込むことは、極めて危険な道なのです。私たちは「精神世界」に入り込むのではなく、「私」自身の中に入り込むべきです。それはインドに行くことよりもはるかに困難で、はるかに豊かな意味を持つ行為なのです。
真実は、他人の言葉や外国にあるのではなく、私たち自身の中にあるのです。』
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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