カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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久しぶりに、ニサルガダッタ・マハラジのアイ・アム・ザットを引っ張り出して読んでみました。2005年に出版されて、すぐに購入したのではないかと思いますが、当時はなかなか読み進めることが出来なかったような覚えがあります。
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I AM THAT
ニサルガダッタ・マハラジとの対話 より引用
モーリス・フリードマン [マラティー語からの英訳]
スダカール・S・ディクシット [編集]
福間 巌 [翻訳]
質問者: 私たちは偉大なアヴァターラ、世界の救済者たちについて聞きました。
マハラジ: 彼らは救っただろうか?
彼らは来ては去っていった。
そして世界はまだとぼとぼ歩きを続けている。
もちろん、彼らには大きな達成もあり、人類の精神に新たな次元を切り開いた。
だが、世界の救済を語ることは誇張だ。
質問者: 世界の救済はないのでしょうか?
マハラジ: どの世界をあなたは救いたいのだね?
あなた自身が投影した世界だろうか?
それは自分で救うがいい。
私の世界? 私の世界を見せてくれるというならば、私がなんとかしよう。
救おうと、救うまいと、私は私から分離した世界になど気づいてはいない。
世界を救うなど、大きなお世話ではないか。
世界が必要としていることは、あなたからの救済なのかね?
一度頭を冷やして、そこに救うべき何かがあるのかどうかよく見てみるといい。
===============
質問者: もし私が救われれば、世界も救われるということでしょうか?
マハラジ: 概して世界は助けを必要としない。
人は過ちを犯して不幸となる。
それが気づき、ジニャーニの意識に入ったとき、それは正される。
それが彼の本性なのだ。
質問者: 私たちはいわゆる霊的成長を観察することができます。
ひとりの利己的な人が宗教的になり、己を制御し、思考と感情を改め、霊的修行をおさめて真我を実現します。
このような進歩は因果律に支配されているのでしょうか?
あるいはただの偶然なのでしょうか?
マハラジ: 私の視点から見れば、すべてはひとりでに起こる。
まったく、自発的に。
だが、人はある動機のために、目的に向かって働いていると想像する。
彼は常に見返りを考えて、そのために闘うのだ。
質問者: 粗野で未発達の者は、見返りなしには働きません。
彼に動機を与えることは間違いでしょうか?
マハラジ: どちらにしても、彼は自分のための見返りを見つけ出すだろう。
彼は成長することが意識の本性だということを知らない。
動機から動機へと移行し、自分の欲望を満たすためにグルたちを追いかけまわすのだ。
存在の法則によって源へと戻る道を見出したとき、彼はすべてを放棄する。
なぜなら、世界への興味はもはやなくなっているからだ。
彼は何も欲しない。他者からも、彼自身からも。
彼はすべてに対して死に、すべてとなる。
何も望まず、何もしない。これが真の創造だ!
自己のハートの中で宇宙が現れては消え去るのを見ることは驚きだ。
=================
質問者: 真我の実現とは何でしょうか?
誰が実現した人なのでしょうか?
ジニャーニ(賢者)は何によって認識できるのでしょうか?
マハラジ: ジニャーナ(真理の知識)特有の証拠というものはない。
無知だけが認識できる。ジニャーナは認識できない。
ジニャーニは自分が何か特別な存在だとは主張しない。
自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者はジニャーニではない。
彼らは実現に向けての何か特別な発達を、実現と考え違いをしたのだ。
ジニャーニには、自分がジニャーニだと宣言しようとする意図はない。
彼は彼自身を普通と考え、彼の真の本性に誠実なのだ。
自分自身を万能の、全知全能の神として宣言することは、明白なる無知のしるしだ。
=================
質問者: ただ聖者や賢者のそばで生活することだけで解放へ導き、ほかに何の手段もないというのが、インドの霊的な伝統の一部です。
なぜあなたは、人々があなたのそばで生活できるようにアーシュラムを組織しないのでしょうか?
マハラジ: ある組織を設立したとたん、私はその囚人となる。
実際問題として、私はすべての人に開かれている。
共有の屋根や食事が人々をより歓迎するわけではない。
「近くに生きること」は、同じ空気を呼吸するという意味ではない・・・
================
質問者: クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。
マハラジ: 誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
ある意味では彼は正しい。
ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
そのような弟子たちにとってはグルを持たないほうが、そして導きを得るために、ただ内面を見ることにほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
生きたグルを見出すことは希少な機会であり、大いなる責任でもある。
これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそれを与えてくれると想像している。
わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。
================
質問者: 真我を知る人すべてがグルとなるのでしょうか、それとも他者を実在に導くことができなくても、実在を知る人となることが出来るのでしょうか?
マハラジ: もしあなたが教えることを知っているなら、あなたは知っていることを教えることが出来るのだ。
ここでは賢者としての状態と、教師としての状態はひとつだ。
だが、絶対的な実在はその両方を超えている。
自称グルは成熟や努力、功績や達成、運命や恩寵などについて話すだろう。
これらすべては単なる精神的構造であり、耽溺した精神の投影だ。
助ける代わりにそれらは妨害するのだ。
質問者: 誰にしたがい、誰を疑うべきかをどのようにして知るのでしょうか?
マハラジ: あなたが確信するまで、すべてを疑いなさい。
真のグルはけっしてあなたに屈辱を与えたりはしない。
また、決してあなたをあなた自身から遠ざけたりはしないだろう。
彼は生来の完全性という事実へとあなたを絶え間なく連れ戻し、内面を探求するように勇気づけるだろう。
彼はあなたが何も必要ないことを知っている。
そしてあなたに思い出させることに、決して飽きたりはしない。
自称グルは弟子よりも彼自身に関心があるのだ。
=================
質問者: あなたは、数多くの自称グルがいるが、真のグルは非常に稀だと言われました。
自らを真我を実現したと想像している多くのジニャーニ(知者)がいます。
しかし、彼らが持っているのは本からの知識と高い自己評価だけです。
ときおり、彼らは人々に感銘を与え、魅了し、弟子を引き付けます。
そして役に立たない修練によって彼らの時間を浪費させるのです。
何年か経って弟子が自分自身を評価したとき、何の変化もなかったことを見出し、彼が師に不平を訴えると、努力が足りないのだという通常の叱責を受けるのです。
責任は弟子のハートの愛と信頼の欠如にあると非難されます。
ところが実際には弟子を受け入れ、彼らの希望を向上させようとしないグルのほうに責任があるのです。
そのようなグルからどうやって自分を守るのでしょうか?
マハラジ: なぜそれほどまで他者に関心を持つのかね?
グルが誰であろうとも、もし彼が良き信仰のもとに行為し、粋なハートを持っているなら、弟子たちに何の害も与えることはないだろう。
もし何の進展も見られないのなら、過失は弟子のほうにあるのだ。
彼らの怠惰と自己統御の欠如がそれだ。
一方、もし弟子が誠実で、サーダナ(修練)に対して知的で、熱心に取り組んでいるなら、彼はもっと遠くへ彼を連れていける、より的確な師に必ず出会うことになる。
あなたの質問は三つの偽りの仮定から出てきたものだ。
そのひとつ目は、人は他者との関わりを必要とするということ。
二つ目は、人は他の人を評価できるということ。
三つ目は、弟子の進歩はグルの仕事であり、責任であるということだ。
実際には、グルの役割とはただ指導し、勇気づけることだけなのだ。
弟子は完全に彼自身に責任があるのだ。
=================
マハラジ:・・・正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学んでいく。
サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するのだ。
あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。
いわゆる「師の明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても失望に終わる。
幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻き込まれる前に自分を危険から救うのだ。
==================
質問者: あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?
マハラジ: 私はもはや騙されない。
それだけだ。私は世界をつくり出し、そこに住んでいた
--もはやそうすることはないのだ。
====================
質問者: 私は善と悪の問題をまず解決するべきではないでしょうか?
マハラジ: 人々は快いことを善と見なし、苦しいことを悪と見なすのだ。
質問者: ええ、私たち普通の人々にとってはそのとおりです。
しかし、あなたが統合されたレベルから見たときはどうでしょう?
あなたにとっては何が善で、何が悪なのでしょうか?
マハラジ: 苦しみを増長することが悪であり、それを取り除くことが善だ。
==================
質問者: 非常に悪い人でもあなたの恩寵を得るのでしょうか?
マハラジ: 私は誰も悪い人を知らない。
私はただ私自身を知っているだけだ。
私はいかなる聖者も罪人も知らない。
ただ生きる存在を見るだけだ。
私は恩寵を施したりはしない。
私には与えるものは何もないし、拒むものもない。
あなたたちは等しい量を既に持っているのだ。
ただあなたの豊かさに気づきなさい。
そしてそれらを充分利用するがいい。
私からの恩寵を必要とするかぎり、あなたは私の戸口でそれを乞うことになるのだ。
私があなたから恩寵を乞うことは決してない。
私たちは分離してなどいない。実在は共有のものだ。
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I AM THAT
ニサルガダッタ・マハラジとの対話 より引用
モーリス・フリードマン [マラティー語からの英訳]
スダカール・S・ディクシット [編集]
福間 巌 [翻訳]
質問者: 私たちは偉大なアヴァターラ、世界の救済者たちについて聞きました。
マハラジ: 彼らは救っただろうか?
彼らは来ては去っていった。
そして世界はまだとぼとぼ歩きを続けている。
もちろん、彼らには大きな達成もあり、人類の精神に新たな次元を切り開いた。
だが、世界の救済を語ることは誇張だ。
質問者: 世界の救済はないのでしょうか?
マハラジ: どの世界をあなたは救いたいのだね?
あなた自身が投影した世界だろうか?
それは自分で救うがいい。
私の世界? 私の世界を見せてくれるというならば、私がなんとかしよう。
救おうと、救うまいと、私は私から分離した世界になど気づいてはいない。
世界を救うなど、大きなお世話ではないか。
世界が必要としていることは、あなたからの救済なのかね?
一度頭を冷やして、そこに救うべき何かがあるのかどうかよく見てみるといい。
===============
質問者: もし私が救われれば、世界も救われるということでしょうか?
マハラジ: 概して世界は助けを必要としない。
人は過ちを犯して不幸となる。
それが気づき、ジニャーニの意識に入ったとき、それは正される。
それが彼の本性なのだ。
質問者: 私たちはいわゆる霊的成長を観察することができます。
ひとりの利己的な人が宗教的になり、己を制御し、思考と感情を改め、霊的修行をおさめて真我を実現します。
このような進歩は因果律に支配されているのでしょうか?
あるいはただの偶然なのでしょうか?
マハラジ: 私の視点から見れば、すべてはひとりでに起こる。
まったく、自発的に。
だが、人はある動機のために、目的に向かって働いていると想像する。
彼は常に見返りを考えて、そのために闘うのだ。
質問者: 粗野で未発達の者は、見返りなしには働きません。
彼に動機を与えることは間違いでしょうか?
マハラジ: どちらにしても、彼は自分のための見返りを見つけ出すだろう。
彼は成長することが意識の本性だということを知らない。
動機から動機へと移行し、自分の欲望を満たすためにグルたちを追いかけまわすのだ。
存在の法則によって源へと戻る道を見出したとき、彼はすべてを放棄する。
なぜなら、世界への興味はもはやなくなっているからだ。
彼は何も欲しない。他者からも、彼自身からも。
彼はすべてに対して死に、すべてとなる。
何も望まず、何もしない。これが真の創造だ!
自己のハートの中で宇宙が現れては消え去るのを見ることは驚きだ。
=================
質問者: 真我の実現とは何でしょうか?
誰が実現した人なのでしょうか?
ジニャーニ(賢者)は何によって認識できるのでしょうか?
マハラジ: ジニャーナ(真理の知識)特有の証拠というものはない。
無知だけが認識できる。ジニャーナは認識できない。
ジニャーニは自分が何か特別な存在だとは主張しない。
自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者はジニャーニではない。
彼らは実現に向けての何か特別な発達を、実現と考え違いをしたのだ。
ジニャーニには、自分がジニャーニだと宣言しようとする意図はない。
彼は彼自身を普通と考え、彼の真の本性に誠実なのだ。
自分自身を万能の、全知全能の神として宣言することは、明白なる無知のしるしだ。
=================
質問者: ただ聖者や賢者のそばで生活することだけで解放へ導き、ほかに何の手段もないというのが、インドの霊的な伝統の一部です。
なぜあなたは、人々があなたのそばで生活できるようにアーシュラムを組織しないのでしょうか?
マハラジ: ある組織を設立したとたん、私はその囚人となる。
実際問題として、私はすべての人に開かれている。
共有の屋根や食事が人々をより歓迎するわけではない。
「近くに生きること」は、同じ空気を呼吸するという意味ではない・・・
================
質問者: クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。
マハラジ: 誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
ある意味では彼は正しい。
ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
そのような弟子たちにとってはグルを持たないほうが、そして導きを得るために、ただ内面を見ることにほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
生きたグルを見出すことは希少な機会であり、大いなる責任でもある。
これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそれを与えてくれると想像している。
わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。
================
質問者: 真我を知る人すべてがグルとなるのでしょうか、それとも他者を実在に導くことができなくても、実在を知る人となることが出来るのでしょうか?
マハラジ: もしあなたが教えることを知っているなら、あなたは知っていることを教えることが出来るのだ。
ここでは賢者としての状態と、教師としての状態はひとつだ。
だが、絶対的な実在はその両方を超えている。
自称グルは成熟や努力、功績や達成、運命や恩寵などについて話すだろう。
これらすべては単なる精神的構造であり、耽溺した精神の投影だ。
助ける代わりにそれらは妨害するのだ。
質問者: 誰にしたがい、誰を疑うべきかをどのようにして知るのでしょうか?
マハラジ: あなたが確信するまで、すべてを疑いなさい。
真のグルはけっしてあなたに屈辱を与えたりはしない。
また、決してあなたをあなた自身から遠ざけたりはしないだろう。
彼は生来の完全性という事実へとあなたを絶え間なく連れ戻し、内面を探求するように勇気づけるだろう。
彼はあなたが何も必要ないことを知っている。
そしてあなたに思い出させることに、決して飽きたりはしない。
自称グルは弟子よりも彼自身に関心があるのだ。
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質問者: あなたは、数多くの自称グルがいるが、真のグルは非常に稀だと言われました。
自らを真我を実現したと想像している多くのジニャーニ(知者)がいます。
しかし、彼らが持っているのは本からの知識と高い自己評価だけです。
ときおり、彼らは人々に感銘を与え、魅了し、弟子を引き付けます。
そして役に立たない修練によって彼らの時間を浪費させるのです。
何年か経って弟子が自分自身を評価したとき、何の変化もなかったことを見出し、彼が師に不平を訴えると、努力が足りないのだという通常の叱責を受けるのです。
責任は弟子のハートの愛と信頼の欠如にあると非難されます。
ところが実際には弟子を受け入れ、彼らの希望を向上させようとしないグルのほうに責任があるのです。
そのようなグルからどうやって自分を守るのでしょうか?
マハラジ: なぜそれほどまで他者に関心を持つのかね?
グルが誰であろうとも、もし彼が良き信仰のもとに行為し、粋なハートを持っているなら、弟子たちに何の害も与えることはないだろう。
もし何の進展も見られないのなら、過失は弟子のほうにあるのだ。
彼らの怠惰と自己統御の欠如がそれだ。
一方、もし弟子が誠実で、サーダナ(修練)に対して知的で、熱心に取り組んでいるなら、彼はもっと遠くへ彼を連れていける、より的確な師に必ず出会うことになる。
あなたの質問は三つの偽りの仮定から出てきたものだ。
そのひとつ目は、人は他者との関わりを必要とするということ。
二つ目は、人は他の人を評価できるということ。
三つ目は、弟子の進歩はグルの仕事であり、責任であるということだ。
実際には、グルの役割とはただ指導し、勇気づけることだけなのだ。
弟子は完全に彼自身に責任があるのだ。
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マハラジ:・・・正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学んでいく。
サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するのだ。
あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。
いわゆる「師の明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても失望に終わる。
幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻き込まれる前に自分を危険から救うのだ。
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質問者: あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?
マハラジ: 私はもはや騙されない。
それだけだ。私は世界をつくり出し、そこに住んでいた
--もはやそうすることはないのだ。
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質問者: 私は善と悪の問題をまず解決するべきではないでしょうか?
マハラジ: 人々は快いことを善と見なし、苦しいことを悪と見なすのだ。
質問者: ええ、私たち普通の人々にとってはそのとおりです。
しかし、あなたが統合されたレベルから見たときはどうでしょう?
あなたにとっては何が善で、何が悪なのでしょうか?
マハラジ: 苦しみを増長することが悪であり、それを取り除くことが善だ。
==================
質問者: 非常に悪い人でもあなたの恩寵を得るのでしょうか?
マハラジ: 私は誰も悪い人を知らない。
私はただ私自身を知っているだけだ。
私はいかなる聖者も罪人も知らない。
ただ生きる存在を見るだけだ。
私は恩寵を施したりはしない。
私には与えるものは何もないし、拒むものもない。
あなたたちは等しい量を既に持っているのだ。
ただあなたの豊かさに気づきなさい。
そしてそれらを充分利用するがいい。
私からの恩寵を必要とするかぎり、あなたは私の戸口でそれを乞うことになるのだ。
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自己紹介:
精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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