カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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■Qualifications for Enlightenment
悟りの適性
Perhaps the best way to approach Neo-Advaita is not by what it teaches as by what it does not. Probably the most obvious omission is the notion of qualifications necessary for enlightenment.
おそらくネオ・アドヴァイタへの手引きとして最上のものは、それが何を教えるかではなく、何を教えないかでしょう。最も明白な手抜かりは、悟りのために必要な適性の概念でしょう。
Neo-Advaita is burdened with an understandably democratic ethos, the idea being that anyone who walks into one of its meetings off the street can gain instant enlightenment, which is possible if you define enlightenment as an epiphany. But then you can as well fall down a nondual flight of stairs and have an epiphany.
ネオ・アドヴァイタは当然のことながら民主的な傾向を負っています。表に出かけて会合の1つに参加すれば誰でも即座に悟りが得られるというアイデアがあります。あなたが洞察として悟りを定義するなら、それは起こりえます。しかし一方では、非二元の階段から落下しても洞察を持てます。
Because Self Inquiry defines enlightenment differently, however, it insists that a person be discriminating, dispassionate, calm of mind and endowed with a burning desire for liberation along with secondary qualifications like devotion, faith and perseverance.
自己調査は異なる悟りを定義するので、ともあれ、献身、信仰、忍耐のような二次的な適性とともに、解放のための強い願望に恵まれていて、心の静けさ、冷静さ、識別力のある人を強調します。
In other words, it requires a mature adult with a one-pointed desire to know the Self. The reason for these qualifications is the fact that enlightenment is a hard and fast recognition by the mind of its non-separation from everything; only a very rare individual will let go of his or her sense of individuality to gain another, albeit greater, identity.
言い換えれば、それは自己を知ることの1点を望む成熟した大人を要求します。これらの適性の理由は、悟りとは全てのものから分離しない精神により迅速な認識を要する難しいものだという事実です。ごく稀な個人だけが別のもの(より大きな個性)を得るために彼(彼女)個人の感覚を手放します。
The mind must be capable of inquiring into, grasping and retaining the knowledge, ‘I am limitless Awareness and not this body mind.’ To accomplish this, its extroverted tendency must be checked and attention directed to the Self.
マインドは知識を把握、維持し、究明する能力が必要です。「私は無限の気づきであり、この心身ではない。」これを成し遂げるには、その外向的傾向をチェックし、注意が自己に向けられる必要があります。
To put forth the required effort, the individual needs to have the settled conviction that nothing in the world can bring lasting satisfaction. This conviction is what Self Inquiry calls maturity. To my knowledge no Neo-Advaita teacher espouses this view. The reason is obvious: he or she would have no one to teach.
必要な努力に入れ込むためにも、この世には永続的な満足をもたらすことが出来るものは何もないという確固たる信念を持っている必要があります。
この確信は自己調査が成熟と呼んでいるものです。私の知る限り、この見解を主張するネオ・アドヴァイタ教師はいません。理由は明らかです:彼(彼女)は教える資格がありません。
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⑦に続きます。
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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