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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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■No Teacher, Seeker, Path, Knowledge or Ignorance
教師はいない、探求者はいない、道はない、知識も無知もない
 
If reality is nondual and a special experience of Consciousness or a dead mind is not enlightenment, only Self knowledge could be enlightenment. But Neo-Advaita does not accept the view that ignorance, which shows up as a lack of discrimination, is the problem, because it says that ignorance does not exist. This is a convenient teaching that plays to the strong anti-intellectual bias of modern seekers.
 
実在が非二元であるならば、特別な意識の体験やマインドの死は悟りではありません。自己知識だけが悟りを可能にします。
 
しかし、ネオ・アドヴァイタの意見は無知は存在しないというものなので、識別の欠如として現れる無知が問題であるという見解を受け入れません。

これは現代の探求者の強力な反理知的な傾向につけ込む都合のよい教えです。

It is true that it does not exist from the Self’s point of view, but a seeker does not know that he or she is the Self or he or she would not be seeking, so this teaching is not a teaching at all. 

自己の観点からそれが存在していないことは事実ですが、探求者は彼(彼女)が自己であるということ、あるいは彼(彼女)は探求していないということを知りません。したがって、この教えはまったくもって教えではありません。

It leaves the seeker with no avenue to actualize the desire for freedom that attracts him or her to the idea of enlightenment and is tailor made to produce frustration. That enlightenment is a blank mind or the absence of ego is an equally ill-considered notion that inevitably produces suffering, when it is pursued. 
 
それは悟りのアイデアに彼(彼女)を魅了し、フラストレーションを引き起こすのにおあつらえ向きです。それは自由への欲求を実現するための手段がなく、探求者を置き去りにします。
 
その悟りは、空白のマインド、またはエゴの不在であり、それを追い求めたならば必然的に苦しみを引き起こす無分別な概念です。

Both of these ideas are the result of level confusion, assigning the same degree of reality to pure Consciousness and reflected Consciousness—the experiential world. Of course, if there is no knowledge and no ignorance, there is no seeker either. And if there is no seeker, there necessarily cannot be a path. 
 
これらのアイデアは両方とも、純粋意識と反映した意識(経験的世界)に実在の同水準を割り当てるレベルの混同の結果です。
 
もちろん、知識も無知もないならば、探求者もいません。 探求者がいないならば、道が在る必要もありません。

How Neo-Advaita squares this idea with its very existence is difficult to determine. If there is no knowledge and no ignorance, there is no teacher to pass on the knowledge that there is no path, seeker, knowledge, ignorance, no doer, etc.

どうやってネオ・アドヴァイタはこのアイデアを確定するのが困難なその存在そのものと適合させるのでしょうか。知識も無知もないならば、道、探求者、知識、無知、行為者などはないという知識を渡す教師はいません。 

This is not to say that negation is not useful. Traditional Self Inquiry employs negation liberally. But it is half the loaf. The other half is the teachings that reveal the Self, using the positive methods described throughout this book. The Self is not a big empty void. 

これは否定が役立たないと言うことではありません。 伝統の自己調査は否定をふんだんに使用します。 しかし、それは塊の半分です。 もう半分は、この本の全体にわたって記述された肯定的な方法を使用して自己を明らかにする教えです。 自己は大きな空っぽの空間ではありません。 

Because Neo-Advaita is a nihilistic denial of the obvious, it has no methodology apart from its mindless negations.

ネオ・アドヴァイタは見え透いた虚無的な否認であるので、その不注意な否定的陳述とは別に方法論を持っていません。 

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その⑤に続きます。
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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ジェームス・スワルツのネオ・アドヴァイタ⑤ ジェームス・スワルツのネオ・アドヴァイタ③
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