カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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ONENESS On The Earth Vol.1 (2004年にKCJ発行)
第3章ジャーナリストのインタビューより
Q:あなたの教えと他の偉大な教えとの違いは何でしょうか?
B:「・・・私のスタンスは、『私はあなたにそのような状態を与えます』ということです。ひとたび私があなたにその状態を与えれば、自然にあなたは嫉妬、怒り、フラストレーションなどを抱くことがなくなり、愛と至福で満たされます。
・・・私が強調したいのは『これ全体は心理的プロセスではなく、生理的プロセスである』ということです。基本的に私がやっていることは、この神秘的パワーを目覚めさせるために人間の脳に働きかける、ということです。また、私が直接的にそうする必要もありません。悟りを得ているこれらのダーサ(弟子)たち、彼らが私に同調します。私たちは毎日このプロセスを行っています。私がダーサにパワーを送ると、彼らが人々に触れるのです。そして彼らが触れると相手の脳が転換します。
・・・ここで必要なのは神経生理学です。私たちが行っているものは『ディクシャ』と呼ばれています。ディクシャとは脳のある特定の部分にパワーを送ることです。すると、その特定の部分が活性化したり、不活発になることによって、あなたが求めているどんなスピリチュアルな状態にも到達することができるのです。
それはキリスト教が目指す意識状態かもしれません。あるいはイスラム教が目指す意識状態、あるいは仏教が目指す意識状態、または道教が目指す意識状態かもしれません。これらの様々な状態は脳の特定の活動によります。そういう意味から、私はあらゆる信仰に属しているといえます。この運動の賛同者にはキリスト教信者もいればイスラム教信者もいます。それでも、あなたが望むどんな状態をも私は与えることができるのです。
つまり、私の教えのポイントは『それがあなたに与えられる必要がある』というものです。」
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Q:あなたが述べた様々な意識状態、つまり仏教の目指す意識状態、イスラム教の目指す意識状態、キリスト教の目指す意識状態、そして道教の目指す意識状態の間には違いがありますか?
B:「違いがあります。例えば、あなたはアグニャヤ・チャクラ(眉間のチャクラ)をご存知ですか?もしそのチャクラが活性化すれば、あなたは仏教的意識状態になります。もしビシュディ・チャクラ(喉のチャクラ)が活性化すればイスラム的意識状態になります。そしてアナハタ・チャクラ(胸のチャクラ)が活性化するならキリスト教的意識状態になるでしょう。もしサハスラーラ・チャクラ(頭頂のチャクラ)が活性化すればヒンズー教的意識状態になります。
実際に、それらのチャクラはそれぞれ脳の異なった部分に関係しています。しかし、各宗教が目ざすそれらの意識に共通していることは、それらすべての状態には苦しみがないということです。愛があり、喜びがあります。しかし、実際の体験はそれぞれの状態によって異なります。
自分の望む状態を選択するのはあなたで、あなたにその状態を与えるのが私です。私はそれをあなたに与えることができます。その背後にどんな生理学的な変化があるかを私は知っているからです。その生理学的な背景を知らずに、ただ教えを説き続けたとして、どんな効果があると言うのでしょうか?
そして気の毒な探求者たちはいつまでも教えに耳を傾けるのですが、いつになっても到達できません。彼は自分の家庭生活に興味を失い、この世界に対する興味もなくなります。最終的に彼は落ち込むでしょう。30年、40年と彼は真理を求めて修行に励みます。いくらかの平安、いくらかの喜びを得るかもしれませんが、進歩はありません。彼はスピリチュアルなことや宗教に対する興味を失い、イライラするばかりです。そうなれば家庭からも厄介者扱いです。イライラ人間になった彼は人生をエンジョイできないばかりか、周りの人々にとって重荷になるだけです。不幸な人、イライラしている人、苦しんでいる人こそ、他の人々の問題の種となるのです。
そのようなわけで、私は教えを広めることの有効性を信じていません。私の言いたいことはただひとつ、『ここに来て下さい。そしてすぐにその意識状態をもらって下さい』ということです。教えとは、その意識状態を得た後で、その状態を理解するのに使うものです。
例えば、あなたが仏教的状態であったなら、仏教の教えはあなたがいる場所を明確に知る上で役立つことでしょう。キリスト教的状態について明確に理解する助けとなります。教えは状態の後に来るべきものであって、前に来るべきものではありません。
つまり、すべてのスピリチュアルな指導者は馬の後ろではなく馬の前に荷車をつないでいるようなものだと、私は主張しているのです。もしあたなが優れた指導者なら、探求者にその状態を与えるべきです。まず最初に彼にその意識を与えるのです。それを与えた後で教えを与えるべきなのです。
その状態を与える前は、彼が真理を求め始めるように少しだけ教えを与えますが、それだけです。
それからすぐさまその状態それ自体へと導きます。
もしあなたにその意識状態を与えることができないのなら、それについて語る権利はありません。
仮に私があなたに対してある意識状態について話すとしたなら、私はその意識状態をあなたに与えることができるべきなのです。
もし与えることができないのなら、『私の状態はとても素晴らしい。あなたもやってみなさい。あなたもそれを得ることができるでしょう』などと語るべきではないのです。実際にそんなふうにはならないのです。
ラーマナ・マハリシは、自分の教えを自分自身で実践したわけではありません。彼はまずその状態になったのです。そうなってしまったのです。その後で彼は自分の意識状態を語り始めました。
ジドゥ・クリシュナムルティーも自分の教えを自分自身に適用したわけではありません。彼はその状態を得て、その後でその状態について語り始めたのです。
自分が説く教えを自分自身で実践することによって、その状態に到達した指導者がいたでしょうか?誰もいません。自分の教えを実践せずにその状態に到達したのなら、なぜ他の人々に教えを説くのでしょうか?
『憐れみを実践しなさい。愛を実践しなさい。欲望を克服しなさい』と人々に説きます。しかし、欲望を克服するのはそんなに簡単なことでしょうか?
『これをしなさい、あれをしなさい』と人々に説き、哀れな生徒はそうなろうと一生懸命努力します。悟りを得た人を手本にします。教えを実践したからこそ悟りに到達したのだと人々は考えます。一生懸命に試みますが、結局失敗し没落します。
だからこそ私はスピリチュアルな教えの実践には反対なのです。そういう意味では私は他のスピリチュアルな指導者とは非常に異なっています。
他のスピリチュアルな指導者たちは『誰もあなたにそれを与えることはできません。あなたは独力でそこに到達しなければなりません』と説きます。
私は『あなたは決して自分の力でそこに到達することはできません。それはあなたに与えられるべきものです』と言います。まったく反対ですね。それが、私が他の指導者とは異なるポイントです。
私は毎日、数百人もの悟った賢者を作り出しています。あなたはここに来てそれを目撃することができます。賢者を生み出すのに3、4分かかるだけです。たったそれだけです。
ワンタッチ、それだけで悟った賢者が誕生します。
・・・彼らは想像もできないような意識状態です。一回触れただけでそれらすべてが起きました。教えはその後からやってきます。今彼らが人々に向かって話をすると、それはこれまでの偉大なスピリチュアルな指導者をも凌ぐようなものとなるでしょう。なぜなら彼らの意識状態そのものが語っているからです。そのような意識状態を実際に生きている普通の人々、一般の村人たちがいます。それも数人ではなく数百人、数千人もの人々をあなたは目にすることができます。完全に悟りを得ており、奇跡を起こし、奇跡的なヒーリングを行うことができます。ですからここは不思議な村です。あなたが村を歩き回ってみれば、ラーマナ・マハリシのような人、仏陀のような人に出会うことでしょう。ただ異なる点は、彼らはラーマナ・マハリシや仏陀のように有名ではないという点だけです。彼らはごく一般の人々です。それだけが唯一違う点です。あなたが彼らと話してみればわかることです。『一体これは何なのだ!』と。彼らはそのようになったのです。
もし本当のグル(師)であるなら、そのような人を生み出すべきです。そうでなければ、なぜ人々に教えを与えるのでしょうか?」
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Q:あなたは神なのですか?
B:「事実はこういうことです。神は本質的に非顕現です。つまり神を見ることはできません。神と話すこともできません。しかし神は存在します。神を見ることもできず、神と話すこともできないので、あなた方にしてみれば存在しないのと同じです。
一般に話している神とは、アンタリアーミン(ハイアーセルフ、内なる神)と呼んでいるものです。心の内側でそれを見ることができ、話すこともできます。それは多くの人々に姿を顕わし、消えていきます。それが一般に人々が神と呼んでいるものです。
時には、神は肉体的姿をもって生まれてくることもあります。それがアヴァターと呼ばれているものです。
私はアヴァターです。その意味では私は神です。しかし、もし今、私が非顕現の神であるのかと尋ねられれば、私はそうではありません。なぜなら、私はこのとおり肉体を持っているからです。
ですが、アヴァターであるという意味では私は神です。
・・・肉体を持つアヴァターの周りでは奇跡が生じます。あなた方は私のもとに来て、私が『よろしい、それは起こります。あれは起こります』と答えたとすれば、多くの奇跡が始まるでしょう。」
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B:「2004年の6月から始まって2012年の9月から11月までに非常に多くの人々が悟りを得ます。人類の大部分が悟ることでしょう。そうなれば問題はなくなります。」
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Q:そのような悟りを私たち人類はどのように達成できるのでしょうか?
B:「私が計画しているのは、6万人の人間が完全な悟りを得るということです。もし、6万人の人が完全に悟れば、あとは自動的です。自動的に世界中のあちこちで人々は悟っていきます。それだけです。それは自動的、自然なプロセスです。しかし、その引き金となる6万人の人間が非常に高い悟りの状態に入る必要があります。もし6万人が悟れば、この地球全体がそうなるでしょう。
ですから、私のする仕事はそれらの6万人を生み出すことだけです。2012年までには私はそれを達成することができると信じています。遅くても2012年であり、それ以前に達成できる可能性もあります。そうなれば、それら6万人の人間が地球上にいるだけで、他の人々に転換が生じます。
人々はこの運動について知る必要もなく、運動に参加する必要もありません。何もする必要がありません。皆さんがどこにいようとも、ある朝突然あなたは悟ることでしょう。非常に静かで、愛に満ちた人間になります。それは自然に生じます。それだけです。
それこそが、私がやろうとしていることです。ですから、私たちはそれぞれの国に人数を割り当てました。それぞれの国にこの運動を推進する人間がおり、彼らは全員この目的に向かって働いています。そういうわけで、もし私たちが悟った人間を6万人用意できれば、それで終わりです。」
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Q:あなたの目的と使命は何でしょうか?
B:「私の目的は2012年までに黄金の時代をもたらすということです。使命は6万人の人々を悟らせることです。これこそが私の使命です。方法としては、私がディクシャを与えます。
これが私の目的であり、使命であり、方法です。
私はただディクシャを与えるだけです。
あなた方に厳しいサダナ(修行)を要求することはありません。
ただここを訪れてディクシャを受けるだけです。それだけです。
そうすればあなたは悟れます。その悟った人たちが6万人必要です。」
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Q:その悟りの状態について、あなたは戻ることのない永久的な悟りを与えるのですか?
B:「もちろんです。なぜなら、それは神経生理学的な変容だからです。心理的なものではありません。もしそれが心理的なものだとしたら、やって来ても消えてしまいます。私はソフトウェアを扱うのではありません。ハードウェア、つまり脳それ自体を扱います。私は脳を物理的に変容させます。脳が変容するということは、ハードウェアが変わることです。ですからそれは永久的なものです。もしソフトウェアだけが変わるのなら、数日、数時間、数分あるいは数秒の間だけ変化が続いても、その後で消えてしまいます。私が行うのはハードウェアの転換です。
実際にここで悟りを得た人々を見てみれば、その変化が理解できることでしょう。私は将来起きることについて話しているのではありません。すでに起きていることについて話しているのです。様々な国から人々が訪れています。日本、ロシア、アメリカ、スェーデンなど様々な国、そしてインドのすべての州からです。毎日、多くの人々に悟りを与えます。それが実際に起きていることです。私たちがしていることは、人々に悟りを与えることなのです。」
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B:「私にとって重要なことは、私が人々に悟りを与えることができるということです。私には悟りを与えるパワーがあります。それは至高のものです。インドでは、もっとも偉大なアヴァターだけが悟りを与えることができると信じられています。一般的にそう信じられています。あなた方は奇跡を行うことはできますが、しかし悟りを与えるというのは別の話になります。私はそれ以上のことを信じていようといまいと、信仰心があろうと無かろうと、ここに来れば私はあなたに悟りを与えることができます。それだけです。」
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Q:ムクティ(解脱・悟り)はあるのですか?そこに到達するのは可能なのですか?
B:「もちろんです、何百人もの人々がそれを得ています。いいえ、実際には何千人で、何百人という問題ではありません。今やそこに到達できるか否か、という問題ではありません。すでに彼らはそれを得ています。それらの人々に会って話してみるべきです。解脱を得た人々と会ってみるべきです。」
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Q:瞑想によって人間の苦しみを取り除くことは可能ですか?
B:「瞑想によって苦しみを減らすことはできますが、ほんの少しだけです。それ以上のことに関しては、どんなサダナ(修行)も無意味です。ある程度までは効果がありますが、いかなるサダナもそれ以上の効果はありません。役に立ちません。確かに、ある程度までは効果がありますが。唯一の解決策は悟りを得ることです。悟りを得ると、24時間瞑想状態になります。」
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B:「・・・なぜ人々はそれほど急激に転換できるのでしょうか?実際にこの転換はあまり時間がかかりません。昨日まであなたは普通の人でしたが、今日あなたは転換しています。たったの24時間です。その上、これは戻ることはなく永久的なものです。これ以上のものがあるでしょうか?」
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B:「私は毎日、悟った人々を数百人生み出しています。まもなくそれは爆発的なものになるでしょう。これは人類の最終的局面なのです。」
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THE GOLDEN AGE OF KALKI 2003年8月より
Q: 自殺についてですが、自殺者は、神との契約や聖なる意思に逆らうことで、テストを避けようとすることだと思います。生きているときよりも死後の体験の方がもっと苦しむことになり、幽霊になると思います。
それでは、なぜ人は、身を委ね、人生が与えるものに向かい合うことができないのでしょうか?
B: 聖書にも謳われています。
「御心の行われんことを」・・・・ “ あらゆることの背後にある主を見よ、主を見よ、主を見よ。主はすべてをなすもの ” と。
見て下さい。この宇宙はすべて完璧です。もしあなたが、不愉快なことを避けず、そして楽しいことも追い求めずに、この世界を目の当たりにしたら・・・・、もしあなたがすべてのものが聖なる意思の部分、部分だということに気づけたら・・・・そのときのみあなたは私と調和できます。
そのときあなたは私から放たれる果てしない静寂の一部になるでしょう。
あなたの頭があなたの心へと溶けていくに従って、奇跡が始まって行きます。あなたは私の一部分になり、私はあなたの一部分になります。
あなたは私といっしょにここにいて、私の前に座っています。
そうしていれば、あなたは自分に目的地があることに気づきませんか?
帰依の気持ちで歌い、人類への約束を果たす誇りを感じながら踊りまわれば、あなたの心は花開くでしょう。
帰依や委ねがなければ、たとえあなたがこの大自然についてすべて知っていようと、大宇宙の構造を理解していようと、あなたは乞食です。
孤児のままです。人々の中に生きていても、孤独があなたを襲います。
私との絆の中であなたが歌い踊れば、あなたは億万長者です。
恩寵が溢れるほど注がれます。
悟った人も悟ってない人も私の恩寵を必要としています。
恩寵を受け取り、宇宙的心との絆を結ぶことは、とてつもないことです。
この使命の一役を担い、私を手伝うという最も偉大な機会は、100万回人生を送っても、一回でさえ得られない貴重なことなのです。
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THE GOLDEN AGE OF KALKI 2001年12月号
Q: あなたのダルマでは、ムクティ・ヤグニャを行っていますが、このヤグニャの利点は何ですか?
B: 2006年までに、私は60,000人の人々にムクティ(悟り)を与えます。すなわち、私は彼らを苦しみから解放します。
そして、2012年までには、全人類がムクティを達成すべきです。
そうでなければ、地球は生命のない、まさに火星のような不毛の地になってしまうでしょう。
私は、このムクティ・ヤグニャに参加した人々を、来年6月から招集し、彼らにムクティを与えます。
そこでは、参加者の脳に小「手術」を施します。
ただし、手術といっても、実際にするわけではなく霊的なものです。
Q: あなたのバガヴァッド・ダルマは宗教ですか?
B: 宗教とは、ひとりの人物または何らかの真理の表現形式に基づいて築かれたものです。たとえば、キリスト教は信念(信仰)に基づく宗教です。キリスト教徒は、「イエスは神の子である」 「人々はイエスによって救われる」 「イエスは人類の原罪のために犠牲になった」と信じなければなりません。
イスラム教の場合も同じです。イスラム教徒は、マホメットが神によって送られた最後の預言者であると信じなければなりません。お分かりのように、宗教とは、ひとりの人物や信仰または神に基づいて築かれたものです。
バガヴァッド・ダルマは、だれか人に基づいて築かれるものではありません。これは真理の道です。このダルマはでは、神を礼拝するのに、あなたはどんな形でもどんな姿でも選べます。ラーマでも、アッラーでも、イエスでも、カルキでも、あなたの好きなどんな形式でも礼拝することができます。
これこそが、古代のヒンズーの宗教だったのです。これは真実への一つの道です。
あなたが好めばそれに従います。あるいは自分自身の独自の道に沿って進むこともできます。六十億の人々がムクティを達成するのに、六十億の道があります。私のダルマが唯一の道だと主張したいわけではありません。これも道の一つです、現代人向けの一つの道です。この道は「自由」に始まり、「自由」に終わります。この道のどの段階でも「自由」が基本です。なぜなら、バガヴァッド・ダルマ自体が「自由」なのです。
従ってこれは宗教とはまったく異なるものです。
私がはっきりお伝えしたい点は、2012年までにすべての宗教がなくなるということです。あらゆる宗教がこの地球から姿を消し、真実だけが存在するでしょう。
Q: 古代の言い伝えや信仰によると、カルキ・アヴァターは白馬に乗って来るはずなのですが、あなたはなぜその姿で現れないのですか?
B: 私は白い衣装を着て現れます、それで十分ではないですか!また、私は、白い車に乗って来ますし、それが私の馬です。
馬と言うのはスピードを示しています。
{ B ・・・バガヴァンこと自称カルキアヴァター(神の化身)、本名ビジェイ・クマール・ナイドゥによる発言 }
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以上、ビジェイ・クマールの過去の発言の一部をご紹介しました。
「悟りを与える」ことを強調していたことがよくわかります。
「私は悟りのテクニシャンです」というのもありましたっけ(失笑)。
これらの発言については、2001年の記事を除いて、ちょうどディクシャが広がり始めた頃のものです。
それにしても大胆不敵な発言のオンパレードです。ワンタッチ、3,4分で賢者を生み出すとか、24時間で転換(永久的で戻らない)とか、どんな状態も与えられるとか何とか。実際に与えたとも言ってます。
ところどころでは、もっともに思えるようなことも語っているものの、彼自身がそれを実践できていないことでもあるのが明らかです。
それから数年が経過してどうなったでしょうか?
結果は皆さんがご存知の通りです。
ディクシャのワンタッチで永久的な悟りを得たものは皆無といっていいでしょう。
中には、あなたは悟ったと他人から認定されて有頂天になって、自分は悟ったと思い込んでしまった御目出度い人や、自分の意識状態を確認してもらいたくて自己申告し、曖昧な認定をもらって御満悦な人もいるようなのですが、それはそれで本人達は幸せなのかもしれません。
仮に彼が主張した通りに毎日、数百人ずつ悟っていたならば、6万人などとっくに到達しているわけです。その理論でいけば、彼らの影響がとっくに世界に波及していないとおかしいことになります。ですが、世界の分裂がなくなるどころか、組織内部に亀裂が生じます。主要な弟子のほとんどが離れ去りました。その後には組織の実態を報道され、社会的に問題視されています。
ビジェイ・クマールによれば、悟った人が1人いれば10万人に影響を及ぼすということなのですが、彼らの組織(アシュラム、寺院)が位置するインドのアンドラプラデシュ州ですら、現在も貧困に苦しむ人々の姿を目にします(例えば、下方の2009年に投稿された動画など)。アシュラム内のワーカーでさえ労働待遇に不満を漏らし、海外の訪問客を嫉妬するような状況があります(通常、団体でコースに参加するような人は接点もなく知ることもないでしょう。もちろんワーカーも大勢いますし、人それぞれではあります。仕事によっては、それなりの地位、報酬を得ているものもいて、格差があります)。
現実をちゃんと見ることが出来たら(それが難しいのかもしれませんが)、彼らのムーブメントが茶番劇であることは明らかになるでしょう。
旅の終わりにあるもの・インド アンドラプラデシュ州
輝く子供時代・インド アンドラプラデシュ州
第3章ジャーナリストのインタビューより
Q:あなたの教えと他の偉大な教えとの違いは何でしょうか?
B:「・・・私のスタンスは、『私はあなたにそのような状態を与えます』ということです。ひとたび私があなたにその状態を与えれば、自然にあなたは嫉妬、怒り、フラストレーションなどを抱くことがなくなり、愛と至福で満たされます。
・・・私が強調したいのは『これ全体は心理的プロセスではなく、生理的プロセスである』ということです。基本的に私がやっていることは、この神秘的パワーを目覚めさせるために人間の脳に働きかける、ということです。また、私が直接的にそうする必要もありません。悟りを得ているこれらのダーサ(弟子)たち、彼らが私に同調します。私たちは毎日このプロセスを行っています。私がダーサにパワーを送ると、彼らが人々に触れるのです。そして彼らが触れると相手の脳が転換します。
・・・ここで必要なのは神経生理学です。私たちが行っているものは『ディクシャ』と呼ばれています。ディクシャとは脳のある特定の部分にパワーを送ることです。すると、その特定の部分が活性化したり、不活発になることによって、あなたが求めているどんなスピリチュアルな状態にも到達することができるのです。
それはキリスト教が目指す意識状態かもしれません。あるいはイスラム教が目指す意識状態、あるいは仏教が目指す意識状態、または道教が目指す意識状態かもしれません。これらの様々な状態は脳の特定の活動によります。そういう意味から、私はあらゆる信仰に属しているといえます。この運動の賛同者にはキリスト教信者もいればイスラム教信者もいます。それでも、あなたが望むどんな状態をも私は与えることができるのです。
つまり、私の教えのポイントは『それがあなたに与えられる必要がある』というものです。」
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Q:あなたが述べた様々な意識状態、つまり仏教の目指す意識状態、イスラム教の目指す意識状態、キリスト教の目指す意識状態、そして道教の目指す意識状態の間には違いがありますか?
B:「違いがあります。例えば、あなたはアグニャヤ・チャクラ(眉間のチャクラ)をご存知ですか?もしそのチャクラが活性化すれば、あなたは仏教的意識状態になります。もしビシュディ・チャクラ(喉のチャクラ)が活性化すればイスラム的意識状態になります。そしてアナハタ・チャクラ(胸のチャクラ)が活性化するならキリスト教的意識状態になるでしょう。もしサハスラーラ・チャクラ(頭頂のチャクラ)が活性化すればヒンズー教的意識状態になります。
実際に、それらのチャクラはそれぞれ脳の異なった部分に関係しています。しかし、各宗教が目ざすそれらの意識に共通していることは、それらすべての状態には苦しみがないということです。愛があり、喜びがあります。しかし、実際の体験はそれぞれの状態によって異なります。
自分の望む状態を選択するのはあなたで、あなたにその状態を与えるのが私です。私はそれをあなたに与えることができます。その背後にどんな生理学的な変化があるかを私は知っているからです。その生理学的な背景を知らずに、ただ教えを説き続けたとして、どんな効果があると言うのでしょうか?
そして気の毒な探求者たちはいつまでも教えに耳を傾けるのですが、いつになっても到達できません。彼は自分の家庭生活に興味を失い、この世界に対する興味もなくなります。最終的に彼は落ち込むでしょう。30年、40年と彼は真理を求めて修行に励みます。いくらかの平安、いくらかの喜びを得るかもしれませんが、進歩はありません。彼はスピリチュアルなことや宗教に対する興味を失い、イライラするばかりです。そうなれば家庭からも厄介者扱いです。イライラ人間になった彼は人生をエンジョイできないばかりか、周りの人々にとって重荷になるだけです。不幸な人、イライラしている人、苦しんでいる人こそ、他の人々の問題の種となるのです。
そのようなわけで、私は教えを広めることの有効性を信じていません。私の言いたいことはただひとつ、『ここに来て下さい。そしてすぐにその意識状態をもらって下さい』ということです。教えとは、その意識状態を得た後で、その状態を理解するのに使うものです。
例えば、あなたが仏教的状態であったなら、仏教の教えはあなたがいる場所を明確に知る上で役立つことでしょう。キリスト教的状態について明確に理解する助けとなります。教えは状態の後に来るべきものであって、前に来るべきものではありません。
つまり、すべてのスピリチュアルな指導者は馬の後ろではなく馬の前に荷車をつないでいるようなものだと、私は主張しているのです。もしあたなが優れた指導者なら、探求者にその状態を与えるべきです。まず最初に彼にその意識を与えるのです。それを与えた後で教えを与えるべきなのです。
その状態を与える前は、彼が真理を求め始めるように少しだけ教えを与えますが、それだけです。
それからすぐさまその状態それ自体へと導きます。
もしあなたにその意識状態を与えることができないのなら、それについて語る権利はありません。
仮に私があなたに対してある意識状態について話すとしたなら、私はその意識状態をあなたに与えることができるべきなのです。
もし与えることができないのなら、『私の状態はとても素晴らしい。あなたもやってみなさい。あなたもそれを得ることができるでしょう』などと語るべきではないのです。実際にそんなふうにはならないのです。
ラーマナ・マハリシは、自分の教えを自分自身で実践したわけではありません。彼はまずその状態になったのです。そうなってしまったのです。その後で彼は自分の意識状態を語り始めました。
ジドゥ・クリシュナムルティーも自分の教えを自分自身に適用したわけではありません。彼はその状態を得て、その後でその状態について語り始めたのです。
自分が説く教えを自分自身で実践することによって、その状態に到達した指導者がいたでしょうか?誰もいません。自分の教えを実践せずにその状態に到達したのなら、なぜ他の人々に教えを説くのでしょうか?
『憐れみを実践しなさい。愛を実践しなさい。欲望を克服しなさい』と人々に説きます。しかし、欲望を克服するのはそんなに簡単なことでしょうか?
『これをしなさい、あれをしなさい』と人々に説き、哀れな生徒はそうなろうと一生懸命努力します。悟りを得た人を手本にします。教えを実践したからこそ悟りに到達したのだと人々は考えます。一生懸命に試みますが、結局失敗し没落します。
だからこそ私はスピリチュアルな教えの実践には反対なのです。そういう意味では私は他のスピリチュアルな指導者とは非常に異なっています。
他のスピリチュアルな指導者たちは『誰もあなたにそれを与えることはできません。あなたは独力でそこに到達しなければなりません』と説きます。
私は『あなたは決して自分の力でそこに到達することはできません。それはあなたに与えられるべきものです』と言います。まったく反対ですね。それが、私が他の指導者とは異なるポイントです。
私は毎日、数百人もの悟った賢者を作り出しています。あなたはここに来てそれを目撃することができます。賢者を生み出すのに3、4分かかるだけです。たったそれだけです。
ワンタッチ、それだけで悟った賢者が誕生します。
・・・彼らは想像もできないような意識状態です。一回触れただけでそれらすべてが起きました。教えはその後からやってきます。今彼らが人々に向かって話をすると、それはこれまでの偉大なスピリチュアルな指導者をも凌ぐようなものとなるでしょう。なぜなら彼らの意識状態そのものが語っているからです。そのような意識状態を実際に生きている普通の人々、一般の村人たちがいます。それも数人ではなく数百人、数千人もの人々をあなたは目にすることができます。完全に悟りを得ており、奇跡を起こし、奇跡的なヒーリングを行うことができます。ですからここは不思議な村です。あなたが村を歩き回ってみれば、ラーマナ・マハリシのような人、仏陀のような人に出会うことでしょう。ただ異なる点は、彼らはラーマナ・マハリシや仏陀のように有名ではないという点だけです。彼らはごく一般の人々です。それだけが唯一違う点です。あなたが彼らと話してみればわかることです。『一体これは何なのだ!』と。彼らはそのようになったのです。
もし本当のグル(師)であるなら、そのような人を生み出すべきです。そうでなければ、なぜ人々に教えを与えるのでしょうか?」
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Q:あなたは神なのですか?
B:「事実はこういうことです。神は本質的に非顕現です。つまり神を見ることはできません。神と話すこともできません。しかし神は存在します。神を見ることもできず、神と話すこともできないので、あなた方にしてみれば存在しないのと同じです。
一般に話している神とは、アンタリアーミン(ハイアーセルフ、内なる神)と呼んでいるものです。心の内側でそれを見ることができ、話すこともできます。それは多くの人々に姿を顕わし、消えていきます。それが一般に人々が神と呼んでいるものです。
時には、神は肉体的姿をもって生まれてくることもあります。それがアヴァターと呼ばれているものです。
私はアヴァターです。その意味では私は神です。しかし、もし今、私が非顕現の神であるのかと尋ねられれば、私はそうではありません。なぜなら、私はこのとおり肉体を持っているからです。
ですが、アヴァターであるという意味では私は神です。
・・・肉体を持つアヴァターの周りでは奇跡が生じます。あなた方は私のもとに来て、私が『よろしい、それは起こります。あれは起こります』と答えたとすれば、多くの奇跡が始まるでしょう。」
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B:「2004年の6月から始まって2012年の9月から11月までに非常に多くの人々が悟りを得ます。人類の大部分が悟ることでしょう。そうなれば問題はなくなります。」
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Q:そのような悟りを私たち人類はどのように達成できるのでしょうか?
B:「私が計画しているのは、6万人の人間が完全な悟りを得るということです。もし、6万人の人が完全に悟れば、あとは自動的です。自動的に世界中のあちこちで人々は悟っていきます。それだけです。それは自動的、自然なプロセスです。しかし、その引き金となる6万人の人間が非常に高い悟りの状態に入る必要があります。もし6万人が悟れば、この地球全体がそうなるでしょう。
ですから、私のする仕事はそれらの6万人を生み出すことだけです。2012年までには私はそれを達成することができると信じています。遅くても2012年であり、それ以前に達成できる可能性もあります。そうなれば、それら6万人の人間が地球上にいるだけで、他の人々に転換が生じます。
人々はこの運動について知る必要もなく、運動に参加する必要もありません。何もする必要がありません。皆さんがどこにいようとも、ある朝突然あなたは悟ることでしょう。非常に静かで、愛に満ちた人間になります。それは自然に生じます。それだけです。
それこそが、私がやろうとしていることです。ですから、私たちはそれぞれの国に人数を割り当てました。それぞれの国にこの運動を推進する人間がおり、彼らは全員この目的に向かって働いています。そういうわけで、もし私たちが悟った人間を6万人用意できれば、それで終わりです。」
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Q:あなたの目的と使命は何でしょうか?
B:「私の目的は2012年までに黄金の時代をもたらすということです。使命は6万人の人々を悟らせることです。これこそが私の使命です。方法としては、私がディクシャを与えます。
これが私の目的であり、使命であり、方法です。
私はただディクシャを与えるだけです。
あなた方に厳しいサダナ(修行)を要求することはありません。
ただここを訪れてディクシャを受けるだけです。それだけです。
そうすればあなたは悟れます。その悟った人たちが6万人必要です。」
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Q:その悟りの状態について、あなたは戻ることのない永久的な悟りを与えるのですか?
B:「もちろんです。なぜなら、それは神経生理学的な変容だからです。心理的なものではありません。もしそれが心理的なものだとしたら、やって来ても消えてしまいます。私はソフトウェアを扱うのではありません。ハードウェア、つまり脳それ自体を扱います。私は脳を物理的に変容させます。脳が変容するということは、ハードウェアが変わることです。ですからそれは永久的なものです。もしソフトウェアだけが変わるのなら、数日、数時間、数分あるいは数秒の間だけ変化が続いても、その後で消えてしまいます。私が行うのはハードウェアの転換です。
実際にここで悟りを得た人々を見てみれば、その変化が理解できることでしょう。私は将来起きることについて話しているのではありません。すでに起きていることについて話しているのです。様々な国から人々が訪れています。日本、ロシア、アメリカ、スェーデンなど様々な国、そしてインドのすべての州からです。毎日、多くの人々に悟りを与えます。それが実際に起きていることです。私たちがしていることは、人々に悟りを与えることなのです。」
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B:「私にとって重要なことは、私が人々に悟りを与えることができるということです。私には悟りを与えるパワーがあります。それは至高のものです。インドでは、もっとも偉大なアヴァターだけが悟りを与えることができると信じられています。一般的にそう信じられています。あなた方は奇跡を行うことはできますが、しかし悟りを与えるというのは別の話になります。私はそれ以上のことを信じていようといまいと、信仰心があろうと無かろうと、ここに来れば私はあなたに悟りを与えることができます。それだけです。」
============
Q:ムクティ(解脱・悟り)はあるのですか?そこに到達するのは可能なのですか?
B:「もちろんです、何百人もの人々がそれを得ています。いいえ、実際には何千人で、何百人という問題ではありません。今やそこに到達できるか否か、という問題ではありません。すでに彼らはそれを得ています。それらの人々に会って話してみるべきです。解脱を得た人々と会ってみるべきです。」
============
Q:瞑想によって人間の苦しみを取り除くことは可能ですか?
B:「瞑想によって苦しみを減らすことはできますが、ほんの少しだけです。それ以上のことに関しては、どんなサダナ(修行)も無意味です。ある程度までは効果がありますが、いかなるサダナもそれ以上の効果はありません。役に立ちません。確かに、ある程度までは効果がありますが。唯一の解決策は悟りを得ることです。悟りを得ると、24時間瞑想状態になります。」
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B:「・・・なぜ人々はそれほど急激に転換できるのでしょうか?実際にこの転換はあまり時間がかかりません。昨日まであなたは普通の人でしたが、今日あなたは転換しています。たったの24時間です。その上、これは戻ることはなく永久的なものです。これ以上のものがあるでしょうか?」
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B:「私は毎日、悟った人々を数百人生み出しています。まもなくそれは爆発的なものになるでしょう。これは人類の最終的局面なのです。」
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THE GOLDEN AGE OF KALKI 2003年8月より
Q: 自殺についてですが、自殺者は、神との契約や聖なる意思に逆らうことで、テストを避けようとすることだと思います。生きているときよりも死後の体験の方がもっと苦しむことになり、幽霊になると思います。
それでは、なぜ人は、身を委ね、人生が与えるものに向かい合うことができないのでしょうか?
B: 聖書にも謳われています。
「御心の行われんことを」・・・・ “ あらゆることの背後にある主を見よ、主を見よ、主を見よ。主はすべてをなすもの ” と。
見て下さい。この宇宙はすべて完璧です。もしあなたが、不愉快なことを避けず、そして楽しいことも追い求めずに、この世界を目の当たりにしたら・・・・、もしあなたがすべてのものが聖なる意思の部分、部分だということに気づけたら・・・・そのときのみあなたは私と調和できます。
そのときあなたは私から放たれる果てしない静寂の一部になるでしょう。
あなたの頭があなたの心へと溶けていくに従って、奇跡が始まって行きます。あなたは私の一部分になり、私はあなたの一部分になります。
あなたは私といっしょにここにいて、私の前に座っています。
そうしていれば、あなたは自分に目的地があることに気づきませんか?
帰依の気持ちで歌い、人類への約束を果たす誇りを感じながら踊りまわれば、あなたの心は花開くでしょう。
帰依や委ねがなければ、たとえあなたがこの大自然についてすべて知っていようと、大宇宙の構造を理解していようと、あなたは乞食です。
孤児のままです。人々の中に生きていても、孤独があなたを襲います。
私との絆の中であなたが歌い踊れば、あなたは億万長者です。
恩寵が溢れるほど注がれます。
悟った人も悟ってない人も私の恩寵を必要としています。
恩寵を受け取り、宇宙的心との絆を結ぶことは、とてつもないことです。
この使命の一役を担い、私を手伝うという最も偉大な機会は、100万回人生を送っても、一回でさえ得られない貴重なことなのです。
============
THE GOLDEN AGE OF KALKI 2001年12月号
Q: あなたのダルマでは、ムクティ・ヤグニャを行っていますが、このヤグニャの利点は何ですか?
B: 2006年までに、私は60,000人の人々にムクティ(悟り)を与えます。すなわち、私は彼らを苦しみから解放します。
そして、2012年までには、全人類がムクティを達成すべきです。
そうでなければ、地球は生命のない、まさに火星のような不毛の地になってしまうでしょう。
私は、このムクティ・ヤグニャに参加した人々を、来年6月から招集し、彼らにムクティを与えます。
そこでは、参加者の脳に小「手術」を施します。
ただし、手術といっても、実際にするわけではなく霊的なものです。
Q: あなたのバガヴァッド・ダルマは宗教ですか?
B: 宗教とは、ひとりの人物または何らかの真理の表現形式に基づいて築かれたものです。たとえば、キリスト教は信念(信仰)に基づく宗教です。キリスト教徒は、「イエスは神の子である」 「人々はイエスによって救われる」 「イエスは人類の原罪のために犠牲になった」と信じなければなりません。
イスラム教の場合も同じです。イスラム教徒は、マホメットが神によって送られた最後の預言者であると信じなければなりません。お分かりのように、宗教とは、ひとりの人物や信仰または神に基づいて築かれたものです。
バガヴァッド・ダルマは、だれか人に基づいて築かれるものではありません。これは真理の道です。このダルマはでは、神を礼拝するのに、あなたはどんな形でもどんな姿でも選べます。ラーマでも、アッラーでも、イエスでも、カルキでも、あなたの好きなどんな形式でも礼拝することができます。
これこそが、古代のヒンズーの宗教だったのです。これは真実への一つの道です。
あなたが好めばそれに従います。あるいは自分自身の独自の道に沿って進むこともできます。六十億の人々がムクティを達成するのに、六十億の道があります。私のダルマが唯一の道だと主張したいわけではありません。これも道の一つです、現代人向けの一つの道です。この道は「自由」に始まり、「自由」に終わります。この道のどの段階でも「自由」が基本です。なぜなら、バガヴァッド・ダルマ自体が「自由」なのです。
従ってこれは宗教とはまったく異なるものです。
私がはっきりお伝えしたい点は、2012年までにすべての宗教がなくなるということです。あらゆる宗教がこの地球から姿を消し、真実だけが存在するでしょう。
Q: 古代の言い伝えや信仰によると、カルキ・アヴァターは白馬に乗って来るはずなのですが、あなたはなぜその姿で現れないのですか?
B: 私は白い衣装を着て現れます、それで十分ではないですか!また、私は、白い車に乗って来ますし、それが私の馬です。
馬と言うのはスピードを示しています。
{ B ・・・バガヴァンこと自称カルキアヴァター(神の化身)、本名ビジェイ・クマール・ナイドゥによる発言 }
-----------------------------
以上、ビジェイ・クマールの過去の発言の一部をご紹介しました。
「悟りを与える」ことを強調していたことがよくわかります。
「私は悟りのテクニシャンです」というのもありましたっけ(失笑)。
これらの発言については、2001年の記事を除いて、ちょうどディクシャが広がり始めた頃のものです。
それにしても大胆不敵な発言のオンパレードです。ワンタッチ、3,4分で賢者を生み出すとか、24時間で転換(永久的で戻らない)とか、どんな状態も与えられるとか何とか。実際に与えたとも言ってます。
ところどころでは、もっともに思えるようなことも語っているものの、彼自身がそれを実践できていないことでもあるのが明らかです。
それから数年が経過してどうなったでしょうか?
結果は皆さんがご存知の通りです。
ディクシャのワンタッチで永久的な悟りを得たものは皆無といっていいでしょう。
中には、あなたは悟ったと他人から認定されて有頂天になって、自分は悟ったと思い込んでしまった御目出度い人や、自分の意識状態を確認してもらいたくて自己申告し、曖昧な認定をもらって御満悦な人もいるようなのですが、それはそれで本人達は幸せなのかもしれません。
仮に彼が主張した通りに毎日、数百人ずつ悟っていたならば、6万人などとっくに到達しているわけです。その理論でいけば、彼らの影響がとっくに世界に波及していないとおかしいことになります。ですが、世界の分裂がなくなるどころか、組織内部に亀裂が生じます。主要な弟子のほとんどが離れ去りました。その後には組織の実態を報道され、社会的に問題視されています。
ビジェイ・クマールによれば、悟った人が1人いれば10万人に影響を及ぼすということなのですが、彼らの組織(アシュラム、寺院)が位置するインドのアンドラプラデシュ州ですら、現在も貧困に苦しむ人々の姿を目にします(例えば、下方の2009年に投稿された動画など)。アシュラム内のワーカーでさえ労働待遇に不満を漏らし、海外の訪問客を嫉妬するような状況があります(通常、団体でコースに参加するような人は接点もなく知ることもないでしょう。もちろんワーカーも大勢いますし、人それぞれではあります。仕事によっては、それなりの地位、報酬を得ているものもいて、格差があります)。
現実をちゃんと見ることが出来たら(それが難しいのかもしれませんが)、彼らのムーブメントが茶番劇であることは明らかになるでしょう。
旅の終わりにあるもの・インド アンドラプラデシュ州
輝く子供時代・インド アンドラプラデシュ州
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前回の記事の続きです。
「ニティヤナンダは、交換条件を交渉するためにレーニン(通称ダルマ)と携帯電話で複数の会話をしていました(ビデオでは公表しません)。レーニンは、この携帯電話の会話が正真正銘の記録であり、警察に引き渡されたと陳述します。」
と、動画の8分ほどの箇所にありましたが、その会話内容(文章)が公開されています。ビデオでは公表しませんという補記は、そのままの音声は公に出回っていないということかと思います。
元運転手だったレーニン氏は、何千、何万という人々にスピリチュアルマスターとして瞑想を教えたりしていた男の表の顔と裏の顔を長い期間に渡って目撃してきたので、真実を知らせる必要性に駆られ、ビデオを公開するに至ったということのようです。
以下は、ニティヤナンダとレーニン(会話の中ではダルマと呼ばれている、いわゆるホーリーネームというやつでしょうか?)の携帯電話での会話内容の一部抜粋(YOU TUBEなどで検索すれば全文が見つかるかもしれないとのこと)です。動画の8:20ぐらいから始まります。
=========
Nityananda : Ranjitha and I were together intimately. What is wrong this? Please understand Dharma. On one hand we are both adults... I came and tell the public straightaway, 『We are two adults, it's our life』, If say this, the matter ends there. Will they not appreciate it?
ニティヤナンダ:ランジータと俺は親密な仲だった。これの何がいけないんだ?わかってくれよ、ダルマ。1つの観点では、俺もランジータも成人だ... 俺が公衆に対して 『我々は二人の成人です、それが我々の人生です』 とストレートに告げれば、そこでこの問題は完結する。だが、彼らはそれを認めないんじゃないか?
Lenin : Mmm...
レーニン(ダルマ):ん~
Nityananda : I am not a Sannyasi(a monk that dresses in orange robe). People came to me only because I am a Gnani(very wise and knowledgeable person), not because I am a sannyasi(monk or ascetic).
ニティヤナンダ:俺はサンニャシ(オレンジ色の衣服を身につけた僧)ではない。みんなが俺のところにやってきたのは俺がジナーニ(とても賢く精通した人)であるからにすぎない。俺がサンニャシ(僧、または行者)だからではない。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : Rama krishna(famous Indian saint)faced similar problems because Sarada Devi(She was the wife of Rama krishna)was with him... What to do.
ニティヤナンダ:ラーマ・クリシュナ(有名なインドの聖者)は同じような問題に直面した。サラダ・デヴィ(彼女はラーマ・クリシュナの妻だった)と一緒だったからな... どうしようもないさ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : with Ramana Maharishi, also one old lady(grand mother like)lived with him.
ニティヤナンダ:ラマナ・マハリシも老女(祖母のことらしい)と同棲してたぞ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : Osho(never wore orange robe)also was similar. What can I say?
ニティヤナンダ:オショー{ラジニーシ}(オレンジ色のローブを纏ったことはなかった)だって似たようなもんだった。わかるだろ?
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : ...If I stan up in public and say 『THis is my life, that's all, it's over』. it's not as if Osho did not have, or Rama krishna did not have, or Vivekananda did not have. I am also Gnani like them. What can I do?
ニティヤナンダ:もし、俺が公衆の面前で 『これが俺の人生(生きる道)だ、それだけのことだ、おしまい。』 なんて言おうもんなら、オショーはそんなことはしなかった、ラーマ・クリシュナはそんなことはしなかった、ヴィヴェーカーナンダはそんなことはしなかったってなるだろ。俺は彼らのようなジナーニでもある。俺にどうしろっていうのさ?
Nityananda : without making this a big problem, I feel we should be silent. That's why I want to do everything silently. That's the only thing we have to do. We have to make sure they won't do anything.
ニティヤナンダ:これをオオゴトにせず、俺らは黙っているべきだと思う。だから何も喋らないで欲しい。それが俺らがする必要のある唯一のことだ。俺らは帰依者たちが何もしないようにする必要があるんだ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : If our people get emotional, for that also we will only be held responsible.
ニティヤナンダ:もし、帰依者たちを感情的にさせたなら、俺らが責任を背負わされるだけだぞ。
Lenin : Yes. Yes.
レーニン:まあ、そうですね。
Nityananda : That's why, for everything to be handled silently, I am working hard on this.
ニティヤナンダ:だからさ、黙っているのが皆にとっていいんだよ。俺も苦労してるんだよ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : Dharma, forgive this one alone. Please Dharma. If you decide, it's possible Dharma, I will give you how much ever money you need.
ニティヤナンダ:ダルマ、今回のみ勘弁してくれ。頼むよ、ダルマ。お前がそうしてくれるんだったら、出来る限りのことはする。お前が必要なだけ幾らでもカネを払うよ。
(no response from Lenin)
(レーニンからの応答はない)
Nityananda : Do you think I will not spend money(on you)? How much money you want, I will give. You are not saying anything. What can I do for you? Tell me. I will keep you like a king. Please come back...
ニティヤナンダ:俺が(お前に)カネを使わないとでも思うか? いくら欲しいんだ、払うよ。お前、何も言わないんだな、どうすりゃいいんだ? 教えてくれよ。俺はお前に贅沢な暮らしを約束する。戻ってきてくれよ。
Lenin : You tried to kill me in Salem, I escaped.
レーニン:あんたはセーラム{タミルナードゥ州}で僕を殺そうとした。僕は逃げたんだ。
Nityananda : I will give it to you in writing, Dharma, That there will be no danger in your life.
ニティヤナンダ:一筆{誓約書}書くよ、ダルマ、それでお前の身の安全は保障されるさ。
- end of conversation -
- 会話終了 -
============
この動画(ミニドキュメンタリー)を製作、公開したカナダの心理療法医であるヘンリー氏がニティヤナンダの弟子6人から暴 力をふるわれたという報告をしていることや、この会話の中でもレーニンがニティヤナンダに殺されかけた(おそらく刺客によるもの)という発言が見られま す。
インドではこうした偽神人がスキャンダルをもみ消すのに殺し屋、ギャングを雇う(あいは弟子に命じる?)こともよくあることだ、といった記事も複数ありましたが、こうしたことは実際にあるようですね。
こちらは以前とりあげたかもしれないが、ニティヤナンダを含めたグルの不祥事に関するニュース。売春を斡旋していたグルまでいるのだとか。
ニュースウィーク日本版
www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/04/post-1215.php
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おまけ:
「ニティヤナンダは、交換条件を交渉するためにレーニン(通称ダルマ)と携帯電話で複数の会話をしていました(ビデオでは公表しません)。レーニンは、この携帯電話の会話が正真正銘の記録であり、警察に引き渡されたと陳述します。」
と、動画の8分ほどの箇所にありましたが、その会話内容(文章)が公開されています。ビデオでは公表しませんという補記は、そのままの音声は公に出回っていないということかと思います。
元運転手だったレーニン氏は、何千、何万という人々にスピリチュアルマスターとして瞑想を教えたりしていた男の表の顔と裏の顔を長い期間に渡って目撃してきたので、真実を知らせる必要性に駆られ、ビデオを公開するに至ったということのようです。
以下は、ニティヤナンダとレーニン(会話の中ではダルマと呼ばれている、いわゆるホーリーネームというやつでしょうか?)の携帯電話での会話内容の一部抜粋(YOU TUBEなどで検索すれば全文が見つかるかもしれないとのこと)です。動画の8:20ぐらいから始まります。
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Nityananda : Ranjitha and I were together intimately. What is wrong this? Please understand Dharma. On one hand we are both adults... I came and tell the public straightaway, 『We are two adults, it's our life』, If say this, the matter ends there. Will they not appreciate it?
ニティヤナンダ:ランジータと俺は親密な仲だった。これの何がいけないんだ?わかってくれよ、ダルマ。1つの観点では、俺もランジータも成人だ... 俺が公衆に対して 『我々は二人の成人です、それが我々の人生です』 とストレートに告げれば、そこでこの問題は完結する。だが、彼らはそれを認めないんじゃないか?
Lenin : Mmm...
レーニン(ダルマ):ん~
Nityananda : I am not a Sannyasi(a monk that dresses in orange robe). People came to me only because I am a Gnani(very wise and knowledgeable person), not because I am a sannyasi(monk or ascetic).
ニティヤナンダ:俺はサンニャシ(オレンジ色の衣服を身につけた僧)ではない。みんなが俺のところにやってきたのは俺がジナーニ(とても賢く精通した人)であるからにすぎない。俺がサンニャシ(僧、または行者)だからではない。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : Rama krishna(famous Indian saint)faced similar problems because Sarada Devi(She was the wife of Rama krishna)was with him... What to do.
ニティヤナンダ:ラーマ・クリシュナ(有名なインドの聖者)は同じような問題に直面した。サラダ・デヴィ(彼女はラーマ・クリシュナの妻だった)と一緒だったからな... どうしようもないさ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : with Ramana Maharishi, also one old lady(grand mother like)lived with him.
ニティヤナンダ:ラマナ・マハリシも老女(祖母のことらしい)と同棲してたぞ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : Osho(never wore orange robe)also was similar. What can I say?
ニティヤナンダ:オショー{ラジニーシ}(オレンジ色のローブを纏ったことはなかった)だって似たようなもんだった。わかるだろ?
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : ...If I stan up in public and say 『THis is my life, that's all, it's over』. it's not as if Osho did not have, or Rama krishna did not have, or Vivekananda did not have. I am also Gnani like them. What can I do?
ニティヤナンダ:もし、俺が公衆の面前で 『これが俺の人生(生きる道)だ、それだけのことだ、おしまい。』 なんて言おうもんなら、オショーはそんなことはしなかった、ラーマ・クリシュナはそんなことはしなかった、ヴィヴェーカーナンダはそんなことはしなかったってなるだろ。俺は彼らのようなジナーニでもある。俺にどうしろっていうのさ?
Nityananda : without making this a big problem, I feel we should be silent. That's why I want to do everything silently. That's the only thing we have to do. We have to make sure they won't do anything.
ニティヤナンダ:これをオオゴトにせず、俺らは黙っているべきだと思う。だから何も喋らないで欲しい。それが俺らがする必要のある唯一のことだ。俺らは帰依者たちが何もしないようにする必要があるんだ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : If our people get emotional, for that also we will only be held responsible.
ニティヤナンダ:もし、帰依者たちを感情的にさせたなら、俺らが責任を背負わされるだけだぞ。
Lenin : Yes. Yes.
レーニン:まあ、そうですね。
Nityananda : That's why, for everything to be handled silently, I am working hard on this.
ニティヤナンダ:だからさ、黙っているのが皆にとっていいんだよ。俺も苦労してるんだよ。
Lenin : Mmm...
レーニン:ん~
Nityananda : Dharma, forgive this one alone. Please Dharma. If you decide, it's possible Dharma, I will give you how much ever money you need.
ニティヤナンダ:ダルマ、今回のみ勘弁してくれ。頼むよ、ダルマ。お前がそうしてくれるんだったら、出来る限りのことはする。お前が必要なだけ幾らでもカネを払うよ。
(no response from Lenin)
(レーニンからの応答はない)
Nityananda : Do you think I will not spend money(on you)? How much money you want, I will give. You are not saying anything. What can I do for you? Tell me. I will keep you like a king. Please come back...
ニティヤナンダ:俺が(お前に)カネを使わないとでも思うか? いくら欲しいんだ、払うよ。お前、何も言わないんだな、どうすりゃいいんだ? 教えてくれよ。俺はお前に贅沢な暮らしを約束する。戻ってきてくれよ。
Lenin : You tried to kill me in Salem, I escaped.
レーニン:あんたはセーラム{タミルナードゥ州}で僕を殺そうとした。僕は逃げたんだ。
Nityananda : I will give it to you in writing, Dharma, That there will be no danger in your life.
ニティヤナンダ:一筆{誓約書}書くよ、ダルマ、それでお前の身の安全は保障されるさ。
- end of conversation -
- 会話終了 -
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この動画(ミニドキュメンタリー)を製作、公開したカナダの心理療法医であるヘンリー氏がニティヤナンダの弟子6人から暴 力をふるわれたという報告をしていることや、この会話の中でもレーニンがニティヤナンダに殺されかけた(おそらく刺客によるもの)という発言が見られま す。
インドではこうした偽神人がスキャンダルをもみ消すのに殺し屋、ギャングを雇う(あいは弟子に命じる?)こともよくあることだ、といった記事も複数ありましたが、こうしたことは実際にあるようですね。
こちらは以前とりあげたかもしれないが、ニティヤナンダを含めたグルの不祥事に関するニュース。売春を斡旋していたグルまでいるのだとか。
ニュースウィーク日本版
www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/04/post-1215.php
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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