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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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ヴィシュワナンダの記事をUPする前に、衝撃的な記事を目撃してしまったので紹介します。

南インドはマイソールに聖者がいることは噂に聞いていましたが、
まさかこのような方だったとは夢にも思いませんでした。
不謹慎ながらも笑ってしまいました(コメントにも)。
おいたわしやグルよ・・・。

しかし、この容貌は強そうですね。
「ダルシャン」に訪れる崇拝者があとを絶たないそうですが、
「厳しい恩寵」をいただく人もいるみたいです。
モウナ(沈黙行)に入っているのかもしれませんが、
言葉をしゃべったら「手ぶらでは帰しませんよ」と微笑むでしょうか。


以下リンクのページをご覧ください。

カラパイア 不思議と謎の大冒険
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51779363.html

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ここのところ、更新する気が起こらなかったり、翻訳がすすまなかったり、目ぼしい記事も少ないなど色々な要因で頻度が落ちています。

さて、今回はかなりマイナーな情報というか、日本での知名度はないと考えられる霊的教師(グル)をとりあげてみようと思います。ご存知だという人がいたらかなりマニアックな人でしょうね。

とりあえず、詳しいことは抜きにして1つ動画をピックアップしてみました。
(英語で話している動画が大半ですが、この動画はスクリプトも加えられていたので訳してみました)

彼の名前(スピリチュアルネーム)は、ビシュワナンダです。


以下の動画では、真のバクティ(帰依、献身)とは何か?を説明しているようです。




All of you agreed with me last time that love is the highest.
前回、あなたたち全員、愛が最も高いということに私に同意した。 
 
You remember?
覚えてる?
 
Yes?  (Ye~s!!!) 
イエスかな? (イエース!!!)
 
It's true.
それは本当だ。
 
But devotion...to achieve this love, one needs devotion.
だが、帰依が・・・この愛を成し遂げるには帰依(献身)を必要とする。
 
That's also what I explained last time.
それについても前回に説明したね。
 
But among people, lots of times you have the question: What is devotion? How to attain this love?
でも人々の中で、何度も疑問があがる:
帰依って何?どうやってこの愛を成し遂げるの?
 
This love, actually, is already present in everybodies hearet.
この愛は、実際は既に誰でもハートに存在する。
 
It's just waiting to come out.
それは出て来るのをただ待っている。 
 
This love which is the presence of God Himself...is ever brighter. It's fully joyful. And it has eternal joy in it.
この愛は神御自身の存在だ・・・永遠の輝き。完全な喜び。果てしない至福。
 
But it gets shaded...
だが、それを遮るものがある・・・
 
By all the karmic things that one has been doing in previous lives, also in this life itself.
前世、さらに今生においてのカルマ的な事柄のすべてによって。 
 
To get rid of all of this is only through devotion.
このすべてを取り除くのは帰依を通じてのみ。
 
when one attains bhakti, when one awakenes bhakti with oneself...love starts to shine.
人がバクティに到達したならば、自分自身にバクティが目覚めたならば・・・愛が輝き出す。 
 
For that, one really doesn't need to do hard things.
そのために、難しいことを行う必要はまったくない。
 
You just need to say God, sincerely...I love you.
あなたに必要なのは、心から神に言うことだけだ・・・「あなたを愛してます」
 
But nowadays what happens?
だが、今日では何が起きているか?
 
We say, “Yes, God, I love you. I love my spiritual path. and I want to grow in it.”
我々は言う「はい、神様、あなたを愛してます。私の霊的な道を愛しています。
その中で成長したいです。」

 
But...we need signs.
だが・・・我々は徴をほしがる。
 
We can't just love God for the sake of loving him.
我々は見返りなしに、ただ神を愛することができない。
 
We need to see a little bit of light.
我々は少しの光を見ることを欲する。
 
...or little bit of miracles or hear a little bit of sound.
・・・あるいは、少しの奇跡だとか、少しの音だとか。
 
Then we know, Yes, we are there.
そのとき我々は「よし、自分が正しいところにいるぞ」と知る。
 
But actually, If you can love God without expecting anything from Him, That's the best.
だが実際は、もしあなたは彼に何も求めずに神を愛せるならば、それが最良だ。

That's real devotion. That's real bhakti.
それが真の帰依だ。それが真のバクティだ。
 
we always talk about selfless love.
我々はいつも利他的な愛について語る。
 
Unconditional love, This unconditional love is only towards people.
無条件の愛、この無条件の愛だけが人々を進歩させる。
 
But it's also towards the Divine.
だが、それは神々をも進化させる。
 
Towards your spiritual path.
あなたの霊的な道を進化させる。
 
Because if we expect, we will always...suffer.
我々が期待するならば、常に・・・苦しむ。
 
we will always be disappointed.
我々は失望してばかりいる。
 
In this expectation we will say.
期待があるときに我々は言う。
 
“Okay, look at the others: oh, you have seen the light! you have seen this or that...”
「よし、他人を見てみよう:
おぉ、君は光を見たのか!君はこれ(あれ)を見たのか・・・」

 
“You have heard this or that...”
「君はこれを聞いたのか、あれを聞いたのか・・・」
 
You will always try compare.
あなたは常に比較しようとする。
 
“Oh I am not seeing anything. ...I didn't see, I didn't hear anything.”
「あぁ、僕は何も見えない・・・何も見てないし、何も聞こえなかった。」
 
But love towards God is not a comparison.
しかし、神に対する愛は比較ではない。
 
You can't compare each person's spirituality.
あなたは人々の霊性を互いに比較することは出来ない。
 
One should know that God loves everybody equally.
神の愛は誰でも平等であることを知るべきだ。
 
It's not that I'm a Swami, He loves me more, He loves you less...No.
スワミ(師)は私を可愛がってくれる、彼は私を気に入っていない・・・そうではない。
 
He loves all His chirdren the same.
彼は、彼の子供たち全員を等しく愛する。
 
In human love, there can be a difference.
人間的な愛では、差がありうる。
 
In human love even between parents...they can love their son more or their daughter more.
人間的な愛では、両親の間でさえ・・・彼らは息子より娘を愛することもある。
 
But...the Higher One, He loves everybody the same.
だが・・・至高者、彼は皆を等しく愛する。
 
...and this is the aim to achieve Him.
・・・そして、これが彼に到達する目的だ。
 
To love Him for the sake of loving Him.
彼を愛する目的は、彼を愛するためだ。
 
Not expecting anything in return, also, not even his blessing.
何も見返りを期待しない。彼の祝福でさえも。
 
He will give you what you need...
彼はあなたの必要とするものを与える・・・
 
...and you will grow, also, in spirituality according to what is needed for you.
・・・そして、あなたに必要なものに応じて、あなたは霊的にも成長する。
 
If you receive too much...
もし、あなたが余計に受け取り過ぎるならば・・・
 
You will not know how to handle it.
あなたはそれをどうやって処理したらいいかわからないだろう。
 
...and if you need, if you receive less, still, you will be unhappy.
・・・もし、あなたが十分に受け取っていると感じず、まだなお欲しているなら不幸だ。

 
But if you surrender to Him.
でも、あなたが彼に明け渡したら、
 
Like if you take the lives of Saints...
聖者の人生のように生きる。
 
They don't ask God for anything.
彼らは神に何も求めない。
 
They just love Him.
彼らはただ彼を愛した。
 
Because He is God, and they know that they feel Him within.
彼は神なのだから。そして彼らは内側で彼を感じることを知っていた。
 
Take the life of Meerabai, when she will sing the glory of Krishna.
クリシュナの賛美歌の歌い手、ミーラバイの人生を例にとってみよう。
 
She didn't feel anything.
彼女は何も感じなかった。 
 
She didn't expect anything from Krishna.
彼女はクリシュナから何も期待しなかった。 
 
People will say, “Yes, when she would sing, Krishna would be always present next her.”
人々は言う「ええ、彼女が歌うとき、クリシュナはいつも彼女の隣にいたでしょう。」 
 
But in reality she herself had never seen Krishna.
だが、事実は、彼女自身はクリシュナを一度も見たことがなかった。 
 
only at the end of her life when she disappeared into Krishna.
唯一、彼女が死を迎えるとき(末期)に、彼女はクリシュナに溶け込んだ。

===========
上記の動画をとりあげたのは、バクティの正しい意味を追求したいわけではありません。それは各自が発見するものなのでしょう。

こうやって動画をみることに対して、人それぞれに反応があると思います。「まったく関心がなく、見る気がしない。そんな奴どうでもいい。」とか、または「おっ、こんな聖者がいるんだ。詳細が知りたい。」とか「またどうせ偽者だろうよ、いや、しかし教えはいいこといってるな」とか。

例えば、凄い聖者がいるらしいと見聞して、特別に興味が沸いて直に会いにいく人もいるかもしれません。さらには現地で学んだ教えを国内で紹介し、信者仲間が集まれば、その中では日本人一番弟子として幾らか尊大な気持ちを味わい、はたまたインドにツアーを組んで、引率料として自分の生活費を稼ぐ人がいてもおかしくありません。

その人は超能力(シッディ)を持っていて、たくさん奇跡を起こしているらしい、幼い頃から悟ってて、パワーを分け与えてくれるらしい、というような話があったとしたら魅力を感じて、嬉々としてダルシャンに参加して恩恵に与りたいと欲する人も少なくないと思います。

影響力がある教祖が他界したあとは、自然と信者が離れることも予測されます(新たな存命の教祖を探して、乗り換える)。
そこで、このビシュワナンダなどは今後、注目される一人となりそうな気もします。

また次回、別の記事をとりあげます。

バクティの意味には「崇拝」ってのもあるらしい・・・
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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