カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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苦しみからの解放、マインドからの解放を求めて、どこかの誰かさんに恩寵、祝福を請い願うよりも、
まず我々に必要なものは権威からの解放ではなかろうか?
以下に紹介するトーマス氏のように「実に滑稽だったよ」と自分の精神世界遍歴を述懐できるようになるまでに、人はどれだけのドラマを繰り返し演じる必要があるのでしょうか。
================
フェイク-グル.COMより
www.fake-guru.com/experiences-former-disciples-followers/38-iskcon-osho.html
ISKONからOSHOまで
2010年4月8日 トーマスの投稿
僕はブラーマ・クマリスをやめてから、初めてインドへ旅に出たんだ。僕はインド文化にすごい憧れていたのさ、食べものと音楽。 で、ISKON(ハレ・クリシュナ運動)と接触したんだ。
当時、彼らは僕の街にセンターを持っていて、毎日、低価格のベジタリアンフードをランチで提供していた。君が生活に困っているなら利用するといいよ。信者はこの食べものは神に捧げたもの(「プラサード」と呼ばれる)だって言ってたからさ。その食べものを食べるだけでクリシュナ意識に到達しちゃうんだとか。
彼らは徐々に僕を操作し始めた。食事のときに隣に座って、ギータについて講義され、彼らから本を買わざるをえなくなった。この信頼のおけるバクティヴェーダンタの本を買うことで、君に多大な祝福がもたらされるだろう、って。それで僕は沢山の本を買った。彼らは話が上手だったので、僕はさらにシュリマッド・バガヴァタムという10冊の本まで買ってしまったんだ。
彼らは「もし君がこの本を読まずに家に置いておくだけでも、君はクリシュナ意識に到達できるだろう」とすら言った。それから彼らは「ハレ・クリシュナ・マントラ」を唱えるべきだって僕に言ってきた。だから僕はマーラー(マントラ数珠)を買って、ジャパ(数珠を一つ一つ指先で送りながら、念仏を唱える)を開始したんだ。
彼らはハレ・クリシュナ・マントラ(108回×16周)を僕に強要し、1日でもやり損ねたものなら罵られた。1日中チャンティングしていることで、自分の生活をほとんど無意識に過ごしていた。後になって、洗脳されたのだと気がついたんだ。
実に滑稽だったよ、信者同士で雑談してるときですら互いにジャパしてるんだからね。
彼らは僕にこうも言った。「前方を見ずに眠るように、シャワーを浴びるときでさえ性器を触らないように、下着を履くときでさえ性器を見てはいけない」と。
信者が子供とセックスしたケースが多数あったということが後になってわかった。
女性がシュリ・クリシュナの前世を真似て少年を獲物に・・・・
または同性愛者のケースが数多くあった。ゴーピになりたがって女装した男。
それから、ある日、僕はバガヴァッドギータの妙訳(シャンカラの注解を伴った)を読んだ。
彼らは、「この翻訳は最悪で、スワミ・パラブパーダの翻訳のみが正しい」と僕に告げた。後になって僕はバクティヴェーダンタのシュローカのいくつか(ドイツ語に翻訳されたもの)が完全に誤訳しているのを発見した。
僕はISKON(その信者たち)がごまかしていると感じた。
僕はしばらくの間、精神を病んで、最悪な気分だった。
彼らは地獄の恐れを作り出しているカソリック教会のようにガチガチで狭かったよ。
しかし、僕はまだ真理を求めていた。それでパラマハンサ・ラーマクリシュナの本を見つけたんだけど、これがたいそう気に入った。彼の本で、全ての宗教は等しいということを初めて知った。唯一の神だけがあって、様々な名前で呼ばれてるだけなんだってことを。それでパリに近いグレッツにあるラーマクリシュナ・ヴェーダンタ・アシュラムに足を運んでみた。
このアシュラムの雰囲気に偉く感動させられて、僕は僧になると決めたんだ。スワミに申し出たんだけど、「君の学びを終える必要がある」っていきなり言われてね。
当時、僕はシュリ・ラーマクリシュナの教えにあった「金と女から距離を置くこと」を心がけていた。
そのうえ、独身で生きること、高いレベルに到達するためには完全な無執着、離欲が必要だと自ら思っていた。女性は肉、血、骨に過ぎないってね・・・・
でもその後、僕は恋に落ち、絶えず自分の気持ちを抑圧していたってことに気付いたんだ。
これだけ強い愛の感覚は僕の人生で初めてというほど強いもので神聖なものだった。それが僕の魂を癒した。
それで僕はラーマクリシュナ・ミッションを去った。でも、神秘と哲学への憧れは未だに僕の胸にあった。
それから僕はOSHOグループに接触した。僕はそれを気に入った。霊性と性を一緒にしたものは初めてだった。それで、OSHOの指導のネオ・タントラについて学んだ(現在は彼の多数の講義と本がある)。クンダリーニ瞑想、ダイナミック瞑想、ノーマインド、ヴィパッサナーは僕の抑圧していた感情を大きく解放した。我々はサウナに入って、一緒にマッサージして、周囲を跳ねて、歌って、踊って、泣いて、笑った。僕はこれが自由なんだと思った。彼らはタバコも吸ったし、酒も飲んだし、ドラッグも使った。何でもありだった。意識的であることが必要なだけだった。
「ゾルバ・ザ・ブッダ」、僕はその哲学が好きだ。でも、その後に僕はこれら全ての瞑想はドラマを繰り返しているに過ぎないと思うに至った。
そういうわけで、僕はZEN(禅)に辿り着いた・・・・
ともあれ今日、すべてのマスター、グル、教団に僕が属していないのはとても幸運なことだよ。
スピリチュアリティーになるってのは僕にとって自然なことに過ぎない。それについて語る必要もないし、誇れるものでもない。
実際、自分の胸の内側に既にあるんだってことを僕に示してくれた人は誰もいなかった。
で、僕は自分自身で真実を見出したんだ。あらゆる人の顔の中に、自然の中に、皿を洗うだけの中に。
今、僕は自分の人生の毎瞬を愛するだけさ。
トーマス
www.klang-tempel.de
まず我々に必要なものは権威からの解放ではなかろうか?
以下に紹介するトーマス氏のように「実に滑稽だったよ」と自分の精神世界遍歴を述懐できるようになるまでに、人はどれだけのドラマを繰り返し演じる必要があるのでしょうか。
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フェイク-グル.COMより
www.fake-guru.com/experiences-former-disciples-followers/38-iskcon-osho.html
ISKONからOSHOまで
2010年4月8日 トーマスの投稿
僕はブラーマ・クマリスをやめてから、初めてインドへ旅に出たんだ。僕はインド文化にすごい憧れていたのさ、食べものと音楽。 で、ISKON(ハレ・クリシュナ運動)と接触したんだ。
当時、彼らは僕の街にセンターを持っていて、毎日、低価格のベジタリアンフードをランチで提供していた。君が生活に困っているなら利用するといいよ。信者はこの食べものは神に捧げたもの(「プラサード」と呼ばれる)だって言ってたからさ。その食べものを食べるだけでクリシュナ意識に到達しちゃうんだとか。
彼らは徐々に僕を操作し始めた。食事のときに隣に座って、ギータについて講義され、彼らから本を買わざるをえなくなった。この信頼のおけるバクティヴェーダンタの本を買うことで、君に多大な祝福がもたらされるだろう、って。それで僕は沢山の本を買った。彼らは話が上手だったので、僕はさらにシュリマッド・バガヴァタムという10冊の本まで買ってしまったんだ。
彼らは「もし君がこの本を読まずに家に置いておくだけでも、君はクリシュナ意識に到達できるだろう」とすら言った。それから彼らは「ハレ・クリシュナ・マントラ」を唱えるべきだって僕に言ってきた。だから僕はマーラー(マントラ数珠)を買って、ジャパ(数珠を一つ一つ指先で送りながら、念仏を唱える)を開始したんだ。
彼らはハレ・クリシュナ・マントラ(108回×16周)を僕に強要し、1日でもやり損ねたものなら罵られた。1日中チャンティングしていることで、自分の生活をほとんど無意識に過ごしていた。後になって、洗脳されたのだと気がついたんだ。
実に滑稽だったよ、信者同士で雑談してるときですら互いにジャパしてるんだからね。
彼らは僕にこうも言った。「前方を見ずに眠るように、シャワーを浴びるときでさえ性器を触らないように、下着を履くときでさえ性器を見てはいけない」と。
信者が子供とセックスしたケースが多数あったということが後になってわかった。
女性がシュリ・クリシュナの前世を真似て少年を獲物に・・・・
または同性愛者のケースが数多くあった。ゴーピになりたがって女装した男。
それから、ある日、僕はバガヴァッドギータの妙訳(シャンカラの注解を伴った)を読んだ。
彼らは、「この翻訳は最悪で、スワミ・パラブパーダの翻訳のみが正しい」と僕に告げた。後になって僕はバクティヴェーダンタのシュローカのいくつか(ドイツ語に翻訳されたもの)が完全に誤訳しているのを発見した。
僕はISKON(その信者たち)がごまかしていると感じた。
僕はしばらくの間、精神を病んで、最悪な気分だった。
彼らは地獄の恐れを作り出しているカソリック教会のようにガチガチで狭かったよ。
しかし、僕はまだ真理を求めていた。それでパラマハンサ・ラーマクリシュナの本を見つけたんだけど、これがたいそう気に入った。彼の本で、全ての宗教は等しいということを初めて知った。唯一の神だけがあって、様々な名前で呼ばれてるだけなんだってことを。それでパリに近いグレッツにあるラーマクリシュナ・ヴェーダンタ・アシュラムに足を運んでみた。
このアシュラムの雰囲気に偉く感動させられて、僕は僧になると決めたんだ。スワミに申し出たんだけど、「君の学びを終える必要がある」っていきなり言われてね。
当時、僕はシュリ・ラーマクリシュナの教えにあった「金と女から距離を置くこと」を心がけていた。
そのうえ、独身で生きること、高いレベルに到達するためには完全な無執着、離欲が必要だと自ら思っていた。女性は肉、血、骨に過ぎないってね・・・・
でもその後、僕は恋に落ち、絶えず自分の気持ちを抑圧していたってことに気付いたんだ。
これだけ強い愛の感覚は僕の人生で初めてというほど強いもので神聖なものだった。それが僕の魂を癒した。
それで僕はラーマクリシュナ・ミッションを去った。でも、神秘と哲学への憧れは未だに僕の胸にあった。
それから僕はOSHOグループに接触した。僕はそれを気に入った。霊性と性を一緒にしたものは初めてだった。それで、OSHOの指導のネオ・タントラについて学んだ(現在は彼の多数の講義と本がある)。クンダリーニ瞑想、ダイナミック瞑想、ノーマインド、ヴィパッサナーは僕の抑圧していた感情を大きく解放した。我々はサウナに入って、一緒にマッサージして、周囲を跳ねて、歌って、踊って、泣いて、笑った。僕はこれが自由なんだと思った。彼らはタバコも吸ったし、酒も飲んだし、ドラッグも使った。何でもありだった。意識的であることが必要なだけだった。
「ゾルバ・ザ・ブッダ」、僕はその哲学が好きだ。でも、その後に僕はこれら全ての瞑想はドラマを繰り返しているに過ぎないと思うに至った。
そういうわけで、僕はZEN(禅)に辿り着いた・・・・
ともあれ今日、すべてのマスター、グル、教団に僕が属していないのはとても幸運なことだよ。
スピリチュアリティーになるってのは僕にとって自然なことに過ぎない。それについて語る必要もないし、誇れるものでもない。
実際、自分の胸の内側に既にあるんだってことを僕に示してくれた人は誰もいなかった。
で、僕は自分自身で真実を見出したんだ。あらゆる人の顔の中に、自然の中に、皿を洗うだけの中に。
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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