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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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What about other aspects, apart from healing?

Q:ヒーリングは別として、他の面はどうですか?


Freddy: There was a man, Nirmal Parija from Orissa, who worked in the school when Bhagavan suddenly emerged as a Guru/Avatar. He was spiritually very close to Bhagavan; a few years later he became the personal secretary of Bhagavan’s only disciple: Paramacharya. For almost 2 years I was living in the Ashram near Chennai (250 km from Jeevashram) with Paramacharya as well as Anandagiri and a few more students from Bhagavan’s school. After a year in that Ashram we went to live at Bhagavan’s place: Jeevashram. I felt like the most blessed person on earth: I was meeting Bhagavan many hours daily until he, five months later (September 1993), asked me to start spreading his message to the rest of the world.

フレディー:ある男性(オリッサ出身のニルマル・パリジャ)がいました。

バガヴァンが突然グル/アヴァターとなったとき、学校で働いていた人です。

彼は、霊的でバガヴァンと非常に親しかったです;
数年後、彼はバガヴァンの唯一の弟子(パラマチャリヤ)の私的秘書になりました。

ほぼ2年間、私はバガヴァンの学校出身のアーナンダギリと2、3の学生と同様にチェンナイ(ジーヴァシュラムから250Km)の近くのアーシュラムでパラマチャリヤと暮らしていました。

そのアーシュラムの1年後、我々はバガヴァンのところ(ジーヴァシュラム)に移り住みました。

私は、この世で最も祝福された者であるような気がしました:
5ヵ月後(1993年9月)、彼が私に、世界の解放のために彼のメッセージを広め始めるよう頼むまで、私は毎日、多くの時間バガヴァンに会っていました。

Bhagavan had started his spiritual work with the students July 19th 1989, and soon Jeevashram became an ashram too. 1,5 years later Bhagavan went public and I came to the first course they did for the general public.

バガヴァンは1989年7月19日に彼の霊的な仕事を学生と開始しました。

そして、すぐにジーヴァシュラムはアーシュラムにもなりました。

1年半後にバガヴァンが一般公開した、最初のコースに私は参加しました。

In 1989 Nirmal had many mystical experiences around the creation of the universe. Nirmal told me in 1992 that Bhagavan said that they were the three incarnations of the Hindu Trinity: Bhagavan was Vishnu, Paramacharaya was Shiva and Nirmal was Brahma (God in the aspect of Creator).

1989年、ニルマルは宇宙の創造にまつわる、多くの神秘的な経験をしました。

1992年、パラマチャリヤが私に語りました。

バガヴァンが彼らがヒンドゥー教の三位一体の3つの化身であると言った、と。:
バガヴァンはヴィシュヌ、パラマチャリヤはシヴァ、ニルマルはブラフマン(神の創造主においての様相)でした。

After some time Bhagavan made some changes in the hierarchy of the deities. Amma, Sammadarshini (the most prominent devotee student from Bhagavan’s school) and Krishna (Bhagavan’s son) became the special deities (=gods), whereas he himself became the one Lord God, the one Christ and Mohammed used to pray to. After a few years, Bhagavan decided to change it again – Amma emerged as the new Goddess. Now she was as much God as Bhagavan.

しばらくして、バガヴァンは神の階級制度を幾らか変更しました。

アンマ、サマダルシニ(バガヴァンの学校の優秀な生徒)とクリシュナ(バガヴァンの息子)は特別な神(=神々)になりました。

それであるが故に、彼自身は唯一神(キリストとモハメッドが祈っていた神)になりました。

2、3年後、バガヴァンは再びそれを変更することに決めました - アンマを新しい女神として現しました。

今や、彼女はバガヴァンと同様の偉大な神でした。

Nirmal told me in the end of 1991, when I was living in the Somangalam Ashram with him, Paramacharya and some assistants, that the teachings of Bhagavan are the most profound ever.

1991年末、私がパラマチャリヤと何人かのアシスタント、ニルマルと一緒にソーマンガラム・アーシュラムで暮らしていた時、バガヴァンの教えは、これまででない最高峰のものである、とニルマルが私に語りました。

I had a lot of faith in Bhagavan as I had gotten profound experiences in Paramacharya’s courses. But this time I protested. I told Nirmal that I had read much more profound teachings and heard of more effective techniques: “A Course in miracles”, Jerry Jampolsky, Ken Keys Jr. etc. offered a much deeper understanding of the mind and ego, I told him. I added that I agreed that the spiritual power of Bhagavan was by far number one in the world.

私はパラマチャリヤのコースで深い体験を得ていたので、バガヴァンに対して大きな信頼がありました。

しかし今回、私は抗議しました。

私は、より深遠な教えを読んだし、より効果的な技術について耳にした、とニルマルに話しました:
“ 奇跡のコース ” 、ジェリー・ジャンポルスキー、ケンキーズJrなどはマインドとエゴについて深い理解を提供してくれました、と私は彼に語りました。

私は、バガヴァンの霊力が世界の頂点に位置することに同意すると付け加えました。

I must add that in 1991, Paramacharya did not go as deeply into teachings, as they do today. The 21 days courses today have so much more profound and developed teachings compared to back then.

1991年、今日のようには、パラマチャリヤは教えに入れ込んでいませんでした。

現在の21日間コースは、その頃と比較してより深い発達した教えを持ちます、と私は補足しなければなりません。

When Bhagavan decided to have a monastic order, I think it was in 1995, Nirmal soon left the Movement. The official version was that he got upset that his ex-subordinates (students from Jeevashram who now had become dasas) suddenly were above him in the hierarchy.

私はそれが1995年だったと思いますが、バガヴァンが修道院の規律を持つことを決めて、まもなくニルマルがムーヴメントを離れました。

公式の脚色では、彼の後輩(今は修道僧達になったジーヴァシュラムの生徒)が突然、階級制度で彼より上になったので動揺したことになっていました。

Some years before Nirmal left, Bhagavan had told him, me and the other disciples (Anandagiri, Sammadarshini) that we should marry. Nirmal was the first one to follow Bhagavan’s instruction and he married Ms. Sanjaya Reddy. Bhagavan approved of Nirmal’s choice of wife and he and Amma arranged their marriage in Jeevashram.

ニルマルが離れる数年前、バガヴァンは「私達は結婚すべきだ」と彼、私、他の弟子(アーナンダギリ、サマダルシニ)に告げました。

ニルマルはバガヴァンの指示に速やかに従う人でした。

そして、彼はサンジャヤ・レディ女史と結婚しました。

バガヴァンはニルマルの選択(結婚)を承認して、彼とアンマはジーヴァシュラムで彼らの結婚式を整えました。

Sanjaya and her parents were devotees of Bhagavan from Tirupati town. After getting a child, Nirmal soon got divorced [a very rare thing in India]. I met Nirmal a few years later. He was poor and it seemed to me as if he did not care about his outer appearance anymore, he seemed indifferent to life. He said he felt abandoned (mainly by the Movement), he was financially bankrupt, having no real place to live. Sanjaya and her mother soon became nuns in Bhagavan’s order, after Vijaykumar Reddy (Sanjaya’s father) had died.

サンジャヤと彼女の両親は、ティルパティ・タウン出身でバガヴァンの帰依者でした。

子供ができた後まもなく、ニルマルは離婚しました[ インドでは非常に稀 ]。

私は、数年後にニルマルに会いました。

彼は貧相で、まるで何もかもがどうでもよくて気にかけず、人生に無関心なように私には思えました。

彼は見捨てられた(主にムーヴメントによって)と感じていると語りました。

彼は財政的に破産していて、生きるための居場所を持っていませんでした。

ヴィジェイクマール・レディ(サンジャヤの父)が亡くなった後、まもなくサンジャヤと彼女の母はバガヴァンの命令で修道女になりました。

A girl from the courses openly told the assistants that she was in love with me and had decided to marry me. The other disciples made fun of me, and asked me to go for it (jokingly). Amma might have thought that I had taken the girl’s offer seriously, and, lovingly and with genuine care for me, she told me to please not marry this girl as she was not good-looking and that I deserved a much better wife.

あるコース参加者の少女は、彼女が私に恋をして、結婚することに決めたと公然とアシスタントに告げました。

他の弟子達は私をからかって、結婚するように要求しました(冗談で)。

アンマは、私が真剣に女の子の申し込みを受け取ったと思ったのかもしれません。

「見た目がよくないし、私の妻に相応しくないので、この少女とは結婚しないで」 と私のことを本気で心配して優しく伝えました。

Before the rest of us were married off, Bhagavan changed his ideas about us getting married.

余り者が結婚する前に、バガヴァンは私達が結婚することに関して彼の考えを変えました。

Apart from getting married, he had also told us to let our hair and beard grow long, like the rishis (Vedic prophets) in the olden days. When all this later changed and I cut my beard and long hair, many people did not recognize me. I looked 10-20 years younger without my long and untrimmed beard, I even joked with some of the devotees, saying that I was not Freddy, that he was my father, and some believed this. When they believed this, I told the next person that Freddy is my grand father, but nobody bought into that one :-)

結婚とは別に、私たちの髪の毛と顎ヒゲを、昔の時代のリシ(ヴェーダの予言者)のように伸ばすよう、彼は更に私達に命じました。

この全てが変更された後、私が長髪と顎ヒゲを切った時、多くの人々が私を識別できませんでした。

短髪でヒゲを剃った私は10~20歳若く見えました。

私は、フレディーではなかったと帰依者の数人が冗談を言いました。
彼は私の父であったと。

また、何人かはこれを信じました。

彼らがこれを信じた時、私はフレディーが私の祖父であると隣の人に伝えましたが誰も相手にしてくれませんでした:(-_-;)

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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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