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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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ノンデュアリティマガジンからアヒムサナンダ(ビル・リンドレイ)という方の記事を転載します。

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http://www.nondualitymagazine.org/nonduality_magazine.billlindley.htm 
 
私はキリスト教神秘主義とアドヴァイタの教師、元イングランド国教会修道士です。「The Cloud Of Unknowing(不可知の雲)」を読んだことで変化した後、私とパートナーはリンカン司教区から瞑想的/奉仕の宗教コミュニティを組織するよう依頼されました。

私は規則を作り、「The Community Of The Living Sacrifice (生ける犠牲の共同体)」が生まれました。 コミュニティは若いゲイの人々と協力しました。また、私たちは元囚人、退院したての精神病患者、ホームレスを受け入れました。

コミュニティの閉鎖とともに、私はラーマクリシュナ、ラマナ・マハリシ、ニサルガダッタ・マハラジを知りました。これが霊的探求に息を吹き込み、1990年に最終理解が生じました。探求は終焉しました。およそ10年後、私はコミュニティの規則を非二元的用語で作り直しました。 

それから10年ほど経った頃、ニサルガダッタが夢に現れ、私の理解を他者と共有すべきであると一連の夢で指し示したことから「教え」を開始することにしました。  
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デザート(悟り)の前に、まず野菜を食べよう!
 
子供の頃、私の兄は特定の食べ物(野菜が多かった)を食べることを拒絶したので、しばしばデザートを出してもらえませんでした。一方、私は問題ありませんでした。 私はいつも目前に出されたものを食べました。

この違いは、私が何でも好きだったわけではなく、少しばかりの真実を知っていたということです : 口に合わないものを食べた後、デザートは口直しになります。私は「人生」と同様に「精神性」にこれが当てはまることを見出しました。
 
多くの子どもが特定の野菜、「大人」の食べ物を嫌う(さらには軽蔑も)理由の1つは、彼らの味蕾(味覚器官)がまだ発達中で、あまり繊細でないということです。つまり、味覚が濃厚で苦味は余計に苦く感じるということです。これがどのように精神性に当てはまるのでしょうか? 
 
多くのネオ・アドヴァイタ教師(特に西洋)は、「強烈」または絶対的なアドヴァイタ(非二元性)のバージョンを教えます。 これは、「実習」の必要はないと言う教えです。 たとえ「探求者」が自分は明らかにそうではないと感じても(あるいは、彼らはこの混乱させる教えを正しいと判断します!) 、「あなたは既に目覚めています」と告げる教えです。
 
何人かはこの過激な教えに対する準備が整っています。 実習は必要ないということを聞く準備ができているのは年々の実習を重ねた人です。彼らだけが真意を理解するでしょう。「既に目覚めている」の理解がある「人たち」だけが、体験として「目覚め」を理解するでしょう。
 
センタリングの「手法」(キリスト教用語では想起)の「実習」の土台を欠いたこうした概念を理解することを「スピリチュアル入門者」に期待するのは、味覚の発達していない子供に不快に感じる食べ物を食べることを要求するようなものです。
 
理解に先立って、「あなた」が誰なのか想起が始まる場合があります; 始めは「I AM(私は在る)」の「知的理解」が必要です。

ニサルガダッタ・マハラジのような人でさえ、グルの言葉を実現するために3年を要しました。また、これは霊的好奇心と献身の期間が終わった後でした。ニサルガダッタ・マハラジの教えを見る場合、ニサルガダッタ・マハラジの人生も見なければなりません。彼の人生は彼の教え(彼が発言したこと)と同等です。 
 
マハラジの晩年では、彼は病気のために使える時間が短くなったので基礎を固守しました。彼は土地を完全に開墾することを望んでいました。初期の人生では、彼の教えはしばしば礼拝に従事し、同様に行うことを他者に助言しました。かつて彼はネオ・アドヴァイタに傾倒していたと思われる女性を意気消沈させました。 
 
彼女は皆に実習や礼拝を行う必要はない、私たちは既に自由であると伝えていました。中二階の小部屋でマハラジは彼女に何を理解したかを尋ねました。彼女は、すべてが完全で1つであることを知っていると返答しました。

マハラジは献身と詠唱に従事するよう彼女に伝えました。彼女はそれを信頼できませんでした。しかし、マハラジは彼女が何を必要とするかをわかっていました。耕されていない土地に種を蒔いてもうまく育ちません。 
 
I AM、物事の絶対的性質は、準備されたマインドの中だけで成長できる概念です。準備されていないマインドでは、真実の一瞥は混乱させるどころか有害・危険にすらなりえます。ニサルガダッタは、彼の教えがあなた自身の心に抱くすべてを焼き払うだろうと警告しました。これは、あなたが本当は誰なのかの適切な「開墾」なしには、心理的・精神的に非常に危うい土壌でありえます。 
 
真正の教師は混乱ではなく明晰さへあなたを導くでしょう。真正の教師は、あなたが精神的に「どこ」にいるのか知っています。 彼はあなたが献身を必要とするかどうか、空っぽになることが必要かどうか、「それをさっさとこなす」時かどうかを熟知しています。それから「nothingness/everythingness」への最終「ステップ」を踏みます。 
 
しかし私たちは、まだそれに対する味覚の発達していない(芽キャベツを嫌う子供のような)「人」に無理強いしてはなりません。即時の満足を欲する大勢は同じくらい霊的なものに対する「味覚」が発達していなければなりません。人生の味わいを楽しみ、評価し、廃棄することができるようになるためにも。
 
人は多く「実習」に努める必要があります。好き嫌いがあるかもしれません。選り好みします。個人的に好きになれない実習こそ最適とわかるかもしれません。というのも、私たちは欲望のままに「求めています」。 
 
精神的に成長するに従い、味覚が広がり、余分なものの拒絶が「開始」されます。 味を犠牲にでき(味に無執着)、静けさの微細な風味を楽しめる成熟した味覚は、デザートだけでなく何であれ全体の食事を楽しむことができるでしょう。

アヒムサナンダのブログ(英語)
http://ahimsananda.blogspot.com/

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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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