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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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今回はジェームス・スワルツ氏が語る「ネオ・アドヴァイタ」をご紹介します。
ざっくりとまとめられている感じですが、それでも結構なボリュームで訳し終えるまでに大分かかりました。基礎英語力の問題と別に、専門用語をどう処理するかなど考えさせられるところもありますので。

氏の著書「How To Attain Enlightenment」を取り寄せてみたところ、チャプター16(最終章)をそっくりそのまま抜粋したのが以下の文章であることが判明しましたが、以下の引用元はadovaita.orgです。全てを1度で掲載するには、ブログの許容量を超えるため、いくつかにわけます。

ジェームス氏にメールを送ってみると、本の反響が大きく返信がままならないそうですが早めに返信がありました(文章の使用許可のみだったからかもしれませんが、質問などは時間を要するかもしれません。質問には応じているようですが、既にウェブサイトや著書でかなりの情報が提供されているので、まずはそれに目を通して、なお疑問があれば・・・ということです。でも英文で全部よむって大変・・・)

ジェームス氏の略歴。
モンタナで生まれ育つ→ローレンス大(ウィスコンシン州)、カルフォルニア大バークレー校卒→ビジネスマンとして大きな成功を収める、が→1967年に大きな洞察を得てビジネスを離れる。→インドへ探求の旅→チンマヤナンダ、ダヤナンダなど聖賢に学ぶ→現在アメリカ、ヨーロッパ、インドで自己調査の科学ヴェーダンタを講義している(必要最小限の経費のみ徴収。生計手段は別に持って活動しているようです)。通り名はRAM。
http://www.shiningworld.com.


=================
http://www.advaita.org.uk/discourses/james_swartz/neoAdvaita.htm
Neo-Advaita
by James Swartz
ネオ・アドヴァイタ
ジェームス・スワルツ:著
 
Mystics have proclaimed the oneness of all things for thousands of years. The science of Self Inquiry that culminated in the teachings of Adi Shankara in the eighth century has had a profound effect on Eastern religion and spirituality. 
 
神秘家は数千年間、万物のワンネスを公布しています。8世紀のアディ・シャンカラの教えで最高度に達した自己調査の科学は東洋の宗教と霊性において絶大な効果がありました。
 
Although we see the idea of nonduality popping up in Western thought from the time of Christ until the present day, it did not develop into a systematic means of Self realization and has virtually no impact on Christianity, Islam and Judaism, unlike Self Inquiry which deeply conditioned Indian culture. 
 
私たちはキリストの時代から今日に至るまで西洋の思想に「非二元」のアイデアが出現しているのを目にしますが、 それは自己実現の体系的な手段を発達させませんでした。インド文化に深く条件付けられた自己調査と異なるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教には、ほとんど影響力を持っていません。
 
Until the Colonial Era, contact between the East and West was limited, but slowly the West became aware of the social, political and religious philosophies of the once powerful Oriental nations. During the last half of the nineteenth century, the 'New Thought' movement sprang up in America. 
 
植民地時代までは東洋と西洋との接触が制限されましたが、西洋は徐々に東洋民族の社会、政治、宗教哲学を意識するようになりました。19世紀後半にアメリカで「新思想運動」が発生しました。
 
The founders of Christian Science, Unity, Science of Mind and the transcendental poets were certainly familiar with nondual thought. Around the turn of the last century a few Indian mahatmas visited the West and more or less formally introduced us to the idea of nonduality. 
 
クリスチャンサイエンス、ユニティ、サイエンス・オブ・マインドの創設者、および先験的な詩人が非二元のアイデアに詳しかったのは確かです。 前世紀の節目では、インドのマハトマ(大聖)の数人が西洋を訪問して、非公式に「非二元」の考えを私たちに紹介しました。
 
The powerful speech given by Swami Vivekananda at the Congress of World Religions in Chicago in 1893 was a milestone in the East-West spiritual relationship, proclaiming as it did the oneness of all religions. 
 
1893年のシカゴでの世界宗教会議でスワミ・ヴィベーカーナンダによってなされたすべての宗教の一致を宣言した力強い演説は、東西の霊的な関係において画期的な出来事でした。
 
For some reason Vivekananda put his own spin on the traditional teachings, emphasizing Yoga at the expense of Vedanta. It is possible that he felt that the West was not properly prepared. 
 
ある理由でヴィベーカーナンダはヴェーダンタを犠牲にヨーガを強調して、伝統的な教えの上に彼自身の意見を置きました。彼が、西洋が適切に準備されていないと感じたのはありうることです。
 
Whatever the reason, the Vedanta he introduced to the West was not strictly traditional and became known as New Vedanta or Modern Vedanta, a contradiction in terms if ever there was one.
 
理由はどうであれ、彼が西洋に紹介したヴェーダンタは厳密には伝統的でなく、これまでのものと矛盾したニュー・ヴェーダンタ、またはモダン・ヴェーダンタとして知られるようになりました。


■Multi Path Confusion
マルチパス(多種多様な道)による混乱
 
New Vedanta introduced the idea of four paths or yogas—action, devotion, knowledge and meditation—which were supposedly suitable for different personality types, whereas the Vedas only sanction two: action and knowledge. 
 
ニュー・ヴェーダーンタは、異なる性格タイプに適するとされた4つの道(ヨーガ)[行為、献身、知識、瞑想] のアイデアを紹介しました。一方、ヴェーダは行為と知識の2つしか認めていません。
 
The path of karma is intended for extroverts with a heavy vasana load and the path of knowledge is for contemplative types whose vasanas are predominately sattvic. 
 
カルマ(行為)の道は、ヴァーサナの負荷が重い外向型の人が対象で、知識(智)の道は、ヴァーサナがサトヴィック優勢な思索的タイプが対象です。
 
How the multi-path idea was meant to be an improvement is difficult to discern. Traditionally Yoga is considered to be a subset of the science of Self Knowledge, not a separate path to enlightenment. The practices of Yoga are not inferior to Self Inquiry but, as laboriously pointed out so far, are not suitable as a means of liberation. 

見分けるのが困難なマルチパスのアイデアをどのように改良するつもりだったのでしょう?伝統的なヨーガでは、悟りへの道は分かれるものではなく、自己知識の科学の部分集合であるとみなされます。

ヨーガの修練は自己調査に劣るものではないですが、これまで苦労して指摘したように解放の手段としては適していません。
 
They are, however, extremely valuable to prepare the mind for liberation because without a pure mind liberation is not possible.
 
しかし、純粋な心がなくては解放は不可能であるため、ヨーガの修練は解放のための心の準備として非常に有益です。
 
So with the ascendancy of the Yoga teachings, enlightenment came to be considered a permanent experience of samadhi, in contrast with the mundane experiences of everyday life, which it obviously cannot be if reality is nondual. 
 
ヨーガの教えが優勢になるに伴って、悟りは恒久的なサマーディの体験とみなされるに至りました。実在が非二元であるならば、日常生活のありきたりの体験とは相違があるのは明らかだと。
 
In any case, the experiential notion of enlightenment has been the dominant view for the last one hundred years in the West, although it dates back to a few centuries B.C., where it is given voice in the Yoga scriptures of Patanjali. It has obviously been around for a very long time because we can trace the Yoga Sutra’s origins to the Upanishads which are records of mankind’s earliest spiritual thinking.
 
どんな場合でも、経験的な悟りの概念は、西洋における過去100年間の支配的見解となっています。それは、紀元前数世紀にさかのぼってパタンジャリのヨーガ経典で言明されているのですけれど。
 
それが非常に長い間使われているのは明らかです。なぜなら、我々は人類最古の霊的考察の記録であるウパニシャッドにヨーガスートラの起源をたどることができるからです。
 
Air travel increased the East-West dialogue. By and large, the tsunami of export gurus that inundated the West in the 1960s peddled modern Vedanta. The emphasis on Yoga was necessary because materialism had corrupted the Western mind. 
 
飛行機の旅が増加して、東西の対話も行われました。概して、1960年代にモダン・ヴェーダンタを西洋に売り込む輸出グルの津波が氾濫しました。物質主義が西洋の心を堕落させていたので、ヨーガを強調することが必要でした。
 
Although there was a strong spiritual hunger in the West, it was not really prepared to assimilate the essence of Self Inquiry. Materialists are doers and enjoyers and the idea of experiencing enlightenment is good enough for them. 
 
西洋には強い霊的な飢餓があったものの、自己調査のエッセンスを吸収するだけの準備がなされていませんでした。物質主義者は行為者、享楽者であり、悟り体験のアイデアは彼らにはまずまずのものでした。
 
As the world became increasingly interconnected and spirituality gained respectability, the bond between East and West deepened.
 
世界がますます相互に連結されるに従い、スピリチュアリティーは社会的地位を得て東洋と西洋の間の絆が深まりました。

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さて、今回はジェームス・スワルツ氏による文章を紹介します。
氏の記事は以前にも取り上げましたが、非二元性について深い理解があるように見受けられます。
似非霊性教師に関して警鐘を鳴らしている要素もあり、皮肉が効いているところもポイントが高いです。

ジェームス氏自身も、探求者にありがちなグル巡りをインドで経験しているようです。似非霊性教師に遭遇し、騙されることもあったことでしょうが、まともな聖賢に出会ったことで探求が終わったのでしょうか。詳細が彼の自伝にまとめられています(無料でダウンロードできるようになっているのですが、かなりの文量で英文であるため、まともに読んでいません)。
出版関係者に存在が知られ、翻訳されたものが出版されることになればいいのですが。こうした本は商売として成り立ちにくいので難しそうですね。

特に興味深いのは、How to Attain Enlightenment という本でしょうか。
彼のウェブサイトで一部抜粋の試し読みすることも可能です。

以下はそのウェブサイトから、What is the Self を訳したものです。
英文を載せていませんので、違和感のある箇所がありましたら、リンク先の本文にて御確認下さい。


話の内容的には、探求者(ジョン・スミス)とジェームス氏との対話形式になっています。この記事はPart1です。Part2もありますが対話ではありません(未訳)。


=============================
http://www.shiningworld.com/
ジェームス氏のウェブサイト(英語)
自己とは何か?
 
 
ジョン: 幸福の探索に費やされる途方もない時間と労力を考慮すれば、世界が幸せな人々で溢れると予期できます。なぜそうならないのですか?
 
ジェームス: 我々はそれがないところを探しているので。
 
ではそれはどこにあるのですか?
 
ハートの洞窟の中だと賢者は言う。
 
意味は?
 
あなた自身の内側。世界の「向こう」ではない。
 
オーケイ。では、それは何ですか?
 
あなたの最奥の自己、全体および完全な無限の意識。
 
いいですね、まさに非二元です。ですが、私は周り道をしてきました。何か罠があるのでは? それを実現するために私はグルを得て、彼(彼女)の巨大な組織に加わり、私のカルマを焼き尽くすため「無私の奉仕」を日夜行う必要があるのでしょうか?
 
あなたは、私が大きなカルマを持っており、それが役立たないことを知る必要があります;私はいまだ私が誰であるのか未解決です。贅沢三昧の「目覚めている」人々の周辺に噴出するグルを養うために、十分の一の税を納めることを提案するつもりですか?
 
それは忘れてください。いまだに私は過去数年間にうけた全週末の悟り集中合宿のために借金を返済しているのです。 
 
それと、偶然にも私が出会った目覚めたはずの全員が眠りに逆戻りしています、私自身を含めて。ひょっとしたら、あなたは私をアヴァターの獲物「信者」にさせようと企んでいるのかもしれません。
 
どうぞお構いなく。アヴァターは掃いて捨てるほどいるようです。スピリチュアルを身に着け、2、3の洞察があれば、今日では誰もがアヴァターです。
 
私はあなたがタントラを売り付けようとしていないことも願います。私は80年代にインドでそれに引っ掛かりました。困難の末に得たものは傷心と非神聖な性の渇望が全てでした。
 
お願いだから、悟りを思い通りに「転送」出来る人がいるだなんて言わないでいただきたい。もしそれが可能ならば、全世界は今頃とっくに悟っているでしょうに。 
 
私はシャクティパット、悟り体験、洞察、いわゆる「偉大なマスター」の方々のサードアイから束の間のサマディへと誘導されるなど公正な分け前よりも多く恵まれてきました・・・そして、いまだに私が誰なのかわかりません。
 
最終的に、あなたが私に「明け渡し」を要求するなら、私は荒っぽくなるかもしれません。それは、グルの騙しの手口で最も卑劣なものです。
 
うんざりしているようだね!ともあれ、私はあなたの観点を高く評価する。

評価ですって?私はスピリチュアル・ビジネス全体について皮肉っているだけです。
 
あなたがやるべきことをすればいい。世界は確かに激しい精神的な飢餓に苦しんでいるし、それを満たす必要がある人々は殺到している。
 
問題の一部は、悟りの性質について多くの異なる意見があるという事実から生じている。
 
また、誰もその状態に一致することができないので、関心を引こうと張り合う多くの教え(教師)を探求者が冷静に評価できる方法はない。 
 
現代の精神世界は、巨大で無秩序な株式市場のようなものだ。誰でも結果を心配することなく何でも販売できる。
 
だが、買い手は用心せよ! どんな馬鹿でも「覚醒した」とか「神を見た」と看板を掲げて「教え」を説き始めることが可能だ。
 
また、あなたは自分を惑わす人の信念および見解を真実として鵜呑みにするおそれがある。  
 
今日では、グルは単なる職業の一つに成り下がった(富、力、追従の見込みを提供する、独り善がりの個人事業)。 
 
精神性(スピリチュアリティー)に関して精神的なものは何もない。あなたが感じているものはどれだけ合理的だろうか。
 
心配御無用、私はアヴァターではない、私はあなたのお金を欲しない。私はグルではない。
 
では、あなたは何を提供しているのでしょうか?

あなたが探し求めているものを見つけられなかった理由の正しい認識。

何でそうなるのでしょう?
 
あなたは、悟りの本質について明確でない。あなたは、グルとの関係と霊的修練を通じて悟りを達成できると考える。
 
どうしたら私は何もせずに悟りを得るに至るのでしょうか?
 
私はこの問題を推論する、あなたが既に悟っているならば、「マスターとの付き合い」と霊的修練を行うことに対して何かが成功するであろうという好意的な期待があるだろうか?
 
「既に悟っている」とはどういう意味でしょう?
 
この悟りという用語は、あなたにとって何を意味する?
 
自由。マインドからの自由、苦しみ、欲望、恐れからの自由。
 
そう、このように聖典はそれを定義する。 だが、既に自由ならば、どうやって自由を得られるのか?
 
既に自由?
 
そう、あなたは自分の好き嫌い、恐れや欲望に縛られていると空想してるに過ぎない。
 
私はそれらに縛られています。
 
オーケイ。では、あなたは誰か?
 
私が誰であるか?
 
そう、縛られているのは誰だ?
 
私。ジョン・スミスです。
 
じゃあ、ジョン・スミスって誰?
 
あなたが、「私はそれが何を意味するか分からない」と言う場合。 
非常に抽象的で、実体がないように見えるということだ。
 
抽象的で実体がない?
   
そう。これらの言葉は何を指す?
 
あなたは私の人生史を知りたいのですか?
 
それも面白そうだけど、あなたの人生史があなたなのかな?
 
何を仰りたいのでしょう?
 
つまり、あなたに降りかかった出来事は、ただ出来事が起こったという意味だ。
それらは誰に起こったのだろう?
それらが、あなたが誰であるかを形成するのだろうか。
あるいは、あなたはそれらとは別に存在するのか?
 
なるほど、そういうことですか。 私はそれらとは別に存在します。 それらは常に私の外部にあります。それらは私の身に降りかかります。でもそれらは私ではありません。 
 
そうだ。では、その身に降りかかる出来事があなたを変えるかどうか教えてほしい。
 
もちろん、それらは影響します。
 
私はそれらがあなたに影響を与えることは出来ない、それらはあなたを変えないと主張する。

それでは、明らかに我々は、2つの異なる人々について話っていることになります。
 
確かに。だが私は、あなたは個性を有する個人ではない、あなたは制限されていないと述べているのだ。
 
あなたがジョンであることを自分自身に採用するなら、この概念という制限を受けなければならない。
 
そうでなければ?
 
あなたが自分だと考えている者ではなく、全体で完全であるならば、常に自由である。 
 
それはどうしてですか?
 
もし、あなたが一個人ではなく、既に全体で完全であるならば、物(対象)と経験を得ることで自分自身を完成させようとはしないだろう。 
この単純なアイデアは、現在しているように、あなたが持っていない何か、違った何かを持つべきであるといって、あなたを煩わせることはない。
 
それが私を完全にするか自由にすると信じているから私は自分が望む結果を得ようとしていると、あなたは仰るのですか。
 
まさしく、そうだ。あなたが人生で得てきたものがあなたを満たしているかどうか、教えてほしい。
 
はいでもあり、いいえでもあります。それは私を瞬間的に全体と完全、つまり幸福を感じさせますが、この感覚が続くことはありません。
 
この感覚は消え去るのだから、したがって、答えはいいえだ。あなたの不完全な感覚は元に戻り、再度いい気持ちになることを見込んで、次の欲望を満たす必要に直面するのだ。そうではないか?
 
なんてこった、あなたは私のことをよくご存知ですね。
 
そんなことはないさ。これは自分が誰であるか知らない誰もが持つ質だ。
 
それでは、私は誰なんです?

あなたは非二元の気づきである。
 
それで?
 
それゆえ、あなたは既に自由である。
 
なぜ?
 
なぜなら、自由は束縛とは別の原理によるから。事実は、あなたは、非二元であるということ。2つ、あるいは多くの異なるものになれないということだ。
 
オーケイ。これが真実だとすれば、どうして非二元の実感がないのでしょう?
どうして完全に感じないのでしょう?


非二元とはどのような感覚だろうか?   
 
ええっと・・・うーん・・・よくわかりません。
 
それでいいのだ。実在(reality)に、あなたとあなたが感じる(体験する)という二つの原理はないのだから、何かの感覚といったものはない。
 
これはとても過激なアイデアです。常識と矛盾するのは確かです。さらに説明していただけますか?
 
あなたが何かを体験するとき、自分以外の何かを体験していると信じている。
しかし、あなたが体験した物(対象)の本質を調べるなら、あなたと物の関係に違いがないことを見出す。
 
例を挙げていただけませんか?
 
いいとも。あなたは木を体験する。どこで?
 
あそこの家で。
 
違う。あなたの意識(気づき)で体験するのだ。あなたの目を通して木から刺激が来て、意識に記録される。
 
あなたが正しいです。私は何も考えずに話をきいていました。
 
オーケイ。じゃあ、この質問に答えてごらん。
 
いいでしょう。
 
木からあなたの意識までの距離は?
 
距離?
 
そうだ、あなたの意識とそれに現れる木の間にギャップがあるのか?
 
いいえ。体験した木は意識です。
 
よくできたね!意識が木の形をとる。
じゃあ、もう一問いってみよう。
 
オーケイ。
 
意識からあなたまでの距離は?
 
(長い沈黙)
 
うわぁ!何ということだ。
 
一体どうしたんだい?
 
私が意識(気づき)であるということがわかったんです。木は私なんですが、私は木というだけではないのです。
 
そうだ、これがあなたはジョンではないと私が言っていた意味なんだよ。
ジョンは意識に現れるただの名前だ。それはあなたじゃない。
 
わかります。とてもシンプルです。私は常に悟りとは大ごとと思っていました。
これは実に自然です。実際、私は常に気づきでした。私が不完全だったことはなかったのです。
 
その通りだ。
 
私は今何をすべきですか? どうすればこの状態を維持することができますか?
 
何の状態?
 
この気づきの状態。
 
あなたはそれを維持することは出来ない。
 
そんなことを仰らないで下さい。その他全ての体験に等しいということですか?
 
もし、それが体験であるならそうだ。でもそうなのか?
 
えーと、数分前に私はフラストレーションを体験しました。
私自身と私の人生に不満でした。今はいい感じです。
 
その感覚が去ることに恐れはないかな。
 
はい。
 
それは去るかもしれない、だがあなたは去るだろうか?
 
私が去る?
 
そう、その感覚と一緒にあなたが消え去るのだろうか?
 
いいえ、もちろんそうではありません。
 
じゃあ教えてほしい。その感覚があるのは、あなたが気づきであるからなのか、あるいはあなたが何か体験したからなのか。
 
それは気づきとしての自分自身の体験によるものと思えます。
 
そうだ、それはそのように見える。これに答えてほしい: どのようにその感覚を知るのか?
 
私がそれを認識するから。
 
正解。じゃあ、あなたは気づきを伴ったワンネスの感覚なのか、あるいはワンネスの感覚の気づきなのか?
 
私は気づきです。
 
その通り。悟りは気づきを伴ったワンネスの体験ではない。それは私は気づきであるという認識だ。
 
したがって、この感覚を取り戻そうとするのは無意味だ。
 
この感覚が止んだならば、もはやあなたは気づきではないということではない。
それに置き換わる輝かしい感覚、気づき、それがあなたということだ。
 
すべての体験は明白な二元的現実、時間の中で起きる。
 
それらは持続しない。 あなたが人生と呼ぶ感覚/体験の全行列・・・どの感覚をも超越する唯一のものが・・・あなた、気づきである。 
 
あなたは感覚ではない。あなたは体験ではない。それだから、確実になくなるものについて失う心配は無用だ。
 
これは、この感覚を味わうことは二度とないということではない。それは多かれ少なかれあなたの意識の中で恒久的に定着することは出来ない。 
 
しかし、終始気分がよいかどうかはマインド(心)の性質に関係している。 
 
マインドが意識の中で休止するなら、あなたは鼓舞され、基本的に幸福だろう。
 
でも、幸福であるかそうでないかは、気づきとしての私にはべつに関係がないのですよね?
 
その通りだ。
 
今後、私にできることは何もないように見えます。とはいえ、これで完結したという実感もありません。
 
それで完結しているのだが、あなたがそうじゃないと感じるなら、自己認識を堅固にする必要がある。それに対する信頼を増す必要がある。
 
どうやってワークするんでしょう?
 
あなたが誰であるかの認識は、マインドと呼ばれる意識の一部で起きる。
 
今まで、マインドは習慣的にあなたのことを不完全で制限ある人間だと思い込んできた。
 
もう今は別のアイデアがある:あなたは、無制限の全体および完全な気づきである。
 
マインドは筋肉のようなものだ。マインドはあなたが一生に渡って信じ込む同一の制限された自己の思考によって増大し、強固になる。
 
このアイデアはマインドに無意味さ、抑うつ、フラストレーションを引き起こす。マインドはこの新しい自己理解を簡単に認めるつもりはない。
 
マインドは、古いアイデンティティーに慣れきっている。だから、再教育する必要がある。マインドは、この新しいアイデンティティーを表明することを学ぶ必要があるのだ。
 
たった今、あなたはこの体験の真っ只中にあるので、あなたが誰であるかマインドに明確だ。だが、この体験が終わるならば、あなたの自己認識を完結すべきではない。
 
マインドがたとえどんな状態にあっても、それはあなたに仕えるべきものだ。
 
これを完全な感覚(理解)にするには、何をすべきでしょうか? 
 
私のウェブサイトにあるヴェーダンタの教えを学ぶ。マインドを自己に固定させること。あなたに疑問があるときは、私を訪ねるかEメールを送る。
 
Eメールでやりとりしていただけるのですか?
 
悟りの理解に関する質問であればどうぞ。
 
人々は体験が理解を生み出すと考えるが、体験は教育に何の力もないのだ。
 
それらは、知覚力がない。あなたが体験するものは、あなたが体験するものではない。
 
どういう意味ですか?
 
あなたが体験するものは、あなたが体験を解釈するものである、という意味だ。 
 
あなたは意識的な存在であるゆえ、物事を解釈、評価することが出来る。
 
あなたがどのように物事を評価するかがあなたの体験なのだ。最近、私は同じグルを訪ねた2人と話した。 
 
一人は、「彼は完全に悟りを開いた憐れみ深い無私の存在だった」、
もう一人は「彼はエネルギーを吸い取るペテン師だった」と報告した。
 
二人とも実際、本当に彼らの体験をしたのだ。対象の中に恒久的な現実は存在しないということである。
 
こういうような事情に誰もが合意できたにせよ、客観的現実は常に変化し、その存在自体以外の何かに依存している。だから、実際はそれについて決定的な言明を行うことは出来ない。
 
これは、自己認識にどう関連しますか? 
 
自己認識は、それ自身にいかに物事が知られるかに関係している。それは物事を知る誰かについてである。 
 
物事を知る「誰か」は万人に同一である。それは個々のものではない。それは常に存在する。それは皆の自己にほかならない。 
 
あなたがそれなのだから、それが体験されるはずがない。すなわち、あなたが経験的な言語にこだわるなら、それを体験することがありえると言うことは無意味だ。それを好むかどうかにかかわらず、あなたは常にそれを経験しているのだから。
 
あなたは決してそれを体験できない。したがって、それを体験しようとするのは時間の無駄である。
 
すると?
 
それゆえ、問題は無知である。無知を解決するのは認識(知識)だけだ。
だからこれらの教えは、あなたの中にある自己認識を再び目覚めさせる。
 
それらを完全に消化した場合、あなたは気づきであることを常に知っている。 
 
「現在のあなた」と「あなたが考えるあなた」の間の分裂を解消するので、この認識は真の救世主である。 
 
それは、あなたの人生を制限させる嘘を断ち切る。 
 
自分自身を体験しようともがく限り、あなたは「こんなの私じゃない、私は自由ではない」と口にする。 
 
あなたが現在のあなたであるほかに何かであるはずがないのだから、これは葛藤を引き起こす。 
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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