カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
			
			
		
				インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。			
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	さて、今回はジェームス・スワルツ氏による文章を紹介します。
氏の記事は以前にも取り上げましたが、非二元性について深い理解があるように見受けられます。
似非霊性教師に関して警鐘を鳴らしている要素もあり、皮肉が効いているところもポイントが高いです。
	
ジェームス氏自身も、探求者にありがちなグル巡りをインドで経験しているようです。似非霊性教師に遭遇し、騙されることもあったことでしょうが、まともな聖賢に出会ったことで探求が終わったのでしょうか。詳細が彼の自伝にまとめられています(無料でダウンロードできるようになっているのですが、かなりの文量で英文であるため、まともに読んでいません)。
出版関係者に存在が知られ、翻訳されたものが出版されることになればいいのですが。こうした本は商売として成り立ちにくいので難しそうですね。
	
特に興味深いのは、How to Attain Enlightenment という本でしょうか。
彼のウェブサイトで一部抜粋の試し読みすることも可能です。
	
以下はそのウェブサイトから、What is the Self を訳したものです。
英文を載せていませんので、違和感のある箇所がありましたら、リンク先の本文にて御確認下さい。
	
話の内容的には、探求者(ジョン・スミス)とジェームス氏との対話形式になっています。この記事はPart1です。Part2もありますが対話ではありません(未訳)。
	
=============================
http://www.shiningworld.com/
氏の記事は以前にも取り上げましたが、非二元性について深い理解があるように見受けられます。
似非霊性教師に関して警鐘を鳴らしている要素もあり、皮肉が効いているところもポイントが高いです。
ジェームス氏自身も、探求者にありがちなグル巡りをインドで経験しているようです。似非霊性教師に遭遇し、騙されることもあったことでしょうが、まともな聖賢に出会ったことで探求が終わったのでしょうか。詳細が彼の自伝にまとめられています(無料でダウンロードできるようになっているのですが、かなりの文量で英文であるため、まともに読んでいません)。
出版関係者に存在が知られ、翻訳されたものが出版されることになればいいのですが。こうした本は商売として成り立ちにくいので難しそうですね。
特に興味深いのは、How to Attain Enlightenment という本でしょうか。
彼のウェブサイトで一部抜粋の試し読みすることも可能です。
以下はそのウェブサイトから、What is the Self を訳したものです。
英文を載せていませんので、違和感のある箇所がありましたら、リンク先の本文にて御確認下さい。
話の内容的には、探求者(ジョン・スミス)とジェームス氏との対話形式になっています。この記事はPart1です。Part2もありますが対話ではありません(未訳)。
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http://www.shiningworld.com/
	ジェームス氏のウェブサイト(英語)
http://www.shiningworld.com/top/index.php?option=com_content&view=article&id=45%3Awhat-is-the-self&catid=2&Itemid=7
What is the Self
		自己とは何か?
	
		ジョン: 幸福の探索に費やされる途方もない時間と労力を考慮すれば、世界が幸せな人々で溢れると予期できます。なぜそうならないのですか?
	
		ジェームス: 我々はそれがないところを探しているので。
	
		ではそれはどこにあるのですか?
	
		ハートの洞窟の中だと賢者は言う。
	
		意味は?
	
		あなた自身の内側。世界の「向こう」ではない。
	
		オーケイ。では、それは何ですか?
	
		あなたの最奥の自己、全体および完全な無限の意識。
	
		いいですね、まさに非二元です。ですが、私は周り道をしてきました。何か罠があるのでは? それを実現するために私はグルを得て、彼(彼女)の巨大な組織に加わり、私のカルマを焼き尽くすため「無私の奉仕」を日夜行う必要があるのでしょうか?
	
		あなたは、私が大きなカルマを持っており、それが役立たないことを知る必要があります;私はいまだ私が誰であるのか未解決です。贅沢三昧の「目覚めている」人々の周辺に噴出するグルを養うために、十分の一の税を納めることを提案するつもりですか?
	
		それは忘れてください。いまだに私は過去数年間にうけた全週末の悟り集中合宿のために借金を返済しているのです。 
	
		それと、偶然にも私が出会った目覚めたはずの全員が眠りに逆戻りしています、私自身を含めて。ひょっとしたら、あなたは私をアヴァターの獲物「信者」にさせようと企んでいるのかもしれません。
	どうぞお構いなく。アヴァターは掃いて捨てるほどいるようです。スピリチュアルを身に着け、2、3の洞察があれば、今日では誰もがアヴァターです。
	私はあなたがタントラを売り付けようとしていないことも願います。私は80年代にインドでそれに引っ掛かりました。困難の末に得たものは傷心と非神聖な性の渇望が全てでした。
	お願いだから、悟りを思い通りに「転送」出来る人がいるだなんて言わないでいただきたい。もしそれが可能ならば、全世界は今頃とっくに悟っているでしょうに。 
	私はシャクティパット、悟り体験、洞察、いわゆる「偉大なマスター」の方々のサードアイから束の間のサマディへと誘導されるなど公正な分け前よりも多く恵まれてきました・・・そして、いまだに私が誰なのかわかりません。
	最終的に、あなたが私に「明け渡し」を要求するなら、私は荒っぽくなるかもしれません。それは、グルの騙しの手口で最も卑劣なものです。
	うんざりしているようだね!ともあれ、私はあなたの観点を高く評価する。
	
評価ですって?私はスピリチュアル・ビジネス全体について皮肉っているだけです。
評価ですって?私はスピリチュアル・ビジネス全体について皮肉っているだけです。
	あなたがやるべきことをすればいい。世界は確かに激しい精神的な飢餓に苦しんでいるし、それを満たす必要がある人々は殺到している。
	問題の一部は、悟りの性質について多くの異なる意見があるという事実から生じている。
	また、誰もその状態に一致することができないので、関心を引こうと張り合う多くの教え(教師)を探求者が冷静に評価できる方法はない。 
	現代の精神世界は、巨大で無秩序な株式市場のようなものだ。誰でも結果を心配することなく何でも販売できる。
	だが、買い手は用心せよ! どんな馬鹿でも「覚醒した」とか「神を見た」と看板を掲げて「教え」を説き始めることが可能だ。
	また、あなたは自分を惑わす人の信念および見解を真実として鵜呑みにするおそれがある。  
	今日では、グルは単なる職業の一つに成り下がった(富、力、追従の見込みを提供する、独り善がりの個人事業)。 
	精神性(スピリチュアリティー)に関して精神的なものは何もない。あなたが感じているものはどれだけ合理的だろうか。
	心配御無用、私はアヴァターではない、私はあなたのお金を欲しない。私はグルではない。
	では、あなたは何を提供しているのでしょうか?
	
あなたが探し求めているものを見つけられなかった理由の正しい認識。
	
何でそうなるのでしょう?
あなたが探し求めているものを見つけられなかった理由の正しい認識。
何でそうなるのでしょう?
	あなたは、悟りの本質について明確でない。あなたは、グルとの関係と霊的修練を通じて悟りを達成できると考える。
	どうしたら私は何もせずに悟りを得るに至るのでしょうか?
	私はこの問題を推論する、あなたが既に悟っているならば、「マスターとの付き合い」と霊的修練を行うことに対して何かが成功するであろうという好意的な期待があるだろうか?
	「既に悟っている」とはどういう意味でしょう?
	この悟りという用語は、あなたにとって何を意味する?
	自由。マインドからの自由、苦しみ、欲望、恐れからの自由。
	そう、このように聖典はそれを定義する。 だが、既に自由ならば、どうやって自由を得られるのか?
	既に自由?
	そう、あなたは自分の好き嫌い、恐れや欲望に縛られていると空想してるに過ぎない。
	私はそれらに縛られています。
	オーケイ。では、あなたは誰か?
	私が誰であるか?
	そう、縛られているのは誰だ?
	私。ジョン・スミスです。
	じゃあ、ジョン・スミスって誰?
	あなたが、「私はそれが何を意味するか分からない」と言う場合。 
	非常に抽象的で、実体がないように見えるということだ。
	抽象的で実体がない?
	そう。これらの言葉は何を指す?
	あなたは私の人生史を知りたいのですか?
	それも面白そうだけど、あなたの人生史があなたなのかな?
	何を仰りたいのでしょう?
	つまり、あなたに降りかかった出来事は、ただ出来事が起こったという意味だ。
	それらは誰に起こったのだろう?
	それらが、あなたが誰であるかを形成するのだろうか。
	あるいは、あなたはそれらとは別に存在するのか?
	なるほど、そういうことですか。 私はそれらとは別に存在します。 それらは常に私の外部にあります。それらは私の身に降りかかります。でもそれらは私ではありません。 
	そうだ。では、その身に降りかかる出来事があなたを変えるかどうか教えてほしい。
	もちろん、それらは影響します。
	私はそれらがあなたに影響を与えることは出来ない、それらはあなたを変えないと主張する。
	
それでは、明らかに我々は、2つの異なる人々について話っていることになります。
それでは、明らかに我々は、2つの異なる人々について話っていることになります。
		確かに。だが私は、あなたは個性を有する個人ではない、あなたは制限されていないと述べているのだ。
	あなたがジョンであることを自分自身に採用するなら、この概念という制限を受けなければならない。
	そうでなければ?
	あなたが自分だと考えている者ではなく、全体で完全であるならば、常に自由である。 
	それはどうしてですか?
	もし、あなたが一個人ではなく、既に全体で完全であるならば、物(対象)と経験を得ることで自分自身を完成させようとはしないだろう。 
	この単純なアイデアは、現在しているように、あなたが持っていない何か、違った何かを持つべきであるといって、あなたを煩わせることはない。
	それが私を完全にするか自由にすると信じているから私は自分が望む結果を得ようとしていると、あなたは仰るのですか。
	まさしく、そうだ。あなたが人生で得てきたものがあなたを満たしているかどうか、教えてほしい。
	はいでもあり、いいえでもあります。それは私を瞬間的に全体と完全、つまり幸福を感じさせますが、この感覚が続くことはありません。
	この感覚は消え去るのだから、したがって、答えはいいえだ。あなたの不完全な感覚は元に戻り、再度いい気持ちになることを見込んで、次の欲望を満たす必要に直面するのだ。そうではないか?
	なんてこった、あなたは私のことをよくご存知ですね。
	そんなことはないさ。これは自分が誰であるか知らない誰もが持つ質だ。
	 
	それでは、私は誰なんです?
	あなたは非二元の気づきである。
	それで?
	それゆえ、あなたは既に自由である。
	なぜ?
	なぜなら、自由は束縛とは別の原理によるから。事実は、あなたは、非二元であるということ。2つ、あるいは多くの異なるものになれないということだ。
	オーケイ。これが真実だとすれば、どうして非二元の実感がないのでしょう?
どうして完全に感じないのでしょう?
	
非二元とはどのような感覚だろうか?
どうして完全に感じないのでしょう?
非二元とはどのような感覚だろうか?
	ええっと・・・うーん・・・よくわかりません。
	それでいいのだ。実在(reality)に、あなたとあなたが感じる(体験する)という二つの原理はないのだから、何かの感覚といったものはない。
	これはとても過激なアイデアです。常識と矛盾するのは確かです。さらに説明していただけますか?
	あなたが何かを体験するとき、自分以外の何かを体験していると信じている。
	しかし、あなたが体験した物(対象)の本質を調べるなら、あなたと物の関係に違いがないことを見出す。
	例を挙げていただけませんか?
	いいとも。あなたは木を体験する。どこで?
	あそこの家で。
	違う。あなたの意識(気づき)で体験するのだ。あなたの目を通して木から刺激が来て、意識に記録される。
	あなたが正しいです。私は何も考えずに話をきいていました。
	オーケイ。じゃあ、この質問に答えてごらん。
	いいでしょう。
	木からあなたの意識までの距離は?
	距離?
	そうだ、あなたの意識とそれに現れる木の間にギャップがあるのか?
	いいえ。体験した木は意識です。
	よくできたね!意識が木の形をとる。
	じゃあ、もう一問いってみよう。
	オーケイ。
	意識からあなたまでの距離は?
	 
	(長い沈黙)
	うわぁ!何ということだ。
	一体どうしたんだい?
	私が意識(気づき)であるということがわかったんです。木は私なんですが、私は木というだけではないのです。
	そうだ、これがあなたはジョンではないと私が言っていた意味なんだよ。
	ジョンは意識に現れるただの名前だ。それはあなたじゃない。
	わかります。とてもシンプルです。私は常に悟りとは大ごとと思っていました。
	これは実に自然です。実際、私は常に気づきでした。私が不完全だったことはなかったのです。
	その通りだ。
	私は今何をすべきですか? どうすればこの状態を維持することができますか?
	何の状態?
	この気づきの状態。
	あなたはそれを維持することは出来ない。
	そんなことを仰らないで下さい。その他全ての体験に等しいということですか?
	もし、それが体験であるならそうだ。でもそうなのか?
	えーと、数分前に私はフラストレーションを体験しました。
	私自身と私の人生に不満でした。今はいい感じです。
	その感覚が去ることに恐れはないかな。
	はい。
	それは去るかもしれない、だがあなたは去るだろうか?
	私が去る?
	そう、その感覚と一緒にあなたが消え去るのだろうか?
	いいえ、もちろんそうではありません。
	じゃあ教えてほしい。その感覚があるのは、あなたが気づきであるからなのか、あるいはあなたが何か体験したからなのか。
	それは気づきとしての自分自身の体験によるものと思えます。
	そうだ、それはそのように見える。これに答えてほしい: どのようにその感覚を知るのか?
	私がそれを認識するから。
	正解。じゃあ、あなたは気づきを伴ったワンネスの感覚なのか、あるいはワンネスの感覚の気づきなのか?
	私は気づきです。
	その通り。悟りは気づきを伴ったワンネスの体験ではない。それは私は気づきであるという認識だ。
	したがって、この感覚を取り戻そうとするのは無意味だ。
	この感覚が止んだならば、もはやあなたは気づきではないということではない。
	それに置き換わる輝かしい感覚、気づき、それがあなたということだ。
	すべての体験は明白な二元的現実、時間の中で起きる。
	それらは持続しない。 あなたが人生と呼ぶ感覚/体験の全行列・・・どの感覚をも超越する唯一のものが・・・あなた、気づきである。 
	あなたは感覚ではない。あなたは体験ではない。それだから、確実になくなるものについて失う心配は無用だ。
	これは、この感覚を味わうことは二度とないということではない。それは多かれ少なかれあなたの意識の中で恒久的に定着することは出来ない。 
	しかし、終始気分がよいかどうかはマインド(心)の性質に関係している。 
	マインドが意識の中で休止するなら、あなたは鼓舞され、基本的に幸福だろう。
	でも、幸福であるかそうでないかは、気づきとしての私にはべつに関係がないのですよね?
	その通りだ。
	今後、私にできることは何もないように見えます。とはいえ、これで完結したという実感もありません。
	それで完結しているのだが、あなたがそうじゃないと感じるなら、自己認識を堅固にする必要がある。それに対する信頼を増す必要がある。
	どうやってワークするんでしょう?
	あなたが誰であるかの認識は、マインドと呼ばれる意識の一部で起きる。
	今まで、マインドは習慣的にあなたのことを不完全で制限ある人間だと思い込んできた。
	もう今は別のアイデアがある:あなたは、無制限の全体および完全な気づきである。
	マインドは筋肉のようなものだ。マインドはあなたが一生に渡って信じ込む同一の制限された自己の思考によって増大し、強固になる。
	このアイデアはマインドに無意味さ、抑うつ、フラストレーションを引き起こす。マインドはこの新しい自己理解を簡単に認めるつもりはない。
	マインドは、古いアイデンティティーに慣れきっている。だから、再教育する必要がある。マインドは、この新しいアイデンティティーを表明することを学ぶ必要があるのだ。
	たった今、あなたはこの体験の真っ只中にあるので、あなたが誰であるかマインドに明確だ。だが、この体験が終わるならば、あなたの自己認識を完結すべきではない。
	マインドがたとえどんな状態にあっても、それはあなたに仕えるべきものだ。
	これを完全な感覚(理解)にするには、何をすべきでしょうか? 
	私のウェブサイトにあるヴェーダンタの教えを学ぶ。マインドを自己に固定させること。あなたに疑問があるときは、私を訪ねるかEメールを送る。
	Eメールでやりとりしていただけるのですか?
	悟りの理解に関する質問であればどうぞ。
	人々は体験が理解を生み出すと考えるが、体験は教育に何の力もないのだ。
	それらは、知覚力がない。あなたが体験するものは、あなたが体験するものではない。
	どういう意味ですか?
	あなたが体験するものは、あなたが体験を解釈するものである、という意味だ。 
	あなたは意識的な存在であるゆえ、物事を解釈、評価することが出来る。
	あなたがどのように物事を評価するかがあなたの体験なのだ。最近、私は同じグルを訪ねた2人と話した。 
	一人は、「彼は完全に悟りを開いた憐れみ深い無私の存在だった」、
もう一人は「彼はエネルギーを吸い取るペテン師だった」と報告した。
もう一人は「彼はエネルギーを吸い取るペテン師だった」と報告した。
	二人とも実際、本当に彼らの体験をしたのだ。対象の中に恒久的な現実は存在しないということである。
	こういうような事情に誰もが合意できたにせよ、客観的現実は常に変化し、その存在自体以外の何かに依存している。だから、実際はそれについて決定的な言明を行うことは出来ない。
	これは、自己認識にどう関連しますか? 
	自己認識は、それ自身にいかに物事が知られるかに関係している。それは物事を知る誰かについてである。 
	物事を知る「誰か」は万人に同一である。それは個々のものではない。それは常に存在する。それは皆の自己にほかならない。 
	あなたがそれなのだから、それが体験されるはずがない。すなわち、あなたが経験的な言語にこだわるなら、それを体験することがありえると言うことは無意味だ。それを好むかどうかにかかわらず、あなたは常にそれを経験しているのだから。
	あなたは決してそれを体験できない。したがって、それを体験しようとするのは時間の無駄である。
	すると?
	それゆえ、問題は無知である。無知を解決するのは認識(知識)だけだ。
	だからこれらの教えは、あなたの中にある自己認識を再び目覚めさせる。
	それらを完全に消化した場合、あなたは気づきであることを常に知っている。 
	「現在のあなた」と「あなたが考えるあなた」の間の分裂を解消するので、この認識は真の救世主である。 
	それは、あなたの人生を制限させる嘘を断ち切る。 
	自分自身を体験しようともがく限り、あなたは「こんなの私じゃない、私は自由ではない」と口にする。 
	あなたが現在のあなたであるほかに何かであるはずがないのだから、これは葛藤を引き起こす。 
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国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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