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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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advaita-academy.org/Pages/Q_A_Details.aspx
Q&A: グル

「サットサング教師が、弟子の頭に『両手を置きました』。
何が行われていたのでしょうか?」


: 私は、数週間前にサットサングに行ってきました。

セッションの終わりに、誰かが弟子として受け入れてもらうために進み出ました(少なくとも私は、そうであったと思います)。

教師はその男性の頭に両手を置いて、じっとしていました。

この儀式が何を意味するか説明して頂けますか?


デニス・ウェイト

サットサングの記述に関してですが、私は実際にその教師または彼の書いたものを知りません。

彼には強い存在感があるとのことですが、あなたはこれにだまされないように慎重であるべきです。

誰もが自分自身を「みせる」ものに精神肉体機構の性質の一部があります。

これは例えば、喉頭などの構成によりはっきり口述される低い威厳ある声の場合は明らかです。

しかし、自信、説得力、雄弁能力などのようなものは、すべて学んだ(博識)か、おそらくは引き継いだ特質であります。

非二元性とはまったく何も関係がありません。  

彼が「手を置いた」ことについて何をしていたのか想像つきませんが、これは単純に物理的な安心や慰め以外に何も果たしていないとしか考えられません。

もし、誰かがこれに依存するならば、グル崇拝を促進するための見せかけだったと仮定しなければならないでしょう -

めったに本物として解釈できるものはありません。

私たちの「苦しみ」(それを何と呼ぶにせよ)のすべてが無知の結果です。

そして、無知は認識(knowledge)によって取り除けるだけです。

残念ながら、触れることで認識を移すことはできません!


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デニス・ウェイト氏について

彼は化学の学士号の教育をうけ、人生の大半をコンピュータ関連で働いていました。 2000年以降は書くことに人生を捧げています。

1999年(2007~8に手広く改訂)に哲学的/生態学的な冒険小説、2001年3月に達成価値測定基準に関する本を完成しました。

2003年に、彼にとって初のアドヴァイタに関する本「The Book of One」(その道の学徒を対象に執筆した)が出版されました。

2005年に、サンスクリット語の入門書(「霊性探求者の必須案内」)がインドで出版されました。

2007年に出版された彼の本「How to Meet Yourself(自分自身に出会う方法)」は、非専門的な読者に向けて人生の意味と目的という基本の話題、および幸福の本質を記述したものです。

「霊性探求者」を対象にしたわけではありませんが、本を読み終えるまでに読者が1つになりたいと望むことを意図しました!

それは西洋哲学、社会学、心理学の見地から主題にアプローチしますが、次第にアドヴァイタの概念を紹介し、最後の2つの章では詳細に自己と実在の非二元性について説明します。

同じく2007年に、「Back to the Truth(真実に向かって)」と題した彼の主要なアドヴァイタの本が出版されました。

これは、アドヴァイタの系統を取り扱い、多くの情報源による例を用いることで、教師とアプローチを区別することで読者に役立ちます。

伝統的なアドヴァイタの聖典(同時代の賢者の言葉)と現代のネオ・アドヴァイタの教え「なすべきことは何もない」とを比較します。

私たちはマインドを無視するべきでしょうか?

世界は実在しますか?

「悟る」ために私たちにできることがありますか?

こうした疑問と、真理を発見した人による説明が記載されています。

2008年に彼の最新刊「悟り: ジャングルの抜け道」が出版されました。

「悟り」という用語を定義して、「ニューエイジ」本によって繁殖された悟りにまつわる多くの神話を払拭することを明確な目的としました。

それは、伝統的な教えの中で千年を越えて伝わる立証された方法を据える試みでした。

現代の「サットサング」教師とネオ・アドヴァイタの教えがないのとは対照的に、伝統的方法だけが悟りをもたらす見込みのある過程を説明します。


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ついに、ムバラク大統領が辞任しましたね。
今後ますます他国に波及していくことになるのでは。

さて、海外のスピリチュアルティーチャーをピックアップしてみました。
(特に推奨するわけではありませんが)
デイブ・オシャーナと呼ばれる男性で、フィンランドで活動しているようです。詳しいプロフィールが見当たらないのでよくわからないのですがオシャーナというのは本名ではないような。

オショー・ラジニーシの名が話の中に登場していたのと、そのアシュラムを出入りしたような記述もあったので関連があるのかもしれません。

悟り(エンライトメント)と目覚め(アウェイクニング)を区別しているのと、至福・恍惚状態(来ては去っていく単なる体験にすぎない)を重視していないように思えます。

伝達(トランスミッション)を強調しているところが特徴的でしょうか。
エネルギーワークも提供していますが、身体を動かすエクサイズなどでレイキやディクシャのようなエネルギーワークとは異なるようです。

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Enlightenment-Now
enlightenment-now.com/index.html

デイブ・オシャーナとは誰か?

デイブ・オシャーナは正真正銘の悟った教師です。彼は深い理解とノーマインドの状態を強力に伝達できます。
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恒久的な悟り

「言葉に用心せよ - 本物の師は、彼自身の飲み物を補充するためにあなたの湯飲み茶碗を空っぽにさせることを要求しない!」

現代のサットサング教師、行者、ヨギは、時折、臨時品を与えるかもしれない。

あなたが幸運であれば、アンマ(マーター・アムリタナンダマイ)は一晩中抱きしめるセッションの間にそれを与えるかもしれない - だが、朝が来れば至福は過ぎ去る。

教師の集まりで素晴らしく感じた後、とても惨めに感じるのはどうしてだろう?
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棒キャンディー

それは、あなたが試食の誘惑をうけ、ひとかけらを提供されたからだ - そして、すべてのおやつの様に、それらは間に合わせである。

それらは本当の悟り(解放あるいは自己実現)とは無関係だ、というのもまだそれと共にあなたがいるからである。

ラメッシ・バルセカールは、それらを「無料サンプル」と呼んだ。

HWL Poonja(パパジ)はそれらを『棒キャンディー』と呼んだ。

そして彼は大勢にアイスクリームをばらまいたと公言した。

では、あなたがアンマなどのグルから『それ』を得たとき、あなたは『ひとつ』に触れただろうか?

いいや、あなたは至福のエネルギーを体験しただけである。

ん、かなり大胆な発言だって?

しかし、何であなたは大きなエネルギーを得ようとするのだろう?
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目覚め (覚醒体験)

あるいは、あなたは一時的に目覚めていたのかもしれない; これらはそれほど一般的ではないが何ヶ月も続くことがある(いずれも悟りではない)。

現代のサットサングで提示される最もポピュラーなタイプの目覚めは、「ノーマインド」あるいは「見性」である。

これはマインドの外側に気づきがあり、有頂天(恍惚境)に達した状態である。
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ミニ悟り

これらのミニ悟り(一瞥)は、グルタミン酸ソーダのように一時的充足を与えるに過ぎない。

渇いたあなたが残り、不便な時(午前4時のような)にますます欲し、ほてりと動悸を伴い切望しているとき、君の愛用の至福商人は来年まで町を離れているのだ。
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目覚めのタイプ

目覚めには多くの異なったタイプがある。

人間のどんな部分も目覚めることが可能だ。

例えばマインド、身体、ハート(感情的なセンター)または直観--これらのいずれも目覚めることができる。

身体に気づきが入るならば、より生き生きと、より巧みになる。

大部分の人々にとって、気づきはマインドの心配に夢中になっている。

それは自由に身体、直感、ハートに旅することができない。

それが自由であるなら、身体から離れた場所、マインドの外側に行くことさえできるだろうに。
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ノーマインド

『ノーマインド』は、気づきがマインドの外側で静止することである。

しかしながら、この気づきは絶えず動きの中にあり、必然的にマインドの内部に引き込まれ、その中に降下する。
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恒久的な目覚めには何が必要なのか?

気づきはノーマインドの領域だけではなく、マインドから遠くに離れる必要がある。

なぜなら、この領域はまだ創造の領域にあるからだ。

すべての創造された形態が気づきを引き込む。
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目覚めは悟りではない

一部の教師達にとって、目覚めは簡単に生み出せることかもしれない。

だが、この宇宙における全創造物のように、それらはごく短期で変化しやすい。

悟りとは「家に帰る」ことだ。最終的な安息地、象と他の生物が死ぬための場所、すなわち休息のために彼らの記憶を置く所。

悟りは、人が何であるかに関する完全で恒久的な認識で、すべての不正確な見解、推測、および他の精神的な負担から自由である。

過酷な商取引の終わりに、霊的市場から家へ持ち帰る価値がある唯一のものが悟りだ。

千の花弁を持つハスが萎れるずっと前に、目覚めは色あせて萎れる。

イタリア人の新婚がベニスのバルコニーから子供を待ち構え、甘いお菓子をどっさりばらまくのと同じように、目覚めを分け与える霊的教師がいるならば彼らと過ごすべきか?

これに答えるのは容易ではない。 それは人による。

精神的な恍惚を得ることでアルコール中毒が止まるとすれば有益である。

しかしながら、探求者が至福に溺れて本物の悟りの教師を探すのを止めることになれば、最終的な発見(悟り)をすることに失敗するだろう。

悟りは優れた「IT」だ - コカコーラやペプシではない。

模造品や二流品を受け入れないように。

悟りは真の生ける水、永遠の命の泉である。

目覚めは目新しいのだが、それらは十分ではない。

疲れきった霊的旅行者は遠くを見つめている。

彼らは、天国を見てはいないが、無数の体験を持ち、マントラを唱えた、奇跡を目撃した、最新の人生を変える本を読んだ、数千時間も地球のあちこちを巡ったとうんざりして言うことができる。

そして、いまだに「何が現在に最終的な違いを作るんだろうか?」と首をかしげている。
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形はない

現代のサットサング教師の多くは目覚めと悟りの違いを明確に説明しない。違いを知らないのかもしれない。

マスター(師)は、最終的な形(無形)を明らかにしようと岩を刻んでいる彫刻家のようにこれらの概念をコツコツと解く。すべての形は内側の無形から創造される。

しかし、教師が持つ最も重要なものは言葉ではない;
悟りをもたらす『伝達』が彼の本当の贈り物である。
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教えはない

一部の人々は、アドヴァイタを真理についての伝統、哲学、血統とみなす。これは、人を誤らせる概念だ。

パパジは、老子のごとく『教えはない』と断言した。

ラマナ・マハリシは、教師は外側の物質形態ではないと述べた。

教え、教師、血統はない。

一部の勤勉な『教師達』と彼らの福音主義の支持者達は教えの本を大量に出版するのを止めなかった。

ミニマリスト(最小限主義者)アドヴァイタ Bauhaus Kampにおいて、それが我々を自由にするという認識であったと見える。
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伝達

悟りは伝達によって起こる。本は束縛である。

読むのを止めて、受け取り始める時だ。

伝達は、いまだ説明されたことがない謎めいたものだ。

私はこの領域の研究を続けているが一部分は文書化できるかもしれない。

だが、今のところ、それについて書くよりも役立つ仕事は悟りを生み出すことのみである。
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アドヴァイタ・デラックス

意味論的なベルリンの壁は、『真の』アドヴァイタの教えの純度を保持することを願う特定の学徒によって建設された。

一部の逃亡者がいた: これらの真理からの逃亡者は、朝食用の至福のオートミールでは、昼食と夕食の両方の悟りには至りそうにないと気づいた。
贅沢なシリアル用に新たな材料を世界から剽窃した-アドヴァイタ・デラックス - そしてそれは、東洋のヨガと西洋の精神療法から供給された訝しげなものに見える。

彼らは、現在のエサレンのような範囲の活動を提供する: 男性と女性のグループ、芸術療法、ダンス、歌、瞑想、自己催眠、ヨガ。
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化学反応検査

これは、サーカスのエンターテイメントである。

化学反応検査とはこれだ: 教師は、悟りを引き起こすことができるか?

教師が本物であるならば、彼らはとても迅速に悟りをもたらすことができる。
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絶えず空っぽの茶碗

言葉に用心せよ: 本物の師は、彼自身の飲み物を補充するために君の湯飲み茶碗を空っぽにさせることを要求しない。

ただ単にあなたが空っぽのままで留まることを奨励する。

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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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