カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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イニシエート(偉大なる魂についての印象)という本があります。1992年に発刊されたもので、残念ながら絶版で入手は難しい(中古入手可能も高値)ですが、これがまた良い本です。著者が「匿名の弟子」という字のごとく匿名という変わった本で、登場人物についても仮名が使用されています。秘教(オカルト)に通じた師(マスター)と交友関係にあった友人(弟子)が、その師と別れたあとに彼からインスピレーション(印象付け)を得ながら書き記したものだそうです。構成は前半に弟子のみた師の印象(出来事など)、後半に寓話となっています。
その一部を抜粋いたします。
===================
イニシエート
匿名の弟子 :著
尾高樹良 :訳
第18章 ユスティン・モーワード・ヘイグの出発より
さて、これから私の有する友人の中でもっとも貴重な友人が、世界の他の地域において活動するために、ロンドンを去った事情をしぶしぶ物語らなければならないことになる。それがどんな種類の活動であるか私は言うことができない。言わないように要請されているからで、理由はそれだけで充分であろう。
ユスティン・モーワード・ヘイグに会った最初の瞬間から、私は彼を非凡な人間であると見なしたが、出会いが強烈な印象を与えたとするなら、別離はそれ以上の感銘を与えたのである。それは今まで私が気づかなかった彼の人格(PERSONALITY)の一側面を見せてくれた。オカルト主題について我々が交わしたいろいろの議論から、かような側面の存在することは充分に納得していたけれども。
姉が私あてに書いた本書に掲載した手紙の中で、モーワードがインドやその他各地に広く旅行していること、もっとも浪漫的な神秘の国々において、もろもろの不可思議を目にしてきていることに言及していることを思い出していただきたい。
彼がその地において、ごく少数の人間にしか与えることを許されていない秘密の知識を得ていたことは、手紙によって明らかである。しかもオカルト英知に関するイニシエートやアデプトがインドにしかいないと考えるのは大きな誤りであること、真相はどうかと言うと、アデプトはイギリスを含めて世界中にいることを、ある日私に語ったことを思い出す。
もしそうであるならば、我々はどうしてアデプトについて見聞することがかように少ないのかと尋ねたところ、彼は笑って彼特有の寛大な、いささか楽しんでいるような笑いを見せて答えたのを思い出す。
他人の天才を十全に理解するためには自ら天才であることを必要とするのが通常であること、極めて高度なオカルティストだけが、アデプトに出会ったとき、アデプトであると認識できること。というのは、このような高みに到達した人は自己宣伝をしないし、周囲の状況によって宣伝されることもない。
「肉屋やパン屋は王であると知っているときだけ王の前に頭を下げる。王を微行させてごらんなさい。誰も王に気がつかないでしょう。
不思議に思われるかもしれないけれど、私は三百年以上生きている人を個人的に知っているが、彼は三百歳というより四十歳くらいに見えるので、多くの人が彼に会っても、ごく少数の人しか彼の年齢を知るに過ぎません。そしてそれが彼を護っています。
人々が真実の年齢を知ったなら、彼は多大な好奇心の的となって生涯の重荷となり、たいへん重要な活動を妨げられることになるでしょう。」
「そんなに長い間生きて行くことができるのなら、」私は言った。
「他のいわゆる奇蹟とやらをやってのけることもできるのでしょうね?」
「間違いなくできるでしょうが、やりはしませんよ。」が、彼の答えであった。
「しかしそうすることによって、偉大なる真理の若干を人類に悟らせることができるのなら、やるべきだと思いますが。」私は主張した。
これに対して、彼は、私の言うことは年柄年中聞いていると、忍耐強い寛容さを見せて微笑むのであった。
「あなたは単なる信念と霊性とを混同しがちである。現象を提示したからと言って人を霊的にすることは決してできない。パデレフスキー氏は目隠しをしても極めて容易にピアノを弾きこなすでしょうが、そのような見せびらかしが非音楽的な人間を音楽的にすることができますか?
答えは明白です。くだらない好奇心を満足させることは虚栄心を満足させることに他ならないことを忘れてはなりません。パデレフスキー氏が目隠しして弾くことは、はなはだしく対面にかかわることではないでしょうか? 同様にアデプトがいわゆる奇蹟を行うことは体面にかかわるのです。」
「しかしイエス・キリストは奇蹟を行ったと言われています。」私は主張した。
「ナザレのアデプトは適切な理由なしに奇蹟を行ったことは一度もありません。彼は人々が病んでいたがゆえに病気を癒しました。人々が飢えていたがゆえに食物を出現させました。弟子たちが恐れたので嵐を鎮めました。しかし彼は『見せびらかし』やくだらぬ好奇心を満足させるために奇蹟を行ったことは決してありません。もう一人のアデプト、ティアナのアポロニウスにしてもそうです。」
私は奇蹟を行うに必要な知識を獲得できるものかどうか、彼に尋ねてみた。
「しかり、そして否。」が彼の答えであった。「しかり、正当な資格要件を所有することだけが肝心であるがゆえに。否、たいていの人はそれを獲得する労をとることができないゆえに。あなた自身はそれを獲得する途上にある。おそらくもっと後の受肉のときに、しようと思えば、奇蹟を行うことができるほどに進歩しているでしょう。」
「あなたはものごとを物質化することができますか?」私は尋ねた。
「あなたは単刀直入な質問をなさる。」彼は笑いながら答えた。
「私は嘘を言うことはどうしてもできない。しかし私が肯定的な答えをするなら、私がロンドンにいる限り事実を口外しないようにお願いします。」
私は完全無欠な慎重さを約束した。
「もちろん、」彼は続けた。「奇蹟というものはありません。我々兄弟団の一員はたいていの人が知らない自然法則を利用しているだけなのです。」
「しかし、なぜその知識が与えられないのですか?」私は尋ねた。
「なぜと言うに、人類はそれを正しい方法で使用できるほど充分には精神的に発達していないからです。必要な資格要件を備えていない人々に与えてごらんなさい。宇宙を潰滅させかねません。」
「で、その資格要件は?」私は尋ねた。
「完全に利己心のないこと、完全な寛容、虚栄心の全き欠如、絶対的自己統制、その他の霊的性質全部。」
「一言で言えば、完成。」私は言った。
「実際的見地から言えば、完成です。」彼は同意した。
「それでは私にはできっこありません。」私は言った。
彼は笑った。「あなたの前には永遠が、それゆえ時間は充分にあることを忘れておられる。」・・・
その一部を抜粋いたします。
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イニシエート
匿名の弟子 :著
尾高樹良 :訳
第18章 ユスティン・モーワード・ヘイグの出発より
さて、これから私の有する友人の中でもっとも貴重な友人が、世界の他の地域において活動するために、ロンドンを去った事情をしぶしぶ物語らなければならないことになる。それがどんな種類の活動であるか私は言うことができない。言わないように要請されているからで、理由はそれだけで充分であろう。
ユスティン・モーワード・ヘイグに会った最初の瞬間から、私は彼を非凡な人間であると見なしたが、出会いが強烈な印象を与えたとするなら、別離はそれ以上の感銘を与えたのである。それは今まで私が気づかなかった彼の人格(PERSONALITY)の一側面を見せてくれた。オカルト主題について我々が交わしたいろいろの議論から、かような側面の存在することは充分に納得していたけれども。
姉が私あてに書いた本書に掲載した手紙の中で、モーワードがインドやその他各地に広く旅行していること、もっとも浪漫的な神秘の国々において、もろもろの不可思議を目にしてきていることに言及していることを思い出していただきたい。
彼がその地において、ごく少数の人間にしか与えることを許されていない秘密の知識を得ていたことは、手紙によって明らかである。しかもオカルト英知に関するイニシエートやアデプトがインドにしかいないと考えるのは大きな誤りであること、真相はどうかと言うと、アデプトはイギリスを含めて世界中にいることを、ある日私に語ったことを思い出す。
もしそうであるならば、我々はどうしてアデプトについて見聞することがかように少ないのかと尋ねたところ、彼は笑って彼特有の寛大な、いささか楽しんでいるような笑いを見せて答えたのを思い出す。
他人の天才を十全に理解するためには自ら天才であることを必要とするのが通常であること、極めて高度なオカルティストだけが、アデプトに出会ったとき、アデプトであると認識できること。というのは、このような高みに到達した人は自己宣伝をしないし、周囲の状況によって宣伝されることもない。
「肉屋やパン屋は王であると知っているときだけ王の前に頭を下げる。王を微行させてごらんなさい。誰も王に気がつかないでしょう。
不思議に思われるかもしれないけれど、私は三百年以上生きている人を個人的に知っているが、彼は三百歳というより四十歳くらいに見えるので、多くの人が彼に会っても、ごく少数の人しか彼の年齢を知るに過ぎません。そしてそれが彼を護っています。
人々が真実の年齢を知ったなら、彼は多大な好奇心の的となって生涯の重荷となり、たいへん重要な活動を妨げられることになるでしょう。」
「そんなに長い間生きて行くことができるのなら、」私は言った。
「他のいわゆる奇蹟とやらをやってのけることもできるのでしょうね?」
「間違いなくできるでしょうが、やりはしませんよ。」が、彼の答えであった。
「しかしそうすることによって、偉大なる真理の若干を人類に悟らせることができるのなら、やるべきだと思いますが。」私は主張した。
これに対して、彼は、私の言うことは年柄年中聞いていると、忍耐強い寛容さを見せて微笑むのであった。
「あなたは単なる信念と霊性とを混同しがちである。現象を提示したからと言って人を霊的にすることは決してできない。パデレフスキー氏は目隠しをしても極めて容易にピアノを弾きこなすでしょうが、そのような見せびらかしが非音楽的な人間を音楽的にすることができますか?
答えは明白です。くだらない好奇心を満足させることは虚栄心を満足させることに他ならないことを忘れてはなりません。パデレフスキー氏が目隠しして弾くことは、はなはだしく対面にかかわることではないでしょうか? 同様にアデプトがいわゆる奇蹟を行うことは体面にかかわるのです。」
「しかしイエス・キリストは奇蹟を行ったと言われています。」私は主張した。
「ナザレのアデプトは適切な理由なしに奇蹟を行ったことは一度もありません。彼は人々が病んでいたがゆえに病気を癒しました。人々が飢えていたがゆえに食物を出現させました。弟子たちが恐れたので嵐を鎮めました。しかし彼は『見せびらかし』やくだらぬ好奇心を満足させるために奇蹟を行ったことは決してありません。もう一人のアデプト、ティアナのアポロニウスにしてもそうです。」
私は奇蹟を行うに必要な知識を獲得できるものかどうか、彼に尋ねてみた。
「しかり、そして否。」が彼の答えであった。「しかり、正当な資格要件を所有することだけが肝心であるがゆえに。否、たいていの人はそれを獲得する労をとることができないゆえに。あなた自身はそれを獲得する途上にある。おそらくもっと後の受肉のときに、しようと思えば、奇蹟を行うことができるほどに進歩しているでしょう。」
「あなたはものごとを物質化することができますか?」私は尋ねた。
「あなたは単刀直入な質問をなさる。」彼は笑いながら答えた。
「私は嘘を言うことはどうしてもできない。しかし私が肯定的な答えをするなら、私がロンドンにいる限り事実を口外しないようにお願いします。」
私は完全無欠な慎重さを約束した。
「もちろん、」彼は続けた。「奇蹟というものはありません。我々兄弟団の一員はたいていの人が知らない自然法則を利用しているだけなのです。」
「しかし、なぜその知識が与えられないのですか?」私は尋ねた。
「なぜと言うに、人類はそれを正しい方法で使用できるほど充分には精神的に発達していないからです。必要な資格要件を備えていない人々に与えてごらんなさい。宇宙を潰滅させかねません。」
「で、その資格要件は?」私は尋ねた。
「完全に利己心のないこと、完全な寛容、虚栄心の全き欠如、絶対的自己統制、その他の霊的性質全部。」
「一言で言えば、完成。」私は言った。
「実際的見地から言えば、完成です。」彼は同意した。
「それでは私にはできっこありません。」私は言った。
彼は笑った。「あなたの前には永遠が、それゆえ時間は充分にあることを忘れておられる。」・・・
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ドイツ人探検家テオドール・イリオンの著書である「チベット永遠の書」を読んでみました。
かなり以前、書店で見かけた頃はウサン臭さがあって、手にすることはなかったのですが、知人より頂戴したものが保管されてあったため読んでみたのです。蓋を開けてみれば、この1930年代の探検記はとても面白く、引き込まれるものがありました。偽聖者と真の聖者の対比となる文章も非常に多く、興味深いものがありました。
当ブログのような内容に関心を示す人(特に偽霊性教師と関係をもった経験を持つ人)であれば、一読の価値があると思います(絶版のようですが中古で入手可能です)。ネットで検索すると、いくつか抜粋紹介してるものも見つかりますが、やはり通しで読むのとでは違います。
一応、参考までに幾つか目にとまった言葉を挙げておきます。
==============
「チベット永遠の書」
T・イリオン :著
林 陽 :訳
・・・総じて、真の隠者は偽の隠者より遥かに出会いが難しい。彼らは、ごく稀れな場合に限るが、誰かを教えたり助けたりするのに必要だと自ら判断したときしか、決して姿を現さないものである。
旅人は、現に隠者が生活しているチベットのもっとも近づ難い地域を訪れることがあるかもしれない。そして隠者の庵から二、三百メートルしか離れていない所にまで来ることもあるだろう。
だが、隠者自らが姿をみせようと思わない限り、決して彼と会うことはない。本物の隠者は人の好奇心をそそるために外に出るようなことは決してない。ときに情報をくれることもあるが、そうするときには常に建設的な目的を見据えている。岩間の小洞窟に住み、何年間も真っ暗闇の中で過ごしているというチベットの自称隠者たちは、どれもこれも本物ではない。P115
・・・真の隠者は人を恐れさせたり、人に自分の力を信じ込ませたりといったことを決してしないが、偽隠者はこれを行う。真の隠者は人に与える物も、約束する物も持たない。P116
・・・真の聖者は自然界の力を支配する力をもっているが、こうした力を誇示しようとは決してしない。疑り深い者たちを納得させるためにも、人の好奇心を満たすためにも使わないのである。彼らが自衛のためにさえこうした力を使わないことを、わたしは知っている。
・・・このような偽聖者たちも、僅かながら自然界の力を支配してみせることが稀れにあるのだが、ほとんどの場合、それによって体力がひどく損なわれるため、彼は滅多にこのようなことはせず、できる限り奇術に類することで衆人の目をごまかしている。
チベットには確かに正真正銘の心霊現象もあるのだが、それは極く稀れなものである。本物を発見できる前に、数知れぬ偽物の現象を調べつくしておく必要があるだろう。P125
・・・「わたしたちは世界に対して何ができるのでしょうか?」
「われわれは、闇の中でもがく人々に道を指し示す道標になることはできる。だが、人を崇拝するようになったら人間はおしまいだ。道標に助けてもらおうと待ち始めたら、その道標がもっとも大きな障壁になってしまうのだ」
「しかし、実質的に人にどう影響を与えていけばよいのでしょうか?」
「大抵の人は何らかの形でこの世の苦しみに加担しているのだ。自分ではそのことに気づいてないことが多いのだが」と彼は答えた。
「誠意ある人間にできることは、自分の人生や財産がどのような結果になろうと、愚かしいと思ったどのようなことにも加担しないでいること位だ」
彼はここで急に子供のような笑い声を出した。二、三分前にみせていた真剣な表情とは実に対照的である。「これが笑えずにいられるかね」と彼はいった。「財産といったが、わしは財産など一つももっとらんのだよ。何も持たないから失うものもない」P139-140
・・・チベットの霊的麻薬の売人たちは、みな一様に、聖なる人間の近くにいればそのことだけで自動的に霊的な利益になる、という信仰を鼓舞している。
だが、真の霊性があるところには、「利益」という概念は一つもないのだ。偉大なる力ある存在の面前にいてさえ、自動的に助けが与えられるわけではない。われわれの心の光の面だけではなく、別の面も表に出てくるのだ。真の隠者が興味本位の大衆の前に出ることを嫌がるのも不思議ではないのである。
真の隠者は自分のことを「聖人」と呼んだりはしない。自分が善良であることを人に印象づけようとする人間には注意したほうがいい。本当に徳のある人間なら、何もその事実を強調する必要がないからだ。P146-147
・・・相手がどれほど賢く力ある人間であったにせよ、われわれが霊的導師の命じるままに自動的に動くような操り人形と化すようであれば、人生は何の意味も持たないのだ。P149
・・・チベットの聖なる賢人たちの意見によれば、目的が何であれ、自分の体を他界の霊に明け渡し憑依させることは、自己の魂に対する最大の罪である。人の中の聖なる火花、つまり霊魂が、これによって大きく汚され、痛めつけられるのだ。P196
==================
チベット永遠の書に関連した記事のあるブログをいくつかピックアップしました。
http://homepage1.nifty.com/pdo/linkillion.htm
これは原書を知らなければ指摘できない問題であり、もっともだと思いました。
(日本語版の誤解について)
http://utyujintoufononazo.seesaa.net/article/150072442.html
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/834cfef686a6950e5d8ec29e4eeb04b8
http://x51.org/x/05/10/3050.php
X51.ORG : 謎の地下王国シャンバラは実在するか
かなり以前、書店で見かけた頃はウサン臭さがあって、手にすることはなかったのですが、知人より頂戴したものが保管されてあったため読んでみたのです。蓋を開けてみれば、この1930年代の探検記はとても面白く、引き込まれるものがありました。偽聖者と真の聖者の対比となる文章も非常に多く、興味深いものがありました。
当ブログのような内容に関心を示す人(特に偽霊性教師と関係をもった経験を持つ人)であれば、一読の価値があると思います(絶版のようですが中古で入手可能です)。ネットで検索すると、いくつか抜粋紹介してるものも見つかりますが、やはり通しで読むのとでは違います。
一応、参考までに幾つか目にとまった言葉を挙げておきます。
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「チベット永遠の書」
T・イリオン :著
林 陽 :訳
・・・総じて、真の隠者は偽の隠者より遥かに出会いが難しい。彼らは、ごく稀れな場合に限るが、誰かを教えたり助けたりするのに必要だと自ら判断したときしか、決して姿を現さないものである。
旅人は、現に隠者が生活しているチベットのもっとも近づ難い地域を訪れることがあるかもしれない。そして隠者の庵から二、三百メートルしか離れていない所にまで来ることもあるだろう。
だが、隠者自らが姿をみせようと思わない限り、決して彼と会うことはない。本物の隠者は人の好奇心をそそるために外に出るようなことは決してない。ときに情報をくれることもあるが、そうするときには常に建設的な目的を見据えている。岩間の小洞窟に住み、何年間も真っ暗闇の中で過ごしているというチベットの自称隠者たちは、どれもこれも本物ではない。P115
・・・真の隠者は人を恐れさせたり、人に自分の力を信じ込ませたりといったことを決してしないが、偽隠者はこれを行う。真の隠者は人に与える物も、約束する物も持たない。P116
・・・真の聖者は自然界の力を支配する力をもっているが、こうした力を誇示しようとは決してしない。疑り深い者たちを納得させるためにも、人の好奇心を満たすためにも使わないのである。彼らが自衛のためにさえこうした力を使わないことを、わたしは知っている。
・・・このような偽聖者たちも、僅かながら自然界の力を支配してみせることが稀れにあるのだが、ほとんどの場合、それによって体力がひどく損なわれるため、彼は滅多にこのようなことはせず、できる限り奇術に類することで衆人の目をごまかしている。
チベットには確かに正真正銘の心霊現象もあるのだが、それは極く稀れなものである。本物を発見できる前に、数知れぬ偽物の現象を調べつくしておく必要があるだろう。P125
・・・「わたしたちは世界に対して何ができるのでしょうか?」
「われわれは、闇の中でもがく人々に道を指し示す道標になることはできる。だが、人を崇拝するようになったら人間はおしまいだ。道標に助けてもらおうと待ち始めたら、その道標がもっとも大きな障壁になってしまうのだ」
「しかし、実質的に人にどう影響を与えていけばよいのでしょうか?」
「大抵の人は何らかの形でこの世の苦しみに加担しているのだ。自分ではそのことに気づいてないことが多いのだが」と彼は答えた。
「誠意ある人間にできることは、自分の人生や財産がどのような結果になろうと、愚かしいと思ったどのようなことにも加担しないでいること位だ」
彼はここで急に子供のような笑い声を出した。二、三分前にみせていた真剣な表情とは実に対照的である。「これが笑えずにいられるかね」と彼はいった。「財産といったが、わしは財産など一つももっとらんのだよ。何も持たないから失うものもない」P139-140
・・・チベットの霊的麻薬の売人たちは、みな一様に、聖なる人間の近くにいればそのことだけで自動的に霊的な利益になる、という信仰を鼓舞している。
だが、真の霊性があるところには、「利益」という概念は一つもないのだ。偉大なる力ある存在の面前にいてさえ、自動的に助けが与えられるわけではない。われわれの心の光の面だけではなく、別の面も表に出てくるのだ。真の隠者が興味本位の大衆の前に出ることを嫌がるのも不思議ではないのである。
真の隠者は自分のことを「聖人」と呼んだりはしない。自分が善良であることを人に印象づけようとする人間には注意したほうがいい。本当に徳のある人間なら、何もその事実を強調する必要がないからだ。P146-147
・・・相手がどれほど賢く力ある人間であったにせよ、われわれが霊的導師の命じるままに自動的に動くような操り人形と化すようであれば、人生は何の意味も持たないのだ。P149
・・・チベットの聖なる賢人たちの意見によれば、目的が何であれ、自分の体を他界の霊に明け渡し憑依させることは、自己の魂に対する最大の罪である。人の中の聖なる火花、つまり霊魂が、これによって大きく汚され、痛めつけられるのだ。P196
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チベット永遠の書に関連した記事のあるブログをいくつかピックアップしました。
http://homepage1.nifty.com/pdo/linkillion.htm
これは原書を知らなければ指摘できない問題であり、もっともだと思いました。
(日本語版の誤解について)
http://utyujintoufononazo.seesaa.net/article/150072442.html
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/834cfef686a6950e5d8ec29e4eeb04b8
http://x51.org/x/05/10/3050.php
X51.ORG : 謎の地下王国シャンバラは実在するか
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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