カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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ドイツ人探検家テオドール・イリオンの著書である「チベット永遠の書」を読んでみました。
かなり以前、書店で見かけた頃はウサン臭さがあって、手にすることはなかったのですが、知人より頂戴したものが保管されてあったため読んでみたのです。蓋を開けてみれば、この1930年代の探検記はとても面白く、引き込まれるものがありました。偽聖者と真の聖者の対比となる文章も非常に多く、興味深いものがありました。
当ブログのような内容に関心を示す人(特に偽霊性教師と関係をもった経験を持つ人)であれば、一読の価値があると思います(絶版のようですが中古で入手可能です)。ネットで検索すると、いくつか抜粋紹介してるものも見つかりますが、やはり通しで読むのとでは違います。
一応、参考までに幾つか目にとまった言葉を挙げておきます。
==============
「チベット永遠の書」
T・イリオン :著
林 陽 :訳
・・・総じて、真の隠者は偽の隠者より遥かに出会いが難しい。彼らは、ごく稀れな場合に限るが、誰かを教えたり助けたりするのに必要だと自ら判断したときしか、決して姿を現さないものである。
旅人は、現に隠者が生活しているチベットのもっとも近づ難い地域を訪れることがあるかもしれない。そして隠者の庵から二、三百メートルしか離れていない所にまで来ることもあるだろう。
だが、隠者自らが姿をみせようと思わない限り、決して彼と会うことはない。本物の隠者は人の好奇心をそそるために外に出るようなことは決してない。ときに情報をくれることもあるが、そうするときには常に建設的な目的を見据えている。岩間の小洞窟に住み、何年間も真っ暗闇の中で過ごしているというチベットの自称隠者たちは、どれもこれも本物ではない。P115
・・・真の隠者は人を恐れさせたり、人に自分の力を信じ込ませたりといったことを決してしないが、偽隠者はこれを行う。真の隠者は人に与える物も、約束する物も持たない。P116
・・・真の聖者は自然界の力を支配する力をもっているが、こうした力を誇示しようとは決してしない。疑り深い者たちを納得させるためにも、人の好奇心を満たすためにも使わないのである。彼らが自衛のためにさえこうした力を使わないことを、わたしは知っている。
・・・このような偽聖者たちも、僅かながら自然界の力を支配してみせることが稀れにあるのだが、ほとんどの場合、それによって体力がひどく損なわれるため、彼は滅多にこのようなことはせず、できる限り奇術に類することで衆人の目をごまかしている。
チベットには確かに正真正銘の心霊現象もあるのだが、それは極く稀れなものである。本物を発見できる前に、数知れぬ偽物の現象を調べつくしておく必要があるだろう。P125
・・・「わたしたちは世界に対して何ができるのでしょうか?」
「われわれは、闇の中でもがく人々に道を指し示す道標になることはできる。だが、人を崇拝するようになったら人間はおしまいだ。道標に助けてもらおうと待ち始めたら、その道標がもっとも大きな障壁になってしまうのだ」
「しかし、実質的に人にどう影響を与えていけばよいのでしょうか?」
「大抵の人は何らかの形でこの世の苦しみに加担しているのだ。自分ではそのことに気づいてないことが多いのだが」と彼は答えた。
「誠意ある人間にできることは、自分の人生や財産がどのような結果になろうと、愚かしいと思ったどのようなことにも加担しないでいること位だ」
彼はここで急に子供のような笑い声を出した。二、三分前にみせていた真剣な表情とは実に対照的である。「これが笑えずにいられるかね」と彼はいった。「財産といったが、わしは財産など一つももっとらんのだよ。何も持たないから失うものもない」P139-140
・・・チベットの霊的麻薬の売人たちは、みな一様に、聖なる人間の近くにいればそのことだけで自動的に霊的な利益になる、という信仰を鼓舞している。
だが、真の霊性があるところには、「利益」という概念は一つもないのだ。偉大なる力ある存在の面前にいてさえ、自動的に助けが与えられるわけではない。われわれの心の光の面だけではなく、別の面も表に出てくるのだ。真の隠者が興味本位の大衆の前に出ることを嫌がるのも不思議ではないのである。
真の隠者は自分のことを「聖人」と呼んだりはしない。自分が善良であることを人に印象づけようとする人間には注意したほうがいい。本当に徳のある人間なら、何もその事実を強調する必要がないからだ。P146-147
・・・相手がどれほど賢く力ある人間であったにせよ、われわれが霊的導師の命じるままに自動的に動くような操り人形と化すようであれば、人生は何の意味も持たないのだ。P149
・・・チベットの聖なる賢人たちの意見によれば、目的が何であれ、自分の体を他界の霊に明け渡し憑依させることは、自己の魂に対する最大の罪である。人の中の聖なる火花、つまり霊魂が、これによって大きく汚され、痛めつけられるのだ。P196
==================
チベット永遠の書に関連した記事のあるブログをいくつかピックアップしました。
http://homepage1.nifty.com/pdo/linkillion.htm
これは原書を知らなければ指摘できない問題であり、もっともだと思いました。
(日本語版の誤解について)
http://utyujintoufononazo.seesaa.net/article/150072442.html
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/834cfef686a6950e5d8ec29e4eeb04b8
http://x51.org/x/05/10/3050.php
X51.ORG : 謎の地下王国シャンバラは実在するか
かなり以前、書店で見かけた頃はウサン臭さがあって、手にすることはなかったのですが、知人より頂戴したものが保管されてあったため読んでみたのです。蓋を開けてみれば、この1930年代の探検記はとても面白く、引き込まれるものがありました。偽聖者と真の聖者の対比となる文章も非常に多く、興味深いものがありました。
当ブログのような内容に関心を示す人(特に偽霊性教師と関係をもった経験を持つ人)であれば、一読の価値があると思います(絶版のようですが中古で入手可能です)。ネットで検索すると、いくつか抜粋紹介してるものも見つかりますが、やはり通しで読むのとでは違います。
一応、参考までに幾つか目にとまった言葉を挙げておきます。
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「チベット永遠の書」
T・イリオン :著
林 陽 :訳
・・・総じて、真の隠者は偽の隠者より遥かに出会いが難しい。彼らは、ごく稀れな場合に限るが、誰かを教えたり助けたりするのに必要だと自ら判断したときしか、決して姿を現さないものである。
旅人は、現に隠者が生活しているチベットのもっとも近づ難い地域を訪れることがあるかもしれない。そして隠者の庵から二、三百メートルしか離れていない所にまで来ることもあるだろう。
だが、隠者自らが姿をみせようと思わない限り、決して彼と会うことはない。本物の隠者は人の好奇心をそそるために外に出るようなことは決してない。ときに情報をくれることもあるが、そうするときには常に建設的な目的を見据えている。岩間の小洞窟に住み、何年間も真っ暗闇の中で過ごしているというチベットの自称隠者たちは、どれもこれも本物ではない。P115
・・・真の隠者は人を恐れさせたり、人に自分の力を信じ込ませたりといったことを決してしないが、偽隠者はこれを行う。真の隠者は人に与える物も、約束する物も持たない。P116
・・・真の聖者は自然界の力を支配する力をもっているが、こうした力を誇示しようとは決してしない。疑り深い者たちを納得させるためにも、人の好奇心を満たすためにも使わないのである。彼らが自衛のためにさえこうした力を使わないことを、わたしは知っている。
・・・このような偽聖者たちも、僅かながら自然界の力を支配してみせることが稀れにあるのだが、ほとんどの場合、それによって体力がひどく損なわれるため、彼は滅多にこのようなことはせず、できる限り奇術に類することで衆人の目をごまかしている。
チベットには確かに正真正銘の心霊現象もあるのだが、それは極く稀れなものである。本物を発見できる前に、数知れぬ偽物の現象を調べつくしておく必要があるだろう。P125
・・・「わたしたちは世界に対して何ができるのでしょうか?」
「われわれは、闇の中でもがく人々に道を指し示す道標になることはできる。だが、人を崇拝するようになったら人間はおしまいだ。道標に助けてもらおうと待ち始めたら、その道標がもっとも大きな障壁になってしまうのだ」
「しかし、実質的に人にどう影響を与えていけばよいのでしょうか?」
「大抵の人は何らかの形でこの世の苦しみに加担しているのだ。自分ではそのことに気づいてないことが多いのだが」と彼は答えた。
「誠意ある人間にできることは、自分の人生や財産がどのような結果になろうと、愚かしいと思ったどのようなことにも加担しないでいること位だ」
彼はここで急に子供のような笑い声を出した。二、三分前にみせていた真剣な表情とは実に対照的である。「これが笑えずにいられるかね」と彼はいった。「財産といったが、わしは財産など一つももっとらんのだよ。何も持たないから失うものもない」P139-140
・・・チベットの霊的麻薬の売人たちは、みな一様に、聖なる人間の近くにいればそのことだけで自動的に霊的な利益になる、という信仰を鼓舞している。
だが、真の霊性があるところには、「利益」という概念は一つもないのだ。偉大なる力ある存在の面前にいてさえ、自動的に助けが与えられるわけではない。われわれの心の光の面だけではなく、別の面も表に出てくるのだ。真の隠者が興味本位の大衆の前に出ることを嫌がるのも不思議ではないのである。
真の隠者は自分のことを「聖人」と呼んだりはしない。自分が善良であることを人に印象づけようとする人間には注意したほうがいい。本当に徳のある人間なら、何もその事実を強調する必要がないからだ。P146-147
・・・相手がどれほど賢く力ある人間であったにせよ、われわれが霊的導師の命じるままに自動的に動くような操り人形と化すようであれば、人生は何の意味も持たないのだ。P149
・・・チベットの聖なる賢人たちの意見によれば、目的が何であれ、自分の体を他界の霊に明け渡し憑依させることは、自己の魂に対する最大の罪である。人の中の聖なる火花、つまり霊魂が、これによって大きく汚され、痛めつけられるのだ。P196
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チベット永遠の書に関連した記事のあるブログをいくつかピックアップしました。
http://homepage1.nifty.com/pdo/linkillion.htm
これは原書を知らなければ指摘できない問題であり、もっともだと思いました。
(日本語版の誤解について)
http://utyujintoufononazo.seesaa.net/article/150072442.html
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/834cfef686a6950e5d8ec29e4eeb04b8
http://x51.org/x/05/10/3050.php
X51.ORG : 謎の地下王国シャンバラは実在するか
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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