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カルキのディクシャ  WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。 その知られざる実態に迫る。 ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!? その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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Q:アンマ&バガヴァンに会うために本当にお金がかかりますか?

フレディー:バガヴァンとのプライベート・ミーティング、あるいは1分間のプライベート・ダルシャン(注:神や聖人に会う、または見る)でさえ、西洋人は接点がありません。

ごくわずかの例外を除いて、西洋人がバガヴァンに会うための唯一の方法は有名か金持ちであることです。

インド人が、バガヴァンに単独で会うには巨額のお金を払わなければなりません。

20~30分のミーティングのために2000~3000USドルかかると思います。

アンマはチェンナイの近くのネーマンで定期的な公のダルシャンを行います。

また、それらは無料です。

アンマのプライベート・ダルシャンについては、2つのオプションがあります:
ほんの僅かな時間、グループで彼女に会うことができるというグループ価格、それは1人当たりおよそ150ドルかかります。

2分間、単独で彼女と話すには、およそ400ドルかかります。

インド人と西洋人は同じ金額を支払います。

多くのインド人労働者にとって、400ドルは8か月分の給料です。

私が言及したプライベート・ダルシャンの価格は、私の記憶から得たもので、2005年11月の時点のものです。


Q:私は、キアラ・ウィンドライダーがもはやバガヴァンの帰依者でないと耳にしました。これは正しいですか?

フレディー:キアラは、世界的なワンネス、全体的な貢献、最も優位なもの、高い完全性について興味や関心のある人だと私は思います。

しかし、もし彼がバガヴァンの言うことを鵜呑みにしているとするならば私は驚きます。

彼が「帰依者」であったのかどうか、私にはわかりません。

むしろ彼は、より高い神聖な意識の中へ人類の上昇(アセンション)を加速させる様々な方法を調査する人だと私は理解します。

彼もディクシャを実践して可能性を調べ、それがバガヴァンが主張したようなものかどうかを証明するための公正な機会を与えました。

キアラの本は様々な国で販売されています。

それはスウェーデン語でさえ出版されています。

バガヴァンについて書かれた2000年出版の私自身の本は、少なくともチェコ共和国、リトアニア、ロシア、旧ソビエト連邦などで販売されています。

その本を回収したいのですが、それは出版社と販売店に属しているので、私にはどうすることもできません。

キアラは彼の記事の1つで、ディクシャを次のように記述しています。

「神へ帰還する旅における問題と全ての生命を含む進化プログラムの応答として、神の源から直接やって来る宇宙進化のエネルギー。

そして多くの異なる伝統を通じて、多くの異なる技術を使用して、多くの異なる形態で世界中に現れる何か。」

彼ら(人々)が霊的な道にあるかどうかに関係なく、この現象は至る所で増加傾向にあり、自然に生じてさえいると彼は言います。

「蝶になろうと準備している毛虫の様に、単に進化のプロセスです。
我々はそれを悟り、覚醒、出現など私達が好む言い方で呼ぶことができます。
ディクシャ伝授、デヴァイン・ブレッシング、イラヒヌールなどと言ったり、呼びたいように表現できます。
それは単に我々が繭から出始める時が訪れたということです。」

キアラのウェブサイトでは、彼がトルコで出現している新たなる伝達エネルギー(イラヒヌール)に関して包括的に伝えています。

それは更に多数によって非常に効果的であると評され、人々がより彼らの身体を感じることを可能にします。

それは、ほとんどが無料です。

これは、インドで5500ドルのプロセスを経験する必要がありませんし、創造主としてインド人のカップルに平伏したり崇拝する必要がありません。

彼は、1本のろうそくの灯を別のろうそくに移すことが出来る、他の人々に意識の連鎖反応で伝達することが可能だと言います。

バリー(キアラの本で公開されたディクシャで強力な体験をした人)は、伝授を受けた人に他の2、3の方法でワークします。

彼は、これらの伝達が愛とワンネスの状態を深めているだけでなく、あらゆるレベルのヒーリングの成果を出していると報告しました。

イラヒヌールの様な伝授を受けたならば、ゴールデンシティーの21日間コースに参加するために5500ドルを費やす必要もなく、他者に伝達できるというのは彼らにとって素晴らしいことではないでしょうか。


Q:バリーとキアラは、高価な21日間のディクシャコースより、効果的なもの(少なくとも彼らはそう感じている)を発見した唯一のディクシャギヴァーですか?

フレディー:マドレーヌと私は、それらに該当します。

私の考えでは、全21日プロセスは強力です・・・

金を生む機械。

私は、インドのワンネスムーヴメントからメールで、今や1000人以上のアメリカ人が21日コースに参加したと非常に誇りとしているのを見ました。

これは5.5ミリオンUSドルです。

ダーサ達が定期的に戻って来る人々に勧めるディープニングプロセス(上級コース)を除外します。

たまたま、あなたがディクシャを与えたいという欲求が生じたが、様々な理由のために21日間プロセスに行ったことがなかったとしたら、ある実験を行うことができます:
自発的な(同意を得た)人々のグループに普遍的な「ディクシャ」を与えようとしてください。

バガヴァンとアンマにチューニングする代わりに、源にチューニングして、人々が覚醒/悟りを得なければならないと意図して下さい。

もし、あなたが奮起するのであれば、ディクシャギヴァー達が行うことと類似したことが出来ます(=人々の頭に手を置く帰依者を模倣する)。

または、あなたはバリーとカレンのような人々と連絡をとることができます。

彼らは遠くからあなたにイラヒノール、あるいはキリストコードを伝授して、他者に伝達する方法を教えることが出来ます。

もしすぐに、多くのディクシャギヴァー達がバリーとカレンのような人々の足跡に続くことになっても、私は驚かないでしょう。

私の経験において、バリーとカレンは誠実で謙虚です。

そして、源と人類に貢献しています。

インドでバガヴァンの高額費用のプロセスに参加するため、熱心に稼いだ金を使ったとき、彼らは経済的に裕福でありませんでした。

21日間プロセスから戻り、しばらくしてバリーとカレンは真正の伝授が生じる源の光と繋がりたいと願ってから、彼らは驚くべき成果(彼らがディクシャで経験した以上に深い)を出し始めました。

彼らは、イラヒヌールにおいても、キアラとの共同ワークによる古のアセンションエネルギーにおいても、素晴らしい成果があります。

別の例は、ジャン(デンマークのディクシャギヴァー)です。

彼は彼が得た無料の2時間の伝授について私に手紙を書いてよこしました。

ギャン・ヴィダ、それが21日間プロセス以上のものを彼に与えました(彼が暮らすデンマークで多量のディクシャを与えると同様に受けてもいる)。

彼はこの2時間の伝授の後、かねてからの夢であった自己実現を得ました。

人から好かれやすいクリスチャンというとても誠実な探求者がいます。

彼はドイツの科学者で彼の様々な論説(脳と精神性)が多くのディクシャ・ウェブサイトで掲載されています。

クリスチャンは2時間かけて伝授を試みた、と彼をよく知る人が語りました。

これらの2時間はバガヴァンとの1年(21日間コース、10日間上級コースだけでなく多量のディクシャ)以上の深い恒久的な結果を彼にもたらしました。

この情報はまだクリスチャンによって立証されたわけではなく、彼の親しい友人から聞いたものであることを頭にとめておいて下さい。

多くの人々は、ハワードウィルの祈り(「タッチ」と呼ばれる)についてこう述べました。

「彼が電話でグループ全体のために同時にそれを行うときでさえ、全21日間コースよりも非常に深い結果をもたらす。」

今年3月、私はベルギーでアリヤーのコースを通訳しました。

何人かのディクシャギヴァーと多くの常連ディクシャ受講者が参加しました。

彼女の1日コースで人々が得られた変容の全般的な結果は全21日プロセスよりずっと深いようでした。

少なくとも、これは私の解釈です。

私は、私がディクシャを与えていた頃と比較して、現在は、よりずっと深い成果を持っている人々の一人です;
私自身の状態は以前に比べてずっとよい状態ですし、私のコースに参加した人々の結果についても、私がバガヴァン/ディクシャを用いてワークをしていた頃より遥かによいです。

ワンネスムーヴメントを離れたり、ディクシャと21日間プロセス以上に強力で適切なワークを発見している人々が増加しています。

まもなく、ディクシャ以上にずっと魅力的であるか、吸引力のある道(ワーク)の波が訪れると私は予想します;
ディクシャギヴァーとディクシャ利用者のためだけでなく一般大衆のために。

これらの道の大部分は、安価になるか無料にでさえなるでしょう。

ディクシャに関してバガヴァンが約束したことが嘘だったと気が付くか、少なくとも誇張しすぎだと理解するならば、大部分の西洋の帰依者が他所に行くのではないかと思います。

インドでは、大多数のバガヴァンの帰依者は、彼らの宗教としてバガヴァンの道に従います。

バガヴァンは彼らが祈る神です;
彼らは、ディクシャの代わりに出現するのもの(安価/無料)にそれほど影響されないかもしれません。

人々の間で非常に多くの文化と考え方があるように、精神性それ自身は果てしない道の中で複数の道(全ては同じゴールへ導かれる)となって表現されますが、それは自然なことです。

彼のシステムがこの惑星上のどんなものよりも無限強力で強力であり、現在で唯一の悟りを授けることが出来る、というバガヴァンの主張に多くの人々が反発しました。

バガヴァンとアーナンダギリは何度もこれを発言したことを私は知っています。;
帰依者/アドバイザー(アルジュナ・アルダーなど)が、彼らにそのような約束をしないように勧めているので、今日では公然でのそうした発言を避けていると思います。

キアラとグレイスの場合、彼らは2人共、完全にこのワークに専念して、3年間、世界中でディクシャを与え続けました。

そして彼らの本とセミナーを通して数千人を奮起させていました。

たとえゴールデンシティーと幾らかの食い違いがあったとしても、キアラは彼が通常、政策に関わらないことを好むと言います。

彼とグレイスがセミナーをし続けていて、それが絶えず変化して、発展していると言います。

私は、心から彼らに敬意を表します。

キアラは現在イラヒヌールも教えています。

彼の記事に「もし人々がそれを体験したいならば、彼らが単にこのエネルギーを体験する意図で形態形成場に同調することができる」とあります。

彼と他のイラヒヌールのプラクティショナー(施術者)は、毎週土曜日の朝にこのエネルギーを送信しています。

そして、あらかじめ用意してどの時間であろうとも、人々が受信することができる実験をしています。

[さまざまな人が送信しています。ヨーロッパで幾人か。USAから送信している人々もいます;
人々は、土曜日の朝、彼ら自身の現地時間でいつでも同調することができます・・・]

たった今、次の本を書いているところだ、とキアラは言います。

「それは、今日地球上で進行している惑星の目覚めの展望、様々な科学、神秘的な洞察、太古のカレンダーシステム、世界中で出現する権力者のシステムを含めた以上のものを提供します。」


Q:私はスウェーデンの帰依者が「すべての修道僧は完全に悟っていて、天使のようだ」と言っているのを聞きました。

あなたの経験においてもそういえますか?

フレディー:決してそうではありません。

2003年までは私も修道僧達が優しく、親しみ易く、とても非凡である印象を持っていました。

私がホワイトフィールド(バンガロール)のアーユルヴェーダセンターに3週間、治療を受けに行った時、マッサージ担当の若い少年・少女の全ては、修道僧達のように、優しく、親しみ易く「天使のようでした」。

特に彼らが健全な精神で交互に働くならば、多くの南インドの若者がそうであるということを認識しました。


Q:あなたは修道僧達の怪しげな(奇妙な)振る舞いを目撃したことはありますか?

フレディー:私は全ての修道僧について個人的に知っていたわけではありません。

私が親しかったのは10人か15人程であったと思われます。

彼らは全般的にとても好意的でしたが、いつもというわけではありませんでした。

尊敬されていた幾人かは、私にとってはそうではなく、利己的で無礼でさえありました。

南米のムクティ3教師、クリストバル・ワグナーが私とリチャード・ブラボー(南米のメイン・コンダクター)に言ったことを覚えています。

「悟ったと認定されたマドゥー・ダーサは今や非常に不愉快でさえある。」

その時、それはマドゥー・ダーサに接した私自身の経験でもあったけれど、沈黙していることがバガヴァンに対する敬意であると感じていたので、私はコメントしませんでした。

VIPキャンパスの西洋の参加者の多くが、「プラギャナンダは非常に傲慢で冷たい」と不満を訴えました。

その時、私は彼と仲がよかったので、彼らに同意しませんでした。

人々が彼の不満を訴えてきたとき、私は彼のふるまいを正当化しようとしました。

2001年(サティヤローカでのムクティ・ヤグニャにて)、スウェーデン・グループの少女達が、修道僧達(男性)の幾人かが悪戯するのと、「飢えた」視線で彼女らを見ている気がすると報告しました。

まず第一に、私はこれが真実だと信じませんでした。

私は、それは修道僧達の同胞愛と神聖な愛に対して、彼女らの性的欲求が関係する誤解に過ぎない、と少女達の1人に伝えました。

後に、私はスウェーデンの少女の疑いが真実だったと理解しました。

数年後、少女が私に明かしました。

彼女は西洋のプロセスを担当していた修道僧達(男性)のうちの1人と親しくなりました。

彼は、ホーマ(プロセスによく使われている神聖な火の儀式)を執り行う主要な修道僧達の1人でもありました。

彼女は、神秘主義が好きで、ホーマについてもっと知りたかった、と彼に話しました。

突然、彼が個人的にホーマとマントラの幾つかを教えると申し出たとき、彼女は大変驚きました。

ある晩、彼は彼女の小屋に寄って、彼女の部屋でいくらかの休憩をとってもよいかと尋ねました。

彼は神の修道僧なのですから、どうすれば彼女が彼を疑うことなどできたでしょうか!

彼女は、修道僧の必要に役立てる特権さえ感じました。

突然、彼は彼女の手をとり、彼女を愛撫し始めました。

彼は大部分の服を脱いだ後、彼女のベッドで寝入りました。

別の時、彼は彼女の小屋を訪れると、彼女がいかに素晴らしいかを伝えました。

そして彼は彼女の耳にキスして、噛み始めました。

私が全ての詳細を覚えているわけではありませんが、この訪問の際、彼は彼女のベッドでオルガスムに達しました。

そして、彼は彼女の背中に射精しました。

こうしたことの間、彼女の全魂は、NOを叫びました!

彼女は幼児のように性的嫌がらせをうけたので、硬直して悲鳴を上げることも出来ませんでした。

この修道僧はバガヴァンを好んでいました。

また、それが彼が修道僧になった理由でした。

彼は祈ることが好きでないし、最後に祈ったのがいつだったかさえ思い出せないと、少女に打ち明けました。

この出来事のずいぶん前、バガヴァンはこの修道僧が他の修道僧達の誰よりも多くのホーマを執り成した、そして彼のホーマが信じられないほど強力だったと私に話しました。

バガヴァンは、最高10万人のための大きなホーマを行うため、インドじゅうに彼を派遣したものです。

私は、彼がスウェーデンとロシアでホーマをするように手配する予定さえありました。

バガヴァンが彼はゴールデンシティーで一番のホーマ専門家であると言ったということは、全世界でも一番のホーマ専門家ということでもあったのでしょう。

バガヴァンは、修道僧達のホーマがインドの新しい現象であると私に話しました。

彼らのようにホーマで祈願する神を見て会話することができる者は他にいない、と。

彼は、他のインドで実行される全ホーマ以上に、彼の修道僧達のホーマは遥かに強力であると付け加えました。

“ 性的嫌がらせをうけた ” 少女と “ 興奮した ” 修道僧(彼は、偶然、激しい情熱と親近感が生じた)の間でこれら全てが起こったとき、私はゴールデンシティーにいました。

この1週あるいはもっと前、ロシア人100名が、全体で200グループのホーマを彼ら自身で(彼らの友人のために代行)依頼しました。

グループホーマは1人当り200ドルかかるので、収益は悪くありませんでした・・・

グループホーマは、2、3の修道僧が2時間(最高7人)働くことを意味します。

ホーマを頼んだ本人達は、身体的に不在です(その場に出席していない)。

バガヴァンは、「修道僧達がいかにホーマを、遠距離から効果的に働かせるか熟知している」と語りました。

バガヴァンは、ホーマが重要であらゆる種類のカルマの問題を解決する非常に強力なツールであると述べたことがあります。

もちろん、ほとんどのロシアの帰依者達はこれを信じました。

修道僧達は、ホーマが2か月以内に作用すると説明しました。

後に、この期間が経過したあと、ホーマが彼らや彼らの友人を助けたと言う人はほとんど居ませんでした。

多くの人々は、とにかく、ホーマで改善がないことに失望して、それらに対して随分なお金を支払ったのにと不満を言いに来ました。

若いスウェーデンの女性は、西洋人達(10日間プロセス)の担当の修道僧達の1人が彼女に「奇妙な」何かをしたと私に詳細を告げました。

バガヴァンは彼が高い悟りの状態にいると認定しました。

そして、彼はゴールデンシティーのアーユルヴェーダの診療所の担当でもありました。

彼は、西洋人の間で非常に人気がありました。

ある日、彼はカメラマンがウェブサイトとパンフレットのためにアーユルヴェーダのマッサージ室で写真を撮るように手配しました。

このスウェーデンの女性は、治療の間、写真を撮られる用意が出来ているかどうか尋ねられました。

女性マッサージ師は、女性の局部が男性カメラマンと修道僧によって見られないようにすることは重要事項でした。

写真がこの霊的なパンフレットできれいに見えるように、彼らは彼女の体の一部分を幾らか覆いました。

翌日、あるいは2日後、修道僧は撮影したものが余りよくなかったので、彼が何枚か追加の写真を撮ることが可能かどうか、スウェーデンの女性に尋ねました。

この修道僧がバガヴァンと非常に特別で親しい弟子(それゆえに神聖で、彼にはバガヴァンの完全な信頼がありました)であったので、彼女は同意しました。

彼は彼女に全ての服を脱ぐよう頼んで、彼女に “ カウピヌム ” (薄手の紐下着)を与えました。

しかし、彼女の胸を覆うものは何もありません。

彼は彼女に全身マッサージ(短時間ではない)をしました。

そして、更に、彼女の胸と局部に触れました。

彼女は、彼は神聖なのだし、バガヴァンが彼にこうすることを望んでいるのだ、バガヴァンの役に立つことが出来て満足である、とだけ考えるようにしました。

この長いマッサージの後、修道僧はついに写真を撮影しました(パンフレットで発表されることはなかった)。

全てが終了した後、彼は誰にもこのことを話さないよう彼女に頼みました。

それについて黙っていることが適切でした。

しかし彼はアーチャリヤ(アーナンダギリ)にそれを話すつもりだ、と付け加えました。

多くのスウェーデンの女性参加者が修道士からマッサージをうけることに同意したとは、私には思えません。

しかしながら、彼女のバガヴァンへの帰依心は修道僧のようで、完全にその修道僧を信用していました。

彼女が疑問を持たず、協力してくれるであろうことを彼はわかっていました。

それゆえに、勝算は大きく、負ける要素はわずかでした。

彼女は若くて美しかったので(ハリウッドスターのように魅力的な)おそらく彼への明白なマイナス点はなかったでしょう。

このスウェーデンの女性が、マッサージは写真のために必要だったかどうか疑い始めたのは、ずいぶん後のことでした。

もしオイルが必要であるならば、彼女は1、2分でそれを彼女自身に塗ることができたはずでした。

現在、バガヴァンに対する彼女の情熱的で盲目の帰依心は消え去りました。

どうして修道僧の真の意図を見抜けなかったのか、彼女にはわかりません。

彼女の帰依心が己を全盲にしたと彼女は私に話りました。


Q:あなたがバガヴァンのアーシュラムへ行く気にさせた女性の帰依者に起こったことを聞かされた後、何故あなたは2人の修道僧に話さなかったのですか?

フレディー:私は、ほぼ同時期に、修道僧によるこれらの2つの性的な “ 実験 ” を知るに至りました。

私はアーナンダギリとプラギャナンダ(彼は、バガヴァンによって任命された私のガイドでした)に何が起こったか記述した長い電子メールを打って、これらの2人の修道僧と対面して、対処するよう要求しました。

私がどれだけ失望したかを記しました。

もし彼らがこれら2人に修道僧の地位を退くよう命じないならば、私は卒倒するところでした。

幸い、アーナンダギリはこれらの修道僧達を「破門」すべきではないとは主張しませんでした。

もしバガヴァンと意思決定者としての彼のチームが同意しなかったならば、私がそのままムーヴメントに残っていたとは考えられません。


Q:ムーヴメントを離れたいと願い出た修道僧は他にいましたか?

フレディー:私は知りません。

私が、彼らインド人達の抱えていた問題の詳細を知ることは稀でした。

私は、修道僧達の50~100人が、もはや修道僧でないということを知っています。

彼らが辞めたのかどうかと尋ねられるならば、私にはわかりません。

しばしば、バガヴァンとアーナンダギリは、ムーヴメントのポジティブなニュースを私と共有しました。

私は、彼らに不快なものについて話すよう頼みたくありませんでした;
彼らが、大勢の修道僧達が落ちた理由に関する話題を避けたがることを私は理解していました。


Q:修道僧達の振る舞いに関してあなた自身の個人的な体験はありますか?

フレディー:2004年6月の私自身の21日間プロセスの際、プラギャナンダが私の個人ガイドでした。

彼は、全VIPキャンパス担当の修道僧でした。

私のプロセスの1年ほど後、参加者がプロセスの間にマスターベーションすることがOKでかどうか尋ねたように、我々はVIPキャンパスで性的なエチケットをテーマにあげました。

プラギャナンダはそれから、「ここには肉体的な創造主がいらっしゃるのだから、キャンパスの誰もが100%の厳格な禁欲生活でなければならない」と私に伝えました。

私が、禁欲はプロセスの参加者だけが対象なのかと尋ねたとき、彼はNOと言いました!

たとえあなたが単にキャンパスの訪問客であったとしても、この規則が皆に守られることは重要でした。

私は、2年以上前にそこで起きたことを覚えていたので、笑いを堪えるのに必死でした・・・

2004年の私のプロセスの間に、私は返信するEメールがいっぱいありました。

私は、定期的に更新する必要があったバガヴァンに関するウェブサイトも持っていました。

そういうわけで、私がたびたび電子メールをチェックするか、少なくともウェブサイトで私のプロセスの体験を発表してもよいか、とプラギャナンダに尋ねました。

彼は、私が週に一度そうすることを許可しました。

時々、彼は私のコンピュータ(携帯電話を接続してオンラインを利用できる)を借して欲しいと頼みに来ました。

私はプラギャナンダをとても尊敬していて、彼を喜ばせたかったのです。

定期的に数時間、彼に貸すことを認めた1、2週間後、私は彼にグリーンカードを渡しました:
彼はもはや私の許可を得ずに、コンピュータを使いたいときにいつでも借りることが出来ました。

プロセスの終わりに、彼は1、2日間、借りていたコンピュータを返却しました。

私は、デスクトップに彼が残したポルノサイトへの閲覧履歴を見てショックを受けました。

修道士がバガヴァンの家の反対側でポルノ映画を見ていたことをバガヴァンに伝えていいものかどうか、私は悩みました。

アーシュラムでは非修道士にでさえ禁止されていた行為です。

一方、彼が私のプロセスの間、とても親切だったということをわかっていました。

そして、私は人間として彼が好きで、とても気の毒に思ったので、私は黙っていることに決めました。

彼は、私が彼の使用後、偶然にデスクトップに残ったポルノ閲覧履歴を発見したことさえ知りません。

もちろん、性に関することは自然なものですし、多くの人々がポルノ映画を見ます。

それはいけませんか?

それは各人の自由だと私は思います。

しかしながら、修道士としてキャンパスの全員に「性に関する考えさえ抱くべきでない」と命じた後、自分自身のポルノ旅行を隠して、“ 有言実行 ” しない - それは、また別の話です。

プラギャナンダは、バガヴァンから特別視されていました。

アーナンダギリは、「プラギャナンダは、バガヴァンと同じキャンパスにずっと住んでいて、毎日バガヴァンと会うことが出来る少数派のうちの1人である」と、私に話しました。

私は先ほど、スウェーデンの少女達が私に苦情を訴える前に、その修道僧達(男性)が淫らな目で彼女らを見ていたと言いました。

私はプラギャナンダが彼らの中にいたのを覚えています。


Q:「修道僧達は全ての人々を平等に扱っている、彼らはお金に無関心である」と、ある帰依者が私に話しました; これは真実ですか?

フレディー:私の体験は異なります。

私は概にプラギャナンダ(VIPキャンパス担当者)について言及しました。

2005年10月、マドレーヌと私は、ゴールデンシティーを訪問して、VIPキャンパスに滞在しました。

通常、彼らはUSAのエキサイティングなニュースがあるか、私に尋ねました。

彼はマドレーヌと私が、「ロサンジェルスの娯楽産業が大きく発展した」と言うのを聞いて満足していました。

我々は、当時そこで(L.A)、バガヴァンのムーヴメントを拡げるために生きていました。

プラギャナンダは、「キャスパー(俳優)とキャサリン(女優で王女)の家にディクシャを授けに行った4人のディクシャギヴァー達(キアラ、グレース、ブッダ、バヴァーニ)が気に入らない」と、私達に話しました。

キャスパーとキャサリンは、まず最初に私達のために “ VIP会談 ” を手配しました。

彼らはバガヴァンに関するキアラの本を読んだ後、キアラと彼の仲間の何人かを招待し始めました。

プラギャナンダは動揺したようで、私に言いました:
「私は、あなたとマドレーヌにロサンゼルスでVIPディクシャプログラムを開催してもらいたい。
キアラとこれらの人々は、アンマとバガヴァンへの献身が足りない」。

何度かプラギャナンダは、私に言いました:
「VIPキャンパスに大金持ちで有名な人々を連れてきてください」。

別の時、彼は私に言いました(何かこのようなもの):
「いったん彼らがここに来るならば、私達は彼らを信者にするつもりだ;
そうすれば、私達は金銭問題がなくなるだろう」。

もし誰かがお金を寄付するならば、バガヴァンはその人と時間を過ごすでしょう。

より多くのお金を差し出すほど、彼/彼女はバガヴァンとの時間をより多く獲得することが “ 起こりました ”。

これらのことが直接人々に明かされたことはありません。

それは単に不文律でした。

私は、バガヴァンが10年以上に渡り、一般人との個人的な会談(無料の)を催すのを見たことがありませんでした。

私が見たのは、影響力があるか、有名であるか、金持ちであるかで彼にとって役立つ人々とだけ彼が会っていたことです。

私は、“VIPプロセス”- 豪華な環境の21日プロセス(無料)に歓迎する種類の人々(あと、該当しない人々)に関して、厳密なガイドラインを与えられました。

VIPの中で誰が更にバガヴァンとの個人的な会談を獲得できるかに関するガイドラインも得ました。

VVIP(注:最重要人物)だけが、バガヴァンに会うために招かれました:
金持ちであるか有名な人々、バガヴァンを(世界的に)有名にすることができる有名な霊的教師、あるいは大きなスポンサーとなる可能性のある人。

VVIP規則には例外がありました。

例えば、私達の友人ジョージとステーシー(ロサンジェルスの帰依者)がいました。

彼らは、VVIPと個人的な友人で密接な繋がりがあったので、ゴールデンシティーに何人かのVVIPを連れて来ることが出来ました(帰依者では稀)。

更に “ イン・ビットウィーナー ” というのもありました;
VIPプロセスに招待されたが、バガヴァンに個人的に会うのに満たないVVIPでなかった人々。

そのような場合、バガヴァンとのごく短いグループ会談を整えられるかもしれません。

私は、かつてVIPキャンパスにいたスウェーデンのベストセラー作家とバガヴァンとの会談の許可を求めました。

彼女の本は、15~20年前、ベストセラーでした。

すると、プラギャナンダが言いました。

「バガヴァンとの個人的な会談に歓迎するには、余りにも古すぎる」

私は、その時、私が常に避けようと努めていた事をしました:
私は、自分の立場を不正利用しました。

まだ彼女をVVIPであると信用しているプラギャナンダに対して、彼女の尊大さを誇張しました;
私は、彼女が政治家と知り合いで、他のスウェーデンのVVIP達を招くことができると、彼女の相当な可能性について話りました。

私の長い説明の後、彼女は個人的な会談の時間を与えられました。

そのような事例が何回かありました。


Q:修道僧達は、本当にそのような機密情報を部外者(修道僧じゃない人々)と共有しますか?

フレディー:日頃から修道僧達は修道僧ではない人々と何を共有するべきか細心の注意を払います。

しかしながら、プラギャナンダ、アーナンダギリ、他の多くの修道僧達は多かれ少なかれ彼らの仲間として私を扱いました。

私達は一緒にいっぱい楽しんだし、私は自分の兄弟達のように彼らを愛していました。

修道僧達に修道院の規則が課せられる4年前、非常に初期の頃から私はバガヴァンと一緒にいました。

幾人かの修道僧は、私が指導していたグループへ10代の頃にやって来ました;
私は、彼らの数人(ムラリー・ダーサ、ラダクリシュナ・ダーサ)の個人指導もしました。

それは、しばしば彼らが私と非常に率直に語っていたからであって、決して漏洩することがないと思ってのことであったかもしれません。


Q:私は、バガヴァンが偏見を持っていると伺いました。

彼が悟っていて、悟っている人は偏見を持たない?

私はこれを信用できません。


フレディー:私は、バガヴァンの幼馴染みの1人によって書かれた非常に興味深い記事を読みました;
バガヴァンが彼自身グルになる前、彼らは1980年代に一緒にグルを訪ねることさえしました。

この伝記では、バガヴァンが会社員であったとき、彼がケララ出身の人々を嫌っていて、彼らを悪名で呼んでいた、と記述しています。

それは信頼できそうに思えますが、私自身でそれを体験したわけではありませんので、私は本稿で言及される事実についてコメント出来ません。

私は、彼が人々(個人的、グループ会談の両方)と会談していた時(数え切れない程の時間)、バガヴァンの隣に座っていました。

彼らが去ったあと、バガヴァンはしばしば弟子(私を含む)と議論したり、彼らを批評しました。

彼は、常日頃どういった人々が気に入らないかを語っていました。

彼らについて悪意のあるジョークを言っていました。

彼の論点は中途半端で浅いものでした。

私は、屈辱的なものが人々の背後でこそこそと侮辱するような議論に慣れていません;
むしろ、しばしばバガヴァンは皮肉屋でした。

バガヴァンのこの見下したような態度は、人類の救世主と無限の神としての彼に対する私の信仰への大きな試練のうちの1つでした。

実際に、初期(1994~1998年の間)の幾つかの出来事は私をほとんど離れさせました。

時々、バガヴァンは私にスウェーデンについて質問しました。

1993年、5ヵ月の期間、私は毎日5~7時間、バガヴァンに会ったものです。

しばしば、我々の4~5人程が、彼と一緒にいました。

更に、彼と二人きりになり、数時間おしゃべりして、昼食さえ共にすることもありました。

彼がスウェーデンの経済的状況について私に質問した(移民を伴う状況など)そういう機会の1つで、私は「多分、10、20%が移民でしょう。

大多数とまではいかないが多くは、アラビア国出身のイスラム教徒です。」と言いました。

彼は、いらいらした口調で間髪入れずに言いました:
“ なぜ、イスラム教徒達をのさばらせて、スウェーデンのような素晴らしい国を損なわなければないけないんだ? ”

何度か彼は、「イスラム教は原始宗教である」と言いました;
彼がアラブ系を嫌っていることは、私が知る確かなものの1つです。

サティヤローカのコースのために来た大きなアメリカのグループがありました。

私はそれが1998年8月の合宿だったと思います。

[ 2000年7月か12月のサティヤローカでの合宿であったかもしれません ]。

そのコースの後、バガヴァンは参加者の幾人かに会いました;
彼らの1人がアメリカ出身のナンシーでした。

私は、彼女がスーザック(当時、活動的なアメリカのコーディネーターのうちの1人でレイキマスター)によって合宿に招待されたと思います。

大部分の参加者は自然な形で信仰していました。

けれども、ナンシーは例外のうちの1人でした。

バガヴァンは、ナンシーに会いました;
この会談の後、私達(弟子達)がバガヴァンに会うと、彼は彼女について話し始めました。

彼女が彼にどうしようもない愚かな質問をした(バガヴァンの意見)ので、彼は非常に感情的になって、詳細を語り、ナンシーと彼女の祖国を罵りました。

合宿の重要項目に、アンアタリアーミン(私達の内在神)との個人的関係を発展させることがありました。

その言葉アンタリアーミンとバガヴァンは、合宿の教師(アーナンダギリ)によって、常に置き代えられました。

大部分の人々は(全ての人ではないが)、彼らのアンタリアーミンをバガヴァンとしました。

私は、バガヴァンとアンタリアーミンを等しくみていなかった人は記憶にありません。

私達の父、母、兄弟、友人、子供などとしてバガヴァンと関係を持つように指導されました。

そして、私達が自然に感じるどんな関係でもOKだと教わりました。

情熱と親交は、この関係で最も重要な要因でした。

[かつて、バガヴァンは、彼がアンタリアーミンの形態で、どのようにマイソール近郊の女性と定期的なセックスをするかについて、私に話りました;
私の記憶では、彼女はキリスト教のコーヒー地所のオーナーで名前がマリーナだったと思います。

バガヴァンはマリーナをアンタリアーミン(バガヴァン)との驚くべき強烈な関係を持つ真の神秘家だと後述しました。

彼女はバガヴァンを見ることができて(内部のヴィジョンとしてだけでなく、開いた彼女の目でも)に会話することができました;
そして、彼と対話する体験は彼女にとってリアルでした(彼とセックスすることを含む)。]

バガヴァンとの会談の際に、ナンシーは彼に尋ねました:
“ バガヴァン、私の犬としてあなたとお付き合いすることができますか? ”

彼女は、無作法ではなかったし、否定的な意味でこれを質問したわけではありませんでした。

私は、バガヴァンが彼女(私が覚えている限り、彼は彼女の質問に直接的に答えるのを避けました)に答えた内容を思い出せません。

私は、バガヴァンがこんなに感情的に嫌悪するのを滅多に見たことがありませんでした。

彼は、このような何かを言いました:
“ 彼女は、私が彼女の犬でありえるかどうか、私に尋ねた!!!
彼女には、まったく神聖さの感覚がない。
これらのアメリカ人は、役立たずの人々だ!
彼らにとって神聖さは存在しない ”。

定期的に、長年、バガヴァンはアメリカ人について類似のコメントをしたものです。

かつて、彼は「インドのコースにアメリカ人を参加させることにうんざりした」と言いました。

私は否定的な噂がいかに速く広まるか知っていました。

そして、私は心から心配しました。

バガヴァンは、大きな危険を冒しました;
アメリカ人と彼らの国に関する彼の意見が漏れるならば、それは容易に広まり、遠くまで知れ渡り、バガヴァンのメッセージがUSAに拡がるのを困難にするでしょう。

さらにはヨーロッパと西洋諸国への悪影響もあるでしょう。

バガヴァンは非常に高くヨーロッパとロシアについて話しました。

そして、彼らの先進文化、ゆゆしさと神聖さを称賛しました;-
“ ・・・ですが、アメリカ人:バ~!!!・・・ ” と、彼は言ったものです。

バガヴァンがこのインドの否定的な表現を使った時(バ~!- 彼がアメリカ人と彼らの文化について話したとき、多用されます)、いらいらした調子を伴いました。

それは非常に深刻なことを意味しました。

時々、バガヴァンはマイケルジャクソンについて我々(弟子達)と話しました。

バガヴァンは、ジャクソンのダンスを嫌悪して、卑猥で悪魔的であると言いました。

バガヴァンはかつて腕でジャクソンのダンスを模倣しました。

そして、ジャクソンは悪魔だと付け加えました。

21日間プロセスが2004年に始まる前、西洋の帰依者はいわゆるダルシャンツアーのためにゴールデンシティを訪問しました。

これらのツアーは、2002~2003年に開催されました。

ダルシャンツアーは、5日間でした。

ツアーの最終日に、グループはバガヴァンのダルシャン(=グループ会談)を持ちました。

通常1、2時間で終了しました。

ロシアのグループの1人が彼に会ったあと(各々のダルシャンの終わりで寄付しました)、私はバガヴァンと話しました。

彼は、ロシア人(貧困国)が常に、他の国々(ダルシャンツアー参加者)より多く寄付することに驚きました。

彼は、すべての国で最少の寄付をするのはどこだと思うか、と私に尋ねました。

私はわかりません、と答えました。

彼は、幾分いらいらした調子で言いました: 「アメリカ人」。

彼はかつて、冗談とゆゆしさの混合で、彼らがとても裕福で、“ 鼻を通して支払う ” ことが出来る【(誰かを記述するためにインドで使われる表現)、“ スティンキングリー・リッチ ”、(アメリカ人と関連してしばしばバガヴァンに使われるもう一つの表現)】としてコースをアメリカ人のために特別に高価にする必要があると提案しました。


Q:あなたは、バガヴァンについてたくさん言及されました。

アンマとの個人的な体験は、どうでしたか?


フレディー:彼女がバガヴァンによって神と宣言された1、2年前、私は時々彼女に会いました。

1993年以後、落ち着いた家庭の空気で、彼女と話すことはなくなりました。

大きなグループか、ネーマンのアーシュラムで彼女の祝福を得るため1、2分間話すだけでした。

初期の頃(1991~1992)、パラマチャリヤとサマダルシニはアンマを神格化して、いっそう語るようになりました。

彼女が英語を僅かに話すだけだったのと、私のテルグ語が彼女の英語よりひどかったので、私達はあまり話すことができませんでした。

私にとって、バガヴァンの父(その人は、たまたま無神論者でした)が彼の父というだけであって、ヒンドゥー教の神々でないことと同様に、アンマはバガヴァンの妻でしかありませんでした。

彼女はコース参加者達と話をする人ではありませんでした。

彼女は帰依者などに会いませんでした。

彼女はまさに学校の台所の長であり、たまたまバガヴァンの妻でもあるのでした。

ほとんどの時間、彼女は腹を立てているか、不満そうに見えました。

私は滅多に彼女が微笑むのを見ませんでした。

彼女の声は穏やかで優しいものではなく、むしろ厳しかったです。

彼女が私のマスター(神)の妻であったので、私は彼女を好きになるよう、たくさん努力しました。

私の本能が彼女から距離を置こうとしていましたけれど。

私は彼女を信頼せず、彼女の荒っぽさと支配的な性質を嫌いました。

彼女はかつて私をベッドルームに招き入れて、彼らの結婚式の写真を見せてくれました。

彼は顎ヒゲもなく非常に異なって見えました。

私は、彼女と自然で親しげに触れ合った時の出来事の1つを覚えていますけれど。

私は定期的に彼らの家にいました。

私達は彼らのベッドルームの外側の通路に立っていて、彼女は私に話しかけてきました。

彼女は、体重を大きく落とす方法を知っているかどうか、私に尋ねました。

彼女は、私が健康的な生活、自然療法などを勉強したということをバガヴァンを通じて知っていました。

弾力のあるマットで毎日10分ジャンプすることを彼女に勧めました。

更に代謝を高めるための指圧ポイント(ツボ)の位置を示し、彼女の手で優しく押して実演してみせました。

その時、バガヴァンが通路を通りかかりました;
彼は幾らか威圧的な調子で、テルグ語でアンマに何かを伝えました。

それから彼女が、まるで目で語るように私を見ました。

「ごめんなさい、夫は私がこうすることを望みません」と言って、彼女は去りました。

私は、彼女を、自分のプラス・マイナス点を持った平均的なインド人主婦と理解しました。

私は、彼女に高尚な、或いは神聖な何かを感じたことはありません。

2005年、私はアーナンダギリ(AG)に、これまで使われていたものが西洋人にとって、かなり新興宗教の教祖のように見えるので、何枚か他のA&Bの写真を手に入れることが出来るか尋ねました。

2人共、このムーヴメントが世界のナンバーワンになることを望んでいて、それはAGと私の共通の情熱でした。

それで彼は私にA&Bの何百ものデジタル写真の検索を認めました。

アンマが滅多に微笑まなかったので、私は彼女のOK写真を見つけるのに困難を要しました。

最終的に、私達は彼女の親しみやすい、或いはリラックスしたように見える写真を1枚も見つけることが出来ませんでした。

私は、アンマが親しみやすくて微笑んでいるように見える新しい写真を何枚か撮ることが可能ならば、そうしてみるように彼に勧めました。

私は、クリシュナ(バガヴァンの息子)に会うことが驚異的な経験であるのが当然と思っていました。

私は、実際に私の神の息子に同調しようとしました。

私達は時々スポーツをしました。

私達はかつてバガヴァンの中庭のコートで一緒にテニスをしたこと覚えています(相手はAGとヴィマラキルティ)。

バガヴァンが外に来て、しばらくの間この試合を鑑賞しました。

私達が他者について感じるものは大変主観的ですが、クリシュナと接したこれらの年、私を高揚させる体験はありませんでした;
クリシュナ(彼の人格と振る舞い)は、無限の神としてのバガヴァンに対する私の信仰への重い試練でした。

およそ2年間の間をバガヴァンのアーシュラムで暮らした後、バガヴァンが、インド国外で彼のメッセージを広げ始めるよう私に命じました。

私はすぐにロシアに住んで働き始め、1、2年の間、インドを訪問するお金がありませんでした。

それ以来、私はバガヴァンにだけ会って、アンマと会いませんでした。

もはや彼らの家を訪問することはありませんでした。

私がアンマを目にしたのは、パブリック・ダルシャン(彼女の面前で何百、何千という人々が座り、瞑想し、賛美歌を歌う)においてだけでした。

私は幾度か彼女のプライベート・ダルシャンをうけました。

私は神として彼女を見るよう試みました。

すると彼女は私に優しく穏やかでした。

少しずつ、私の過去の彼女に対するためらいは溶け去っていきました。

2004年の私のプロセスで、私はついに彼女をバガヴァンと等しく受け入れました。

私は、どうやってアンマとの関係を何とか解消できたかが、よくわかりません。

彼女のことを考えるとき、暖かささえ感じます。

「これが悟りを得るための私の大きな障害なので、私がアンマにも委ねる必要がある」と、しばしばバガヴァンが私に言っていたからかもしれません。

サマダルシニとアーナンダギリも、時々私にアンマに関する問題を思い出させました。

これが私の理想の状態を得ることへの唯一最大のブロックであったので、非常に熱心にこれに取り組みました。

そして、祈って、祈って、とても多くのエクササイズをしました・・・

私は試みて、試みて、試みました、そして、12年後、ようやく果実を収穫することができました・・・

<訳注:皮肉としての表現であって、この時期の12年後にムーヴメントを離れることになったと思われる>

他の理由もあったかもしれません。

多分、彼女に対する私の態度を変えた人は、私だけではなかったでしょう;
アンマもまた幾らかの変化を受け入れたのかもしれません。

それで突然、私達の愛は相互になったのです。

1年に1、2分、バガヴァンのメッセージを拡げる中での一般的な成功と私の悟りの祝福を得る以外、私はアンマに会うことがなくなっていたというのが事実です。

またそれは私達の関係の改善のための理由の1つでもあったのでしょう。

他の要素もあるかもしれません。

私は、彼らの息子に対する自然な愛情と尊敬を抱くことができませんでした。

このため、私は何かおかしいに違いないとしばしば自分自身を責めました。

クリシュナに対しても暖かい愛情を抱かねばならないと、バガヴァンは言わなかったので、私はついに、クリシュナを好きになろうとするのを諦めました。

私は、彼を中立視して、もはやこれについて考えないようになりました。
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Q:私は、クリシュナを神童の如く描写したムーヴメントの歴史を読んだことがあります。

彼は、バガヴァンの大規模な悟り現象の場となった学校において、最初の “ 神秘経験 ” を得た人であった。

あなたは、それについて何かご意見はありますか?

フレディー:新しいバージョンをお伝えしましょう。

私がムーヴメントにいた最初の数年、バガヴァンは少なくとも9回、彼の名前を変更しました。

私が知っている9つの異なる名前は、以下の通りです:
パラマチャリヤ、バガヴァン、イーシュワラムルティ、イーシュワラ・バガヴァン、ムクテシュワラ・バガヴァン、シュリ・シュリ・バガヴァン、カルキ・バガヴァン、カルキ、シュリ・バガヴァン。

彼は私に、天の父を意味するロシア語での彼の名前を見出すようにも命じました。

そして、私達は彼を1年以上、ツェバオス(或いは、創造主ツェバオス)と呼びました。

スェーデンでそのようにするなら大勢から私達のムーヴメントを新興宗教扱いされるので、敢えてそうしませんでした;
一旦私達がそのような評判を得たならば、それは除去が困難なので、新興宗教のレッテルを貼られないように、バガヴァンは私に非常に慎重であるよう指示しました。

彼は、定期的に教えとアプローチを変えました。

しばらくの間、彼の教えは、悔い改め、原罪、告解を伴ったキリスト教に酷似していました。

突然それは変更されて、コースは心理的なトラウマ浄化のワークショップのようでした。

1992年、ジーヴァシュラムにおける “ 心理学 ” コース(1週間の合宿)で、バガヴァンはあらゆる心理学を取り除き、今は彼に帰依することに集中するべきだと朝に決めました。

私達は合宿の途中で全てのコースを変更しなければならず、そのような突然の過激な変更に参加者はかなりのショックを受けました。

バガヴァンの新たなメッセージは以下の通りでした:
「より多くの心理学とブロックの洗浄は、より多くの浅薄な結果を生むだろう。180度、方向転換する。」

私が出席した(1991年2月)最初のコース(合宿)では、大部分が長時間の瞑想、ヨガ、“ プラジャパティ意識の注入 ” と呼ばれていたディクシャで構成されていました。

[ プラジャパティは、ブラフマー(創造神)の息子の1人です ]。

数か月後、それはマハヴァキヤ[=生ける神の至高の言葉]が中心となり、バガヴァンが直接語りました。

10年間以上、バガヴァン、パラマチャリヤ、全てのアシスタントは、最初の体験を得た人がヴィジェイ・サガール(学校の敬虔な学生・12才)であるとコースの教えで伝えてきました。

パラマチャリヤとAGがヴィジェイ・サガールについて話った時、彼らはある種の預言者のように彼について描写しました。

今日では、彼らは、まるでヴィジェイ・サガールが存在しなかったように、彼に言及することを避けようとしています。

当然、彼らがヴィジェイ・サガールについて話すことを避ける理由について疑問が起こります・・・

何故バガヴァンはムーヴメント誕生の歴史を根本的に改訂したのか。

2000年に、私が初めて新しいバージョンを聞いたとき、実にショックでした 。

現在は、ヴィジェイ・サガールではなく、クリシュナが最初に神秘体験を得て、それを他の学生達に伝染させていたとされています。

バガヴァンは、ヴィジェイ・サガールが彼や彼のムーヴメントのことを悪く言うと気付いたのでしょうか?

バガヴァンは、その歴史を「矯正」する啓示を得たのでしょうか?

バガヴァンにそうさせた本当の理由はわかりませんが、一夜にして、私がいまだ知らぬムーヴメントの歴史に改訂させました・・・


Q:バガヴァンは、これまでにムーヴメントの名前も変更しましたか?

フレディー:何度も。

1990年、私はかつて彼らが一般大衆を対象に初開催したコースの小冊子を読みました。

アーシュラムは “ ゴッズ・アース ” (神の大地)と呼ばれていました。

そのコースは “ アヌグラハ ” と呼ばれていました。

サンスクリット語でグレースを意味します。

“ ゴッズ・アース ” という名前は新興宗教臭い響きだったので私は好きになれなかったことを覚えています。

私はどうして “ ゴッド・アース ” と命名したのか尋ねました。

バガヴァンは「人類に悟りを授けるつもりだ、誰もがキリストやブッダのようになるだろう。
これで人間は再び純粋になり、世界はもう一度、アダムとイヴの物語で描かれた素朴な姿に立ち返るだろう。」と私に語りました。

バガヴァンは破壊的な現代の文明社会に反対していました。

1992年、ムーヴメントは “ ザ・テンプル・オブ・ゴッド ” (神の神殿)と呼ばれるようになりました。

まもなくすると “ ザ・テンプル・オブ・ザ・ライト ” (光の神殿)に変更されました。

数ヶ月して、“ ザ・テンプル・オブ・シュリ・シュリ・バガヴァン ” (偉大な偉大なバガヴァンの神殿)となりました。

私はこれら全ての様々な名前を辿ることさえできないと思います。

1997年、アーナンダギリがムーヴメントを “ ザ・ファウンデーション・フォー・ワールド・アウェイクニング ”(世界の目覚めの財団)と呼ぶことにしました。

幾らも経たないうちに、おそらく2000年頃でしたが、“ リビング・イン・ジョイ・ファウンデーション ” (生きる歓び財団)と呼ばれました。

それからすぐ “ ゴールデン・エイジ・ファウンデーション ” (黄金時代財団)になりました。

および、バガヴァンは、それが正しいエネルギーを持っているので、あらゆる場所において、その名前でムーヴメントを呼ぶことを私に命じました。

それが黄金時代の到来、地上の楽園を加速化させるであろう、と。

長年、カルキが名前を変え続けたので、帰依者をかなり混乱させました。

それは俗称カルキ・ムーヴメントと呼ばれていました。

自分自身がカルキだと主張するグルがインドに300人以上いて、カルキだと主張することで刑務所に入れられた者がいるということをバガヴァンが知るに至りました。

彼は非常に用心深くなり、カルキと呼ばれて知れ渡らないようにしようとしました。

それは彼に強要され、人々は彼が拒んでも他の名前で呼ぶことを断りました。

カルキの名を持っているために刑務所へ入った人がいることを知るまで、彼は拒んだことはありませんでした。

それが事実です。

私が長年していたように、彼の兄弟のラメッシュでさえ彼をカルキと呼びました。

ラメッシュは、カルキ・バジャンカセット(カルキを賛美する信仰的な音楽)を大量に出版しました。

また、カセットを出版した会社(バガヴァン/彼の息子が所有)は、“カルキ出版社”と呼ばれていました。

私達が献金した信用組合は長い間、“ カルキ・トラスト ” と呼ばれて、それは少なくとも2004年まで活動的でした。

2、3年前、2004年のことだったと思います。

バガヴァンは、ムーヴメントをワンネス大学( “ ワンネス・ユニヴァーシティ ” )と呼ぶことに決めました。

その言葉は、作家カール・ジョアン・コールマン(ワンネスの祝祭の著者)がゴールデンシティーを訪れて、バガヴァンに会った後に思いついたものです。

私は、新興宗教の評判を得ないためにバガヴァンが用心深いことを知っています。

私の理解する限り、それが彼が “ ワンネス・ユニヴァーシティ ” という名前を選んだ理由です。

この名前がどれだけ続くかは時が示すでしょう。


Q:一時期、アーチャリヤ/使徒でもあったバガヴァンの兄弟について何か話してくれませんか?

フレディー:私は彼と個人的にとても親しかったです。

彼はとても優しく、謙虚で気さくな人でした。

彼は神の臨在を感じるために変容したがっていました。

幾つかのコースに参加した後、ラメッシュは、まだアンタリアーミン(内在神との交流)の目覚めを得ていませんでした。

バガヴァンは、彼がいずれにしてもアンタリアーミンを得ることが出来ないかもしれないと彼に伝えました。

バガヴァンは、彼は右脳と左脳の同期に問題がある、とラメッシュに言いました。

私はラメッシュをとても気の毒に思いました。

彼は取り残されたと感じているように見えました。

 [ 備考:1991年、内在神の目覚めを、アンタリアーミンとは言わず、“ マニフェステーション(顕示) ” と呼ばれていました(それ以前は “ バガヴァッド・サットシャタカラ ・アヌバーヴァ ” )。

今日 “ プレゼンス ” と呼ばれるようになるまで(7年間以上)はアンタリアーミンと呼んでいました ]。

アーナンダギリ、私自身、幾人かの人々はパラマチャリアのコースを手伝っていました。

バガヴァンが彼自身でコースを行うことはありませんでした。

私達は、ラーマムルティ(バガヴァンの義理の兄弟)のオフィスビル(チェンナイのアンナ・ナガール地区)でコースを開催していました。

このオフィスビルの上階は “ シュリ・シュリ・バガヴァン寺院 ” となりました。

ラーマムルティはインドで公式コース開催を許可された少数の1人でした。

初期のコースではパラマチャリヤだけが上級コースを開催しました。

グループはより小さなグループに分割されました。

ラメッシュは参加者の1人でした。

彼は、私に対して親近感を抱いていたので、私がガイドするグループにいさせて欲しいと頼みました。

コースの2日目か3日目に、私達は人々の恐れに取り組みました。

私は彼の恐怖を介してラメッシュをガイドしていました。

彼が最大の恐怖に直面した時、突然、彼の身体が震動し始め、床に横たわっている他の参加者の身体にぶつかりながらホールの反対側まで高速で転がっていきました。

私は彼のあとを追いました。

彼が完全に疲れ果てた状態で横たわっている時、私は、彼の頭に手を置いて祈り始めました。

ほとんどすぐに、彼は得ることが出来ないと告げられていたものを得ました。

このため、彼は、この時以降、私のことを“グルジ”(師匠)と呼ぶようになりました。

私達が会った時、彼はしばしばヒンドゥー教徒が伝統で行うようにして、私の足元にひれ伏しました。

彼が神の兄弟だったので、私にとってこれは非常に決まりが悪いものでした。

ラメッシュは、かつてバガヴァンが彼に告げたことを私に打ち明けました:
“ ラメッシュ、君は私を愛する以上にフレディーを愛している。
そうするのを止めなさい。君の霊的成長にとって、それは良くない。” 

「私は、ラメッシュがしたように私を愛して、賞賛する人には滅多に会うことがなかったことを補足しておく必要があります」。

とうとう彼の夢であった神との交流を得た後、ラメッシュはより活発にムーヴメントに加わることを望みました。

彼がアシスタントの1人になれるかどうかバガヴァンに尋ねると、バガヴァンは「はい」と言いました。

見習いとして、ラメッシュは誰かに訓練される必要がありました。

バガヴァンは彼の訓練担当としてアシスタントの誰を希望するかを彼に尋ねました。

そして、ラメッシュは私を選びました。

ラメッシュは最初の訓練生でした。

まもなく私達はチームとして一緒にグループをガイドするようになりました。

私達は一緒に働くことを好み、おおいに楽しみました。

他のアシスタント達は、ペアになって働きませんでしたが、どういうわけか私達は、彼の訓練が終わって独立が認められてからでさえチームとして働きたい気持ちがありました。

私達は、まるで同じ身体の2本の足のように感じていました。

このような一体感と友情を私達はお互いに体験しました。

私にはこのムーヴメントに多くの素晴らしい友人がいます。

私の伴侶(マドレーヌ)は、あなたが想像できる最高の優しさを持つ人です。

彼女がバガヴァンの帰依者と娘だったとき、彼女はより情熱的で優しく親しみやすかったです。

大きな違いは、もはや彼女が バガヴァンに魅了されることはないということです。

彼女が帰依者であったとき、彼女はバガヴァンのために何でもする準備ができていました。

彼女にとっての神であった彼が、彼女に山から飛び降りる(自殺する)よう命じたならば、驚きもせずに従ったに違いありません; 彼は、神だったのですから。

(彼は宇宙を創造したのだから、何が正しいかについて、遥か途方もなく、彼女よりわかっていたということでしょう。)


Q:あなたはもはやムーヴメントに属していませんが、バガヴァンの帰依者だった時のあらゆる友人、ディクシャギヴァーやラメッシュに対してどんな姿勢でいらっしゃいますか?

未だなおバガヴァンの帰依者である人に対して怒っていますか?

フレディー:私は、以前のようにラメッシュに対して温かい気持ちを持っています。

彼がバガヴァンの帰依者であるかどうかは関係ありません。

友情と宗教は私にとって2つのまったく別々のものです。

全ての人には、その人が何を求めて何を信じるか権利があります。

あなたは、私に怒っているかどうか私に尋ねました。

私の知る限り、そうではありません。

内側のレベルでは、私は未だに、以前親しかった人々に対して同様の愛を感じています。

彼らがバガヴァンのムーヴメントにまだいるかどうかは問題でありません。

外側のレベルでは、私がもうバガヴァンの宣教師ではありませんので、以前のように頻繁には彼らに会っていません。

帰依者の中には、私に失望している人もいます。

以前にしたように私が信じないので、ある人は私に怒りさえします。

私は彼らを裁かず、それを個人的なものとして受けとめません。

私は、彼らが実際には私に怒っているのではなく、私に関する彼ら自身のイメージに怒っているのを理解しています。

それについて(希望を持って・・・) 私にすることはほとんどありません。。


Q:今、パラマチャリヤはどこにいるのですか?

現在、彼は何をしているのでしょうか?

フレディー:僧の規律が作られた後、パラマチャリヤの役割は変わりました。

私がインドを訪れたとき(バガヴァンとパラマチャリヤと過ごすため)、私はいつも彼と多くの時間を過ごしました。

そのときのインドの旅で(1966年か1997年)、彼がもはやムーヴメントに関与していないことがわかって、私はショックをうけました。

彼は私の個人的なガイド(グル)でした。

私が個人でバガヴァンに会う以前、1年間を彼と過ごしました。

私はパラマチャリヤのことがとても好きでした。

彼がどうして離れたかについては、いまだに真相がわからないのです。

以前、1997~1998年になって、帰依者達と彼のアシスタント達は、彼に会わせようとさせませんでした。

なお、私は彼を尊敬しています。

彼に会いたいという私の欲求はしばしば激しいものでした。

したがって、私はかつて、彼に電話をかける特別許可を求めました。

私は、数分間彼と話しました。

まるで彼が私のグルとリーダーとしての古い役割を忘れたがっているようで、2度と電話をして欲しくないように感じました。

現在、彼はチェンナイで暮らしています。

新旧問わず帰依者達との会合やサットサングに出席したようなことは私は耳にしていません。

彼は長年、占星術の研究に熱心に取り組んでいました。


Q:私はアーナンダギリの講演記録を読みました(2006年、ロサンジェルス・カンファレンス)。

人生の初期、彼がまだバガヴァンの学校の生徒だった頃、内側の葛藤の不在と深い平和の状態をバガヴァンが彼に与えた、と。

「今日においてでさえ、彼にはブロックが見える」と、ある私のサイキックな友人は、言いました。

「アーナンダギリの状態はクリシュナ(ヒンドゥー教において最も有名で敬われるアヴァター)を含む歴史上のアヴァター(権現神)や偉大な神々の10倍以上高い」とバガヴァンが言うのを彼女は陳腐に感じました。

これについて何か言うことはありますか?


フレディー:1年間以上、私はアーナンダギリと共同生活していました。

私は彼と毎日、顔を合わせ語りました、時には何時間も。

彼が学業を終えた後も未だに一般的な葛藤を抱え、苦しんでいたことを私は知っています。

私は、このムーヴメントを推進する人々が大衆を魅了するために、神秘的で魅力のある物語を創作するのを見てきました。

彼らには、1つの考えがあります。

「人類救済計画を実現するためにバガヴァンは全世界を霊的に制覇しなければならない。」

1993年、1週間の長期合宿の間、私は自分が指導していた3~5人のグループに、異なるエクササイズを与えました。

2、3週間以前、同様に私自身のブロックに取り組んでいました。

私は偶然、大変役立つエクササイズを発見しました。

私は、自分のグループの幾人かでそれを試して、彼らにも役立ったか見ることにしました。

私は、これらの参加者の1人、シェイカル・ボルゴアンカル博士(バンガロールのコンピューター専門家)にこのエクササイズ(一種の懺悔)を与えました。

彼は深く変容しました。

2、3日後、バガヴァンは、シェイカルが完全に悟ったと認定しました。

シェイカルはその当時、ジーヴァシュラム学校(ここでバガヴァンは校長として暮らしていた)の教頭でした。

彼の変容の後、シェイカルは校長(カンナン氏)がこの懺悔エクササイズを通して悟りを得るための手伝いをしました。

まもなくコースは懺悔だけになりました。

バガヴァンは、彼らが公に全ての秘密の行為、意図、考えを懺悔した後、全員に(もしくは、ほとんど全員)完全で元に戻らない悟りを与えると言いました。

7日間の合宿コースの全員が自分達の全ての秘密を告白するよう命じられました。

何人かは、全グループの前で殺人さえ自白しました。

このムーヴメントが1991年2月(それは、1989年7月の秘教の“実験”として始まりました)に公になったあとの最初の1年半の間、パラマチャリヤはバガヴァンのコースを開催する許可を与えられた世界唯一の人でした。

ソーマンガラム村(チェンナイ空港から10Km)の私達が住んだ場所で、それらの大部分は開催されました。

しばらくすると、主にティルパティ、バンガロール、チェンナイにおいて、私達はこれらのコースを提供する旅に出ました。

ソーマンガラムのコースは、ディヤーナ・マンディール(注:瞑想寺院)で開催されました。

ディヤーナ・マンディール(10×10mの小屋)は最も神聖な場所でした。

そして、その場所にはキリスト教徒にとっての教会と同じような役割がありました。

それが当時、世界で唯一のバガヴァンの寺院であったので、St.ピーター大聖堂に喩えると真実により近いでしょう:
礼拝、祈り、“ 生ける神 ” への奉納のためにバガヴァンの等身大写真がディヤーナ・マンディールの祭壇に設けられました。

バガヴァンは、この写真にアヴァハーナムの儀式をしました。

彼は、写真に彼の意識を込めました;
これにより、もはや写真は身体的なバガヴァンと隔たりなく違いがないものとされました。

コースでは、私達は全ての参加者に写真を通じて「生ける神」と話をして、礼拝するよう要請しました。

彼らはまるでそれが身体的なバガヴァンであるかの如く、同じように礼儀正しく写真(シュリムルティと呼ばれる)を扱わねばなりません。

私達と参加者はプージャ礼拝(ヒンドゥー教の儀式)を写真に行いました。

1日に何度か、私達全員の全身を床にひれ伏した写真はバガヴァン自身でした。

しばしば、私達(アシスタント)は10分間以上、ひれ伏したままでいることがありました。

これは主バガヴァンへ向けて私達の全託としての外側の印でした。

1993年(3月頃)、アーナンダギリは彼の故郷ネロールで講義をしました。

彼は、バガヴァンが数カ月前に始めた大規模な悟りの新たな波について語りました;
本当にもうまもなく、全世界が悟ることになるだろう。

[ 私が覚えている限り、この波が2000年までに人類の完全な悟りをもたらすだろう、と私達は言いました ]。

アーナンダギリは、彼自身が1日足らずで最近悟った何百人のうちの1人であると語りました。

彼は、彼自身の悟るまでの物語を披露しました。

彼は、数ヶ月前に懺悔した全内容を聴衆に語りました。

彼が(以前に1年ほど)ディヤーナ・マンディール(主要な寺院)のバガヴァンの等身大シュリムルティがあった祭壇の傍でマスターベーション(自慰)していた(射精まで)ことと同様に一般的な性的妄想を含め、多数明かしました。

彼はこれについてとても気がとがめました。

それは彼が長い間抱えていた痛ましい秘密でした。

アーナンダギリと私はとても良い友人でしたし、彼を大いに愛していました。

私は、彼が公で個人的な秘密を明かすのを見たとき、彼の謙遜と勇気にとても感動していたのを覚えています。

これは彼に対する私の愛と敬意を深めました。

彼が1年以上の間抱えていたアーナンダギリの大きな罪の意識は、彼の自己葛藤のちょうど1つの例でした。

彼が学校の学生であったずっと後に、これは起こりました。

更に、私は、彼(彼の親友クリシュナ - バガヴァンの息子と一緒に)が動物、特に犬に乱暴であるのを見ました。

私は、彼が犬に意地悪するのを何度か目撃しました。

かつてソーマンガラムにおいて、彼は犬を叩いていて、犬が泣き叫んで怯えきっていても止めさえしませんでした。

それはとても不道徳であると感じたので、私は彼に止めるように頼みたかったです;
しかし、バガヴァンへの私の帰依は、バガヴァンの重要な使命において些細なことだとして、バガヴァンの2、3番目に親しい弟子を諭そうとするのを私に許しませんでした。

私は、バガヴァンがとにかく人類に悟りを与えるだろうと「わかっていました」。

つまるところ、アーナンダギリはバガヴァンの救済計画に携わる中心人物の1人でした。


Q:ちょっと待って下さい、私は完全に理解できませんでした。

何回アーナンダギリは、悟りを得たのですか?

時系列順ではどうなっていますか?

まず最初に何があったのですか、悟りなのか懺悔なのか?


フレディー:それを明確にしてみましょう。

私達は物語を3つの段階、あるいは時代に分割することができます。

13才、15才、16才。

・2006年のロサンジェルス・カンファレンスで、アーナンダギリは、学生(彼が12~14才だったことを意味する)の頃として、彼が深い内部の平和(葛藤がない)の永久的な状態を得たと言いました。

・15才の時、彼はもはや学生ではありませんでした。

その頃の彼は、パラマチャリヤ、ニルマル、私自身、数人のアシスタントとソーマンガラムで暮らしていました。

これは、彼が寺院でマスターベーションを行った頃で、“ 罪の地 ” で演じられた行為のため罪悪感に満ちていた頃です。

・16才の時に、彼は小グループ(バガヴァンと関係が深い人々から形成される)の前で、マスターベーション、性的妄想などを懺悔しました。

数か月後、彼は5千人の前で、「1993年1月の懺悔の後、永久的な内部の平和(=悟り)を与えられて今日に至る」と伝えました。

および彼は、悟りに先立って、罪の告白をしたことになります。

彼は、元に戻らない完全な悟りに幾度も達したことになります。

14才以前、16才の頃、バガヴァンが2005年にアーナンダギリを偉大なアヴァターと認定するまでの18~20才の間。


Q:私は、あなたが今おっしゃったことから、永久的な悟りが永久的である必要はないと理解しました。

2005年に神と認定されるまで、アーナンダギリの悟りは学生だった頃の最初の悟りから、徐々に深くなっていったのですか?


フレディー:私は、真実、教え、アプローチ、名前、歴史などがバガヴァンによって絶えず変更されていると既に言及しました。

13~14才の頃、アーナンダギリは人々が悟りとしてしばしば理解するものと類似している彼の状態を述べるようになりました。

[ 私は、バガヴァンが彼をその年齢で悟ったと宣言したとは思いません。]

2、3年後、1993年に、バガヴァンは、アーナンダギリが永久的に悟ったと宣言しました。

ほどなくして、アーナンダギリと他の数百人の「悟った」帰依者は、バガヴァンが永久的であると言ったことは実際には一時的なものであるのに気付きました。

数年後、1997か1998年頃に、アーナンダギリは再び悟った教師として打ち出されていました。

バガヴァンは、しばしば人々が永久的な最高の悟りを得たと宣言しています。

“悟った”人が再び落ち込むとき、バガヴァンはそれについて話さないようにします。

バガヴァンが永久的な悟りと呼ぶものについて、私は、むしろ “ 悟ったとみなされるものかもしれないし、そうでないかもしれない。
永久的であるかもしれないし、そうでないかもしれない変性意識状態 ” と呼びたいです。


Q:1993年における悟りのプロセスについて、もっと話して下さい。

フレディー:1993年の新年の後、バガヴァンは大規模な悟りを人類に与え始めました。

1992年10月、チェンナイ(バラロクと呼ばれる)の学校全体で、私達のプログラムが開始されました。

その学校の所有兼、運営者であったバート氏とヴァニータ・バート婦人の夫妻は、校長と教頭でもありました。

彼らは、私達のコースに出席するように全ての学生に奮い立たせたか、あるいは命じました。

200~400人の学生の中には、小グループでコースに来た人もいました。

或るものは1993年の新年、後の人に先行しました。

すぐに、バガヴァンは、ほとんど全ての学生が悟ったと宣言しました。

学生は12と15才の間でかなり若かったです。

当時、アーシュラムのアシスタントと滞在者の間で、私は悟れなかった唯一の者でした。

大規模の悟りがスタートした前に、1992年、私達のコースに参加した学生へ悟りを転写するために、パラマチャリヤとアシスタントは1993年1月にバラロク学校を訪れました。

私は悟ったと認定されなかったので、その状態を転写することが出来ない唯一の者でした。

バガヴァンの大規模な悟りの波は今や始まり、すぐに数百万、数十億の人々にそれが起きることになっていました。

私達の喜びは限度がありませんでした!

私達は、長い間これを待っていました!!!

けれども、数カ月後、私達は皆、バラロク学校の学生と参加者の大部分と同様にいわゆる悟ったとされるアーシュラム滞在者が、様々な問題と苦しみについて不満を訴え始めるのを見ました。

彼らが全く悟っていなかったのが明白であり、1993年1月に得ていたどんな状態であれ一時的であったに過ぎませんでした。


Q:2004年にディクシャが取り入れられるようになったほんの数年前、バガヴァンは大規模に悟りを与え始めたのではなかったんですか?

フレディー:それは、波のごとく行ったり来たりしました;
現在まで、常にそれは失敗に終わっているのです。

代わりにバガヴァンは、人類が彼の恩寵などへの準備ができていないとして、それが少し遅れる理由についての弁明を考え出すことは遅くはありません。

1999年の12月3日、私は、主にアーナンダギリによって行われた、30日間の悟りコースのために120人のロシア人と10人のスウェーデン人のグループをネーマンに招きました。

コースをの半分はシュリ・アーチャリヤ・コウシカ・ バガヴァッドダーサによって行われたコースを洗う7日間、コウシカは、「バガヴァンがこのコースの全員がコース終了までに悟っているだろう。
いかなる例外もなく! と言った」と私たちに伝えました。

私達は皆、歓喜してお祝いしました。

皆は1日あたりおよそ18時間続いた講習にでさえ更に熱心に参加し始めました。

これは驚愕のニュースでした。

大勢の人々が、意気消沈していて、悟りは彼らにとって唯一の重要なものでした。

私は、今度(私が悟りを約束されたのはこれで4回目だったと思います)悟れないならば、直ちにこのムーヴメントを離れると心の中でバガヴァンに言いました。

コースが終了した時、私は自分自身の目的のために落胆しているだけでありませんでした。

私は、悟れなかった128人(全参加者130人)の前で、ものすごい恥を感じました。

私は、もちろん誰にも自分の悲しみを見せませんでした。

何と言っても私は、バガヴァンへの信用と信頼について、彼らの源であらねばならないリーダーでした!

悟ったとされる2人のロシア人女性は、後に彼女らが実際は悟っていなかったことを打ち明けました。

かわいそうな128人のロシア人とスウェーデン人の大部分は、困惑して沈みきっていました。

バガヴァン、彼らが信頼を置き期待したその人は、人々を解放するという約束を果たしませんでした。

大勢はバガヴァンが約束を守らなかったので激怒しました。

そして、何人かはムーヴメントを離れさえしました。

腹を立てた全員が、バガヴァンばかりに腹を立てているとは限りませんでした。

幾人かは、代わりに私に対して腹を立てていました;
私が彼らを励起したので、彼らはコースに参加しました。

私はバガヴァンが神で、完全に信用できると彼らに約束した1人でした。

私は彼らに約束したし、彼らも私を信頼のおける人と見なしました。

2001年と2002年にサティヤローカのプロセスに参加した、ある著名なスウェーデンのセラピストが彼のバガヴァンとの経験にコメントしたものをEメールで記しました。

“ 2001年、サマダルシニが言いました。

「2006年までに6万人の人々が悟ることになる」と。

2002年2月、私はサマダルシニに尋ねました。

「計画しているようにすべてがうまくいくんだろうか?」

すると彼女は答えました「間違いなくそうなります。遅くとも2006年までに6万人が悟るでしょう」 ”。

2006年、バガヴァンは、もし参加者が悟った(21日間プロセスの間に)ならば、修道僧の幾人かが参加者の脳で霊的に確認できると言いました。

彼らは、参加者が悟りにどれくらい近いかについて見ました。

脳の頭頂葉は、悟った人と認定されるためには18%以下に閉じた状態である必要があります。

もし、あなたが悟ったと認定されないならば、頭頂葉の開放度合に応じて、あなたがいつ悟れるかをバガヴァンが伝えることになります(正確な年月日さえ告げられました)。

2006年1月、私の友人の何人かは悟りが確実に彼らに起こるとされていた特別なプロセスのために、同年9月にゴールデンシティーを訪れるよう要請されました。

しかし、何も起こりませんでした。

私は、バガヴァンがこの時どんな説明と言い訳を出したか、友人に尋ねるのを忘れました。

更に私は、頭頂葉が十分に閉じた状態で(バガヴァンによれば)、悟ったと認定された人々を知っています。

しかしながら、彼らの状態に変化はありませんでした。

バガヴァンは彼らを悟ったと認定した(彼らはただバガヴァンを信じました)ということでしたが、彼らは以前と同様に苦しみと分離感を感じました。

大規模な悟りのための “ ディクシャ道 ” の、ここ最近3年間で幾つかの変更がありました。

少数の例がここにあります:

まず第一に、2004年、バガヴァンは2012年までに地球上の全ての人々が悟ることになると言いました。

1年ちょっと後、これは変更されました。

現在バガヴァンは、2009か2010年までに6万4千人かそれ以上がワンネスの状態(悟りの最高の形態)にあり、彼らは2012年までに人類を苦しみ(内側の)からの解放の状態に通過させることが出来るだろうと言いました。

[ 内側の苦しみの解放はバガヴァンによれば、悟りより非常に “ 低い ” 状態です。]

今日では、その予測は更に楽観視できなくなっています:
私はバガヴァンの公式サイトを読んだところです。

“ ・・・黄金時代は間違いなく2012年までに産声を上げるだろう ”。
この延期は必要に応じてバガヴァンが数年前(数十年でさえ)から変更を加え続けてきたことです。


Q:あなたは、参加者達(バガヴァンが彼らと約束した後、悟りを得なかった)の面前でものすごい恥を感じたと言いました。

あなたは、インドに彼らを連れていったことを後悔しませんでしたか?


フレディー:今日、私はそれを後悔しています。

もし私が熟知していれば、そうしなかったでしょうに。

私はバガヴァンと彼の人類救済計画について、とても熱狂的になっていました。

私は彼のメッセージと教えを15年以上の間、数え切れないほどの人々に伝え広めました。

多大な不要の苦しみをもたらしてきましたし、彼ら全てに十分に謝ることが出来ず悲しいです。

私に刺激され加わった大勢を間違った道に先導してしまいました。

私は他者を導く盲目の男でした。

私がこのムーヴメントを離れた時、最も簡単なのは、いかなるコメントもせず、全部のことを放って、平凡な職に就いて消え去ることでした。

しかしながら、私はウェブサイトを立ち上げて、私の無知による誤ちを償いたいという思いで、これらの質問に答えました。

私が人々をネーマンや他のアーシュラムで提供されたバガヴァンのコースに行く気にさせた理由は、私がバガヴァンの信じられないくらい素晴らしい約束は彼の本心からであった、と信じたかったからでした。

この信じようとすることは潜在意識でのことでした。

顕在意識において、私は本当に信じたと思いました。

ネーマン事件は、バガヴァンの不注意な振る舞いの多くの例の1つに過ぎません。

そうした事件は、いつも私を苦痛で満たしました。

しかし、 バガヴァンが彼の約束(人類に完全な悟りを与える)を果たす見込みがある限り、私はそれを受け入れて許すことができました。

そうして他の全ては、二の次になりました(他のバガヴァンの過去の言動と比較して、比較的穏やかな非倫理的な振る舞いであったネーマン事件を含む)。

バガヴァンが人類に悟りを与えなかった場合、全ては砂上の楼閣のように崩れ落ちるでしょう・・・

私の意見では、そのとき彼は今日の大勢のいかさま師と偽予言者のチームに加わるはめになるでしょう。

私は、バガヴァンが本物であると期待して最後の最後まで信じていました。

1年前(2006年)、砂上の楼閣は崩れ落ちました・・・

それは少なくとも、私がどう理解したかということです。


Q:私は、バガヴァンが西洋の帰依者に長期間のフルータリアン(果食主義者)になるように勧めたことによって、亡くなった人がいると聞きました。

正しいですか?


フレディー:2001年、インド国外でのムクティヤグニャ(悟りの合宿)を開催するために4人が訓練をうけました。

彼らのうちの1人が私でした。

そのムクティヤグニャは1999年にネーマンで開催された30日間コースと同じコースでした。

それはかなり短く、7日間でした。

この7日間の合宿(ムクティ3)に参加するためには、人々はこれ以前に2つのコースを終えている必要がありました。

私はそれらのコースを、ムクティ1、ムクティ2と呼んでいました。

バガヴァンが語るところによれば「大勢が悟りを得るだろう」とされていたコースがムクティ3でした。

それにもかかわらず、悟りを得る人はいませんでした。

バガヴァンは18/36カ月間プログラムを打ち出しました。

それは西洋の帰依者のためにロジカルに、18カ月間プロセスと呼ばれていました。

私は単純にムクティ4と呼んでいました。

プログラムに一定期間、従うならば、18、36ヵ月のプロセスのどちらでも確実に探求者を悟らせるということでした。

18/36ヵ月間プロセスに乗り出す前に、バガヴァンによる身体的なタッチ(それは、祝福、或いは伝授のように見えました)を必要としました。

それは、2002~2003年のゴールデンシティでの、いわゆるダルシャンツアーの際に無料で与えられました。

ロシア人は、とても情熱的な人々です[私がロシア人と言うときはいつでも、旧ソビエト連合時代からの人々に言及します]。

私は、大部分のロシア人がムクティ3を完了した直後にムクティ4(18/36ヵ月のプロセス)を始める覚悟が出来ていることにも驚きませんでした。

私はこれをアーナンダギリに伝えました(彼はバガヴァンに報告しました)。

そしてバガヴァンがそれをより単純にしたとき安堵しました。

彼は、「ムクティ4プログラムの参加希望者の写真、名前、年齢などをEメールで送れば十分である、そうすればバガヴァンは彼らの写真のプリントアウトに触れて、彼らを悟りにイニシエートする」と言いました。

18ヵ月のプロセスは、100%の果物(ドライフルーツを除く)ダイエット、(ナッツは許容された)、毎日1,5~2時間の瞑想を含み、厳格な禁欲を必要としました。

一度でも間違った食物を食べるならば、全プロセスをやり直さなければなりませんでした(新たに18カ月)。

多くは、深刻な健康問題(無気力を含む)に陥りました。

幾人かは、家族を心配させて病院に入れられました。

人々は体重が激減し、幾人かは典型的な食欲不振のような兆候が見てとれました。

激しい抗議の数ヶ月後、バガヴァンはこの18ヵ月のプロセスを中止しました。

彼は、その代わりに18ヵ月のプログラムの全員に36ヵ月のバージョンに変更するよう頼みました。

それは瞑想の時間は同じでしたが、ダイエットは極端さをなくして1日に1、2度の健康的な菜食主義の食事と成りました。

禁欲は、3年の最後の6ヵ月だけ従えばいいことになっていました。

彼らは宇宙、神と合一したがっていたので、ロシア人の90%以上は当初18ヵ月のプロセスを選びました。

10%以下はより長いバージョンを選びました。

人々は、しばしばバガヴァンの真の意図に疑問を持ちました。

以下のような疑問がありました。

これらの実験は危険過ぎたり極端だったのではないか?

“モルモット”として罪もない人々を利用することは倫理的であったか?

これは、バガヴァンが起こりうる結果を熟知していなかった極端な食事とライフスタイルを含む最新のプロセスでした。

これらを快く受け入れられる人ばかりではなく、彼らの大部分はこの厳しいライフスタイルを実践する気にさせた人に全託しました。

彼らにとってバガヴァンは待望された世界の救世主でした。

彼の言葉は彼らの法でした。

必ずしも誰もがフルーツダイエットで気分が悪くなるとは限りませんでした。

悟りたくてしょうがなかった幾人かは困難な食事やライフスタイルを気にかけませんでした。

そのため、突然バガヴァンが18か月のプログラムを中止した時、大多数の“フルータリアン”を大きく失望させました。

これは、私がバガヴァンの弟子であった15年間で何度も見たパターンです。

バガヴァンは世界を救うための新しい方法を思いつきます。

1つの「実験」がうまくいかなかったり、一時的な結果だけで人々の中に埋もれていく場合、すぐに彼は新しいプロジェクトを始めます(神がかったかのように自信満々で新たに極端な約束を交わす)。

彼と弟子は、大規模な悟りを与えるための“絶対確実な”アプローチを毎新することに余念がなく、昔の失敗は容易に忘れることができます。

今回バガヴァンが間違いなく人類を悟らせるのだとしたら、どうして私達が過去について考える必要があるというのでしょう?

「フルータリアン」実験は1年間ちょっと続きました。

幾人かのロシア人、スウェーデン人などは18カ月の極端な生活の達成までほんの数カ月でした。

残り数カ月で、約束の報酬(元に戻らない悟り)に達するはずでした。

ロシアでは新鮮な果物が全食品において最も高価だったので、18ヵ月のプログラムは困難を極めました。

シベリアと多数の小規模な場所においては、特に冬と春の時期、ごく僅かな種類しかありません。

大勢が貧しく最も安価な果物しか買う余裕がなかったので、彼らのダイエットはとても単調になりました。

この食事制限(平均給料の2倍くらいまで費用がかかる)のために借金しなければならない人もいました。


Q:どれくらいの人が、18もしくは36ヶ月間プロセスで悟りを受け取ったのですか?

フレディー:悟りを受け取った人がいるとは耳にしませんでした。

バガヴァンが18&36ヵ月間プロセスの全ての方法を中止したことを知らずに、終わりまで忠実に従い続けている者すら複数いました。

[当時、ロシア人の多くは、電子メールやインターネットアクセスをしませんでした。]

2004年1月、バガヴァンは21日間プロセスを開始して、全ての旧コースとプロセスを中止しました。


Q:あなたは、「多くのフルータリアン(果食主義者)がプロセスの間に不満を言った。
そして、バガヴァンがそれらを中止したとき、大多数が不満を言った」と言いました。

これは、矛盾していませんか?


フレディー:大部分のフルータリアンの不満は、実際には不満ではありませんでした。

彼らは機嫌の悪い眠っている赤ん坊のようでした。

まったく深刻でありませんでした。

大部分のフルータリアンは、全く18ヵ月のプログラムを破壊するつもりはありませんでした。

フルータリアン・プロセスの困難と危険性は、まもなく彼らを待っている永遠の悟りの信じ難いほどの報酬と比較して、彼らにとって、ごく小さな投資でした。

バガヴァンにそれを中止することを決断させたのは、多数のフルータリアンを心配する家族がいたことと、深刻な病気になった少数派の叫びでした。
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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