カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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Where is Paramacharya now? What is he doing today?
Q:今、パラマチャリヤはどこにいるのですか?
現在、彼は何をしているのでしょうか?
Freddy: After Bhagavan introduced the monk order, Paramacharya’s role changed. When I visited India (to be with Bhagavan and Paramacharya), I always spent a lot of time with him. On one such trip to India (in 1996 or 1997), I found out that he was no more in the Movement, it was a shock to me.
フレディー:僧の規律が作られた後、パラマチャリヤの役割は変わりました。
私がインドを訪れたとき(バガヴァンとパラマチャリヤと過ごすため)、私はいつも彼と多くの時間を過ごしました。
そのときのインドの旅で(1966年か1997年)、彼がもはやムーヴメントに関与していないことがわかって、私はショックをうけました。
He used to be my personal guide (guru), I stayed with him for a year, before I met Bhagavan in person. I liked Paramacharya a lot. I never got any explanations as to why he had left.
彼は私の個人的なガイド(グル)でした。
私が個人でバガヴァンに会う以前、1年間を彼と過ごしました。
私はパラマチャリヤのことがとても好きでした。
彼がどうして離れたかについては、いまだに真相がわからないのです。
From 1997-1998 onwards, devotees and his assistants were not encouraged to try to meet him. Furthermore I wanted to respect him. As he was no longer the leader of Bhagavan’s Movement, I wanted to give him 100% freedom and not burden him with a visit.
以前、1997~1998年になって、帰依者達と彼のアシスタント達は、彼に会わせようとさせませんでした。
なお、私は彼を尊敬しています。
My longing to see him was sometimes intense. Therefore I once asked for a special permission to call him. I spoke to him for a few minutes. I felt that he did not want me to phone again, as if he did not want to remember his old role as the leader and my guru.
彼に会いたいという私の欲求はしばしば激しいものでした。
したがって、私はかつて、彼に電話をかける特別許可を求めました。
私は、数分間彼と話しました。
まるで彼が私のグルとリーダーとしての古い役割を忘れたがっているようで、2度と電話をして欲しくないように感じました。
He is now living in Chennai. I have not heard that he attends any satsangs or meeting new or old devotees. He has for many years been engrossed in an intense study of Astrology.
現在、彼はチェンナイで暮らしています。
新旧問わず帰依者達との会合やサットサングに出席したようなことは私は耳にしていません。
彼は長年、占星術の研究に熱心に取り組んでいました。
Q:今、パラマチャリヤはどこにいるのですか?
現在、彼は何をしているのでしょうか?
Freddy: After Bhagavan introduced the monk order, Paramacharya’s role changed. When I visited India (to be with Bhagavan and Paramacharya), I always spent a lot of time with him. On one such trip to India (in 1996 or 1997), I found out that he was no more in the Movement, it was a shock to me.
フレディー:僧の規律が作られた後、パラマチャリヤの役割は変わりました。
私がインドを訪れたとき(バガヴァンとパラマチャリヤと過ごすため)、私はいつも彼と多くの時間を過ごしました。
そのときのインドの旅で(1966年か1997年)、彼がもはやムーヴメントに関与していないことがわかって、私はショックをうけました。
He used to be my personal guide (guru), I stayed with him for a year, before I met Bhagavan in person. I liked Paramacharya a lot. I never got any explanations as to why he had left.
彼は私の個人的なガイド(グル)でした。
私が個人でバガヴァンに会う以前、1年間を彼と過ごしました。
私はパラマチャリヤのことがとても好きでした。
彼がどうして離れたかについては、いまだに真相がわからないのです。
From 1997-1998 onwards, devotees and his assistants were not encouraged to try to meet him. Furthermore I wanted to respect him. As he was no longer the leader of Bhagavan’s Movement, I wanted to give him 100% freedom and not burden him with a visit.
以前、1997~1998年になって、帰依者達と彼のアシスタント達は、彼に会わせようとさせませんでした。
なお、私は彼を尊敬しています。
My longing to see him was sometimes intense. Therefore I once asked for a special permission to call him. I spoke to him for a few minutes. I felt that he did not want me to phone again, as if he did not want to remember his old role as the leader and my guru.
彼に会いたいという私の欲求はしばしば激しいものでした。
したがって、私はかつて、彼に電話をかける特別許可を求めました。
私は、数分間彼と話しました。
まるで彼が私のグルとリーダーとしての古い役割を忘れたがっているようで、2度と電話をして欲しくないように感じました。
He is now living in Chennai. I have not heard that he attends any satsangs or meeting new or old devotees. He has for many years been engrossed in an intense study of Astrology.
現在、彼はチェンナイで暮らしています。
新旧問わず帰依者達との会合やサットサングに出席したようなことは私は耳にしていません。
彼は長年、占星術の研究に熱心に取り組んでいました。
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You are no longer in the Movement, so what is your attitude to Ramesh, the deekshagivers and all the other friends you had when you were a devotee of Bhagavan? Are you angry at those who are still followers of Bhagavan?
Q:あなたはもはやムーヴメントに属していませんが、バガヴァンの帰依者だった時のあらゆる友人、ディクシャギヴァーやラメッシュに対してどんな姿勢でいらっしゃいますか?
未だなおバガヴァンの帰依者である人に対して怒っていますか?
Freddy: I have the same warm feeling towards Ramesh as I had before, irrespective whether he is a devotee to Bhagavan or not. Friendship and religion are two entirely separate things for me. Everybody has the right to believe exactly what he or she wants.
フレディー:私は、以前のようにラメッシュに対して温かい気持ちを持っています。
彼がバガヴァンの帰依者であるかどうかは関係ありません。
友情と宗教は私にとって2つのまったく別々のものです。
全ての人には、その人が何を求めて何を信じるか権利があります。
You asked me if I am angry. Not as far as I know :-). On the inner level, I still feel the same love towards all the people whom I was close to before, no matter whether they still are in Bhagavan’s Movement or not. On the outer level, I’m not meeting them as often as I used to, as I am no longer a missionary of Bhagavan.
あなたは、私に怒っているかどうか私に尋ねました。
私の知る限り、そうではありません。
内側のレベルでは、私は未だに、以前親しかった人々に対して同様の愛を感じています。
彼らがバガヴァンのムーヴメントにまだいるかどうかは問題でありません。
外側のレベルでは、私がもうバガヴァンの宣教師ではありませんので、以前のように頻繁には彼らに会っていません。
Some of the devotees are disappointed in me. Others are even angry with me as I do not believe as I did before. I do not judge them and do not take it personally. I know they are not actually angry with me, but with their own image about me, that (hopefully:-) has little to do with me.
帰依者の中には、私に失望している人もいます。
以前にしたように私が信じないので、ある人は私に怒りさえします。
私は彼らを裁かず、それを個人的なものとして受けとめません。
私は、彼らが実際には私に怒っているのではなく、私に関する彼ら自身のイメージに怒っているのを理解しています。
それについて(希望を持って・・・) 私にすることはほとんどありません。。
Q:あなたはもはやムーヴメントに属していませんが、バガヴァンの帰依者だった時のあらゆる友人、ディクシャギヴァーやラメッシュに対してどんな姿勢でいらっしゃいますか?
未だなおバガヴァンの帰依者である人に対して怒っていますか?
Freddy: I have the same warm feeling towards Ramesh as I had before, irrespective whether he is a devotee to Bhagavan or not. Friendship and religion are two entirely separate things for me. Everybody has the right to believe exactly what he or she wants.
フレディー:私は、以前のようにラメッシュに対して温かい気持ちを持っています。
彼がバガヴァンの帰依者であるかどうかは関係ありません。
友情と宗教は私にとって2つのまったく別々のものです。
全ての人には、その人が何を求めて何を信じるか権利があります。
You asked me if I am angry. Not as far as I know :-). On the inner level, I still feel the same love towards all the people whom I was close to before, no matter whether they still are in Bhagavan’s Movement or not. On the outer level, I’m not meeting them as often as I used to, as I am no longer a missionary of Bhagavan.
あなたは、私に怒っているかどうか私に尋ねました。
私の知る限り、そうではありません。
内側のレベルでは、私は未だに、以前親しかった人々に対して同様の愛を感じています。
彼らがバガヴァンのムーヴメントにまだいるかどうかは問題でありません。
外側のレベルでは、私がもうバガヴァンの宣教師ではありませんので、以前のように頻繁には彼らに会っていません。
Some of the devotees are disappointed in me. Others are even angry with me as I do not believe as I did before. I do not judge them and do not take it personally. I know they are not actually angry with me, but with their own image about me, that (hopefully:-) has little to do with me.
帰依者の中には、私に失望している人もいます。
以前にしたように私が信じないので、ある人は私に怒りさえします。
私は彼らを裁かず、それを個人的なものとして受けとめません。
私は、彼らが実際には私に怒っているのではなく、私に関する彼ら自身のイメージに怒っているのを理解しています。
それについて(希望を持って・・・) 私にすることはほとんどありません。。
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自己紹介:
精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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