カルキのディクシャ WHO IS THAT?
インド聖者カルキバガヴァンとワンネスムーヴメント。
その知られざる実態に迫る。
ワンネス劇場の舞台裏で何が起こっていたのか!?
その他、悟り系の情報を紹介。玉石混交のスピリチュアル、玉にみせかけた石にはご用心。
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先日、とりあげた中国の330歳の修道者の記事について調べてみたところ、大紀元日本さんの記事に書かれていた以外の話があることがわかりました。
この修道者は掲示板(天涯ネット?)に投稿していたように思えますが、複数の投稿がなされて、それを後から誰かがまとめて1つながりの記事としてUPしたものが伝播しているようです。気になったのは中国語のサイトにアクセスすると、どうしてか途中でエラーになって閲覧できなくなったり、最初から見れないものもあったため、この記事は転載記事の1つをグーグルキャッシュによって得たものです(元となる掲示板の存在は確認できておりません)。
内容としては、前半が修道者(修行者、道士)の人生(経歴)、そして後半に探求者が疑問を持ちそうなこととして幾つか述べています。大紀元さんの記事では超能力に関する部分が省かれていますが、それ以外については訳されています(前半の修道者の人生については、端折ってあります)。
中国語は英語よりはるかに不慣れですが、どんな話なのか興味があったので試しに訳してみましたが、一応の形になりましたので中途半端ながら公開してみたいと思います(これは前半部分ですから後半の超能力についてのところが欠けているのです。)
「怠惰な人に最適な眠っていても効果がある簡単な行法」というのは現代人の興味を惹きそうですが、一方では「本当の修行は苦しさを伴う」とも述べていることを考えると、やはり万人向けというものではないのでしょう。ありがちな推測としては、彼が過去生でそれなりのレベルに達していて法門を継承する準備が整っていたので、縁のあるマスター(導師、グル)と必然的に出会ったということなのかもしれません。行法を伝授された時点で、行を正しく実践できるだけの能力、資質があったゆえ、効果がてきめんに発揮して禅定に入ることが出来た。これを眠ることのように表現しているのではないかと思いました。
言葉の中には専門用語も含まれますが、仙道や易経などに見られる語句があります。人間の本質が永遠不滅の意識「それ」であることを悟ればそれで十分という探求者もいれば、肉体的にも不老不死を目指す探求者もいるということでしょうか。後者については通常の生活では困難で長期間の修行を要するような気がします。
パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」などにも、2000歳を超えるというマハアヴァター・ババジとその姉など不老不死の存在が出てきます。また、この本にはヨガナンダの遺体が長らく腐敗の兆候がなかったことや、不食の聖者など、一般常識からすれば到底信じがたい話が幾つも登場します。自分がそうなることを望むかどうかはともかく、人間には未知なる可能性があることに目を開かせてくれる話ということです。
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私が修行で少しばかり進歩すると、師匠は私を俗世間に戻して行脚(あんぎゃ)させました。師匠は、もし私が金銭欲・名声欲・色欲などに溺れて俗世間に迷わせられたならば山に戻ってこなくてもよい、自分の好きなように生きなさい。3年経ってからも大巴山に戻ることに迷いがないならば、引き続き修行の指導を行おうと彼は言いました。
2百年余り修行を積んだ後、正確に言えば清が崩壊する前年、私の師匠が亡くなったため我々の法門は私一人だけになりました。修道の最終目標は仙人に成り、永遠の生を求め得ることです。しかし我々の法門では最高度に修行しても「5気朝元」にあと一歩のところで到達することが出来ませんでした。不老不死までには一寸の差があったのです。
師匠が亡くなった後、遺体は腐廃しませんでした。私は遺体を漢中の荒れ果てた寺に保管しました。その後、その寺は戦火で焼け落ち、師匠の肉体も灰になりました。しかし、これは人間の肉体であって惜しむことはありません。
師匠が亡くなった後、私は一人きりで修行しました。一介の修行者にとって最大の苦しみは孤独の寂しさです。時には座禅を組むと禅定に1年間入りっぱなしで、禅定から出た後に何日かして再び禅定に入るので、10数年間を誰にも会わず、話もしないことも普通の事です。孤独の寂しさを克服してからは行脚が楽しいものとなり、1960年から私は行脚しながら引き続き修行するようになりました。
1988年、大興安嶺の大火災のあった年、私はついに我々の法門の最高境涯「5気朝元」に到達しました。この時に私の超能力はかつてないレベルに至りました。あなたが耳にしたことがある能力はほとんど備わりました。
その上、これらのパワーは強力で、世俗のいわゆる「超能力者」とは比べものになりません。さらにそれ以後、行脚する時は戒律を守る必要もなく、超能力を気軽に使うことが可能でした。
とはいえ、それが例え非常に些細な出来事であろうとも、俗世のいかなる事情にも干渉出来ないのが前定です。さもなければ、因果の報いを受けるか或いは能力が損なわれるでしょう。
修行の完成後、私は俗世で5年間、世界中を周遊しました。私と同じように修行している人が数多くいることがわかりました。種々様々な生活を経験してみて全てが無意味に感じられました。
だから、1993年8月中旬、私は列車に乗って川北に戻り、隠遁生活を続けようと思いました。時期がきたら弟子を1人とって我々の法門の体系を伝えようと思ったのです。
この列車で私の転機となる運命の出会いがありました。その時、この人と私は同じ車両に居合わせました。私達はひと目でお互いに修行者であることがわかりました。この人は見るからに優しく澄んだ眼差しで、非常に若々しく、常に朗らかな方で親近感がありました。
私は彼に声をかけ、しばらく談話しました。この人がまるっきり私の想像を超えた類がない高いレベルの人であることに気づいて驚愕しました。現在の私のレベルではこの問題に関して知る方法がなく、何しろ高いとしか言えません。私は彼の足元にも及びません。それ以来、私は彼を師匠として敬うようになり、彼の法門の修行法を授かりました。
第二の師匠の助けのもとで、1ヶ月もしないうちに、私は以前の法門の極限を突破して修行に成功し、「三花集頂」の境涯に達しました。すなわち私は不死の身体を得ています。
現在、私は俗世を行脚しています。今回の行脚が最後となるので、諸々の念願を果たす必要があります。この書き込み(天涯ネット)では、修行と関係がある超能力の理論について幾つか詳しく述べたいと思います。これは私の願いの中の一つです。
私と縁がある人はおのずと目にすることになり、得心するでしょう。何がしかの気づきがあるでしょう。特殊なやり方を通じて、かつての私の「衆生済度」の請願を果たそうとしているといえるかもしれません。
後略します
この修道者は掲示板(天涯ネット?)に投稿していたように思えますが、複数の投稿がなされて、それを後から誰かがまとめて1つながりの記事としてUPしたものが伝播しているようです。気になったのは中国語のサイトにアクセスすると、どうしてか途中でエラーになって閲覧できなくなったり、最初から見れないものもあったため、この記事は転載記事の1つをグーグルキャッシュによって得たものです(元となる掲示板の存在は確認できておりません)。
内容としては、前半が修道者(修行者、道士)の人生(経歴)、そして後半に探求者が疑問を持ちそうなこととして幾つか述べています。大紀元さんの記事では超能力に関する部分が省かれていますが、それ以外については訳されています(前半の修道者の人生については、端折ってあります)。
中国語は英語よりはるかに不慣れですが、どんな話なのか興味があったので試しに訳してみましたが、一応の形になりましたので中途半端ながら公開してみたいと思います(これは前半部分ですから後半の超能力についてのところが欠けているのです。)
「怠惰な人に最適な眠っていても効果がある簡単な行法」というのは現代人の興味を惹きそうですが、一方では「本当の修行は苦しさを伴う」とも述べていることを考えると、やはり万人向けというものではないのでしょう。ありがちな推測としては、彼が過去生でそれなりのレベルに達していて法門を継承する準備が整っていたので、縁のあるマスター(導師、グル)と必然的に出会ったということなのかもしれません。行法を伝授された時点で、行を正しく実践できるだけの能力、資質があったゆえ、効果がてきめんに発揮して禅定に入ることが出来た。これを眠ることのように表現しているのではないかと思いました。
言葉の中には専門用語も含まれますが、仙道や易経などに見られる語句があります。人間の本質が永遠不滅の意識「それ」であることを悟ればそれで十分という探求者もいれば、肉体的にも不老不死を目指す探求者もいるということでしょうか。後者については通常の生活では困難で長期間の修行を要するような気がします。
パラマハンサ・ヨガナンダの「あるヨギの自叙伝」などにも、2000歳を超えるというマハアヴァター・ババジとその姉など不老不死の存在が出てきます。また、この本にはヨガナンダの遺体が長らく腐敗の兆候がなかったことや、不食の聖者など、一般常識からすれば到底信じがたい話が幾つも登場します。自分がそうなることを望むかどうかはともかく、人間には未知なる可能性があることに目を開かせてくれる話ということです。
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深山修道三百年,现上网揭秘特异功能真实本质《转载》
山奥で300年修行、今ネット上で超能力の真の本質を解き明かす 《転載》
首先声明,本文绝非故事。所写所讲,完全都是我本人的真实经历,真实感悟。你可以相信,也可以不信,但请积修口德,勿给自己造下业障。若有疑问或质疑,尽可提出,我会一一解答。
最初に申しておきますが、本文は作り話ではありません。ここに書かれたことは全て完全に私自身の真の経歴・経験です。信じるも信じないもあなた次第ですが、信じられないからといって誹謗中傷をして己の口を汚さないように。もし疑問や質問があるならば、私は1つ1つに回答することができます。
一般人看到标题中的“三百年”,一定会认为我在瞎吹。但我告诉你,我的真实年龄的确是330岁,也就是说我是清朝康熙年间生人。其实330岁并不算很老,2000多岁的人我都亲眼见过,听说还有活了5000多岁尚在人间的,只是没有机缘见到。
一般人はタイトルの「300年」を見て、私がホラを吹いているに違いないと思うでしょう。私の実年齢を明かすと330歳です。すなわち私は清の康煕帝時代に生まれた者です。実は330歳はそれほど古いとは言えないのです。私は2000歳以上の人に会ったことがあります。聞くところによれば、5000歳以上の人がこの世に存在するといいますが、まだ会ったことはありません。
我是四川成都人,雍正年间,为避战乱,我们全家逃到川北的大巴山中,却不幸遭逢泥石流,最后只有我一个人幸免,那年我三十岁。后来我在山中迷了路,自己瞎走了十几天,就在我快饿死的时候,一个道士救了我。这个道士就是我的师父,那时他已在大巴山中修炼了七百多年。从此,我就跟随师父开始了修炼。这里要说明,我和师父虽然是道士,修的是三清法门,但我们不是道教,和道教没有任何关系。
私は四川省の成都で生まれ育ちました。雍正帝時代に戦乱を避けるため、私達の家族全員は川北(四川省の北部)の大巴山中まで避難しました。不幸にも土石流に遭遇し、最終的に私一人だけが運よく命拾いしたのです。当時、私は30歳でした。それから私は山中で道に迷って闇雲に数日間を歩き周り、今にも餓死しそうなところをある道士によって救われました。
この道士が私の師匠です。あの時彼は概に大巴山中で700年余りの修行を積んでいました。私は師匠について修行を開始しました。ここで補足すると、私と師匠は道士ですが三清法門の修行者であって道教ではありませんし、道教とは何の関係もありません。
この道士が私の師匠です。あの時彼は概に大巴山中で700年余りの修行を積んでいました。私は師匠について修行を開始しました。ここで補足すると、私と師匠は道士ですが三清法門の修行者であって道教ではありませんし、道教とは何の関係もありません。
我师父是唐朝人,虽然已修炼了七百多年,但他看上去比当时的我还年轻。因他已经修到头了,再怎么努力也修不上去了,所以收了我当徒弟,承传我们这一门的道统。你一定想不到,我们这一门修炼的功法,非常非常的简便,特别适合懒人学,因为我们的功法就是睡觉。
私の師匠は唐の時代の人間で概に700年余り修行を積んでいたのですが、出会った当時、私より若く見えました。彼は概に修行を積んで極限に達し、どのように修行すればいいか熟知していたため、私を弟子にとり、この法門の修行法を伝えてくれました。あなたは想像がつかないでしょうが、我々の法門の修行法は非常に簡便であり、特に怠惰な人に適しています。何故なら、この修行法はたとえ眠っていても効果のある方法だからです。
师父传了我功法后,我第一觉就睡了一个多月,睡醒后身体变化很大,几乎像是换了个人,比从前强壮了很多很多。然后他又让我读《道德经》,读完经书又睡觉。就这么不断的读经书,睡觉,最长的一次,我一觉睡了两年多。如此循环往复,一直修了六十多年,我终于达到了小成境界(天目已开,大周天全部打通),这时我已具备了很多特异功能。比如辟谷、搬运术,凌空漂浮,他心通,透视人体等。还要补充一点,自从开始修炼,我的外貌就定格在了三十岁,一直到今天也没有任何变化。
師匠が私に修行法を伝えた後、まず私は一ヶ月以上眠りました。目が覚めた後の体の変化はとても大きく、ほとんど別人のごとく昔に比べて随分と丈夫になりました。彼はそれから私に<道徳経>を読ませました。経典を読み終えると、また眠ります。このように絶え間なく経典を読んでは眠りました。最も長いのは、1回の眠りが2年間でした。
このような繰り返しをずっと60年ほど続け、私はついにある境涯(霊眼が開く、大周天の完成)に到達しました。この時に多くの超能力が備わりました。たとえば谷避(不食)、運搬術(瞬間移動)、空中浮揚、他心通(読心術)、人体透視など。もう1点を付け加えるとしたら、私の容貌は修行を開始してから今日まで30歳のままでいかなる変化もありません。
このような繰り返しをずっと60年ほど続け、私はついにある境涯(霊眼が開く、大周天の完成)に到達しました。この時に多くの超能力が備わりました。たとえば谷避(不食)、運搬術(瞬間移動)、空中浮揚、他心通(読心術)、人体透視など。もう1点を付け加えるとしたら、私の容貌は修行を開始してから今日まで30歳のままでいかなる変化もありません。
修到了小成境界,师父让我返回人世间去云游。师父说,如果我沉溺于声色名利,被花花世界迷住了,就不用回山了,我可以自己选择以后的路。如果三年之后我还没有沉迷,那么就返回大巴山,他会指导我继续修炼后面的功法。
私が修行で少しばかり進歩すると、師匠は私を俗世間に戻して行脚(あんぎゃ)させました。師匠は、もし私が金銭欲・名声欲・色欲などに溺れて俗世間に迷わせられたならば山に戻ってこなくてもよい、自分の好きなように生きなさい。3年経ってからも大巴山に戻ることに迷いがないならば、引き続き修行の指導を行おうと彼は言いました。
外出云游很苦的,规矩也很多。第一,在尘世中不许使用任何的特异功能,出山前师父已把我的功能给锁住了,包括辟谷功能在内,也就是说,云游期间,我还要想办法解决吃饭问题。第二,不允许用钱,只能通过乞讨的方式获得食物。第三,还有很多戒律,偷盗,淫邪,饮酒等,类似于佛教中的那些规定吧。师父可以用天眼通随时随地的监视我,如果我犯了任何一条规矩,就再也没有机会跟随师父修炼了。
表に出て行脚するには決まりごとが沢山あって過酷です。
第1:世俗で超能力を使うことは許されません。山を下りる前に師匠が私の能力(気を取り込み何も食べずにいられる辟谷「ベークウ」という不食法を含む)を封じているため、行脚の期間は食事の問題をなんとかしなくてはなりません。
第2:お金を使うことは許されません。食べ物を得るには物乞いをするしかありません。
第3:多くの戒律があります。不盗・不邪淫・不飲酒など仏教の戒律に類似しています。師匠はいつでもどこでも天眼を通して私を見守っていて、もし私が1つでも戒律を犯すならば破門されます。
第1:世俗で超能力を使うことは許されません。山を下りる前に師匠が私の能力(気を取り込み何も食べずにいられる辟谷「ベークウ」という不食法を含む)を封じているため、行脚の期間は食事の問題をなんとかしなくてはなりません。
第2:お金を使うことは許されません。食べ物を得るには物乞いをするしかありません。
第3:多くの戒律があります。不盗・不邪淫・不飲酒など仏教の戒律に類似しています。師匠はいつでもどこでも天眼を通して私を見守っていて、もし私が1つでも戒律を犯すならば破門されます。
离开大巴山后,我首先去了陕西的渭南,后来又去了潼关。在潼关,我终于解决了吃饭问题。要知道,我的外貌是一个三十岁的壮年男人,乞讨非常困难,经常挨骂,没有几个人愿意施舍给我。在潼关我给一个姓刘的地主家干活,只需管吃住,不要工钱。地主很乐意,也解决了我的问题。我也没心情去别的地方,就在刘地主家,平平静静度过了三年,幸好没有犯戒,三年期满,我又回到了大巴山师父身边。
大巴山を離れた後、私はまず陝西の渭南に行き、それから潼関に行きました。潼関で私はついに食事の問題を解決しました。ご存知のように私の容貌は30歳の働き盛りの男ですから、物を請うのは非常に困難です。罵られることもよくありますし、私に喜捨する人は滅多にいません。
潼関で私は劉という名の地主宅で働きました(賃金なしで食事と住居を提供してもらう)。地主はとても喜び、私の問題も解決しました。別の地方に行く気がなかったので、この地主宅で普通に静かに3年を過ごし、幸い戒律を破ることなく3年満行になり、私はまた大巴山の師匠の元に帰りました。
潼関で私は劉という名の地主宅で働きました(賃金なしで食事と住居を提供してもらう)。地主はとても喜び、私の問題も解決しました。別の地方に行く気がなかったので、この地主宅で普通に静かに3年を過ごし、幸い戒律を破ることなく3年満行になり、私はまた大巴山の師匠の元に帰りました。
以后的日子就是不断修炼,每隔三五十年,我都会下山云游几年,有时候师父也和我一块去云游,如果是这样我就没法偷懒了,不能像在刘地主家那样混日子,而是每天都要乞讨。这么多年云游下来,人世间的酸甜苦辣,风风雨雨都经历过了,但我修道的意志从未动摇。对于世上的王权更迭,世事变幻,我们从来不去干涉,包括那些大的灾难和战争,我们从来不管。因为这些都是有定数的,谁乱动,谁遭殃。
その後、私は絶えず修行を積み、3、5、10年ごとに山を下りて数年を行脚しました。時には師匠も私と一緒に行脚しました、この際は劉の地主宅で暮らしたような生活は出来ず、毎日物乞いしないとなりませんでした。こうして山を下りて長年を行脚することで俗世間の辛酸苦楽・風雨はすべて経験しました。しかし私の修行する意志は一度もぶれていません。
世の中は王(政権)が交替し、世事は目まぐるしく移り変わっていきました。大きな災難や戦争を含め、私達はこれまで干渉・関与していません。これらすべては定められた運命があるため、誰もがむやみに動いて災難に遭います。
世の中は王(政権)が交替し、世事は目まぐるしく移り変わっていきました。大きな災難や戦争を含め、私達はこれまで干渉・関与していません。これらすべては定められた運命があるため、誰もがむやみに動いて災難に遭います。
我知道尘世中很多人对修道很感兴趣,但是他们不清楚修道要吃多少苦,要经过多少煎熬和磨难。泡上几杯清茶,约上三五个好友,坐而论道,那不是修行,那是休息。真正的修行,是要吃很大的苦的。
私は俗世で多くの人が修行することに対してとても興味を持っているのを知っています。しかし彼らは修行するということがどれだけ多くの苦しみを通り抜ける必要があるかをわかっていません。数人の親しい仲間と座してお茶を飲みながら空論にふけることは修行ではなく休息です。本当の修行はとても大きな苦しみを伴います。
修炼了两百多年之后,准确的说,应该是在大清朝垮台的前一年,我师父死了,从此我们这一门派,就只剩下了我一个人。修道的最终目标是成仙,以求得永生,但是我们这一法门最高就只能修到“五气朝元”这一步,距离长生不死还有一线之差。师父死后尸身未腐,我将其保存在了汉中的一个破庙里,后来那个庙毁于战火,师父的肉身便也被毁。不过这没什么可惜的,一副臭皮囊罢了。
2百年余り修行を積んだ後、正確に言えば清が崩壊する前年、私の師匠が亡くなったため我々の法門は私一人だけになりました。修道の最終目標は仙人に成り、永遠の生を求め得ることです。しかし我々の法門では最高度に修行しても「5気朝元」にあと一歩のところで到達することが出来ませんでした。不老不死までには一寸の差があったのです。
師匠が亡くなった後、遺体は腐廃しませんでした。私は遺体を漢中の荒れ果てた寺に保管しました。その後、その寺は戦火で焼け落ち、師匠の肉体も灰になりました。しかし、これは人間の肉体であって惜しむことはありません。
师父死后我就一个人独修。对于一个独修的修炼者来说,最大的苦,就是寂寞和孤独。有时一打坐入定就是一年,出定后不几天又入定了,十几年不见一个人,不说一句话是很平常的事。为了克服孤独寂寞,我喜欢上了云游,从1960年开始,我一边云游一边继续修炼。
師匠が亡くなった後、私は一人きりで修行しました。一介の修行者にとって最大の苦しみは孤独の寂しさです。時には座禅を組むと禅定に1年間入りっぱなしで、禅定から出た後に何日かして再び禅定に入るので、10数年間を誰にも会わず、話もしないことも普通の事です。孤独の寂しさを克服してからは行脚が楽しいものとなり、1960年から私は行脚しながら引き続き修行するようになりました。
等到了1988年,大兴安岭大火灾的那一年,我终于也修到了我们这一门中的最高境界:五气朝元。这时我的特异功能,达到了一个前所未有的高度,基本上你听说过的功能,我全部都有,而且功力强大,远远不是人世间那些所谓的“异能者”所能比拟。而且从此之后,云游的时候,我可以不用再遵守戒律,特异功能也可以随便使用了,但前提是不能干涉人世间的任何事情,那怕很微小的一件小事也不行,否则会立遭报应,或者功力受损。
1988年、大興安嶺の大火災のあった年、私はついに我々の法門の最高境涯「5気朝元」に到達しました。この時に私の超能力はかつてないレベルに至りました。あなたが耳にしたことがある能力はほとんど備わりました。
その上、これらのパワーは強力で、世俗のいわゆる「超能力者」とは比べものになりません。さらにそれ以後、行脚する時は戒律を守る必要もなく、超能力を気軽に使うことが可能でした。
とはいえ、それが例え非常に些細な出来事であろうとも、俗世のいかなる事情にも干渉出来ないのが前定です。さもなければ、因果の報いを受けるか或いは能力が損なわれるでしょう。
修成之后,我在人世间游荡了五年,走遍了世界上的所有角落,认识了很多和我一样的修炼之人,尝试了各种各样的生活,却感觉都没什么意思。于是,1993年8月中旬,我乘坐一列火车返回川北,准备继续过我的隐居生活,等时机成熟时,也收个徒弟,承传我们这一法门的道统。就是在这趟火车上,我遇到了一个改变我命运的人。当时这个人和我同在一个车厢,我们一照面就彼此知道都是修道者,此人看上去也很年轻,慈眉善目,总是笑呵呵的。
修行の完成後、私は俗世で5年間、世界中を周遊しました。私と同じように修行している人が数多くいることがわかりました。種々様々な生活を経験してみて全てが無意味に感じられました。
だから、1993年8月中旬、私は列車に乗って川北に戻り、隠遁生活を続けようと思いました。時期がきたら弟子を1人とって我々の法門の体系を伝えようと思ったのです。
この列車で私の転機となる運命の出会いがありました。その時、この人と私は同じ車両に居合わせました。私達はひと目でお互いに修行者であることがわかりました。この人は見るからに優しく澄んだ眼差しで、非常に若々しく、常に朗らかな方で親近感がありました。
我上前与他攀谈了一会儿,却不由得无比震惊,因为我发现,此人的功力之高,简直是我难以想象的。到底有多高,现在我也说不出所以然来,因为以我的道行,根本没办法探究这个问题,我连他的脚趾头都够不上。后来,我拜了此人为师,他传给了我他那一法门的功法。
私は彼に声をかけ、しばらく談話しました。この人がまるっきり私の想像を超えた類がない高いレベルの人であることに気づいて驚愕しました。現在の私のレベルではこの問題に関して知る方法がなく、何しろ高いとしか言えません。私は彼の足元にも及びません。それ以来、私は彼を師匠として敬うようになり、彼の法門の修行法を授かりました。
在第二位师父的帮助下,没用一个月时间,我就突破了我原先法门的极限,成功修到了“三花聚顶”的境界。也就是说,在这之后,我已经获得了不死之身。
第二の師匠の助けのもとで、1ヶ月もしないうちに、私は以前の法門の極限を突破して修行に成功し、「三花集頂」の境涯に達しました。すなわち私は不死の身体を得ています。
如今,我又来到了人世间云游,这是我最后一次云游了,有许多的心愿须了结,来天涯网写这个帖子,阐述和揭示一些与特异功能、修道有关理论,是我的心愿之一。与我有缘之人,自然会看的到,自然会有所得、有所悟,也算是我兑现昔日“济世救人”誓愿的一个特殊方式。
現在、私は俗世を行脚しています。今回の行脚が最後となるので、諸々の念願を果たす必要があります。この書き込み(天涯ネット)では、修行と関係がある超能力の理論について幾つか詳しく述べたいと思います。これは私の願いの中の一つです。
私と縁がある人はおのずと目にすることになり、得心するでしょう。何がしかの気づきがあるでしょう。特殊なやり方を通じて、かつての私の「衆生済度」の請願を果たそうとしているといえるかもしれません。
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下記に大紀元日本さんから転載させていただきます(文字の強調は当方による)。
=============== ここから転載 ↓
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/10/html/d51960.html
いわゆる仙人・超人ですか、中国奥地やヒマラヤなどには人知れず、数百年以上を肉体を維持している人々が存在しているという伝説がありますが、そうした方が山を降りてネットで修行過程を公開するとは興味深いものがあります。実際に何歳なのかどうかはともかく(ありうることと思っていますが)、言っている内容は共感できるものがあります。
アドヴァイタ教師などがいうところの「人間に自由意志はない」ということを別の表現で語っているところにも信憑性を感じさせます。
正邪の判断で、強要させるのは言うまでもありませんが、金銭を得ることに関しては例外もあると思います。必ずしもスピリチュアルティーチャーで金銭を得ているからといって偽者だと決め付けるのも早計かもしれません。修道者がいう「絶えず」というのがポイントかもしれません。例えばヴェーダンタ教師のジェームス氏などは一時期、冷やかしの訪問者を避けるためにあえて幾らかの金銭を得ていたといいます。また場所を借りたり移動にかかる費用などで金銭を必要とする場合も一般的に考慮される部分です。海外から教師を招聘するケースでは交通費、滞在費などで金額がかかるでしょう。その実費程度や通訳料は仕方がない部分です。しかし、さらに仲介が入って代表者(組織)が自らの収益を得ているケースが多いかもしれません。このへんはスピリチュアルビジネスを本業とする人が仲介なのか、収益を目的にしていない個人がボランティア的に運営しているのかどうかで異なると思いますが後者であれば、参加するのに躊躇するほど高額設定になることは考えにくいです。いずれにせよ、金に執着しているかいないかは教師を見れば察することが出来ると思いますが、金銭を得ているが執着していないという人は稀かもしれません。個人的には実例を知っていますが。ほとんどの場合、警戒して近寄らないというほうが懸命なのかもわかりません。
効能や法術を見せるというものが邪法というのもその通りと思います。
ただし、これも例外はあり、ごく親しい理解ある者には力の一端を見せることもあろうかと思います(例:書籍「イニシエート」の話にあるようなケース)。
とはいえ、例外はあくまで公ではなく内々のことですか公でパフォーマンス(物質化、奇跡現象)するものについては、疑って然るべきでしょう。神秘・奇跡体験を信者の集まりで発表させるような団体も要注意です。
また、余りにも頻繁にセミナーのようなものを開催して積極的に宣伝し、メディアへの露出(インタビュー、書籍、DVD)が激しく、大勢を集客しているようなものは疑ってかかったほうが身のためかもしれません。常識からみて法外な料金をとるものはいうまでもありませんが、より高等の秘伝、テクニックを伝授するといって徐々に金額を吊り上げていく手法を用いる悟りビジネスもあります。初回は無料や割引によって引き寄せて、依存させていくというパターンもあるでしょう。
情報商材などは無料情報を提供することで集客するのが定番ですし、他の商材を詐欺だと暴露することによって、自分の商材の印象をよく見せて購入に誘導するやりかたも行われているようです。むしろ一般社会における詐欺のほうが精神世界のそれよりも複雑・巧妙化しているかもしれません。
=============== ここから転載 ↓
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/10/html/d51960.html
【大紀元日本10月17日】最近、中国のネットサイトに自称330歳の修道者が語った自分の修煉過程が掲載された。
この修道者は、清朝の雍正年間に四川省成都で生まれ、戦乱を逃れて、四川省北部の大巴山に逃げ込んだ。その時、700年以上修煉を積んでいた師に出会い、道家の三清法門に入って修煉を始めたという。
彼は300年の修煉を経て、すでに生死の輪廻を超えた次元、つまり不老不死の境地に達した。今回、常人社会に来て行脚するついでに、「人々を救い済度する」という願望を果たすために、生命の現象に対する認識を書き出して発表したという。
世界には本当に神佛、妖怪、悪魔が存在するのだろうか。これについて、彼は以下のように述べている。
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これは疑う余地もありません。生命が存在する形式は計り知れないほど多く、人間のような色身を持っている生命は、宇宙の中でほんのわずかです。私が街頭を歩いていても、一般人は私の真実の身分を知ることができますか? 同じ道理で、多くの神佛や妖怪、悪魔が普通の人の姿で世間を往来していても、あなたには識別できません。多くの人は乞食を見くびり、甚だしきに至っては故意に乞食をいじめたりします。教えますが、多くの乞食は深い背景があり、世間で行脚する修道者でなければ、使命を持って世間に来ている神佛かもしれません。頭上3尺に神ありと言われていますが、これは間違いのない事実です。神は至るところにいます。ただ一般人は天目が開いていないので、見えないだけです。
人の運命、人類社会の発展、そのすべては神佛によって制御されているのです。1人の人間が生まれてから死ぬまで、その一生の運命はすべて定められており、例え髪1本が抜け落ちることも、すべて按排されたことです。人間が社会で何をするのか、何を所有するのかはすべて定められたことであり、如何に努力しても、基本的に予定された道を歩むだけです。あなたはきっと信じないでしょう。自分が得た多くのものは、すべて自分が努力し奮闘することによって得られたと思うかもしれませんが、実は、修煉から得た功能で見れば、人間の奮闘する過程は、すべて凡人の運命を掌握する神によって制御されています。人はまるで操り人形のようで、神は各種の観念、情緒、欲求および人々のいわゆる偶発事件を利用して人の行為を制御しています。動物も人間と同じで、すべてこのように神により制御されているのです。
佛家の言う六道輪廻は、間違いない事実です。私が天目という功能で見れば、人の幾度の前世の生命形式が見えます。私が言いたいのは、輪廻転生の中で一つの生命が人間として生まれるのは、容易なことではありません。故に、人間として生きていることを大切にすべきです。なぜなら、人間以外の他の形式の生命は、正道を修煉することを許されないからです。この一世の機縁を逃したら、再びこのような機会が得られるとは限りません。
人間にとって、自分の運命を掌握する唯一の方法は修煉しかありません。これ以外に自分の運命を変える方法はありません。しかし、修煉する方法はたくさんあり、必ず慎重に選ばなければなりません。さもなければ邪道に入ってしまい、将来の結末は非常に惨めになります。それは地獄よりも更に悲惨な状況になります。社会で伝えられている法門や宗教はたくさんあります。その正と邪を判断する基本的な基準は、三つあると思います。つまり、絶えず金銭を要求されるもの、強制的にさせるもの、功能や法術を披露して見せるものは、間違いなく邪法であり、くれぐれも近づかないでください。
正法門の修煉法は、無条件かつ無償で伝わるものであり、強制的な要素はまったくありません。正法門は人の理性、善念を啓発し、自分の意志で修行に励みます。邪法は官職や金銭を餌にして、物質に対する人の欲望を満足させ、人の貪欲を煽り立て、これらの手段で人を入信させます。もちろん、邪法も人にいくつか功能を得させることができますが、しかし最終結果はきっととても惨めなのです。
現在、世間の各種の宗教、道教、佛教、キリスト教などを含めて、私から言えば、金をかき集めて私腹を肥やす商売の道具になりました。その正邪に関してはもう言う必要はありません。私は釈迦牟尼佛やイエス、老子などが不正であるとは言っていません。私は今の宗教が不正であると言っています。今の宗教はすでに神佛が宗教を創立した初期の原始教義を離れ、変質してしまったのです。
(翻訳編集・東山)
転載終了=========
いわゆる仙人・超人ですか、中国奥地やヒマラヤなどには人知れず、数百年以上を肉体を維持している人々が存在しているという伝説がありますが、そうした方が山を降りてネットで修行過程を公開するとは興味深いものがあります。実際に何歳なのかどうかはともかく(ありうることと思っていますが)、言っている内容は共感できるものがあります。
アドヴァイタ教師などがいうところの「人間に自由意志はない」ということを別の表現で語っているところにも信憑性を感じさせます。
正邪の判断で、強要させるのは言うまでもありませんが、金銭を得ることに関しては例外もあると思います。必ずしもスピリチュアルティーチャーで金銭を得ているからといって偽者だと決め付けるのも早計かもしれません。修道者がいう「絶えず」というのがポイントかもしれません。例えばヴェーダンタ教師のジェームス氏などは一時期、冷やかしの訪問者を避けるためにあえて幾らかの金銭を得ていたといいます。また場所を借りたり移動にかかる費用などで金銭を必要とする場合も一般的に考慮される部分です。海外から教師を招聘するケースでは交通費、滞在費などで金額がかかるでしょう。その実費程度や通訳料は仕方がない部分です。しかし、さらに仲介が入って代表者(組織)が自らの収益を得ているケースが多いかもしれません。このへんはスピリチュアルビジネスを本業とする人が仲介なのか、収益を目的にしていない個人がボランティア的に運営しているのかどうかで異なると思いますが後者であれば、参加するのに躊躇するほど高額設定になることは考えにくいです。いずれにせよ、金に執着しているかいないかは教師を見れば察することが出来ると思いますが、金銭を得ているが執着していないという人は稀かもしれません。個人的には実例を知っていますが。ほとんどの場合、警戒して近寄らないというほうが懸命なのかもわかりません。
効能や法術を見せるというものが邪法というのもその通りと思います。
ただし、これも例外はあり、ごく親しい理解ある者には力の一端を見せることもあろうかと思います(例:書籍「イニシエート」の話にあるようなケース)。
とはいえ、例外はあくまで公ではなく内々のことですか公でパフォーマンス(物質化、奇跡現象)するものについては、疑って然るべきでしょう。神秘・奇跡体験を信者の集まりで発表させるような団体も要注意です。
また、余りにも頻繁にセミナーのようなものを開催して積極的に宣伝し、メディアへの露出(インタビュー、書籍、DVD)が激しく、大勢を集客しているようなものは疑ってかかったほうが身のためかもしれません。常識からみて法外な料金をとるものはいうまでもありませんが、より高等の秘伝、テクニックを伝授するといって徐々に金額を吊り上げていく手法を用いる悟りビジネスもあります。初回は無料や割引によって引き寄せて、依存させていくというパターンもあるでしょう。
情報商材などは無料情報を提供することで集客するのが定番ですし、他の商材を詐欺だと暴露することによって、自分の商材の印象をよく見せて購入に誘導するやりかたも行われているようです。むしろ一般社会における詐欺のほうが精神世界のそれよりも複雑・巧妙化しているかもしれません。
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精神世界(スピリチュアル)には数多くのトラップが存在しています。私も懲りずに何度もひっかかりました。安易に鵜呑みにせず、自分自身で調べる、考える、見極めることが大切なんだと思います。経験してみないことにはわからないこともありますが、情報を知ることで罠を回避できることも十分にあると考えられます。
国内だけでは情報が限られるので海外にも目を向けています。
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